失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語大石浩之の磐田論考 / 伝承と史実のあいだを総合する

磐田郷土史研究紀要

大石浩之の磐田論考 第291号(伝承論 総合)

伝承と史実のあいだを総合する

家康・真田姫・幻の城をめぐって ── 既刊各論の横断的整理と史料批判

大石浩之1

1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役

公開日
2026.07.26
資料検証
公開資料による検証済み
対象地区
磐田市豊田ほか

要旨

本稿は、これまで本論考シリーズで個別に扱ってきた磐田の伝承──幻の城の築城譚、真田の姫の墓、家康の恩義に由来する賜姓譚、家康の証文に始まる渡船権──を横断し、レビュー論文として総合するものである。第一に伝承を貴人漂着・賜姓・築城・恩義の四類型に整理し、第二に徳川家康や真田をめぐる伝承がなぜ多いのかを、地域が中央の権威へ自らを接続しようとする働きから説明する。第三に、伝承が史実になりうるかという問いを、伝承の存在そのものは史実(そう語り継がれてきたという水準)である一方、内容の史実性は伝承・未確認の層にとどまるという腑分けによって検討する。「未確認」(一次史料に突き当たっていない)と「記載なし」(史料に無い)を区別し、伝承を誤りとして切り捨てず、しかし史実ともしないという節度を方法として提示する。最後に、地域が伝承を守り続けることの意味を、記憶の継承という観点から位置づける。

キーワード:伝承/史料批判/徳川家康/真田/賜姓譚/権威への接続/記憶の継承

1. 問題設定 ── 個別の伝承を横断して問う

本論考シリーズでは、これまで磐田各地の伝承を一件ずつ取り上げ、それぞれについて史料批判を試みてきた。見付の丘に伝わる幻の城、赤池の墓に眠るとされる真田の姫、上本郷の旧家が語り継ぐ姓の由来、天竜川の渡し場に伝わる家康の証文──いずれも、地域の記憶として今日まで受け継がれてきた話柄である。個別の検討を重ねるなかで、これらの伝承には共通する骨格があること、そして共通する検討上の困難があることが、しだいに輪郭を見せてきた。本稿は、その共通性を正面から扱うために書かれる。

個別の伝承を一つずつ検証する作業には、一つの限界がある。一件だけを見ていると、その話が磐田に固有の出来事なのか、それとも各地に広く分布する語りの型が磐田の地名を得て根づいたものなのかを、判別しにくい。ところが複数の伝承を並べてみると、別々の土地・別々の家に伝わる話が、驚くほど似た筋立てをもつことがわかる。貴人が土地を訪れ、土地の者がこれを助け、その恩義が家や場所の由緒として残る──この骨格は、幻の城にも、姫の墓にも、賜姓譚にも、渡船権にも、形を変えて現れる。横断して初めて見えるこの型を記述することが、本稿の第一の課題である。

第二の課題は、なぜこれらの伝承の多くが徳川家康や真田といった特定の人物に結びつくのか、という問いである。磐田に伝わる由緒譚を集めると、その主役はしばしば家康であり、あるいは真田である。これは偶然の集積ではなく、地域が自らの記憶を語るにあたって、中央の大きな権威へ接続しようとする働きが背後にあると考えられる。本稿はこの働きを、個々の伝承の真偽とは別の水準で記述したい。

第三に、そもそも伝承は史実になりうるのか、という方法上の問いを扱う。この問いに答えるには、二つの水準を峻別する必要がある。ある話が「そのように語り継がれてきた」という事実それ自体は、確認できる史実である。語りは現に存在し、墓や門や地名として痕跡を残している。しかし、その語りの内容が実際に起きた出来事かどうかは、まったく別の問題である。本稿はこの二水準を混同しない立場を、シリーズ全体を通じて一貫させたい。

