失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す

磐田駅から消えた二つの鉄路 | 子10・駅北の景観

中泉駅北の歴史地層――御林・赤煉瓦・中泉御殿のそばを通った軌道

中泉軌道の起点は、東海道本線・中泉駅、いまの磐田駅に置かれていた。駅の北側には、御林と呼ばれた台地、赤煉瓦を焼いた工場の記憶、中泉御殿の堀跡や大乗院坂が重なっている。軌道が抜けたこの一帯を、近世と近代が重なる歴史地層として読む。

磐田駅北に重なる、近世と近代

中泉軌道の起点は、東海道本線・中泉駅、現在の磐田駅に置かれていた。レールは駅東側の貨物ホーム付近まで延び、ここで国鉄の貨物列車へ、鉱石や木材、福田石などの積み替えが行われていたとされる。駅から西へ向かう軌道は、しばらく東海道本線の北側を並んで進んだ。ここで立ち止まって見ておきたいのは、この駅北側一帯が、軌道が敷かれるはるか以前から、いくつもの時代の記憶を重ねてきた土地だということである。

中泉駅は、1889年(明治22年)4月16日、官設鉄道の静岡・浜松間開通にあわせて開業した。同年7月には新橋・神戸間を結ぶ東海道線が全通しており、中泉駅は開業当初から、東西を結ぶ幹線鉄道の駅として位置づけられていたことになる。中泉軌道が敷設されたのは、この中泉駅開業から約20年後のことであり、駅そのものがすでに地域の物流・交通の結節点として機能していたところへ、軌道が接続する形で計画が進められたと考えられる。

御林と赤煉瓦の記憶。 駅北側の台地一帯は、古くは「御林(おはやし)」と呼ばれていたと伝えられる。1889年(明治22年)の中泉駅開業にあたっては、この地に設けられた工場、現在の千寿酒造付近で焼かれた赤煉瓦が、駅のホーム築造に用いられたとされ、「磐田の煉瓦発祥の地」として語られることがある。中泉軌道(細江線)は、この歴史的な煉瓦工場の北側を通過し、石原の郵便局東側から北進して、西新町の旧家・亀文商店の北側を西へ抜けるルートをとったと伝えられる。

現在も磐田市内で唯一の酒蔵として営業を続ける千寿酒造は、明治35年(1902年)の創業と伝わる。この蔵が位置する磐田原台地の突端部一帯は、天竜川水系の伏流水に恵まれた土地として古くから知られ、蔵からおよそ1キロメートルの範囲内には、奈良時代に建立された遠江国分寺跡もある。中泉という地名の一帯が、赤煉瓦工場が置かれた近代以前から、良質な水と土に恵まれた遠江国の中心地として機能し続けてきたことがうかがえる。

中泉御殿と大乗院坂の近くを抜ける。 この付近には、徳川家康が造営し、のちに関ヶ原の戦いや大坂の陣の際には軍事拠点・休憩所としても機能したとされる「中泉御殿」の、堀と土塁の跡地が残っている。中泉御殿は、水堀に囲まれておよそ1万坪に及ぶ敷地を有していたと伝わり、徳川家が東海道を往来する際の休息地として使われた。また、「大乗院坂」と呼ばれる旧東海道の坂道も、この一帯に位置している。旧東海道は見付から中泉の町へと下り、賀茂川橋を渡った先で再び坂道となって中泉の町へ上っていく地形をとっており、大乗院という寺院の名が坂の名の由来になったとみられるが、この点は確定的な資料が確認できていないため、あくまで地域で語られている比定として扱いたい。中泉軌道は、こうした近世以前の歴史的な遺構が集まるエリアを避けるように進み、磐田久保川を渡って、徐々に北上していったとされる。

軌道は、古い町の縁を通った

近代のインフラである軌道が、近世の城館や街道の縁を通り抜けていったのは、単なる偶然ではないと考えられる。狭い旧東海道の道幅では軌道の車両が通りにくかったこと、また歴史的な遺構が密集する区域を避ける必要があったことなど、いくつかの事情が重なって、このような迂回するルートが選ばれたと推察される。近代交通が、近世以来の町の形を尊重するように、その縁をなぞって敷かれていった様子がうかがえる。

中泉軌道の敷設が計画された明治末期の中泉は、東海道本線の駅を擁する交通の要衝でありながら、なお近世以来の町割りや屋敷地が色濃く残る町であった。新たな軌道を敷くにあたって、地域の発起人たちは、古い町並みを大きく壊すことなく、駅と天竜川水運とを結ぶ最短に近いルートを模索したのだろう。その結果として生まれたのが、御林や赤煉瓦工場、中泉御殿の堀跡、大乗院坂といった近世以来の記憶の「際(きわ)」を縫うように進む、細い軌道の姿であったと考えられる。

消えた線路が教える、駅北の読み方。 中泉軌道の線路そのものは、いまはもう残っていない。しかし、御林、赤煉瓦、中泉御殿、大乗院坂といった地名や記憶をたどっていくと、磐田駅北側という土地が、近世の政治・軍事の記憶と、近代の産業・交通の記憶を重ねて持っていることが見えてくる。軌道が通ったルートの詳細については、既出の「旧東海道を走った軌道」であらためて扱っている。ここでは、軌道が抜けていった駅北一帯を、ひとつの歴史地層として読み直しておきたい。

  • アップロード資料「中泉軌道の詳細調査」
  • 磐田市立図書館所蔵資料(中泉軌道・光明電気鉄道関係)
  • 現地確認写真(公開時に撮影日を記載)
  • 必要に応じて、旧東海道・天竜川水運・磐田駅周辺の郷土資料
  • 「磐田駅」Wikipedia項目(中泉駅としての開業日ほか)
  • 千寿酒造株式会社「会社案内」、静岡県酒造組合「千寿酒造株式会社」ページ

本文は資料の転載ではなく、複数資料をもとに事実関係を整理し、磐田物語用に再構成したものです。断定できない事項は、今後の現地確認・郷土資料確認で補強します。

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