磐田郷土史研究紀要
大石浩之の磐田論考 第168号(豊田・熊野絵巻研究 一)
熊野絵巻を読む ── 熊野・千手・朝顔、三人の女性の物語
詞書そのものの構造からたどる史料批判の試み
1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役
要旨
行興寺(磐田市池田)に伝わる熊野(ゆや)絵巻は、しばしば熊野御前の悲話としてのみ語られてきたが、その詞書は熊野・千手・朝顔という三人の女性を配した物語として構成されている。本稿は、熊野御前の史的実在や地名比定には立ち入らず、詞書そのものの場面構成──清水寺の花見、牛車の場面、東山への道行き──に即して物語の骨格を読み、あわせて絵巻という史料の性格を批判的に検討する。ここでは、詞書にそう記されているという水準の事実(史実)と、登場人物の実在や後世の伝え(推定・伝承)とを語の水準で区別し、さらに一次史料に突き当たっていない「未確認」と、史料に記載のない「記載なし」とを区別する。絵巻の成立年代・筆者はいずれも確定せず、詞書における千手・朝顔の役割も現存資料からは十分に確認できない。本稿はこの不確定を欠落として糊塗するのではなく、それ自体を史料批判の対象として記述する立場をとる。
キーワード:熊野絵巻/詞書/熊野御前/千手/朝顔/史料批判/行興寺
1. 問題設定 ── なぜ詞書そのものを読むのか
磐田市池田の行興寺に伝わる熊野絵巻は、遠江国池田の生まれと伝わる女性・熊野御前を主人公とする物語を、絵と詞書(ことばがき)によって語る巻子本である。これまで磐田物語では、この絵巻をめぐって、熊野御前という人物の伝説そのもの、絵巻の成立年代をめぐる論争、行興寺の草創縁起など、いくつかの角度からの紹介を重ねてきた。本稿はそれらと重複しない位置に立つ。ここで読むのは、熊野御前が実在したかどうかでも、絵巻がいつ作られたかでもなく、詞書という本文そのものが、どのような場面をどのような順序で並べ、何を語る物語として組み立てられているか、という一点である。
この視点をとる理由は、熊野の物語がこれまでしばしば、老母を思う和歌の一場面へと切り詰められて語られてきたことにある。都で平宗盛に仕えた熊野が、故郷の母の病を案じて帰郷を願い、清水寺の花見の宴で桜の散るのを見て一首を詠む──この山場は美しく印象的であるがゆえに、物語の全体を代表してきた。しかし提供資料が収める詞書の全文を通覧すると、そこには熊野のほかに千手(せんじゅ)・朝顔(あさがお)という二人の女性が配され、複数の場面が積み重なった、より長い物語の骨格が見えてくる。一場面への切り詰めは、この骨格を視野の外へ追いやってきた。
そこで本稿は、詞書を一つの構成された本文とみなし、その内部構造を読む。ただし、詞書を読むという作業には方法上の慎重さが要る。詞書に「そう書かれている」ことと、そこに書かれた出来事や人物が「史実として実在した」こととは、まったく別の水準の事柄だからである。前者は本文の記載という確実な事実であり、後者は歴史的検証を要する未確定の問いである。両者を混同すれば、物語の登場人物をそのまま歴史上の実在人物として語ってしまう誤りに容易に陥る。本稿はこの二つの水準を一貫して分離し、詞書の記載を記載として、実在の問題を実在の問題として、それぞれの位置に置いたまま扱う。
あわせて本稿は、絵巻という資料そのものの性格にも踏み込む。熊野絵巻は成立年代も筆者も確定しておらず、その本文がいつ、どのような意図で書かれたのかは分かっていない。この不確定は、詞書の読みに直接影響する。にもかかわらず、物語の内容だけを取り出して紹介すると、資料の性格をめぐる問いは背後に隠れてしまう。本稿は逆に、この史料批判上の問いを前面に置き、詞書の内容分析と資料の性格の検討とを、一つの論の両輪として進める。以下ではまず絵巻という史料の性格を確定し、次いで詞書の場面構成と三人の女性を読み、確度の腑分けと物語構造の分析を経て結論に至る。