あらかじめ本稿の立場を一文で示しておく。伝承の存在は史実として尊重し、しかし伝承の内容を史実とは断じない。誤りとして切り捨てもしないが、確認された事実として扱いもしない。この「あいだに立つ」姿勢こそ、地域の記憶を後世の調べものに耐える形で残すための、唯一の節度であると考える。以下では、まず既刊四論考の要点を整理し(第2節)、そこから伝承の類型を抽出し(第3節)、権威への接続を論じ(第4節)、史実性の問いに答え(第5節)、四論考を一表に並べて史料批判を加え(第6節)、伝承継承の意味を述べたうえで(第7節)、結論に至る(第8節)。

伝承の共通骨格と四つの類型 貴人来訪 → 土地の関与 → 恩義 → 由緒として定着 貴人譚 姫の墓 論考200 築城譚 幻の城 論考196 賜姓譚 帯金家 論考205 恩義譚 渡船の証文 論考190 四類型は別々の話柄でありながら、同じ骨格から枝分かれしている。
図1 伝承の共通骨格と四類型。貴人の来訪と土地の関与、そこから生じる恩義という骨格が、姫の墓・幻の城・賜姓・渡船という別々の話柄に分岐している。

2. 先行研究の整理 ── 既刊四論考が明らかにしたこと

本節では、本稿が総合の対象とする既刊四論考を、それぞれの結論とともに整理する。いずれも磐田物語「大石浩之の磐田論考」に収めた各論であり、本稿はこれらを一次の先行研究として扱う。要約にあたっては、各論が到達した確度の判断を損なわないよう努めた。

論考196「見付に残る幻の城」は、見付の丘に伝わる城之崎城の築城譚を扱った。地域には「家康は立派な城を築こうとしたが、豊臣秀吉に配慮して完成させなかった」という言い伝えがある。同論考は、築城が進められたとされる時期に秀吉はまだ天下人ではなかったことを指摘し、この配慮説をそのまま史実とはできないと結論した。あわせて、城之崎城の記憶が、別個の史実である中泉御殿と後世に混同された可能性を論じ、一つの「幻の城」の像が複数の記憶の合成でありうることを示した1。築城譚が、実在した普請の痕跡と、後世の由緒づけとを分かちがたく含むことを明らかにした点に、この論考の意義がある。

論考200「こひめっこの墓」は、赤池の墓地に伝わる真田の姫の墓を対象とした。真田幸村が徳川秀忠に攻められた際、幼い姫を赤池の旧家に託したとの伝承である。同論考は、石造物としての墓が現存し、地域が長くこれを弔ってきたことは確認できる史実であるとする一方、「真田の姫」という比定や幸村個人との関係は、一次史料に突き当たらない未確認の領域にとどまると腑分けした。この論考が本シリーズにもたらした最大の方法的貢献は、「未確認」(管見の限り一次史料に至っていない)と「記載なし」(史料に無いと確認できる)とを厳密に区別する枠組みを明示したことである。本稿もこの区別を全面的に継承する。

論考205「帯金家長屋門を読む」は、上本郷の帯金家に伝わる賜姓譚を扱った。元亀年間(1570〜1573年)、武田信玄との戦いに敗れて敗走する家康を当主が助け、帯の間から財布を取り出して金を与えた、その恩義によって「帯金」の姓を家康から賜ったという由来譚である。同論考は、長屋門という建築の現存と様式を史実の層に、姓の由来譚を伝承の層に厳密に腑分けし、両者を混同しない立場をとった。建物という物証が確かに存在することと、その建物にまつわる由緒が史実であることとは別だという、伝承研究の基本を具体的な事例で示した点が重要である。

論考190「天竜川池田の渡船」は、東海道の難所を渡す池田の渡船権を扱った。その渡船権は、天正元年〔1573年〕に家康が池田船方十人衆へ与えた朱印状に始まると伝えられる。同論考は、朱印状に渡船の特権が記されること自体は文書の水準で確認できる事柄であるとしつつ、家康個人の意志を渡し場の起点とみる由来には、後世の語りが重ねた伝承・推定の層が含まれると腑分けした。文書が現に伝わる場合ですら、その文書が語る「起源」を額面どおり受け取れないという、より精緻な史料批判の実例を提供している。

