磐田に電灯がともった日 ──
天竜電力と電気の来た道
火の明かりの時代
電気以前の磐田の夜を照らしていたのは、菜種油の行灯、ろうそく、明治以降は石油ランプ、そして街路では秋葉常夜灯の火だった。火の明かりは風に揺れ、油代がかさみ、なにより火事のもとになる。火伏せの信仰があれほど深く根づいたのは、夜の明かりそのものが火災の危険と隣り合わせだったからである。電灯の到来は、単に夜が明るくなるという以上に、「明かり=火」という千年の等式が崩れる出来事だった。
天竜電力 ── 川の力を電気に変える
磐田に電気を運んできたのは、天竜電力という会社である。明治40年(1907年)に設立され、明治41年(1908年)9月、天竜川水系の水力発電によって営業を開始した。暴れ川として恐れられてきた天竜川の水の力を、今度は電気という形で町へ引き込む ── 金原明善の治水が川を「治める」事業だったとすれば、水力発電は川を「使う」事業の新しい形だった。
明治44年、中泉と見付が明るくなった
天竜電力は明治44年(1911年)、中泉町に拠点を設けて磐田方面へ進出し、同年末までに中泉町・見付町・袋井町での供給を始めた。あわせて中泉町二之宮には、出力60キロワットの小さな火力発電所(中泉発電所)も設けられている。水力の送電を火力で補う体制で、町場の電灯需要に応えたのである。60キロワットといえば現代の感覚ではごく小さいが、当時の電灯は一灯数十ワット程度。この小さな発電所が、中泉の駅前商店街(別稿)や見付の本通りの夜を、初めて電気の光で照らした。
天竜電力の設立(明治40年)・開業(明治41年)、明治44年の中泉・見付・袋井方面への供給開始、中泉町二之宮の火力発電所(60kW)は、電気事業史の資料で確認できる。一方、各家庭への普及の速度、最初に点灯した施設・商店がどこだったかといった細部は未確認であり、新聞・町村文書での掘り起こしが待たれる。
電灯から動力へ ── 電気が変えた産業
電気の用途は、明かりから動力へと広がっていく。遠州織物の工場では、人力・足踏みの織機が電動力織機に置き換わり、生産力が跳ね上がった。昭和5年(1930年)には、電気を動力とする光明電気鉄道が磐田駅前から北へ走り出す。人が押した中泉軌道から電車へ ── 交通の動力の変化は、電力網の整備をそのまま映していた。電気は、夜の風景だけでなく、磐田の産業の速度そのものを変えたのである。
再編の果てに ── 会社は変わり、電気は残った
大正から昭和にかけて、全国の電力会社は激しい競争と合併を繰り返した。天竜電力もこの再編の波のなかで大手へ吸収され、戦時下の配電統制(昭和17年)で地域の配電は中部配電に一元化、戦後の再編(昭和26年)を経て、現在の中部電力の系譜に引き継がれた。会社の名前は何度も変わったが、明治44年に張られた電線の先には、いまも磐田の夜の明かりがともっている。
磐田の電気のあゆみ
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 〜明治期 | 行灯・ランプ・常夜灯の火の明かり |
| 明治40年(1907) | 天竜電力設立。明治41年、天竜川水系の水力で開業 |
| 明治44年(1911) | 中泉・見付・袋井方面へ供給開始。二之宮に中泉発電所(火力60kW) |
| 大正〜昭和初期 | 電灯の普及、織物工場の電動化、光明電鉄の開業(昭和5年) |
| 昭和17年(1942)〜 | 配電統制で中部配電へ。戦後は中部電力の系譜に |
スイッチの向こうの百年
スイッチ一つで明かりがつく暮らしは、磐田ではまだ110年余りの歴史しかない。停電の夜にろうそくを探すとき、私たちは束の間、明治44年以前の磐田の夜に戻っている。二之宮の小さな発電所の記憶は、当たり前になった明かりの出発点として、書き留めておく価値がある。
主な参考資料
- Wikipedia「天竜電力」(設立・開業・中泉方面への供給・中泉発電所)
- 『中部地方電気事業史』(中部電力、1995年)
- 磐田物語「秋葉常夜灯」「遠州織物・工場・女性労働」「光明電気鉄道の夢」「磐田駅前・中泉の近代商業」「金原明善と天竜川治水の足跡」
家庭への普及過程など未確認の細部は、本文中でその旨を明示している。
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