公開記事は636本です。佐口資料・目録・関連ページを含め、磐田の記憶を整理しています。地区の色は、各地区の入口ページと共通です。
共通・テーマ別の記録
特定の地区にとどまらない、磐田全体にかかわる記録・資料・読み物。
- 磐田物語 まず読んでほしい代表記事10選
- 大石浩之の磐田土地記憶録(連載・目次)
- なぜ不動産屋が文化なのか - 土地・家・地域記憶を読む
- 家康はなぜ見付ではなく中泉を選んだのか - 水・道・地形から読む磐田の土地
- 秋鹿氏という土地の記憶 - 屋敷を差し出し、町を生き延びた一族
- 一言坂の撤退戦を土地から読む - 坂・沼・提灯野が家康を救った日
- 中泉陣屋と、町を支えた二人の代官 - 伊奈忠次と林鶴梁から読む
- 見付の土地を売る前に知っておきたいこと - 間口・接道・隣地協力から読む
- 古い家を手放す前に、残しておきたいもの - 書類・古文書・家の記録の残し方
- 磐田の近代教育史 ── 寺子屋から、六三制の学校へ
- 大字さくいん ── 地名から磐田物語を探す
- 光明電気鉄道の会社史 ── 田中寿三郎の夢と、7年で終わった経営
- 磐田市はどうして生まれたのか ── 一市三町一村の合併史・歴代首長・ふるさとの唄
- 磐田の近代産業史 ── 茶・煙草・甘藷切干、そして銀行
- 遠淡海の里 ── 昭和50年代、磐田原に描かれた幻の自然・歴史公園構想
- 平氏と遠江国司 ── 平重盛の一族と磐田
- 源平争乱と遠江 ── 頼朝の挙兵から遠江支配へ
- 地租改正 ── 地券が変えた磐田の土地所有
- 見付中学校の創立と校風 ── 五階堂仮校舎・労作教育・校歌
- 戦後の磐田南高校と男女共学化 ── 磐田第一高校から女子生徒の入学へ
- 創立80周年記念誌に見る1990年代の磐南 ── 国際交流・自然科学・部活動
- 山内克巳の足跡を読む
- 磐田のオリンピックメダリストの足跡を読む
- 万葉集の遠江歌と磐田 ── 桜井王の歌と「大の浦」の波
- 延喜式内社と磐田 ── 千年前の台帳に載った神社たち
- 紀行文学に見る磐田 ── 阿仏尼が泊まった「見付の里」
- 遠州忩劇 ── 桶狭間のあと、磐田の国衆たちの乱
- 磐田の相給村 ── 一つの村に、いくつもの殿さま
- 寺請制度と宗門人別帳 ── 江戸時代の磐田の「戸籍」
- 神仏分離と磐田 ── 明治維新が変えた祈りのかたち
- 大区小区制と戸長役場 ── 明治初期、磐田の村はどう治められたか
- 磐田郡役所と郡制 ── 「磐田郡」があった時代
- 日清・日露戦争と磐田 ── 忠魂碑が建てられた時代
- 遠州報徳運動と磐田 ── 勤倹と推譲が村を立て直した
- 磐田から北へ ── 秋葉道・二俣街道の記憶
- 磐田の医療史 ── 妙薬・種痘・避病院から市立病院へ
- 磐田の郵便史 ── 中泉奉行だった前島密と、飛脚から郵便へ
- 磐田に電灯がともった日 ── 天竜電力と電気の来た道
- 磐田の消防史 ── 火消し・消防組・火の見櫓の記憶
- 安政東海地震と磐田 ── 嘉永7年11月4日の記憶
- 太田川の治水史 ── 磐田のもう一つの川を読む
- 静岡藩時代の磐田 ── 徳川家とともに来た人々
- ジュビロ磐田前史 ── 工場のサッカー同好会が日本一になるまで
- 国勢調査で読む磐田の百年 ── 数字が語る町の姿
- 磐田物語 憲章
- 磐田物語の地域分類
- 磐田の文化財と地域の記憶
- 磐田タイムトラベル地図
- 磐田の文化財を深く読む資料集
- 遠州弁辞典
- はじめに
- 標準語⇄遠州弁 変換
- 磐田の地名をたどる
- 磐田郡という広がり ── 旧磐田市の外側にあった村々【郡再編・編入合併の解説】
- 古地図に村の名を探す ── 戸別明細図と旧高帳の読み合わせ【三枚の地図で読む解説】
- 古墳から見る磐田 ── 台地と川がつくった、王たちの土地
- 磐田市の国指定文化財
- 連載 まちの成り立ち ── 旧磐田市の村々をたどる【目次】
- 土地と遺跡を調べる ── 埋蔵文化財と磐田
- 祭りと暮らしの記憶
- 旧磐田市の成り立ち ── 村から町、町から市へ【年表・図解でわかる解説】
- 磐田文化財研究ノート
- 佐口行正氏所蔵史料 目録
- 佐口行正氏所蔵史料 ── 紙片が伝える見付のまちの記憶
- 磐田市の指定文化財一覧
- 今之浦と大之浦 ── 海の記憶が残るまち
- 鈴木繁男と磐田窯
- 鈴木光男氏を称える
- 映画『お別れの歌』と磐田の風景
- 磐田用水の歩み ── 天竜川の水が変えた農地と暮らし
- 社山疏水の構想 ── 犬塚祐一郎と明治の水利計画
- 磐田用水幹線改良事業 ── 戦時下の突貫工事と初通水
- 天竜川下流農業水利事業 ── 船明ダムから地域の水網へ
- 磐田用水東部土地改良区 ── 管理区域と年表でたどる50年
- 磐田の集合知とは
- 全記事一覧
- 石高が語る、元禄の磐田 ── 数字の奥に見える土地と人
- 磐田原から今之浦へ ── 台地と入り江がつくった磐田の暮らし
- お蔭参り・お札降り・ええじゃないかの違い
- 見付の社寺と町の信仰空間
- 幕末の磐田地方と民衆の不安
- 史料で読む見付宿のお札ふり
- 各地に広がったお札降りと遠州
- 大正期のある政党人の生活と意見 — 鎌田東一(仮名)から見る磐田の村政治
- 磐田の村を動かした「名望家」 — 地主・教員・村役人が重なった時代
- 大正デモクラシーは磐田の村にどう届いたか — 政党政治と村の現実
- 河川・用排水・新駅 — 大正期の村長が向き合った仕事
- 神職の家から近代の村へ — 鎌田東一の学びと家の立て直し
- 自由主義を考えながら政友会に入るという矛盾 — 鎌田東一の思想と現実
- 昔話は何を伝えてきたか — 日本と世界の民話から読む「語り継ぐ」ということ
- 磐田駅から消えた二つの鉄路――中泉軌道と光明電気鉄道(特集ポータル)
- 中泉軌道とは何だったのか――天竜川水運と磐田駅を結んだ細い鉄路
- 旧東海道を走った軌道――中泉軌道のルートと松並木の記憶
- 光明電気鉄道の夢――見付と二俣を結ぼうとした高速電車
- 光明電鉄19駅一覧――新中泉から二俣町までをたどる
- いま残る光明電鉄の痕跡――平松駅、二俣口、トンネル、マンホール
- 久根鉱山、木材、天竜川――鉄道が運ぼうとしたもの
- なぜ鉄路は消えたのか――バス、三信鉄道、過剰投資の時代
- 中泉軌道の会社史――地域資本が敷いた5.8kmの人車軌道
- 車丁が押した鉄路――中泉軌道の人車・馬力運行と旅客利用
- 中泉駅北の歴史地層――御林・赤煉瓦・中泉御殿のそばを通った軌道
- 廃線後の中泉軌道――遠足・祭り・石碑に残った細い鉄路
- 磐田の水争いと村の共同体 ── 水利慣行が守った、少ない水の分けかた
- 磐田のバス交通史 ── 「ユーバス」の挑戦と、2015年の路線廃止
- ヤマハ発動機と企業城下町としての磐田 ── 1955年の分離独立から御厨へ
- 磐田の農業特産品と土地利用 ── 台地の茶、温室のメロン、低地の畑
- 磐田唯一の酒蔵・千寿酒造と近代産業 ── 台地の伏流水が生んだ酒と煉瓦と材木
- 古写真・住宅地図・聞き取りで磐田の記憶を復元する ── 磐田物語の調査手法
- 秋葉信仰・常夜灯・旧東海道の石造物 ── 竜洋14基が伝える火伏せの祈り
- 庚申塔・馬頭観音・道祖神から見る民俗信仰 ── 路傍に刻まれた祈りの形
- 古代磐田郡・山名郡・豊田郡 ── 遠江国を分けた郡の境界線
- 古代の郷名を現代地図に戻す ── 中泉郷が伝える、律令の村の単位
- 古代磐田の税・物流・水運 ── 租庸調を運んだ道と川
- 昭和の商店街・市場・個人商店 ── 見付から中泉、そして今之浦へ
- 遠州織物・工場・女性労働 ── 中泉・見付・豊田が担った分業と、女工たちの記憶
- 御厨駅周辺の道路網・区画整理 ── 新駅が変えた線路の南北
- 豊田地区の道路整備 ── スマートICが結ぶ産業の南北軸
- 見付・中泉の生活道路改良 ── 歴史的市街地のバリアフリー化
- 磐南IIバイパスと沿岸道路網の完成 ── 内陸と海岸、二つの東西動脈
- 桶ヶ谷沼と鶴ヶ池 ── 台地の縁に残った、日本一のトンボの楽園
- 磐田の盛土史 ── 海を防ぐ砂丘の盛土と、宅地を守る耐震化事業
- 中泉に息づく二つの信仰拠点 ── 中泉寺と大乗院三仭坊
- 兜塚古墳 ── 大の浦を見下ろした王の円墳と、その後の千五百年
- 古墳時代の水運を支えた木の道具 ── 丸木舟と木製農具の記憶
- 古墳が神社になった土地 ── 磐田の信仰空間の継承と地名の記憶
- 敷地・岩室廃寺と古代の灯台 ── 山あいの密教寺院が照らした大之浦
- 秋葉常夜灯 ── 石の灯台が守った、火伏せの遠州
- 街道を導いた石 ── 一里塚・道標・供養塔がつくる旧東海道の景観
- 街道のほとりの小さな祠 ── くろん坊様と梅塚、旅がうんだ信仰
- 磐田市の旧映画館を歩く — 見付・中泉から郊外型シネコンまで
- 磐田市の閉鎖したボウリング場を読む — 日活ゴールデンハイツと磐田グランドボウル
- 磐田市の閉鎖プールを読む - 市民プールから温水・防災インフラへ
- 見付と中泉、二つの中心から磐田へ - 街道の町と鉄道の町が統合されるまで
- 磐南文化協会に学ぶ ── 地域の記録を掘り起こし、伝えてきたみなさまへ
- 遠州画人伝を読む — 磐田・遠州の絵と文人の世界(特集ポータル)
- 遠州の文人画ネットワーク ── 見付・掛川・浜松・田原を結ぶ道
- 二十一世紀に伝えたい戦争体験 ── 磐田市民39人の記憶(特集・全10ページ公開)
- 空襲の記憶 ── 浜松大空襲と磐田・見付の空
- 学徒動員と対空戦 ── 見付中学生と少年たちの戦争
- 銃後を守る ── 疎開・勤労動員・女性たちの戦時生活
- 出征兵士の記録 ── 「山内哲手記」にみるマニラへの道
- 戦地からの証言 ── 中国戦線と軍隊生活の記憶
- 東南海地震と戦時下の岩田村
- 終戦の日 ── 玉音放送とその後
- 原爆と平和への願い ── 磐田の中学生が聞いた被爆者の声
- 二十一世紀へ ── 記憶を継ぐ、磐田市非核平和都市宣言と慰霊
磐田の高等学校の歴史
農業・女子教育・旧制中学・商業教育・私学教育。磐田の高等学校の歩みを、学校案内ではなく地域史として読む。
見付みつけ。 ▶ 見付地区の入口ページへ
- 見付の成り立ち ── 沿革年表・学校区・大字
- 一の谷中世墳墓群遺跡 ── 見付の町はずれに眠る888基の中世墓地
- 兜塚古墳 ── 直径84m、東海地方最大級と判明した円墳
- 見付大久保家資料目録 ── 今川氏文書から遠州報国隊まで、1,500件の記憶