四論考を並べると、扱う事象は城・墓・門・渡船と多様でありながら、方法上の関心が一つの方向へ収束していることがわかる。すなわち、物証や文書として確認できる部分と、語りとして受け継がれてきた部分とをどう腑分けするか、という関心である。本稿はこの共通の関心を引き受け、個別事例を貫く型と原理を取り出すことを目指す。

3. 伝承の類型 ── 貴人・築城・賜姓・恩義

四論考の対象を型として整理すると、少なくとも四つの類型が浮かび上がる。第一は貴人来訪・貴種漂着の類型である。高貴な身分の者が事情あってこの土地を訪れ、あるいは落ちのびてくるという筋立てで、真田の姫の墓がこれにあたる。都や中央で敗れた貴人が地方へ流れ、土地の者がこれを匿い、その痕跡が墓や旧家として残る。この型は全国に分布し、落人伝説・貴種流離譚として説話研究でも古くから注目されてきた。

第二は築城・普請の類型である。特定の権力者がこの地に城や館を築こうとした、あるいは築いたという語りで、見付の幻の城がこれにあたる。実際に土地の改変や普請の痕跡がある場合も、まったくの記憶のみの場合もあり、痕跡と語りの結びつきは事例ごとに濃淡がある。城之崎城の事例は、普請の記憶が別の史実と合成されて一つの像を結んだ可能性を示しており、この類型の複雑さをよく表している。

第三は賜姓・命名の類型である。土地の者が権力者に功を認められ、姓や名、あるいは特権的な称を賜ったとする語りで、帯金家の賜姓譚がその典型である。この型では、現在まで続く姓や屋号そのものが、伝承の「生きた物証」として機能する。姓が現に存在するという事実が、由来譚に日々の実在感を与え続ける。ただし、姓の存在は姓の由来譚を保証しない。

第四は恩義・報恩の類型である。土地の者が権力者を助け、その恩義に対して権力者が特権や保証を与えたとする語りで、池田の渡船権がこれにあたる。ここでは特権が朱印状という文書の形をとることもあり、文書の実在が語りの信憑性を補強しているように見える。しかし論考190が示したとおり、文書の実在は文書が語る起源譚の史実性とは別である。

これら四類型は排他的ではない。むしろ一つの伝承が複数の類型を兼ねることが多い。帯金家の話は、家康を助けた「恩義」によって「賜姓」に至る点で、恩義と賜姓の複合である。池田の渡船も、船方の働きに家康が応えた「恩義」の型でありながら、渡船権という特権の「起源」を語る点で起源譚の性格も帯びる。真田の姫の墓も、貴種漂着でありながら、姫を託された旧家の由緒という点で家の由緒譚でもある。四類型は独立した箱ではなく、共通の骨格から派生した変奏として理解するのが適切である。

類型として捉えることの効用は、比較の視点が得られることにある。一件の伝承を単独で見ていると、その真偽の判定ばかりに関心が向かう。しかし型として眺めると、なぜこの土地でこの型が選ばれたのか、なぜこの人物がこの型の主役になったのか、という別の問いが立ち上がる。次節で扱う「なぜ家康・真田なのか」という問いも、類型という補助線を引いて初めて明瞭になる問題である。

四類型は独立せず複合する 貴人 姫の墓 築城 幻の城 賜姓 帯金家 恩義 渡船 複合域 恩義から賜姓へ、貴人から由緒へ ── 一件が複数型を兼ねる。
図2 四類型の複合関係。貴人・築城・賜姓・恩義は独立した箱ではなく、重なり合う領域をもつ。帯金家の話は恩義と賜姓の複合として中間に位置する。