2. 史料としての熊野絵巻 ── 成立と筆者をめぐる不確定
詞書の内容へ入る前に、それを載せる器である絵巻そのものの性格を確定しておく。この作業を先に置くのは、器の素性が分からないままに中身を論じることが、史料批判の順序として倒錯しているからである。熊野絵巻は、絵と詞書を交互に配し、右から左へと巻き進めながら読む巻子本の形式をとる。詞書は物語の筋を文章で伝え、絵はその場面を視覚化する。この形式は中世に広く行われたものであり、行興寺の熊野絵巻もその系譜のうちにある。
問題は、この絵巻がいつ、誰の手で作られたのかが確定していない点にある。制作年代については、これまで室町期とみる説と江戸期とみる説の双方が示されてきた。県指定文化財としての区分と、絵画・詞書の様式から導かれる年代観との間には、なお開きがある。この年代論そのものは本稿の主題ではなく、既刊の熊野絵巻の成立をめぐる論争で扱った範囲を踏まえるにとどめるが、詞書を読むうえで一点だけ確認しておかねばならないことがある。すなわち、詞書がいつ書かれたのかが定まらない以上、その本文をどの時代の言語感覚・物語意識の産物として読むべきかもまた、確定しないということである1。
筆者についても同様である。詞書を誰が撰し、誰が書写したのかを直接に記す情報は、本稿が参照しうる資料の範囲では確認できていない。これは「筆者が記録されていない(=記載なし)」のか、「記録はあるが筆者が把握できていない(=未確認)」のかを、まず腑分けする必要がある。奥書や識語の有無、料紙や筆跡の検討といった、原物に即した書誌学的な調査を経なければ、この区別は確定できない。本稿はその調査を果たしておらず、したがって現段階では「筆者は未確認」という状態にとどめ、断定を避ける。
この年代と筆者の不確定は、詞書の読みに具体的な制約を課す。第一に、詞書に描かれた宗盛や熊野をめぐる出来事を、どこまで平家の時代の史実の反映として読み、どこから後世の物語意識による造形として読むべきかが、あらかじめ定まらない。第二に、謡曲「熊野」や御伽草子など、熊野をめぐる他の作品と詞書との先後関係が確定しないため、影響の方向を断定できない。第三に、詞書の文言が原初の形をとどめているのか、書写の過程で改変を経ているのかも判断できない。これらはいずれも、詞書を歴史資料として扱う際に避けて通れない限界である。
ただし、これらの限界は詞書を読む作業を無意味にするものではない。むしろ逆である。成立も筆者も確定しないという条件のもとでこそ、本文そのものが何を語り、どう構成されているかという内在的な読みが、確実な足場となる。本文の記載は、年代論や筆者論がどう決着しようとも動かない。詞書に千手・朝顔が登場すること、清水寺の花見が描かれること、牛車の場面が置かれることは、資料に即して確認できる事実である。本稿が「詞書そのものの構造」を出発点に選んだのは、この確実な足場から出発するためでもある2。
3. 詞書の場面構成 ── 花見・牛車・道行
器の性格を確認したうえで、詞書の内部構造を読む。提供資料が収める詞書には、いくつかの明瞭な場面が含まれている。本稿が資料から確認しうる範囲で、その骨格を場面ごとにたどる。ここで述べるのは、あくまで「詞書にそう記されている」という水準の事実であって、それぞれの場面が史実として起こったという主張ではない。
物語の中核に置かれるのは、都・京都東山の清水寺で催された花見の宴である。熊野は都で平宗盛に仕えていたが、故郷・池田の老母の病を案じて帰郷を願い出る。宗盛はこれをにわかには許さず、折しもの花見の宴に同行するよう命じる。宴の最中、舞ううちに時雨が桜を散らすのを見た熊野は、老いた母の姿をそこに重ね、一首の和歌を詠む。この和歌の場面は、既刊の熊野御前ものがたりでも紹介したとおり、物語の情感の頂点をなす。