- 見付祇園祭 ── 淡海國玉神社と天御子神社を結ぶ、光と音の夏祭り
- 遠州報国隊 ── 淡海國玉神社の神官たちが結成した、幕末の民兵隊
- 見付宿 ── 東海道二十八番、様々な人と物が行き交った宿場町
- 見付の土地と記憶 ― 明治42年の見付町戸別明細図から読む、家・道・暮らし
- 古い地図に残る家並みと、相続される土地 ― 見付古地図散歩 第2回
- 古い町の土地を売るとき、なぜ調査が大切なのか ― 見付の旧道・小路・町割りから
- 明治42年、見付の町の中枢 ― 郡役所・登記所・寺社・学校
- 見付の古い家を手放す前に、知っておきたいこと ― 相続・空き家・土地売却
- 起源をめぐる三つの説 ── 歓喜・人身御供・反閇
- 神事の構造と日程
- 鬼踊りと飛蘇鞠 ── 動と静、二つの極
- 無形文化財としての継承
- 悉平太郎伝説の考察 ── 早太郎との異同と、猿神退治の系譜
- 見付天神裸祭【特集】
- 姫街道と、見付から分かれるもう一つの道
- 旧赤松家と、海をわたった見付の人
- 旧見付学校と、学びのまち磐田
- 見付宿と、東海道のにぎわいの記憶
- 東海道・見付宿の面影
- 磐田市見付の歴史と町内案内 ── 古代の国府から、26の町内へ
- 淡海國玉神社と、遠江の神々が集うまち
- 旧赤松家門・塀
- 木造地蔵菩薩坐像
- 木造毘沙門天立像
- 太刀 銘成高 ── 見付に伝わる鎌倉期の刀工の作【県指定・工芸品】
- 淡海国玉神社本殿 附棟札5枚 ── 遠江総社の本殿と棟札【県指定・建造物】
- 甲塚のクロガネモチ ── かぶと塚公園の甲塚古墳に育つ常緑樹と、学校跡の公園化が守った巨木【県指定・天然記念物】
- 阿多古山一里塚 ── 東海道見付宿に残る一里塚と、街道・道中・愛宕信仰の記憶【市指定・史跡】
- 見付本陣(神谷家・鈴木家)墓所 ── 西光寺に眠る本陣を務めた二家と、見付宿の運営史【市指定・史跡】
- 西光寺大クス附ナギの木 ── 見付宿西端の時宗寺院に育つ社寺林の大クスとナギ【市指定・天然記念物】
- 西光寺のイヌマキ ── 西光寺境内に立つイヌマキと、見付の社寺林の記憶【市指定・天然記念物】
- 福田半香とは誰か — 遠州見付が生んだ文人画家の生涯
- 福田半香と渡辺崋山、そして半香義会
- 福田半香の画風を読む — 山水図に残る静けさと気骨
- 福田半香の門人と遠州画脈 — 名が残る人、残らなかった人
- 石川鴻斎 — 見付に晩年を置いた遠州の文人画家
- 見付に残る幻の城――徳川家康の築城伝説と城之崎城(特集ポータル)
- 城之崎城とは何か――城山球場・城山中学校に眠る未完の城
- なぜ家康は見付を選んだのか――国府・東海道・今之浦の地政学
- 城之崎城はなぜ未完に終わったのか――武田信玄・天竜川・水不足
- 磐田が戦場になった時代――一言坂・三ケ野・社山城・匂坂城
- 「秀吉に配慮した城」の正体――中泉御殿との混同を解く
- 伝承はなぜ生まれるのか――城之崎城と中泉御殿が一つの物語になるまで
- 見付宿の東木戸・西木戸・高札場 ── 宿場の境界と掟が置かれた場所
- 見付の坂道・辻・曲がり角 ── 台地の縁が刻んだ宿場の道すじ
- 見付の路地裏と生活道路 ── 拡幅された本通りと、残された小路の記憶
- 見付の水路・井戸・生活用水 ── 台地の縁の町が水とどう向き合ってきたか
- 見付の旧家・屋号・家並み ── 名で語られる商家の記憶
- 見付の町家・蔵・商家建築 ── 宿場のかたちが今も残るところ
- 見付の寺町と寺院配置 ── 総社・天神・宗派の異なる寺々が重なる町
- 見付の古写真・絵葉書から消えた建物を復元する
- 矢奈比賣神社と見付天神 ── 女神と学問の神が重なる社
- 磐田文庫と幕末・明治の地域知性 ── 大久保忠尚がつくった見付の文庫
- 旧見付学校以前の寺子屋教育 ── 宣光寺・省光寺と見付の手習い
- 見付地区の学校史と地域教育 ── 見付学校から磐田北小学校へ
- 校歌・学校区から見る見付の地域意識
- 家康が見付から浜松へ移った理由 ── 信長の助言と「引馬」の改名
- 城之崎城が完成していた場合の歴史IF ── 思考実験としての磐田
- 見付宿の助郷制度と周辺村の負担 ── 宿場の外側で支えた村々
- 見付宿の成立と宿場範囲 ── 慶長6年の伝馬朱印状から読む
- 見付宿を愛宕神社から俯瞰する ── 一枚の絵葉書が伝える宿場の家並み
- 見付宿西側の追分と池田近道 — 東海道・姫街道が分かれる西坂町を読む
- 見付本通りから消えた店を読む - 旅館・銭湯・食べ物屋の記憶
- 【論考】見付天神裸祭 起源三説の学史的検討 ── 歓喜舞説・人身御供説・反閇説の伝承史と史料批判(大石浩之の磐田論考 第1号)
- 【論考】見付守護所 ── 遠江守護支配の拠点をめぐって(大石浩之の磐田論考 第2号)
- 【論考】万葉集の遠江歌と「大の浦」 ── 桜井王の歌の比定(大石浩之の磐田論考 第3号)
- 【論考】中泉御殿と天領中泉 ── 徳川直轄地の統治(大石浩之の磐田論考 第4号)
- 【論考】見付天神裸祭の神事構造 ── 八日間の神事が示す意味の秩序(大石浩之の磐田論考 第5号)
- 【論考】遠江国府と府八幡宮 ── 「国府」を名のる土地の千三百年(大石浩之の磐田論考 第6号)
- 【論考】遠江国分寺 ── 古代地方の大寺と伽藍(大石浩之の磐田論考 第7号)
- 【論考】姫街道と見付 ── 東海道から分かれるもう一つの道(大石浩之の磐田論考 第8号)
- 【論考】延喜式内社と磐田 ── 千年前の台帳に載った神社たち(大石浩之の磐田論考 第9号)
- 【論考】家康はなぜ見付に本拠を置かなかったか ── 城之崎築城の中止と浜松移転(大石浩之の磐田論考 第10号)
- 【論考】銚子塚古墳 ── 遠江を治めた王の墓(大石浩之の磐田論考 第11号)
- 【論考】一言坂の戦い ── 本多忠勝の殿軍をめぐって(大石浩之の磐田論考 第12号)
- 【論考】鎌田神明宮 ── 遠州のお伊勢さま(大石浩之の磐田論考 第13号)
- 【論考】淡海國玉神社 ── 遠江総社の成立と機能(大石浩之の磐田論考 第14号)
- 【論考】掛塚まつりと豪華屋台 ── 湊町がはぐくんだ祭礼文化(大石浩之の磐田論考 第15号)
- 【論考】悉平太郎伝説の考察 ── 早太郎との異同と猿神退治の系譜(大石浩之の磐田論考 第16号)
- 【論考】長者屋敷遺跡 ── 二重土塁に囲まれた奈良時代の遺跡(大石浩之の磐田論考 第17号)
- 【論考】なぜ見付ではなく中泉に駅ができたのか ── 鉄道忌避伝説を検証する(大石浩之の磐田論考 第18号)
- 【論考】池田の渡し ── 天竜川をわたる東海道(大石浩之の磐田論考 第19号)
- 【論考】「貝塚」という地名 ── 消えた海岸線を読む(大石浩之の磐田論考 第20号)
- 【論考】見付祇園祭 ── 淡海國玉神社と天御子神社を結ぶ夏祭り(大石浩之の磐田論考 第21号)
- 【論考】千手の前ものがたり ── 保元・平治の乱に消えた白拍子の伝説(大石浩之の磐田論考 第22号)
- 【論考】風祭山福王寺 ── 国府の丘に残る千年の寺史(大石浩之の磐田論考 第23号)
- 【論考】福田湊の発展と遠州の漁業史(大石浩之の磐田論考 第24号)
- 【論考】熊野御前ものがたり ── 池田に生きた伝説の女性と行興寺(大石浩之の磐田論考 第25号)
- 【論考】今之浦と大之浦 ── 見付の水辺がつくった地形と地名(大石浩之の磐田論考 第26号)
- 【論考】福田半香 ── 遠州見付が生んだ文人画家(大石浩之の磐田論考 第27号)
- 【論考】鎌田御厨 ── 伊勢神宮領だった村の名残(大石浩之の磐田論考 第28号)
- 【論考】掛塚湊と廻船問屋 ──「遠州の小江戸」の最盛期(大石浩之の磐田論考 第29号)
- 【論考】社山城址 ── 山あいの中世城郭を読む(大石浩之の磐田論考 第30号)
- 【論考】見付宿 ── 東海道二十八番の宿場町(大石浩之の磐田論考 第31号)
- 【論考】遠江四十九薬師霊場と庶民の信仰(大石浩之の磐田論考 第32号)
- 【論考】「新田」と名のつく土地 ── 江戸の開発が刻んだ地名(大石浩之の磐田論考 第33号)
- 【論考】金原明善 ── 天竜川と向き合った治水の生涯(大石浩之の磐田論考 第34号)
- 【論考】城之崎遺跡 ── 磐田原台地南部の弥生と古墳(大石浩之の磐田論考 第35号)
- 【論考】見付と中泉、二つの中心から磐田へ ── 街道の町と鉄道の町の統合(大石浩之の磐田論考 第36号)
- 【論考】天竜川がつくった村、流した村 ── 池田・掛塚と渡しの記憶(大石浩之の磐田論考 第37号)
- 【論考】行興寺と熊野の長藤 ── 池田に息づく熊野信仰(大石浩之の磐田論考 第38号)
- 【論考】土器塚古墳「丸山」 ── 国府台に残る円墳を読む(大石浩之の磐田論考 第39号)
- 【論考】旧見付学校 ── 現存最古級の擬洋風小学校校舎(大石浩之の磐田論考 第40号)
- 【論考】袖浦村の塩づくり ── 遠州灘の砂丘に生きた製塩(大石浩之の磐田論考 第41号)
- 【論考】高塚太郎平新道 ── 全財産を投じて拓いた道(大石浩之の磐田論考 第42号)
- 【論考】秋葉道と二俣街道 ── 磐田から北へ向かう信仰と物流の道(大石浩之の磐田論考 第43号)
- 【論考】福田まつりと中泉式屋台 ── 遠州の祭礼文化の伝播(大石浩之の磐田論考 第44号)
- 【論考】医王寺庭園及び参道 ── 鎌田の名勝と信仰空間(大石浩之の磐田論考 第45号)
- 【論考】旧赤松家 ── 赤松則良と近代磐田の記憶(大石浩之の磐田論考 第46号)
- 【論考】池田荘と「葛巻」 ── 地名に残る中世の荘園(大石浩之の磐田論考 第47号)
- 【論考】磐田駅前・中泉の近代商業 ── 駅の開業が変えた町(大石浩之の磐田論考 第48号)
- 【論考】白羽の凧揚げ文化の起源 ── 遠州の風がはぐくんだ民俗(大石浩之の磐田論考 第49号)
- 【論考】大正期の磐田の村政治 ── ある村長の生活と意見(大石浩之の磐田論考 第50号)
- 【論考】木造地蔵菩薩坐像 ── 見付の寺院に残る平安仏(大石浩之の磐田論考 第51号)
- 【論考】天竜川に架けられた船橋 ── 新田義貞から朝鮮通信使まで(大石浩之の磐田論考 第52号)
- 【論考】前島密と中泉 ── 郵便制度の父が遠江に残したもの(大石浩之の磐田論考 第53号)
- 【論考】貴船神社と水神信仰 ── 掛塚湊の海の安全を祈る(大石浩之の磐田論考 第54号)
- 【論考】磐田の地名をたどる ── 地名が語る土地の履歴(大石浩之の磐田論考 第55号)