4. なぜ家康・真田なのか ── 権威への接続

四論考のうち三つまでが徳川家康を、一つが真田を主役とする。この偏りは何を意味するのか。まず確認しておくべきは、これが磐田だけの現象ではないという点である。家康にまつわる由緒譚は遠江・三河・駿河の各地に濃密に分布し、「家康が立ち寄った」「家康に取り立てられた」という語りは、東海地方の旧家や社寺の縁起にありふれている。したがって磐田の家康伝承の多さは、地域の特殊事情である以上に、この地方に広く見られる語りの傾向の一部である。

そのうえで、なぜ家康なのかを考えると、二つの要因が重なっている。第一に、地理と歴史の要因である。磐田を含む遠江は、家康が武田と抗争を繰り広げた前線であり2、元亀から天正にかけての戦乱の記憶が土地に刻まれている。帯金家の賜姓譚が元亀年間の敗走に、池田の渡船権が天正元年〔1573年〕の朱印状に結びつくのは、この時代の家康がこの地に現に関わっていたという歴史的下地があるからである。伝承は無からは生じにくく、しばしば実在した接触の記憶を核として成長する。

第二に、より重要なのは、権威への接続という働きである。地域が自らの由緒を語るとき、その由緒を誰に結びつけるかは、語りの説得力を左右する。無名の武士に助けられたという話より、後に天下を取る家康を助けたという話のほうが、家の格や場所の由緒を高く位置づける。すなわち、伝承の主役として家康が選ばれるのは、家康が地域の記憶にとって最も有効な「権威の結節点」だからである。真田もまた、大坂の陣で徳川に抗した英雄として、敗者の側の権威を象徴する。姫を託すにふさわしい高貴な血筋として、真田は選ばれている。

この接続の働きは、伝承の真偽とは独立に作動する。仮に帯金家の当主が実際に家康を助けたのだとしても、その出来事が「賜姓」という由緒として語り継がれる過程では、家康の権威が家の由緒を保証するという構図が働いている。逆に、接触の事実がなかったとしても、後世に家の由緒を高めるために家康の名が引き寄せられることもありうる。事実の有無にかかわらず、権威への接続という力が、語りを一定の形へ整えていく。

ここで注意したいのは、権威への接続を語る際に、それを地域の側の「作為」や「仮託」とのみ見なすべきではないという点である。地域が権威に接続しようとするのは、単なる見栄や捏造ではなく、自らの過去を意味づけ、共同体の来歴に筋を通そうとする営みである。過去の断片的な記憶を、家康という誰もが知る座標軸に結びつけることで、記憶は語りやすく、受け継ぎやすい形を得る。権威への接続は、記憶を保存するための一つの技法でもあった。この点を踏まえないと、伝承を単なる誤りとして切り捨てる誘惑に陥りやすい。

したがって「なぜ家康・真田なのか」への答えは、二層になる。表層では、家康や真田がこの地に現に関わった歴史的下地がある。深層では、地域が自らの記憶を中央の権威へ接続することで、来歴に意味と筋を与えようとする働きがある。この二層を区別しておくことが、次節で扱う史実性の問いに答えるための前提となる。

権威への接続の構造 土地の記憶 断片・接触の痕跡 家康・真田 権威の結節点 家・場所の由緒 格・正統の付与 接続の力は、接触の事実の有無とは独立に作動する。 記憶は権威へ結ばれることで、語りやすく継承しやすい形を得る。
図3 権威への接続の構造。断片的な土地の記憶は、家康・真田という結節点を経ることで、家や場所の由緒へと組織される。接続の力は接触の事実の有無から独立している。

5. 伝承は史実になりうるか ── 史料的価値と限界

本節は本稿の中心的な問いを扱う。伝承は史実になりうるのか。この問いに答えるには、まず「伝承が史実になる」という言い方が二つの異なる事態を含みうることを解きほぐさねばならない。