- 【論考】戦国期の見付自治 ── 町人・桝座・大久保氏(大石浩之の磐田論考 第56号)
- 【論考】岩室廃寺跡 ── 豊岡に残る古代寺院の痕跡(大石浩之の磐田論考 第57号)
- 【論考】磐田用水の歩み ── 台地を潤した水利の歴史(大石浩之の磐田論考 第58号)
- 【論考】加茂大念仏 ── 盆の念仏行事と供養の記憶(大石浩之の磐田論考 第59号)
- 【論考】林鶴梁 ── 幕末の漢学者と中泉代官所(大石浩之の磐田論考 第60号)
- 【論考】舞車と磁石 ── 中世見付の謡曲と狂言(大石浩之の磐田論考 第61号)
- 【論考】中野白山神社の十日祭 ──「お箱」がむすぶ集落の秩序(大石浩之の磐田論考 第62号)
- 【論考】田原地区の集落と地名 ── 台地東部の村々を読む(大石浩之の磐田論考 第63号)
- 【論考】十束村の成立と新田開拓 ── 天竜川下流の村づくり(大石浩之の磐田論考 第64号)
- 【論考】お蔭参り・お札降り・ええじゃないか ── 幕末遠州の民衆宗教(大石浩之の磐田論考 第65号)
- 【論考】淡海国玉神社本殿と棟札 ── 遠江総社の社殿を読む(大石浩之の磐田論考 第66号)
- 【論考】府八幡宮楼門 ── 遠江国府の記憶を継ぐ社殿建築(大石浩之の磐田論考 第67号)
- 【論考】青山士 ── パナマ運河と信濃川に生きた磐田の技術者(大石浩之の磐田論考 第68号)
- 【論考】旧東海道と国道1号 ── 磐田バイパスが変えた道の地図(大石浩之の磐田論考 第69号)
- 【論考】古地図に村の名を探す ── 戸別明細図と旧高帳の読み合わせ(大石浩之の磐田論考 第70号)
- 【論考】木造毘沙門天立像 ── 武神信仰と見付の寺院(大石浩之の磐田論考 第71号)
- 【論考】豊岡の遠州大念仏 ── 複数集落にまたがる盆の念仏(大石浩之の磐田論考 第72号)
- 【論考】掛塚港の近代 ── 灯台・救難所・魚市場が語る港町の変化(大石浩之の磐田論考 第73号)
- 【論考】川の恵みと怖さ ── 天竜地区の水辺の生活史(大石浩之の磐田論考 第74号)
- 【論考】旧磐田市の成り立ち ── 村から町、町から市へ(大石浩之の磐田論考 第75号)
- 【論考】石川鴻斎 ── 見付に晩年を置いた遠州の文人(大石浩之の磐田論考 第76号)
- 【論考】上万能「挑燈野」 ── 古戦場と伝わる野の名(大石浩之の磐田論考 第77号)
- 【論考】横須賀街道と福田 ── 海沿いのもう一つの街道(大石浩之の磐田論考 第78号)
- 【論考】敷地村の成立と山村の記憶 ── 敷地川がむすんだ谷の集落(大石浩之の磐田論考 第79号)
- 【論考】鹿島神社のたたきごぼう ── 向陽に残る祭礼食と信仰(大石浩之の磐田論考 第80号)
- 【論考】太刀 銘成高 ── 一振りの刀にみる中世遠江の武家文化(大石浩之の磐田論考 第81号)
- 【論考】堀越氏延の鰐口 ── 見付端城主が寄進した金属の証言(大石浩之の磐田論考 第82号)
- 【論考】大めし祭り ── 大飯を供える農村祭礼(大石浩之の磐田論考 第83号)
- 【論考】広瀬村と神増・社山 ── 豊岡の谷に開けた村々(大石浩之の磐田論考 第84号)
- 【論考】幕末の磐田地方と民衆の不安 ── 世直しへの胎動(大石浩之の磐田論考 第85号)
- 【論考】徳川家康と三方原合戦 ── 見付を通った遠江攻略(大石浩之の磐田論考 第86号)
- 【論考】磐田駅に残る旧中泉駅の記憶 ── 駅舎・ホーム・跨線橋を読む(大石浩之の磐田論考 第87号)
- 【論考】絹本着色釈迦十六善神画像 ── 遠州灘の集落に伝わる中世仏画(大石浩之の磐田論考 第88号)
- 【論考】匂坂・寺谷・岩田 ── 台地のへりに並ぶ村々の地形読み(大石浩之の磐田論考 第89号)
- 【論考】十郎島と川袋 ── 天竜川の中州に生きた村(大石浩之の磐田論考 第90号)
- 【論考】平井顕斎 ── 豊浜中野に生きた遠州の南画家(大石浩之の磐田論考 第91号)
- 【論考】於保と大池 ── 南部低地の水と村(大石浩之の磐田論考 第92号)
- 【論考】旧豊田町の地名 ── 土地の記憶を読む(大石浩之の磐田論考 第93号)
- 【論考】西貝塚から安久路・城之崎へ ── 田園から市街へ変わった地域(大石浩之の磐田論考 第94号)
- 【論考】磐田郡という広がり ── 旧磐田市の外側にあった村々(大石浩之の磐田論考 第95号)
- 【論考】熊野絵巻 ── 池田の熊野信仰と中世交通(大石浩之の磐田論考 第96号)
- 【論考】大島の鰐口 ── 南北朝期の信仰と水辺の集落(大石浩之の磐田論考 第97号)
- 【論考】松岡萬 ── 幕末維新を生きた遠州の人物(大石浩之の磐田論考 第98号)
- 【論考】境松の門前町 ── 東海道の立場と饅頭屋のあった風景(大石浩之の磐田論考 第99号)
- 【論考】富丘・東原 ── 台地に開けた「原」と「丘」のまち(大石浩之の磐田論考 第100号)
- 【論考】掛塚の豪商・吉岡家 ── 廻船問屋の繁栄と湊町(大石浩之の磐田論考 第101号)
- 【論考】磐田市の閉鎖プールを読む ── 市民プールから防災インフラへ(大石浩之の磐田論考 第102号)
- 【論考】福田の年中行事 ── 海・川・田畑に生きた暮らしの記憶(大石浩之の磐田論考 第103号)
- 【論考】御厨と南御厨 ── 地名・水・道で分ける東部(大石浩之の磐田論考 第104号)
- 【論考】岩田・大藤・向笠 ── 丘陵と水がむすんだ村々(大石浩之の磐田論考 第105号)
- 【論考】渡船を支えた助郷 ── 定助郷・大助郷と池田の渡し(大石浩之の磐田論考 第106号)
- 【論考】八王子神社の米とぎまつり ── 南部低地の稲作儀礼(大石浩之の磐田論考 第107号)
- 【論考】遠州画人伝を読む ── 磐田・遠州の絵と文人の世界(大石浩之の磐田論考 第108号)
- 【論考】万瀬・虫生・大平 ── 豊岡の奥に開けた山の集落(大石浩之の磐田論考 第109号)
- 【論考】磐田の閉鎖したボウリング場 ── 高度成長期の娯楽の記憶(大石浩之の磐田論考 第110号)
- 【論考】加茂・寺谷の歴史 ── 台地と谷が育てた村(大石浩之の磐田論考 第111号)
- 【論考】青山宙平 ── 中泉停車場を招いた実業家(大石浩之の磐田論考 第112号)
- 【論考】掛塚の百万遍念仏 ── 数珠繰りにみる湊町の信仰(大石浩之の磐田論考 第113号)
- 【論考】社山疏水の構想 ── 台地に水を引く夢(大石浩之の磐田論考 第114号)
- 【論考】田原地区のお宮とお寺 ── 集落のまとまりを映す神社・寺院(大石浩之の磐田論考 第115号)
- 【論考】賀茂神社の特殊神饌 ── 神饌のかたちから読む加茂の食と信仰(大石浩之の磐田論考 第116号)
- 【論考】丘浅次郎 ── 竜洋が生んだ進化論の学者(大石浩之の磐田論考 第117号)
- 【論考】弥藤太島・気子島 ──「島」のつく地名と低地の暮らし(大石浩之の磐田論考 第118号)
- 【論考】長野地区の成り立ち ── 水田の広がりと旧集落の輪郭(大石浩之の磐田論考 第119号)
- 【論考】西光寺の大クス ── 見付宿西端の社寺林と巨木(大石浩之の磐田論考 第120号)
- 【論考】天竜川下流農業水利事業 ── 台地と低地を潤した国営事業(大石浩之の磐田論考 第121号)
- 【論考】大名と渡船の特約 ── 紀州藩・尾張藩・仙台藩と池田村渡船方(大石浩之の磐田論考 第122号)
- 【論考】遠州の学問の土壌 ── 杉浦真崎・報徳運動と竜洋の寺子屋(大石浩之の磐田論考 第123号)
- 【論考】田原地区の学校史 ── 寺子屋・西島学校から田原小学校へ(大石浩之の磐田論考 第124号)
- 【論考】記録が消えた理由 ── 東海道が国分寺の前を通らなくなった道(大石浩之の磐田論考 第125号)
- 【論考】森下・森本・立野 ──「森」と「立野」の地名を歩く(大石浩之の磐田論考 第126号)
- 【論考】講堂が倒れた日 ── 治安2年の大風と国分寺の嘆願(大石浩之の磐田論考 第127号)
- 【論考】竜洋を治めた人達 ── 藩主・中泉代官・明治以降の首長(大石浩之の磐田論考 第128号)
- 【論考】磐田市の旧映画館を歩く ── 見付・中泉から郊外型シネコンまで(大石浩之の磐田論考 第129号)
- 【論考】獅子ヶ鼻と豊岡の山の景観 ── 岩山がむすんだ信仰と暮らし(大石浩之の磐田論考 第130号)
- 【論考】「町内史跡めぐり」60選を読む ── 昭和53年、豊田町を歩いた記憶(大石浩之の磐田論考 第131号)
- 【論考】中泉代官と薬師堂の再興 ── 中野七蔵・高室昌重と憲能和尚(大石浩之の磐田論考 第132号)
- 【論考】天竜地区の成り立ち ── 川と低地がつくった暮らしの記憶(大石浩之の磐田論考 第133号)
- 【論考】豊岡の祭り・寺社・里山信仰 ── 山あいの村の祈りのかたち(大石浩之の磐田論考 第134号)
- 【論考】鎌倉時代の遠江国分寺 ── 釈迦から薬師へ、本尊が変わるとき(大石浩之の磐田論考 第135号)
- 【論考】東海道新田の歴史 ── 街道沿いに拓かれた土地(大石浩之の磐田論考 第136号)
- 【論考】明治の廃寺 ── 上知令と遠江国分寺の断絶(大石浩之の磐田論考 第137号)
- 【論考】野部村と上野部・下野部 ──「野部」が分かれた谷の村(大石浩之の磐田論考 第138号)
- 【論考】於保と長野を分けるもの、つなぐもの ── 水利・農地・集落の南部史(大石浩之の磐田論考 第139号)
- 【論考】掛塚の御神輿・西洋型帆船・フタナリ船 ── 湊町の記憶を伝えるもの(大石浩之の磐田論考 第140号)
- 【論考】「堤外」と「内郷堤」 ── 天竜川の堤が分けた土地(大石浩之の磐田論考 第141号)
- 【論考】合代島・新開・惣兵衛下新田 ── 天竜川沿いの新田開発(大石浩之の磐田論考 第142号)
- 【論考】太郎馬新田と清庵新田 ── 遠州灘沿いの開拓史(大石浩之の磐田論考 第143号)
- 【論考】向陽地区の成り立ち ── 台地の村々が一つになるまで(大石浩之の磐田論考 第144号)
- 【論考】卵塔墓が語る260年 ── 国分寺住職たちの墓碑を読む(大石浩之の磐田論考 第145号)
- 【論考】遠州文人サロンの実像 ── 掛塚・見付の豪商が支えた芸術ネットワーク(大石浩之の磐田論考 第146号)
- 【論考】田原地区の成り立ち ── 台地・旧道・田園が編んだ磐田東部(大石浩之の磐田論考 第147号)
- 【論考】竜洋町の誕生 ── 掛塚・十束・袖浦が描いた「竜の洋」の合併史(大石浩之の磐田論考 第148号)