第一の事態は、伝承の存在そのものが史実であるという水準である。赤池に「こひめっこの墓」と呼ばれる石造物が現存し、地域がこれを長く弔ってきたこと。上本郷に帯金家の長屋門が現存し、賜姓譚とともに受け継がれてきたこと。これらは、語りが現に存在し、痕跡を残しているという意味で、確認できる史実である3。誰がいつからそう語り、何を物証として残してきたか──この水準の事実は、墓石や建物や地名として検証できる。伝承の存在は、疑いなく史実の領域に属する。

第二の事態は、伝承の内容が史実であるという水準である。真田の姫が実際に赤池へ託されたのか。帯金家が実際に家康から姓を賜ったのか。家康が実際に渡船権の起点となる意志を示したのか。これらは、語りの内容が過去の出来事と対応するかを問うものであり、第一の水準とはまったく別の検証を要する。そしてこの水準では、四論考のいずれもが「一次史料に突き当たらない」という同じ壁に行き当たっている。

ここで、論考200が明示した区別が決定的な意味をもつ。すなわち「未確認」と「記載なし」の区別である4。「未確認」とは、管見の限り内容を裏づける一次史料に至っていない、という筆者の探索の状態を指す。「記載なし」とは、しかるべき史料を博捜したうえで、その事柄が史料に無いと積極的に確認できた、という別の状態を指す。真田の姫の比定は現状「未確認」であって「記載なし」ではない。史料が存在しないと断定できたわけではなく、突き当たっていないだけである。この違いを曖昧にすると、探索の不足を「史料に無い」と言い換えて伝承を性急に否定したり、逆に未確認を「まだ確認されていないだけ」と言い繕って史実へ格上げしたりする、二方向の誤りが生じる。

では、伝承の内容は永遠に史実になりえないのか。そうではない。伝承の内容が新たな一次史料の発見によって裏づけられれば、それは推定へ、さらには史実へと確度を上げうる。論考190が示したように、家康の朱印状という文書が現に伝わる場合、渡船の特権が記されること自体は文書の水準で確認できる。文書の裏づけを得た部分は、伝承の層から史実の層へ移る。伝承と史実は固定した対立ではなく、史料の発見によって境界が動きうる連続体である5。ただし、文書があってもなお、その文書が語る「起源」の解釈には後世の語りが重なりうる。文書の実在は、記載事項の史実性を保証するが、その事項をめぐる由来譚まで保証はしない。

この理解に立てば、伝承への向き合い方は明確になる。伝承を最初から誤りと決めつけて捨てるのは、確度を上げる史料が将来見つかる可能性を、あらかじめ閉ざす態度である。逆に、伝承をそのまま史実として語るのは、確認されていない内容を確認済みと偽る態度である。本稿が採るのは、そのいずれでもない第三の道である。伝承の存在は史実として記録し、内容は伝承・未確認の層に置いたまま、確度の変化に開いておく。伝承は「史実になりうる」が、「未確認のうちは史実ではない」。この二つを同時に保持することが、伝承に対する誠実な態度であると考える。

伝承と史実の距離 ── 存在は近く、内容は遠い 伝承の存在 =史実 文書の裏づけ =推定〜史実 内容の史実性 =未確認 史料の発見により、境界は右から左へ動きうる。 「未確認」は「記載なし」ではなく、確度の上昇に開かれている。
図4 伝承と史実の距離。伝承の存在は史実に近接し、内容の史実性は未確認の側に遠い。文書の裏づけを得た部分は境界を左へ移動する。境界は固定ではなく可動である。

6. 比較と史料批判 ── 四論考を一表に並べる

ここまでの整理を、四論考を横断する一表にまとめる。目的は、各伝承について「確認できる史実の核」と「未確認にとどまる内容」とを対等の粒度で並べ、確度の層を可視化することにある。特定の伝承を持ち上げたり退けたりする書式を避け、各行の情報量をそろえることで、読者が自ら確度を判断できる状態をつくることを心がけた。

表1 既刊四論考の横断整理 ── 類型・確認できる核・未確認の内容・史料批判上の留意点
論考類型確認できる史実の核未確認にとどまる内容史料批判上の留意点
196 幻の城築城丘陵の地形・城山の地名。家康の築城意志、秀吉配慮による中止。中泉御殿との混同の可能性。年代整合が配慮説を退ける。
200 姫の墓貴人石造物の現存、地域による長い供養。「真田の姫」の比定、幸村個人との関係。未確認であり記載なしではない。確度上昇に開く。
205 帯金家賜姓・恩義長屋門の現存と様式、姓の存在。家康を助けた事実、賜姓の由来。建築の実在は由緒の史実性を保証しない。
190 池田の渡船恩義朱印状の現存、渡船特権の記載。家康個人の意志を起点とみる由来。文書の実在も起源譚までは保証しない。

この一表から読み取れることは三つある。第一に、四論考はいずれも「確認できる史実の核」を必ずもっている。地名、石造物、建築、文書といった痕跡が、語りの現実的な足場となっている。伝承は宙に浮いた作り話ではなく、何らかの物証や地名に係留されている。第二に、しかしその核が語りの内容そのものを裏づける例は一つもない。地形は築城意志を、墓は姫の比定を、門は賜姓を、朱印状は家康の意志を、それぞれ直接には証さない。核と内容のあいだには、常に解釈の飛躍が挟まっている。

第三に、この「核はあるが内容は未確認」という構造は、四論考に共通する。ならば、この共通の限界を理由に、特定の伝承だけを退けることはできない。史料批判の作法として問うべきは、どの伝承が正しいかではなく、各伝承において核と内容のあいだにどれだけの飛躍があり、その飛躍を埋める史料が現状どこまで見つかっているか、である。表の「未確認にとどまる内容」の欄は、そのまま今後の探索の課題一覧でもある。

この横断的な整理は、郷土史の記述に一つの含意をもたらす。地域史を書くとき、私たちはしばしば「本当のところはどうだったか」という問いに引き寄せられ、一つの正解を選び取ろうとする。しかしその態度は、確認できる核と未確認の内容とを混ぜ合わせ、選ばれなかった語りを切り捨てることにつながりやすい。ここで採った腑分けは、そうした性急な一元化を避け、各伝承を、その核と内容の距離を保ったまま記録するための手続きである。この手続きは四つの事例に限らず、磐田の他の伝承にも、そして地域史一般にも適用できる作法であると考える。

7. 地域が伝承を守り続ける意味

最後に、内容の史実性が未確認であるにもかかわらず、地域がこれらの伝承を守り続けてきたこと自体の意味を考えたい。史実性が確認できないのなら、伝承は捨ててよいのか。本稿はそうは考えない。

伝承の内容が未確認であっても、その伝承が長く語り継がれ、墓が弔われ、門が守られ、地名が呼ばれ続けてきたという事実は、それ自体が地域の歴史である。赤池の人々が「こひめっこの墓」を四百年にわたり弔ってきたなら、その供養の連続こそが、確認できる地域史の一部である。帯金家が長屋門を建て替えながら維持し、姓の由来を語り継いできたなら、その継承の営みが、上本郷の来歴を形づくっている。伝承は、内容が史実かどうかとは別に、それを守ってきた人々の行為の集積として、確かな歴史的実体をもつ。

この観点から見ると、伝承を守るという営みは、過去の出来事を保存する行為であると同時に、共同体が自らの来歴を確認し続ける行為でもある。墓を弔い、門を修繕し、由来を語ることは、その土地に生きる者が「自分たちはどこから来たのか」を問い、答え続ける営みにほかならない。伝承の史実性が未確認だからといってこの営みを軽んじれば、確認できるはずの地域史──供養の連続、建物の維持、語りの継承──までもが視野から失われてしまう。