- 【論考】敷地川と谷の集落 ── 山あいの水が編んだ豊岡の暮らし(大石浩之の磐田論考 第149号)
- 【論考】見付から福田・掛塚へ ── 南部の低地を渡った旧道の復元(大石浩之の磐田論考 第150号)
- 【論考】磐田用水幹線改良事業 ── 戦時下の突貫工事と初通水の記録(大石浩之の磐田論考 第151号)
- 【論考】遠江国分寺とは何か ── 古代遠江の中心寺院と伽藍の空間論(大石浩之の磐田論考 第152号)
- 【論考】上新屋「半場名」を読む ── 人名・屋号が地名に残るしくみ(大石浩之の磐田論考 第153号)
- 【論考】福田の寺社と海の信仰 ── 海上安全を祈った湊まちの社寺(大石浩之の磐田論考 第154号)
- 【論考】豊岡村の誕生と2005年合併 ── 広瀬・野部・敷地が一つになるまで(大石浩之の磐田論考 第155号)
- 【論考】見付宿の機能構造 ── 本陣・脇本陣・旅籠が編んだ東海道の宿(大石浩之の磐田論考 第156号)
- 【論考】府八幡宮と遠江国府の記憶 ── 国府・国分寺・総社を結ぶ中泉の空間(大石浩之の磐田論考 第157号)
- 【論考】竜洋になるまでの町村沿革 ── 江戸の支配錯綜から昭和の合併まで(大石浩之の磐田論考 第158号)
- 【論考】三ヶ野坂から西島・明ヶ島へ ── 坂・島地名・寺社で読む田原の道(大石浩之の磐田論考 第159号)
- 【論考】千手前の足跡を読む ── 向陽の地名と人の記憶を史料批判する(大石浩之の磐田論考 第160号)
- 【論考】西光寺のイヌマキを読む ── 巨樹・天然記念物・寺の時間(大石浩之の磐田論考 第161号)
- 【論考】中泉代官所と天領の統治 ── 御殿と代官所を分けて読む(大石浩之の磐田論考 第162号)
- 【論考】池田やかた祭りを読む ── 無形民俗文化財としての祭りと記憶(大石浩之の磐田論考 第163号)
- 【論考】福田の年中行事 ── 正月から春への村の信仰暦(大石浩之の磐田論考 第164号)
- 【論考】天竜浜名湖線と豊岡 ── 豊岡・敷地・上野部の鉄道記憶(大石浩之の磐田論考 第165号)
- 【論考】二之宮はなぜ中泉と一つになったか ── 明治の合併と鹿苑神社(大石浩之の磐田論考 第166号)
- 【論考】掛塚祭屋台囃子を読む ── 無形民俗文化財としての湊まちの音(大石浩之の磐田論考 第167号)
- 【論考】熊野絵巻を読む ── 熊野・千手・朝顔、三人の女性の物語(大石浩之の磐田論考 第168号)
- 【論考】南部地区の生い立ち ── 天竜川がつくった村、人が守った村(大石浩之の磐田論考 第169号)
- 【論考】旧赤松家門・塀を読む ── 近代和風の遺構と保存の論理(大石浩之の磐田論考 第170号)
- 【論考】行興寺の近世史 ── 家康朱印地の伝承と江戸期古文書を読む(大石浩之の磐田論考 第171号)
- 【論考】御厨地区総論 ── 古い地名と新しい暮らしが重なる磐田東部(大石浩之の磐田論考 第172号)
- 【論考】磐田を時代で歩く ── 古墳・国府・宿場・祭りをつなぐ通史の試み(大石浩之の磐田論考 第173号)
- 【論考】福田の夏と盆 ── 供養・水辺・家の記憶をめぐる年中行事(大石浩之の磐田論考 第174号)
- 【論考】掛塚祭の竹馬を読む ── 祭具が伝える湊まちの子どもと通過儀礼(大石浩之の磐田論考 第175号)
- 【論考】見付という都市 ── 古代国府から26町内へ、まちの重層を読む(大石浩之の磐田論考 第176号)
- 【論考】アキザキヤツシロランを読む ── 社寺林が守った腐生植物の生態と記憶(大石浩之の磐田論考 第177号)
- 【論考】南御厨という生活圏 ── 低地・農地・水路がつくった独立の村(大石浩之の磐田論考 第178号)
- 【論考】佐口行正氏所蔵史料を読む ── 一つの家が守った約340点の意味(大石浩之の磐田論考 第179号)
- 【論考】豊田の成り立ち ── 富岡村・井通村から磐田市合併まで(大石浩之の磐田論考 第180号)
- 【論考】須賀神社のクスを読む ── 天竜川左岸の水辺信仰と巨木(大石浩之の磐田論考 第181号)
- 【論考】福田の昔ばなしと語りの文化 ── 伝承を地域史として読む方法(大石浩之の磐田論考 第182号)
- 【論考】西貝という重層地域 ── 旧集落・寺社・開発が積み重なる磐田東側(大石浩之の磐田論考 第183号)
- 【論考】磐田用水東部土地改良区の50年 ── 水を管理する組織を読む(大石浩之の磐田論考 第184号)
- 【論考】山内克巳の足跡を読む ── 一人の名から地域の記憶を史料批判する(大石浩之の磐田論考 第185号)
- 【論考】福田半香の画風を読む ── 山水図に残る静けさと気骨(大石浩之の磐田論考 第186号)
- 【論考】遠江国府はどこにあったのか ── 所在地諸説を対等に読む(大石浩之の磐田論考 第187号)
- 【論考】福島村から福田町へ ── 「福の田」が紡いだ改称と近代行政史(大石浩之の磐田論考 第188号)
- 【論考】獅子ヶ鼻公園を読む ── 岩と森が刻む自然と土地の記憶(大石浩之の磐田論考 第189号)
- 【論考】天竜川池田の渡船 ── 家康の証文から始まった渡し場300年(大石浩之の磐田論考 第190号)
- 【論考】福田半香の門人と遠州画脈 ── 名が残る人、残らなかった人(大石浩之の磐田論考 第191号)
- 【論考】森本善苗尼と近藤文六 ── 昭和の国分寺復興を担った人びと(大石浩之の磐田論考 第192号)
- 【論考】外国船の来日と池田の渡船 ── ラクスマンから幕末の動揺まで(大石浩之の磐田論考 第193号)
- 【論考】中野白山神社の白酒祭を読む ── 濁り酒が結ぶ村と神(大石浩之の磐田論考 第194号)
- 【論考】萬世山一雲斎を読む ── 地域の記憶に残る名の史料批判(大石浩之の磐田論考 第195号)
- 【論考】見付に残る幻の城 ── 城之崎城と徳川家康の築城伝説を検証する(大石浩之の磐田論考 第196号)
- 【論考】中泉御殿の史実 ── 家康の鷹狩り・秋鹿家・大池を資料で読む(大石浩之の磐田論考 第197号)
- 【論考】室町以降の竜洋 ── 池田荘・掛塚湊から天領支配まで(大石浩之の磐田論考 第198号)
- 【論考】氏神様の年始回りを読む ── 無形民俗文化財としての正月儀礼(大石浩之の磐田論考 第199号)
- 【論考】こひめっこの墓 ── 赤池に400年伝わる真田の姫の伝承を読む(大石浩之の磐田論考 第200号)
- 【論考】なぜ家康は見付を選んだのか ── 国府・東海道・今之浦の地政学(大石浩之の磐田論考 第201号)
- 【論考】中泉の成り立ち ── 陣屋・御殿から磐田市への沿革(大石浩之の磐田論考 第202号)
- 【論考】町や村を背負った人びと ── 竜洋の地域運営を支えた者たち(大石浩之の磐田論考 第203号)
- 【論考】東屋台と西屋台 ── 六社神社秋祭りを支えた福田の二つの屋台(大石浩之の磐田論考 第204号)
- 【論考】帯金家長屋門を読む ── 家康の恩義に由来する姓の伝承(大石浩之の磐田論考 第205号)
- 【論考】府八幡宮の楼門と杜 ── 建築と社叢が伝える信仰の記憶(大石浩之の磐田論考 第206号)
- 【論考】熊野伝統芸能館を読む ── 芸能を保存する場と信仰の記憶(大石浩之の磐田論考 第207号)
- 【論考】遠州の文人画ネットワーク ── 見付・掛川・浜松・田原を結ぶ道(大石浩之の磐田論考 第208号)
- 【論考】御厨の成り立ち ── 荘園御厨から鉄道の駅までの沿革(大石浩之の磐田論考 第209号)
- 【論考】松下大三郎の足跡を読む ── 郷土が生んだ国語学者の記憶を史料批判する(大石浩之の磐田論考 第210号)
- 【論考】見付宿西側の追分と池田近道 ── 街道が分かれる地点の論理(大石浩之の磐田論考 第211号)
- 【論考】竜洋の学び舎の歩み ── 寺子屋から戦後の学制改革まで(大石浩之の磐田論考 第212号)
- 【論考】福田の祭りと戦時記憶 ── 伊東金平の体験記を史料として読む(大石浩之の磐田論考 第213号)
- 【論考】見付の信仰空間 ── 天神・國玉・八幡が編む町の宗教地理(大石浩之の磐田論考 第214号)
- 【論考】宮下歴史庫を読む ── 一つの収蔵庫が支える地域の記憶(大石浩之の磐田論考 第215号)
- 【論考】見付本通りから消えた店 ── 旅館・銭湯・食べ物屋が語る町の変容(大石浩之の磐田論考 第216号)
- 【論考】中泉の山車引き廻しを読む ── 祭礼が編む町の秩序と記憶(大石浩之の磐田論考 第217号)
- 【論考】天竜川の治水史 ── 年表が語る「暴れ天竜」との三百年(大石浩之の磐田論考 第218号)
- 【論考】屋台以前の福田の秋祭り ── 田遊び・舞台・農村の収穫祭(大石浩之の磐田論考 第219号)
- 【論考】天竜川の氾濫と仮渡船 ── 文化13年・文政11年の大洪水を読む(大石浩之の磐田論考 第220号)
- 【論考】見付の成り立ち ── 国府・宿場・町から現代への沿革(大石浩之の磐田論考 第221号)
- 【論考】遠江国分寺史跡公園を読む ── 遺跡を保存し活用する場の論理(大石浩之の磐田論考 第222号)
- 【論考】掛塚・袖浦・十束の村域と石高 ── 江戸期の村組織史(大石浩之の磐田論考 第223号)
- 【論考】横須賀街道の松並木を読む ── 街道景観に刻まれた地域の記憶(大石浩之の磐田論考 第224号)
- 【論考】南部の成り立ち ── 天竜川下流の低地が編んだ地区の沿革(大石浩之の磐田論考 第225号)
- 【論考】開莚楼跡を読む ── 中泉の料亭が映した近代のにぎわい(大石浩之の磐田論考 第226号)
- 【論考】磐田の村を動かした名望家 ── 地主・教員・村役人が重なった時代(大石浩之の磐田論考 第227号)
- 【論考】渡船を支えた助郷 ── 定助郷・大助郷と助船・助人足の制度(大石浩之の磐田論考 第228号)
- 【論考】ドルチェ倉庫を読む ── 一棟の倉庫が語る福田の産業史(大石浩之の磐田論考 第229号)
- 【論考】大正デモクラシーは磐田の村にどう届いたか ── 政党政治と村の現実(大石浩之の磐田論考 第230号)
- 【論考】大正期の村長が向き合った仕事 ── 河川・用排水・新駅の実務史(大石浩之の磐田論考 第231号)
- 【論考】福田の音楽活動を読む ── 楽団・唱歌・祭囃子が編む音の文化史(大石浩之の磐田論考 第232号)
- 【論考】渡船経済のしくみ ── 船賃の分配・船勧進・堤防修理の経済史(大石浩之の磐田論考 第233号)
- 【論考】善導寺の大樟を読む ── 一本の樟が刻む寺と土地の時間(大石浩之の磐田論考 第234号)
- 【論考】明野陸軍飛行学校天竜分教所跡を読む ── 戦争が刻んだ土地の記憶(大石浩之の磐田論考 第235号)
- 【論考】遠江国司の人々 ── 磐田の国府に赴任した官人たち(大石浩之の磐田論考 第236号)
- 【論考】大通行と池田の渡船場 ── 琉球使節から見付宿の歎願まで(大石浩之の磐田論考 第237号)
- 【論考】長谷川貞雄の足跡を読む ── 竜洋の記憶に残る名の史料批判(大石浩之の磐田論考 第238号)
- 【論考】虹文庫を読む ── 一つの文庫が語る福田の知と産業の記憶(大石浩之の磐田論考 第239号)
- 【論考】磐田の近代教育史 ── 寺子屋から六三制の学校へ(大石浩之の磐田論考 第240号)
- 【論考】令和の薬師堂移築 ── 国分寺奉賛会と二度目の史跡公園(大石浩之の磐田論考 第241号)
- 【論考】のこぎり屋根を読む ── 繊維の記憶を刻む産業遺構(大石浩之の磐田論考 第242号)
- 【論考】村上太三郎の足跡を読む ── 竜洋の記憶に残る名の史料批判(大石浩之の磐田論考 第243号)
- 【論考】各地に広がったお札降りと遠州 ── 「ええじゃないか」前夜の民衆世界(大石浩之の磐田論考 第244号)
- 【論考】磐田のオリンピックメダリストの足跡を読む ── 郷土とスポーツの記憶(大石浩之の磐田論考 第245号)
- 【論考】史料で読む見付宿のお札ふり ── 複数の記録を突き合わせる(大石浩之の磐田論考 第246号)
- 【論考】亀塚を読む ── 塚という土の記憶と信仰のかたち(大石浩之の磐田論考 第247号)
- 【論考】府八幡宮大祭を読む ── 例大祭が編む中泉の一年と秩序(大石浩之の磐田論考 第248号)
- 【論考】掛塚湊の産業 ── 天竜川東派川河口の湊が支えた交易(大石浩之の磐田論考 第249号)
- 【論考】地名から磐田を読む ── 大字という単位と地名学の方法(大石浩之の磐田論考 第250号)
- 【論考】鬼踊りと飛蘇鞠 ── 見付天神裸祭の動と静、二つの極(大石浩之の磐田論考 第251号)
- 【論考】掛塚橋・遠州大橋を読む ── 渡船を終わらせた橋の近代(大石浩之の磐田論考 第252号)
- 【論考】福田の屋台を支えた若者と町内運営 ── 東西屋台から本町連へ(大石浩之の磐田論考 第253号)
- 【論考】天御子神社のヤマモモを読む ── 市街に残る鎮守の社叢と巨木(大石浩之の磐田論考 第254号)
- 【論考】佐口史料の紙片を読む ── 一枚の引札・絵葉書が伝える見付(大石浩之の磐田論考 第255号)
- 【論考】『東屋台と西屋台』を読む ── 一冊の私家版が記録した福田の祭り(大石浩之の磐田論考 第256号)
- 【論考】神職の家から近代の村へ ── 鎌田東一の学びと家の立て直し(大石浩之の磐田論考 第257号)
- 【論考】足立喜六の足跡を読む ── 竜洋の記憶に残る名の史料批判(大石浩之の磐田論考 第258号)
- 【論考】福王寺のクロバイを読む ── 社寺林が守った希少樹と土地の記憶(大石浩之の磐田論考 第259号)
- 【論考】半香義会と福田半香 ── 師・渡辺崋山を支えようとした遠州画人の痛み(大石浩之の磐田論考 第260号)
- 【論考】旧掛塚郵便局を読む ── 一棟の局舎が語る湊町の通信史(大石浩之の磐田論考 第261号)
- 【論考】福田の秋から冬へ ── 祭礼・講・神仏への祈りの年中行事(大石浩之の磐田論考 第262号)
- 【論考】自由主義と政友会のあいだ ── 鎌田東一の思想と現実(大石浩之の磐田論考 第263号)
- 【論考】福王寺のケヤキを読む ── 参道の巨木が刻む社寺林の時間(大石浩之の磐田論考 第264号)
- 【論考】福田の成り立ち ── 遠州灘に開けた湊町から福田町への沿革(大石浩之の磐田論考 第265号)
- 【論考】磐田の巨樹と天然記念物 ── 社寺林が守った緑を総合する(大石浩之の磐田論考 第266号)
- 【論考】天竜川を渡る ── 渡船・助郷・橋の三百年を総合する(大石浩之の磐田論考 第267号)
- 【論考】名から歴史を読む ── 磐田の郷土人物と史料批判の方法を総合する(大石浩之の磐田論考 第268号)
- 【論考】一年を編む祈り ── 福田の年中行事と信仰暦を総合する(大石浩之の磐田論考 第269号)
- 【論考】産業遺構を読む ── 倉庫・のこぎり屋根・郵便局・湊を総合する(大石浩之の磐田論考 第270号)
- 【論考】磐田の祭礼を総合する ── 裸祭・屋台・囃子・神事の類型学(大石浩之の磐田論考 第271号)
- 【論考】遠江国分寺の千年 ── 創建から令和の移築までを総合する(大石浩之の磐田論考 第272号)
- 【論考】磐田の新田開発を総合する ── 天竜川と遠州灘が生んだ村々(大石浩之の磐田論考 第273号)
- 【論考】磐田の近代行政と合併を総合する ── 町村制から平成の大合併まで(大石浩之の磐田論考 第274号)
- 【論考】遠州の文人画を総合する ── 半香・崋山・地方文化のネットワーク(大石浩之の磐田論考 第275号)
- 【論考】磐田の街道と宿場を総合する ── 東海道・姫街道・追分の交通史(大石浩之の磐田論考 第276号)
- 【論考】磐田の水と土地を総合する ── 用水・治水・新田がつくった平野(大石浩之の磐田論考 第277号)
- 【論考】中泉代官と天領支配を総合する ── 御殿・陣屋・代官所が治めた土地(大石浩之の磐田論考 第278号)
- 【論考】記録を残すという営み ── 磐田の民間アーカイブと地域資料を総合する(大石浩之の磐田論考 第279号)
- 【論考】磐田の近代化を総合する ── 鉄道・郵便・橋・学校が変えた暮らし(大石浩之の磐田論考 第280号)
- 【論考】古代の磐田を総合する ── 国府・国分寺・国司が結ぶ遠江の中心(大石浩之の磐田論考 第281号)
- 【論考】磐田の景観と自然の記憶を総合する ── 岩・並木・社叢・塚(大石浩之の磐田論考 第282号)
- 【論考】磐田の民俗と信仰を総合する ── 年中行事・講・祭礼のあいだ(大石浩之の磐田論考 第283号)
- 【論考】戦争が刻んだ土地の記憶を総合する ── 分教所・体験記・廃寺(大石浩之の磐田論考 第284号)
- 【論考】中世の磐田を総合する ── 荘園・湊・城と支配の変遷(大石浩之の磐田論考 第285号)
- 【論考】磐田の女性たちを読む ── 熊野・千手・朝顔・善苗尼をめぐって(大石浩之の磐田論考 第286号)
- 【論考】磐田の地形と暮らしを総合する ── 台地・低地・砂丘・河口(大石浩之の磐田論考 第287号)
- 【論考】磐田の芸能と文化を総合する ── 絵巻・芸能館・文人画・音の記憶(大石浩之の磐田論考 第288号)
- 【論考】磐田の学びと教育を総合する ── 寺子屋・学校・郷土の知識人(大石浩之の磐田論考 第289号)
- 【論考】見付と中泉 ── 二つの中心が重なる磐田という都市を総合する(大石浩之の磐田論考 第290号)
- 【論考】伝承と史実のあいだを総合する ── 家康・真田姫・幻の城をめぐって(大石浩之の磐田論考 第291号)
- 【論考】水辺と海を総合する ── 湊・渡船・海の信仰が結ぶ暮らし(大石浩之の磐田論考 第292号)
- 【論考】近世の村社会を総合する ── 石高・助郷・名望家が支えた自治(大石浩之の磐田論考 第293号)
- 【論考】「未確認」と「記載なし」── 磐田論考の史料批判の方法を総括する(大石浩之の磐田論考 第294号)
- 【論考】商いと町場を総合する ── 宿場・湊・消えた店が語る磐田の経済(大石浩之の磐田論考 第295号)
- 見付守護所 ── 遠江支配をめぐる攻防
- 戦国期の見付自治 ── 町人・桝座・大久保氏
- 舞車と磁石 ── 中世見付の謡曲と狂言
- 徳川家康と三方原合戦 ── 見付を通った遠江攻略
- 長州征伐と見付宿 ── 幕府軍通行の負担
- 遠江今川氏と見付端城 ── もう一つの今川家が治めた見付
- 見付と時宗 ── 一遍の教えと西光寺、遊行上人の道
- 江戸の旅ブームと見付宿 ── 膝栗毛と道中案内の時代
- 見付の引札 ── 明治の商店・図柄・版元を一枚の広告から読む
- 『東海道遠州見付宿』を読む ── 昭和20年に擱筆された見付宿研究(特集)
- 見付宿のすがたと戸口 ── 木戸から木戸まで、家数と人口を数える
- 宿を動かした人々 ── 名主・問屋・年寄・組頭と伝馬役の負担
- 中泉代官と見付宿の年貢 ── 安政3年の年貢割付を読む
- 火事・洪水・祭礼 ── 見付宿の災害史と天神祭の拝殿踊
- 遠江の宿駅はどう移り変わったか ── 平安から江戸への駅名変遷表を読む
- 見付宿の十一ヶ寺と二社 ── 朱印高191石の寺社世界
- 問屋場はどこにあったか ── 見付宿の心臓部と六枚の高札
- 見付町 小字・地名資料 ── 宅地・畑・田の名が残す土地の記憶
- 伝馬賃銭のしくみ ── 御定賃銭・相対賃銭と幕末の物価騰貴
- 幻の大見付城 ── 家康が築こうとして中止した城と「古城郭二ヶ所」の記録
- 絵図で読む見付宿の周縁 ── 御伝馬自林絵図と御普請所絵図
- 見付宿の伝馬制 ── 人馬継立はどう動いたか
- 馬をどう補ったか ── 見付宿の伝馬補充と馬持の負担
- 御用継立の実務 ── 証文・無賃・割増を見分ける
- 大通行が見付宿に来た日 ── 人馬・宿泊・助郷の総動員
- 見付宿から天竜川へ ── 池田の渡船につなぐ人馬継立
- 見付宿の財政 ── 天保10年の勘定帳から読む宿場経営
- 人足100人・馬100疋とは何か ── 見付宿の常備人馬を読む
- 本馬・軽尻・人足 ── 荷物に応じて変わる継立の単位
- 見付宿の人馬割 ── 誰が何人・何疋を出したのか
- 先触れから出発まで ── 見付宿の継立手順をたどる
- 待つことも負担だった ── 人馬の待機と見付宿の日常
- 伝馬を飼う ── 飼料・馬具・病馬から見る宿駅の維持費
- 継立帳簿は何を記録したか ── 人馬・賃銭・証文を残す実務
- 大通行の人馬数を比べる ── 動員規模と助郷の広がり
- 見付宿の歳入 ── 天保10年、誰が宿場の費用を負担したか
- 見付宿の歳出 ── 713両の運輸費と宿場を動かす固定費
- 宿助成のしくみ ── 貸付利子・補金・返済猶予で支えた見付宿
- 見付宿の本陣と脇本陣 ── 三郎右衛門・孫兵衛・新左衛門
- 旅籠屋の間口と奥行 ── 天保13年の39軒を測る