ここに、伝承研究の逆説がある。伝承の内容を史実として鵜呑みにすることは学問的に慎むべきだが、内容が未確認であることを理由に伝承そのものを無価値とみなすこともまた、別の誤りである。前者は確度を偽り、後者は現に存在する地域史を見落とす。本稿が「伝承を誤りと切り捨てず、しかし史実ともしない」という節度にこだわるのは、この二つの誤りを同時に避けるためである。伝承は、それを守り続けた人々の営みごと、記録に値する。

さらに言えば、伝承を守る営みは、しばしば土地そのものと分かちがたく結びついている。墓のある赤池の一画、門の建つ上本郷の屋敷地、渡し場のあった池田の川辺、城の記憶を宿す見付の丘──これらの場所が現に残っているからこそ、語りは係留点を失わずに継承されてきた。場所が失われれば、語りもまた足場を失い、やがて忘却へ向かう。伝承の継承は、土地の継承と地続きの営みなのである。地域の記憶を書き留めることと、その舞台となった土地を次の世代へ手渡すこととは、切り離せない。

伝承を継承させる循環 語り 由来・口碑 場所 墓・門・地名 営み 供養・維持 語りが場所に係留され、場所が営みを呼び、営みが語りを更新する。
図5 伝承継承の循環。語りは墓や門や地名という場所に係留され、その場所が供養や維持の営みを呼び、営みがふたたび語りを継承させる。土地が失われれば循環は途切れる。

8. 結論 ── 伝承と史実のあいだに立つ

本稿は、幻の城・真田の姫の墓・帯金家の賜姓譚・池田の渡船権という四つの伝承を扱った既刊各論を横断し、レビュー論文として総合した。得られた見取り図は次のとおりである。これらの伝承は、貴人・築城・賜姓・恩義という四類型に整理でき、それらは独立した箱ではなく共通の骨格から派生した変奏であった。伝承の多くが家康や真田を主役とするのは、この地方に広がる語りの傾向であると同時に、地域が自らの記憶を中央の権威へ接続し、来歴に筋を与えようとする働きの表れであった。

伝承が史実になりうるかという問いに対しては、二つの水準を峻別することで答えた。伝承の存在そのものは、墓・門・地名・文書として痕跡を残す確認できる史実である。しかし伝承の内容の史実性は、四論考のいずれにおいても一次史料に突き当たらない未確認の層にとどまる。この「未確認」は「記載なし」ではなく、新たな史料の発見によって確度を上げうる。文書の裏づけを得た部分は伝承から史実へ移りうるが、なお起源をめぐる由来譚までは保証されない。伝承は「史実になりうる」が「未確認のうちは史実ではない」──この二つを同時に保持することが、本稿の到達した立場である。

したがって本稿の方法論的主張は明確である。地域の伝承に向き合うとき、私たちは二つの誤りのあいだを歩まねばならない。一方には、伝承をそのまま史実として語り、確度を偽る誤りがある。他方には、内容が未確認であることを理由に伝承そのものを無価値と断じ、それを守ってきた人々の営みという現に確認できる地域史まで見落とす誤りがある。伝承を誤りと切り捨てず、しかし史実ともしない──この「あいだに立つ」節度こそ、確度の層を保ったまま地域の記憶を後世へ手渡すための、唯一の作法であると考える。

二つの誤りのあいだに立つ 切り捨て 伝承を無価値と断ず =地域史を見落とす 本稿の立場 存在は史実 内容は未確認のまま開く 史実化 内容を史実と偽る =確度を偽る 誤りと切り捨てず、しかし史実ともしない ── その節度が中央の立場である。
図6 二つの誤りのあいだに立つ本稿の立場。伝承を切り捨てる誤りと史実化する誤りの双方を避け、存在を史実として記録しつつ内容は未確認の層に置いて確度の変化に開く。