- 宿泊料と食事 ── 木銭・旅籠銭・宿割の実務
- 飯盛女と宿場統制 ── 59人の記録をどう読むか
- 見付宿の職業分布 ── 448軒の町場経済
- 見付宿助郷68ヶ村 ── 宿の外側に広がった人馬供給圏
- 助郷高と領主支配 ── 見付宿の役をどう村へ割り付けたか
- 助郷人馬の賃銭と代勤 ── 労役はどこまで金で置き換えられたか
- 水野氏記録が見た幕末の見付宿 ── 上洛・御札・橋普請
- 伝馬所から駅逓へ ── 明治初年の見付宿駅制改革
- 国立能楽堂上演資料集から読む『舞車』─ 諸本・節付・復曲上演
- 『舞車』から深掘りする12の研究キーワード
中泉なかいずみ
- 野口在色と磐田の俳諧 ── 松尾芭蕉に連なった中泉の俳人
- 風祭山福王寺 ── 国府の丘と江月堂に残る千年の寺史
- 府八幡宮・楼門・杜に残る信仰と文化の記憶
- 府八幡宮大祭に残る信仰と文化の記憶
- 中泉地区の山車の引き廻しに残る信仰と文化の記憶
- 遠江国分寺史跡公園を地域の記憶として読む
- 開莚楼跡を地域の記憶として読む
- 善導寺の大樟と自然と土地の記憶を読む
- 今ノ浦川と自然と土地の記憶を読む
- 相撲場のある上野公園と自然と土地の記憶を読む
- 青山 士の足跡を読む
- 磐田市唯一の酒造所から産業の記憶を読む
- 蚊帳の生産から産業の記憶を読む
- 青山宙平の足跡を読む
- 前島 密の足跡を読む
- 林 鶴梁の足跡を読む
- 磐田駅に残る旧中泉駅の記憶 ── 駅舎・ホーム・跨線橋柱から読む駅そのものの歴史
- 遠江国司の人々 ── 磐田の国府に赴任した官人たち
- 府八幡宮の大場家 ── 大禰宜・神仏習合・大場重光
- 府八幡宮神主・秋鹿家 ── 地頭・神職・代官の系譜
- 府八幡宮の奉納絵馬 ── 祈りと町の絵画史
- 府八幡宮の社宝と棟札 ── 物から読む神社史
- 府八幡宮の神宮寺と神仏分離 ── 境内にあった寺
- 府八幡宮の鳥居講 ── 安政地震からの再建
- 府八幡宮境内を物から歩く ── 建築・石造物・末社
- 府八幡宮の鎮座地と天平通り
- 府八幡宮の由緒をどう読むか
- 府八幡宮の祭神を読む
- 府八幡宮本殿の造営史
- 桜井王と「桜井の里」
- 府八幡宮の中門
- 府八幡宮の末社群
- 府八幡宮の社殿彫刻
- 府八幡宮の社務所と境内運営
- 府八幡宮の境内景観はどう変わったか
- 遠江国分寺とは何か ── 古代遠江の中心寺院と伽藍復興への構想
- 遠江国分寺とは何か ── 国家が地方に置いた巨大施設
- なぜ磐田に国分寺が置かれたのか
- 遠江国分寺の伽藍を読む
- 金堂とは何か
- 七重塔とは何か
- 講堂とは何か
- 回廊と中門 ── 伽藍を囲む空間
- 僧坊と寺院の日常
- 遠江国分寺の瓦を読む
- 遠江国分寺 年表
- 遠江国分寺が人々の暮らしをどう変えたか
- 遠江国分寺を歩く
- 遠江国分寺を復興できないか
- 遠江国分寺を読むための用語集
- 遠江国分寺跡と、古代磐田のはじまり
- 遠江国分寺まつり【特集】
- いくつもの時代が重なる ── 天平・戦国・現代が出会う祭り
- 国司参拝行列 ── 古代の都市を、いまの街に歩く
- 史跡から夜市へ ── まちをめぐる、もう一つの動線
- 府八幡宮と遠江国府の記憶
- 府八幡宮例大祭【特集】
- 府八幡宮例大祭 神事の詳細
- 府八幡宮例大祭 命魚奉献の儀
- 府八幡宮例大祭 二十町の山車
- 府八幡宮例大祭 山車祭りの近代史
- 御殿・二之宮遺跡と、二つの時代が眠る原
- 国府台と府八幡宮 ──「国府」を名のる土地の千三百年【解説】
- 中泉代官所と、徳川の天領を治めたまち
- 中泉御殿のあった町 ── 天領を治めた中泉【地形・年表でわかる解説】
- 二之宮はなぜ中泉と一つになったか ── 明治の合併と鹿苑神社【年表・図解でわかる解説】
- 中泉の生い立ち ── 国府・御殿・駅前の中心地
- 府八幡宮楼門
- 土器塚古墳 ── 中泉に残る古墳【県指定・史跡】
- 善導寺大クス ── 磐田駅北・中泉の市街地に残る大クスと、都市化のなかの記憶【県指定・天然記念物】
- 澄水山古墳 ── 磐田農業高校に残る古墳と、磐田原台地縁辺の首長墓を読む【市指定・史跡】
- アキザキヤツシロラン群生地 ── 福王寺の照葉樹林の林床に生きる腐生植物【市指定・天然記念物】
- 天御子神社のヤマモモの木 ── 中央町の鎮守に育つ平地最大級のヤマモモ【市指定・天然記念物】
- 福王寺のケヤキ ── 城之崎の古刹に立つ平地部最大級のケヤキ【市指定・天然記念物】
- 福王寺のクロバイ ── 染めの媒染に用いられた常緑樹と福王寺境内の植生【市指定・天然記念物】
- 静岡県立磐田農業高等学校記念館 ── 見付から中泉へ移った農業教育と、登録文化財の校舎【国登録・有形文化財】
- 遠江国府はどこにあったのか ── 古代遠江の政治の中心をめぐって
- 国分寺ものがたり ── 天平の寺はどう生き続けたか(特集・全12ページ公開)
- 講堂が倒れた日 ── 治安2年の大風と太政官への嘆願
- 鎌倉時代の国分寺 ── 釈迦から薬師へ、本尊が変わるとき
- 記録が消えた理由 ── 東海道と国分寺の前を通らなくなった道
- 堀越氏延の鰐口 ── 大永2年、見付端城主の寄進
- 中泉代官と薬師堂の再興 ── 中野七蔵・高室昌重と憲能和尚
- 卵塔墓が語る260年 ── 国分寺住職たちの墓碑を読む
- 遠江四十九薬師霊場と庶民の信仰 ── 絵馬・巡礼・木喰上人
- 境松の門前町 ── 東海道の立場と饅頭屋のあった風景
- 明治の廃寺 ── 上知令と国分寺の断絶
- 森本善苗尼と近藤文六 ── 昭和の国分寺復興
- 令和の薬師堂移築 ── 国分寺奉賛会と2度目の史跡公園
- 磐田駅前・中泉の近代商業 ── 中泉駅開業から「天平のまち」まで
- 磐田駅貨物・工場引込線・専売公社側線 ── 1996年まで残った専用線
- 中泉御殿と関ヶ原の戦い ── 家康滞在記録をたどる
- 遠江国分尼寺 ── 語られてこなかった、もうひとつの国家寺院
- 古代東海道と駅家 ── 律令が定めた、もう一つの東海道
- なぜ見付ではなく中泉に駅ができたのか - 鉄道忌避伝説と地形の制約
- 資料で読む中泉御殿の史実 - 家康の鷹狩り・秋鹿家・大池
- 中泉の成り立ち ── 沿革年表・学校区・大字
御厨みくりや
- 御厨の成り立ち ── 沿革年表・学校区・大字
- 堂山古墳 ── 全長110m、静岡県最大級の前方後円墳
- 二子塚古墳 ── 三ケ野台に残る、市指定の馬具と馬形埴輪
- 田原地区のお宮とお寺 ── 集落のまとまりを映す神社・寺院
- 田原地区の集落と地名 ── 田原・玉越・西島・彦島・三ケ野・明ケ島を読む
- 田原地区の学校史 ── 寺子屋・西島学校から田原小学校へ
- 旧田原小学校の記憶 ── 校舎火災・校庭・ピアノ・飛行機見物
- 田原の地震と戦争の記憶 ── 東南海地震・艦砲射撃・機銃掃射
- 鎌田山医王寺 ── 行基伝承と遠州流の枯山水
- 「貝塚」という地名 ── 西貝塚・東貝塚と消えた海岸線【縄文の海と地形史の解説】
- 鎌田御厨 ── 伊勢神宮領だった村の名残【御厨地区の地名を解説】
- 鎌田神明宮 ── 遠州のお伊勢さま
- 鎌田神明宮大祭【特集】
- 御厨十七郷十九社と式年遷宮
- 幼児の虫封じ
- 御厨六地区の屋台と囃子
- 浦安の舞
- 城之崎遺跡 - 弥生後期高地性集落と後期古墳群を読む
- 新貝 ── 古代国分寺窯跡の記憶と中世新貝庄の開発史
- 東脇・新出 ── 今之浦東岸の干拓と近世新田の誕生
- 稗原 ── 雑穀の原野から豊かな水田地帯への歩みと水利
- 大立野 ── 中世の名主開発と名残を留める古い郷割
- 安久路 ── 湿地帯「悪路」から美しき田園「阿久路」への土木史
- 三ケ野・三ケ野坂 ── 東海道の難所・坂越えの賑わいと一里塚の記憶
- 富士見台 ── 磐田原台地南端の景勝地と近代開拓の歴史
- 東新屋 ── 新たな入植地「新屋」の成立と近世の生活圏
- 和口 ── 河川の合流点に拓かれた「和の口」の民俗と治水
- 御厨駅と現代の御厨 ── 令和に蘇った古代「神領」の地名と未来への継承
- 御厨村の分立と再編 ── 明治27年、伊勢神領の村々が選択した自立の道
- 南御厨村の誕生 ── 明治27年、南部平野への展開と独立村落の生活圏
- 田原村の歩み ── 旧七ヶ村・蟹田川・分村合併から読む近代田原
- 田原地区総論 ── 台地・旧道・田園がつくった磐田東部の暮らし
- 三ヶ野坂から西島・明ヶ島へ ── 道と寺社で読む田原地区の記憶
- 御厨地区総論 ── 古い地名と新しい暮らしが重なる磐田東部
- 南御厨地区総論 — 低地・農地・道がつくった南側の生活圏
- 御厨と南御厨を分けるもの、つなぐもの ── 地名・水・道・暮らしの比較史
- 西貝地区総論 ── 旧集落・寺社・開発が重なる磐田の東側
- 西貝塚から安久路・城之崎へ — 田園から市街地へ変わった地域の記憶
- 三角縁四神四獣鏡 ── 御厨の古墳から出土した銅鏡【県指定・考古資料】
- 堂山古墳出土遺物 ── 御厨の古墳に納められた副葬品【県指定・考古資料】
- 御厨古墳群 ── 松林山・高根山・御厨堂山・秋葉山・稲荷山が連なる新貝・鎌田の大型古墳群【国指定・史跡】
- 医王寺庭園及び参道 ── 鎌田の名勝庭園と、松並木がつづく参道空間を歩く【市指定・名勝】
- 袴田家のマキ ── 鎌田の屋敷林に立つイヌマキと、遠州の防風林・屋敷木の文化【市指定・天然記念物】
- 磐田の米作りのはじまり ── 弥生のムラはどこに田を開いたのか
- 西貝塚・明ヶ島・大原周辺の遺跡群 ── 磐田原台地南東縁の考古学的景観
- 古墳と川・海・道 ── 磐田海・大乃浦と、東海道以前の水運の記憶
- 消えた古墳・塚地名の調査 ── 経塚古墳・堂山古墳と、名だけが残る塚
- 発掘調査報告書から読む磐田の古代 ── 一次資料の探し方と読み方
- 三ヶ野坂・物見の松・本多忠勝伝承 ── 七つの時代の道が重なる坂
豊田とよだ
- 豊田の成り立ち ── 沿革年表・学校区・大字
- 「町内史跡めぐり」60選 ── 昭和53年、豊田町郷土を研究する会が歩いた記憶の地図
- 天竜川池田の渡船 ── 家康の証文から始まった渡し場300年の記憶
- 天竜川に架けられた船橋 ── 新田義貞から朝鮮通信使まで
- 渡船を支えた助郷たち ── 定助郷・大助郷と助船・助人足制度
- 渡船経済のしくみ ── 船賃の分配と船勧進物、堤防修理
- 大名と渡船の特約 ── 紀州藩・尾張藩・仙台藩と池田村渡船方
- 大通行と池田の渡船場 ── 琉球使節から見付宿の歎願まで