最後に、本稿が残した課題を記しておく。第一に、四類型の抽出は磐田の四事例に基づくものであり、他の伝承を加えれば類型はさらに精緻化されうる。第二に、「未確認」を「推定」や「史実」へ押し上げる作業は、近世・近代の地方文書の博捜という地道な探索を要し、本稿はその入口を示したにすぎない。第三に、伝承と土地の継承が地続きであるという第7節の論点は、空き家や旧家の維持という現代的な課題とも接続する主題であり、稿を改めて論じたい。個別の伝承を一件ずつ検証する作業と、それらを横断して型と原理を取り出す作業とは、車の両輪である。本稿が試みた総合が、今後の個別研究の座標軸となり、また個別研究の蓄積が本稿の見取り図を書き換えていくこと──その往復のなかにこそ、磐田の伝承研究の前進があると考える。

本稿が扱った赤池・上本郷・池田・見付には、伝承とともに受け継がれてきた古い家や土地が数多く残る。筆者は磐田・袋井で不動産と介護の実務に携わる立場から、こうした土地の記憶にも向き合ってきた。家・土地・空き家の整理について相談することができる。歴史を書き留めることと、その舞台となった土地を次の世代へ手渡すことは、地続きの営みだと考えている。

  1. 城之崎城と中泉御殿の混同の可能性については論考196を参照。一つの「幻の城」像が複数の史実の合成でありうるという指摘は、築城類型を検討するうえでの前提となる。
  2. 遠江における徳川・武田の抗争、とりわけ元亀から天正初年にかけての戦局については、論考205および論考190で扱った各事例の年代的背景をなす。個別の戦闘・年代の考証は各論に譲る。
  3. 「こひめっこの墓」の石造物としての現存、および帯金家長屋門の現存については、それぞれ論考200・論考205で扱った。物証の現存は伝承の存在を示す史実であり、内容の史実性とは層を異にする。
  4. 「未確認」と「記載なし」の区別は論考200が明示した方法的枠組みであり、本稿はこれを四事例の横断に適用した。前者は探索の状態、後者は史料の欠如の確認を指す。
  5. 論考190で扱った家康朱印状のように、文書が現に伝わる場合、記載事項は文書の水準で確認できる。ただし文書の存在は、その事項をめぐる由来譚(誰の意志が起点かなど)の史実性までは保証しない。

付記:本稿は既刊の各論(論考190・196・200・205)を先行研究として整理・総合した横断的レビュー論考である。確度の層(史実・通説・推定・伝承)を語の水準で区別し、伝承の存在(墓・門・地名・文書の現存)を史実、伝承の内容(比定・由来・意志)を伝承ないし未確認として腑分けした。

参考文献・参考資料

  • 大石浩之「見付に残る幻の城 ── 城之崎城と徳川家康の築城伝説を検証する」大石浩之の磐田論考 第196号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/196/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 大石浩之「こひめっこの墓 ── 赤池に400年伝わる真田の姫の伝承を読む」大石浩之の磐田論考 第200号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/200/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 大石浩之「帯金家長屋門を読む ── 家康の恩義に由来する姓の伝承」大石浩之の磐田論考 第205号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/205/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 大石浩之「天竜川池田の渡船 ── 家康の証文から始まった渡し場300年」大石浩之の磐田論考 第190号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/190/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 磐田物語 t054「こひめっこの墓」(一般向け記事版) https://iwata-monogatari.net/t054 (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 柳田国男『日本の伝説』新潮文庫、1977年(初刊1929年)。
  • 柳田国男『伝説』岩波新書、1940年。
  • 関敬吾『日本昔話大成』角川書店、1978〜1980年。
  • 大島建彦ほか編『日本伝説大系』みずうみ書房(中部地方の巻)。
  • 磐田市誌編纂委員会『磐田市誌』通史編(磐田市、該当章)。
  • 静岡県編『静岡県史』通史編・資料編(静岡県、近世の該当巻)。
  • 『新編岡崎市史』徳川家康関係史料の項(家康朱印状の性格に関する参考として)。
  • 佐口行正氏所蔵史料。
  • 文化庁「国指定文化財等データベース」 https://kunishitei.bunka.go.jp/ (最終閲覧:2026年7月26日)。