- 外国船の来日と渡船への影響 ── ラクスマンから幕末の動揺まで
- 天竜川の氾濫と仮渡船 ── 文化13年・文政11年の大洪水
- 池田荘の条里制と立券文書 ── 微高地から復元する荘域
- こひめっこの墓 ── 赤池に400年伝わる、真田の姫の言い伝え
- 帯金家長屋門 ── 家康を助けた恩義に由来する姓
- 少林寺跡の大イチョウ ── 廃寺に残る樹齢300年の巡礼の記憶
- 万能橋と十分一税一揆 ── 安政4年、3千余人が集結した大騒動
- 西之島学校跡 ── 「遠州の三大学校」に数えられた洋風校舎
- 皆川陣屋跡と稲荷山 ── 1800石を治めた旗本、皆川氏の記憶
- 水汲坂と禁酒地蔵 ── 一言に伝わる、日本で唯一つの受験地蔵
- 長森こうやく ── 山田与左衛門家に伝わる、東海道みやげの妙薬
- 天竜橋跡 ── 60年にわたり天竜川を渡した木橋の記憶
- 静大農学部跡 ── 一言・富丘に残る、旧制農林専門学校の記憶
- 豊田山薬師堂 ── 坂上田村麻呂の伝承と40石の朱印地
- 神宮山松向寺 ── 浅間山噴火の記録を伝える豊田町最古最大の木造建築
- 若宮八幡宮と佐藤繁蔵 ── 28か村を合祀した郷社と、力士になった一言の若者
- 磐田で生まれたプチヴェールから産業の記憶を読む
- 熊野伝統芸能館に残る信仰と文化の記憶
- 豊田中学校の戦後史 ── 組合立からながふじ学府へ
- 広重「見附 天竜川図」を読む ── 霧の川に描かれた磐田
- 豊田東小学校と広野北遺跡 ── 台地の上の学び舎
- 銚子塚古墳と、遠江を治めた王の眠り
- 行興寺と熊野(ゆや)の長藤
- 一言坂の戦いと、本多忠勝の殿(しんがり)
- 池田の渡し ── 天竜川をわたる東海道
- 加茂・寺谷の歴史
- 旧豊田町の地名と、土地の記憶 ── 『豊田町地名地図』を歩く
- 「新田」と名のつく土地 ── 江戸の開発が刻んだ磐田の地名【解説】
- 東海道新田の歴史
- 池田荘と「葛巻」 ── 地名に残る中世の荘園
- 「堤外」と「内郷堤」 ── 天竜川の堤が分けた土地
- 弥藤太島・気子島 ── 「島」のつく地名と低地の暮らし
- 上新屋「半場名」と、天竜川左岸の新田開発
- 上万能「挑燈野」 ── 古戦場と伝わる野の名
- 森下・森本・立野 ── 「森」と「立野」の地名を歩く
- 富丘・東原 ── 台地に開けた「原」と「丘」のまち
- 池田宿の賑わいと本陣の記憶 ── 天竜川東岸の宿場と東海道の玄関口
- 船頭自治と徳川家康の朱印状 ── 天竜川左岸・池田船頭衆の特権と自立史
- 金原明善と天竜川治水の足跡 ── 「暴れ天竜」に挑んだ治水開拓者と森林保護の思想
- 小銚子塚古墳と周辺の古墳群 ── 銚子塚に連なる巨大古墳の系譜と古代の首長系譜
- 井通村の成立と近代の教育・水利 ── 天竜川左岸の豊かな低地を拓いた近代農村の歩み
- 富岡村の開拓と磐田原台地西縁の農業 ── 水なき台地を緑の茶園に変えたフロンティアの歴史
- 天竜川の「暴れ天竜」と決壊の歴史 ── 洪水との戦いと、豊田地区に刻まれた水害の記憶
- 社山と古代・中世の山岳信仰・砦の記憶 ── 豊田地区北端の霊峰と戦国乱世の砦跡
- 池田やかた祭りと天白神社の祭礼 ── 天竜川の渡しの里に伝わる厄流し
- 豊田町への合併と近代行政のあゆみ ── 井通・池田・富岡の三村が紡いだ合併の歴史
- 熊野絵巻
- 熊野の長フジ ── 行興寺に咲く熊野御前ゆかりの大藤【県指定・天然記念物】
- 池田やかた祭り ── 天竜川の渡しの里に伝わる厄流し【市指定・無形民俗文化財】
- 大めし祭り ── 加茂に伝わる豊穣祈願の祭礼【市指定・無形民俗文化財】
- 加茂大念仏 ── 盆に営まれる念仏行事【市指定・無形民俗文化財】
- 賀茂神社特殊神饌 ── 賀茂神社に伝わる特殊な供物【市指定・無形民俗文化財】
- 熊野御前ものがたり ── 池田に生きた伝説の女性と行興寺
- 熊野絵巻を読む ── 熊野・千手・朝顔、三人の女性たちの物語
- 熊野絵巻の成立をめぐる論争 ── 室町か、江戸か
- 熊野道場由来記と熊野寺旧跡之畧縁起 ── 行興寺草創の二つの物語
- 行興寺の近世史 ── 徳川家康の伝承と朱印地の古文書
- 旧東海道と国道1号・県道の主役交代 ── 磐田バイパスが変えた道の地図
- 旧東海道の一里塚・松並木・木戸 ── 1420本から370本へ
- 一言坂の戦いと磐田の戦場地形 ── 姫街道・県道413号・宮之一色一里塚
- 天竜川の筏流しと木材流通 ── 東大寺のための浚渫から、ダムによる終焉まで
- 天竜川の堤防・洪水碑・水害記録 ── 昭和49年七夕洪水の記憶
南部なんぶ
- 天竜川がつくった村、流した村 ── 池田・掛塚と渡しの記憶【河道変遷の解説】
- 豊島・北島 ── 天竜川の氾濫原に開かれた川辺の開拓地と水害防除の知恵
- 千手堂・万正寺 ── 寺院名が語る中世の信仰空間と消えた伽藍の謎
- 上大之郷・下大之郷 ── 古代大郷の記憶と庄園開発の歴史
- 上岡田・下岡田 ── 砂丘と湿地を拓いた開墾の軌跡と岡田の神々
- 鮫島・小島 ── 遠州灘の潮風を防ぐ防風林と砂丘地の過酷な開拓史
- 野箱・白拍子 ── 中世の芸能者白拍子の足跡と地域に息づく伝承
- 浜部 ── 遠州灘の塩害に抗い塩を産み出した塩田と沿岸漁業の記憶
- 新島・長須賀 ── 天竜川がもたらした砂州の変遷と新田開発の軌跡
- 刑部島 ── 古代刑部部と天竜川の中州に挑んだ開拓者たちの闘い
- 長野村 ── 南部町村合併が描いた生活圏の移り変わりと近代化の歩み
- 於保村 ── 於保庄の栄華から昭和の分村編入、福田町との分割合併史
- 天竜地区総論 — 川と低地がつくった暮らしの記憶
- 川の恵みと怖さ ── 天竜地区に残る水辺の生活史
- 於保地区総論 — 大池・低地・農地が支えた南の集落
- 長野地区総論 — 水田の広がりと旧集落の輪郭を読む
- 於保と長野を分けるもの、つなぐもの ── 水利・農地・集落の南部史
- 鰐口 ── 南部の社寺に伝わる金工品【県指定・工芸品】
- 八王子神社米とぎまつり ── 下太の稲作儀礼【市指定・無形民俗文化財】
- 見付から福田・掛塚方面へ向かう旧道 ── 南部の低地を渡る道
- 今之浦と大池の消滅・埋立て ── 生き残った調整池と、失われた旧河道
- 今之浦が磐田の都市形成に与えた影響 ── 低地の空白が、新しい市街地に変わるまで
- 南部地区の生い立ち ── 天竜川がつくった村、人が守った村
- 南部の成り立ち ── 沿革年表・学校区・大字
- 浜部遺跡・浜部古墳群 ── 砂地に築かれた、磐田市最南端の古墳と中世集落
- 今之浦川の舟の道 ── 見付と海を結んだ水の記憶
向陽こうよう。 ▶ 向陽地区の入口ページへ
- 向陽の成り立ち ── 沿革年表・学校区・大字
- 銚子塚古墳・小銚子塚古墳 ── 磐田原台地に眠る、静岡県内第3位の前方後円墳
- 桶ケ谷沼と自然と土地の記憶を読む
- 鶴ケ池と自然と土地の記憶を読む
- アジサイが咲く校庭と自然と土地の記憶を読む
- 磐田原の茶畑から産業の記憶を読む
- 鹿島神社のたたきごぼうに残る信仰と文化の記憶
- 磐田原の深井戸・天水井戸に残る信仰と文化の記憶
- 千手前の足跡を読む
- 松岡 萬の足跡を読む
- 高塚太郎平新道 ── 全財産を投じて拓いた、東海道より北の道
- 大藤小学校の133年 ── 以和拓原から向陽小学校へ
- 岩田小学校の153年 ── 匂坂学校から向陽小学校へ
- 向笠小学校の153年 ── 新豊院から向陽小学校へ
- 匂坂・寺谷・岩田 ── 台地のへりに並ぶ村々の地形読み【難読地名・沿革を図解で解説】
- 新豊院山古墳群 ── 台地東縁に築かれた前期古墳群【国指定史跡】
- 米塚古墳群 ── 寺谷台地に広がる群集墳【県指定史跡】
- 長者屋敷遺跡 ── 寺谷に眠る奈良時代の官衙・邸宅跡【県指定史跡】
- 匂坂城跡と匂坂氏 ── 遠州の戦乱を生き抜いた武士の記憶
- 向笠城と向笠氏 ── 中世の北方を守った在地領主の館
- 寺谷用水の開削 ── 天竜川の激流に挑んだ遠州最古の用水路
- 大久保と藤上原 ── 台地開拓と緑豊かな茶園の歩み
- 笠梅の歴史 ── 「梅」の伝承と静かなる田園の記憶
- 平松掛下入作 ── 開拓の歩みを刻む日本屈指の長大地名
- 「向陽」の誕生 ── 昭和の合併と新しい学校区がつないだ生活圏
- 岩田・大藤・向笠をつなぐ丘陵と水の記憶
- 岩田地区の成立と匂坂・寺谷の記憶
- 大藤地区の成立と磐田原台地の暮らし
- 向笠地区の成立と太田川・敷地川の記憶
- 岩田地区 小字・地名資料
- 大藤地区 小字・地名資料
- 向笠地区 小字・地名資料
- 米塚古墳群 ── 寺谷台地の群集墳を指定史跡として読む【県指定・史跡】
- 長者屋敷遺跡 ── 寺谷の奈良時代官衙跡を指定史跡として読む【県指定・史跡】
- 磐田原台地と古墳分布 ── 台地の縁に眠る、時代の異なる王たち
- 磐田原の水不足と開発史 ── 水に恵まれなかった台地の記憶
竜洋りゅうよう
- 竜洋地区年表 — 天竜川・掛塚・袖浦・十束の歩み
- 天竜川の変遷と竜洋 — 川の流れが土地をつくり、暮らしを変えた
- 町や村を背負った人達 — 竜洋の地域運営を支えた人びと
- 室町時代以降の竜洋 — 戦乱・支配・村のまとまり
- 掛塚・袖浦・十束 — 竜洋を形づくった村と集落の歩み
- 太古の竜洋と大の浦 ── 海と砂地がつくった土地の記憶
- 竜洋町の沿革 — 川と海に向き合ってきた町の成り立ち
- 竜洋地区の歴史を歩く ── 天竜川・掛塚・袖浦・十束の記憶(特集・全8ページ公開)
- 御神輿・西洋型帆船・フタナリ船を地域の記憶として読む
- 掛塚祭 屋台と屋台囃子に残る信仰と文化の記憶
- 天竜川東派川の河口にあった掛塚湊から産業の記憶を読む
- 天竜川の治水と災害を地域の記憶として読む
- 天竜川東派川 締め切りと跡地の利用・堤防跡を地域の記憶として読む
- 竜洋地区の大火災の歴史を地域の記憶として読む
- 竜洋地区の学校の歴史を地域の記憶として読む
- 掛塚地区から東西への渡船場跡から産業の記憶を読む
- 旧掛塚郵便局から産業の記憶を読む
- 伊豆石の蔵と塀から産業の記憶を読む
- 掛塚灯台の歴史から産業の記憶を読む
- 掛塚地区での百万遍念仏に残る信仰と文化の記憶
- 東大塚天竜川河床遺跡を地域の記憶として読む
- 掛塚湊の町並み跡から産業の記憶を読む
- 天竜川河口付近での遭難船の歴史から産業の記憶を読む
- 竜洋地区の草競馬に残る信仰と文化の記憶
- 明野陸軍飛行学校天竜分教所跡を地域の記憶として読む
- 竜洋地域の外人墓地を地域の記憶として読む
- 福長飛行場跡を地域の記憶として読む
- 竜洋地域の秋葉山常夜燈を地域の記憶として読む
- 長谷川貞雄の足跡を読む
- 村上太三郎の足跡を読む
- 丘 浅次郎の足跡を読む
- 野口在色の足跡を読む
- 荒井信敬の足跡を読む
- 平野又十郎の足跡を読む
- 足立喜六の足跡を読む
- 青木武三の足跡を読む
- 竜洋地区の音楽活動に残る信仰と文化の記憶
- 郷土資料館に残る信仰と文化の記憶
- トライアスロンに残る信仰と文化の記憶
- 掛塚橋・遠州大橋を地域の記憶として読む
- 竜洋豊岡公園と自然と土地の記憶を読む
- 竜洋袖浦公園に残る信仰と文化の記憶
- 竜洋十束公園と自然と土地の記憶を読む
- 竜洋昆虫自然観察公園と自然と土地の記憶を読む
- 竜洋海洋公園・オートキャンプ場・しおさい竜洋・テニスコート場から産業の記憶を読む
- 風力発電所 風竜から産業の記憶を読む
- 竜洋地区の歴史を歩く ── 天竜川・掛塚・袖浦・十束の記憶(特集入口)
- 竜洋町の沿革 ── 川と海に向き合ってきた町の成り立ち
- 太古の竜洋と大の浦 ── 海と砂地がつくった土地の記憶
- 掛塚・袖浦・十束 ── 竜洋を形づくった村と集落の歩み
- 室町時代以降の竜洋 ── 戦乱・支配・村のまとまり
- 町や村を背負った人達 ── 竜洋の地域運営を支えた人びと
- 天竜川の変遷と竜洋 ── 川の流れが土地をつくり、暮らしを変えた
- 竜洋地区年表 ── 天竜川・掛塚・袖浦・十束の歩み
- 掛塚港の近代年表|豊長社・灯台・救難所・魚市場で読む港町の変化
- 竜洋の水害・地震・台風の記憶|天竜川の破堤から東南海地震・伊勢湾台風まで
- 『ふるさと竜洋』という郷土読本|1977年の編纂後記と参考文献から読む
- 竜洋の成り立ち ── 沿革年表・学校区・大字
- 掛塚湊 ── 遠州の小江戸、その繁栄の軌跡
- 天竜川の橋と渡船 ── 池田の渡しから掛塚橋・長豊橋へ
- 竜洋を襲った地震 ── 宝永・安政・東南海と『一代咄』の記憶
- 掛塚の火災と消防 ── 大火の記録と秋葉信仰、消防組のはじまり
- 竜洋の冠婚葬祭|出産・成人・婚礼・葬送に残る共同体の作法
- 竜洋の家普請と講|地鎮祭・棟上げ・家移り・庚申講
- 掛塚湊と、遠州の小江戸とよばれたまち
- 掛塚まつりと遠州屈指の豪華屋台 ── 廻船文化が育んだ彫刻美術の粋
- 貴船神社と海の安全を祈る水神信仰 ── 寄進された錨と灯籠が語る航海史
- 十束村の成立と平松・中島の新田開拓史 ── 河口低地を美田に変えた近世の土木
- 袖浦村の塩づくり(製塩業) ── 遠州灘の塩害克服と生活の知恵
- 白羽の風と凧揚げ文化の起源 ── 強風の台地が育んだ空への情熱
- 天竜川河口のシラスウナギ漁とウナギ養殖の源流 ── 汽水域がもたらす大自然の恵み
- 十郎島と川袋 ── 激流に削られた輪中集落と天竜川旧流路の記憶
- 掛塚の豪商・吉岡家と廻船問屋の繁栄 ── 江戸・信州を結ぶ木材流通のダイナミズム
- 竜洋大砂丘と防風林(黒松林)の維持管理 ── 飛砂との世紀の闘いと防潮の歩み
- 竜洋町の誕生と近代行政のあゆみ ── 掛塚・十束・袖浦が描いた「竜の洋」の合併史
- 旧竜洋町になるまでの変遷 ── 江戸・明治・大正期の町村沿革と生活圏の形成
- 掛塚祭屋台囃子 ── 掛塚まつりに響く屋台囃子【県指定・無形民俗文化財】
- 掛塚祭竹馬 ── 掛塚まつりに伝わる竹馬の行事【市指定・無形民俗文化財】
- 須賀神社クス ── 天竜川左岸・西島の鎮守に育つ低地のクスと、水辺の信仰【市指定・天然記念物】
- 天竜川の地形と歴史 ── 平地の生い立ちと川筋の移りかわり
- 竜洋の学び舎の歩み ── 寺子屋から竜洋西・東・北小学校、竜洋中学校まで
- 金原明善 ── 私財を投じて天竜川と向き合った男
- 天竜川の治水年表 ── 金原明善から第三次改修まで
- 島畑の景観を歩く ── 天竜川平地に残る土地利用の記憶
- 天竜飛行場と竜洋の学童 ── 学徒動員・疎開・「勝つまでは」の記憶
- 東南海地震と竜洋の学校 ── 空襲下の震災と学びの再開
- 遠州の学問の土壌 ── 杉浦真崎・報徳運動と竜洋の寺子屋
- 千手の前ものがたり ── 保元・平治の乱に消えた白拍子の伝説
- 池田荘と掛塚湊の起源 ── 竜洋の中世荘園史
- 掛塚・袖浦・十束の村域変遷と石高 ── 江戸期の村組織史
- 竜洋を治めた人達 ── 遠州の藩主・中泉代官・明治以降の首長一覧
- 遠州文人サロン ── 掛塚・見付の豪商が支えた芸術
福田ふくで
- 福田の成り立ち ── 沿革年表・学校区・大字
- 元島遺跡 ── 太田川河口に眠る、福田の湊の原点
- 福田村五人組帳 ── 江戸時代の村掟34ヶ条と、300年前の家々の記憶
- 慶長9年検地帳と「福田の二十五苗」 ── 400年前の名請人と、今日の家々
- 福田村村役人表 ── 庄屋・組頭・百姓代、慶長9年から慶応4年へ
- 五人組頭の名でたどる福田村 ── 天和4年・宝永の五人組帳と破船の掟
- 五人組制度の起源と福田村の編成 ── 中国の五保制度から福田の六軒組まで
- 火事・竹木・田畑をめぐる村掟の細部 ── 福田村五人組帳を読む
- 逃散・欠落・不審者をめぐる村の掟 ── 福田村五人組帳を読む
- 福田地域の秋葉山常夜燈を地域の記憶として読む
- 横須賀街道の松並木を地域の記憶として読む
- 次郎長漆喰画像に残る信仰と文化の記憶
- DOLCE倉庫から産業の記憶を読む
- 福田地区の音楽活動に残る信仰と文化の記憶
- 虹文庫から産業の記憶を読む
- のこぎり屋根から産業の記憶を読む
- コーデュロイハウスから産業の記憶を読む
- 新素材「ソルブレベコ」から産業の記憶を読む
- 温室メロン発祥の地から産業の記憶を読む
- 福田産 シラスから産業の記憶を読む
- 福田漁港から産業の記憶を読む
- 亀塚に残る信仰と文化の記憶
- 横須賀街道と福田 ── 海沿いのもう一つの街道
- 東屋台と西屋台 - 六社神社の秋祭りを支えた福田の二つの屋台
- 寺田勝彦『東屋台と西屋台』を読む - 福田の祭りを記録した小冊子
- 福田の祭りと戦時記憶 - 伊東金平氏の体験記から読む
- 屋台以前の福田の秋祭り - 田遊び・舞台・農村の収穫祭
- 掛塚屋台と福田の東西組 - 二つの屋台が生まれた背景
- 福田の屋台を支えた若者と町内運営 - 東西屋台から本町連へ
- 福田湊の発展と遠州の漁業史 ── 黒潮の恵みと太田川河口の天然湊
- 福田港のシラス船引き網漁と沿岸漁業 ── 日本屈指の漁獲量を誇る白いダイヤの歴史
- 別珍・コールテンと福田の織物産業 ── 「世界のコーデュロイ」を産んだ職人の技と歩み
- 太田川河口のウナギ養殖と淡水水産 ── 豊かな水系が育んだ養殖フロンティア
- 福島村から福田町への改称と近代行政 ── 「福の田」が紡いだ市町村沿革史
- 豊浜の砂丘と黒松防風林 ── 海風と飛砂に挑んだ不屈の農地保全史
- 福田まつりと華麗な中泉式屋台 ── 海を渡り届いた彫刻美術と笛の音
- 太郎馬新田と清庵新田の開拓史 ── 太田川下流低地を拓いた江戸期の土木情熱
- 福田の寺社仏閣と信仰の歴史 ── 海上安全と家内安全を祈る海のまちの社寺
- 福田の暮らしと食文化 ── カツオ・シラスの海の幸と砂地が育んだ芋の記憶
- 福田の年中行事と昔ばなし
- 正月から春へ ── 福田の年始行事と村の信仰
- 春から初夏へ ── 農事、寺社、講がつないだ地域共同体
- 夏と盆 ── 供養、水辺、家の記憶
- 秋から冬へ ── 祭礼、講、神仏への祈り
- 福田の昔ばなしと語りの文化 ── 伝承を地域史として読む
- 福田 年中行事・民俗語彙索引(資料編)
- 絹本着色釈迦十六善神画像
- 中野白山神社十日祭(お箱) ── 中野に伝わる年頭の神事【市指定・無形民俗文化財】
- 中野白山神社例祭(白酒) ── 白酒を供える中野白山神社の例祭【市指定・無形民俗文化財】
- 氏神様の年始回り ── 福田に伝わる正月の巡拝習俗【市指定・無形民俗文化財】
- 遠州灘の砂丘・海岸線・防潮堤 ── 令和の「静岡モデル」がつなぐ防災の記憶
- 平井顕斎 — 豊浜中野に生きた遠州の南画家
- 平井顕斎の生涯年表 — 江戸遊学から晩年まで
- 平井顕斎の江戸遊学 — 遠州の画人は何を学びに出たのか
- 平井顕斎の画風を読む — 武陵桃源図に見る山水の世界
- 福田半香と平井顕斎を比較して読む — 遠州の南画は一つではなかった
- 平井顕斎の門人たち — 遠州に残った画の学び
豊岡とよおか。 ▶ 豊岡地区の入口ページへ
- 豊岡の成り立ち ── 沿革年表・学校区・大字
- 社山城跡 ── 磐田市指定史跡に残る、遠江争奪の山城
- 大平社山の茶園から産業の記憶を読む
- のんべ道草の里と自然と土地の記憶を読む
- 獅子ヶ鼻公園と自然と土地の記憶を読む
- 新平山遺跡を地域の記憶として読む
- 血松塚古墳を地域の記憶として読む
- 三遠式銅鐸を地域の記憶として読む
- 岩室廃寺跡を地域の記憶として読む
- 萬世山一雲斎を地域の記憶として読む
- 社山城址の歴史と自然を地域の記憶として読む
- 造り酒屋 花咲乃庄を地域の記憶として読む
- 宮下歴史庫を地域の記憶として読む
- 黒立トンネルを地域の記憶として読む
- ヒマラヤシーダのクリスマスイルミネーションに残る信仰と文化の記憶
- 松下大三郎の足跡を読む
- ころ柿から産業の記憶を読む
- 敷地米から産業の記憶を読む
- 獅子ヶ鼻の行場 ── 岩室山に残る山岳信仰の記憶
- 豊岡地区の生い立ち ── 三つの村が一つになった山あいのまち
- 敷地川と谷の集落 ── 山あいの水がつくった豊岡の暮らし
- 敷地村の成立と山村の記憶 ── 岩室・大平・家田・万瀬・虫生をつなぐ
- 広瀬村と神増・社山 ── 山すその集落と旧村のまとまり
- 野部村と上野部・下野部 ── 天浜線沿いに残る村の記憶
- 獅子ヶ鼻と豊岡の山の景観 ── 岩山・公園・信仰を読む
- 万瀬・虫生・大平 ── 山あいの小集落と暮らしの技術
- 合代島・新開・惣兵衛下新田 ── 川沿いの低地と開発の記憶
- 豊岡村の誕生と2005年合併 ── 広瀬・野部・敷地が一つになるまで
- 天竜浜名湖線と豊岡 ── 豊岡駅・敷地駅・上野部駅の記憶
- 豊岡の祭り・寺社・里山信仰 ── 山と川に祈る暮らし
- 新豊院山古墳群と台地上の支配者 ── 弥生から古墳へ、向笠の丘に眠る記憶
- 豊岡の遠州大念仏 ── 豊岡に伝わる盆の念仏供養【市指定・無形民俗文化財】