だが詞書の構成において、この和歌は宙に浮いて置かれているのではない。それは清水寺の花見という宴の場そのものの描写、宴に連なる人々のやりとり、桜と時雨という景物の推移のなかに位置づけられている。華やかな宴の場と、母を思う熊野の沈んだ心情との対比が、この場面に緊張をもたらす。和歌だけを取り出して読むと、この対比の構造は見えなくなる。詞書を場面として読むとは、和歌をこの宴の文脈のなかへ戻して読むことにほかならない。
詞書にはまた、牛車(ぎっしゃ)の場面が含まれているとされる3。牛車は平安期から中世にかけて貴族が用いた乗り物であり、熊野のような身分の女性が都で移動する際に用いられたと考えられる。この牛車の場面が詞書のどの段階に配され、どのような情景を描いているかについては、本稿が参照しうる資料の範囲では具体的な内容を確認できていない。ただし、牛車という都の移動様式が物語に組み込まれていること自体は、この物語が貴族社会の暮らしを背景に構成されていることを示している。
さらに詞書には、都から東国、あるいは都から東山へと至る道のりの描写、いわゆる道行(みちゆき)に相当する部分が含まれていたと考えられる。道行は、地名を次々と連ねながら旅の情景と心情を重ねて描く、中世文学に広く見られる技法である。謡曲「熊野」では、都から東国への帰郷の道のりが、車宿・逢坂の関・四条五条の橋・清水寺・地主権現などの名所を織り込みながら謡われることが知られる。熊野絵巻の詞書における道行の具体的な文言や地名の順序については、本稿の範囲では確認できていないが、都の華やぎから遠江の鄙びた風景へと移り変わる情景の変化が、熊野の心の動きに重ねられていたと推測される。
これら三つの場面──清水寺の花見、牛車、道行──を並べると、詞書が都という一点に閉じた物語ではなく、都から東国へと空間的な広がりをもって展開する物語であることが見えてくる。牛車が都のなかの移動を、道行が都から遠江への移動を担い、その両端に宴という静止した場面が置かれる。移動と静止、都と鄙、華やぎと沈鬱という対の構造が、場面の配列そのものに織り込まれている。
ここで、絵巻という形式が詞書の読みに与える条件にも触れておきたい。絵巻では、詞書と絵が交互に配され、一段の詞書に対して一図の絵が対応するのが通例である。とすれば、詞書のどこで段が切れ、どの場面に絵が与えられているかは、物語の強弱を測る手がかりとなる。絵を伴う場面は、作者がとりわけ視覚化に値すると判断した山場であることが多いからである。清水寺の花見や牛車の場面に絵が配されているとすれば、それらは詞書の側でも重い場面として意識されていたと推せる。ただし、本稿は現物の段構成と絵の配置を実見しておらず、この対応関係の確認は今後の課題として残さざるをえない。詞書の文言だけを追う本稿の読みが、絵を欠いた片肺の読みであることは、あらかじめ断っておく。
4. 三人の女性 ── 熊野・千手・朝顔
詞書のもう一つの特徴は、熊野一人ではなく、千手・朝顔を加えた三人の女性を配している点にある。この三人が物語のなかでどのように関係し、それぞれどのような役割を担うのかは、詞書を構成として読むうえで避けて通れない問いである。ただし、ここでもまた資料の限界を明示しておかねばならない。三人のうち、詞書における役回りを比較的たどりうるのは熊野であり、千手・朝顔については、その具体的な役割を本稿が参照しうる資料の範囲では十分に確認できていない。
熊野は、遠江国池田の生まれと伝わる女性で、平宗盛に寵愛され、老母の病を案じて帰郷を願う人物として描かれる。これは詞書全体の縦糸をなす筋であり、清水寺の和歌もこの筋の頂点に置かれる。千手については、御伽草子「烏帽子折」に、当時の美人の誉れが高かった五人の女性の名が並ぶなかで、その一番として手越(駿河国)の長者の娘・千手の前が、二番として遠江国池田の熊野が挙げられていることが知られる4。熊野絵巻の詞書は、この「烏帽子折」の枠組みとは別に、熊野と千手という二人の女性を、宗盛をめぐる物語のなかに配している。両者が詞書のなかでどう関わるのか、その関係の詳細は資料上確認できていないが、千手が熊野と並ぶ重要な登場人物として置かれていること自体は、資料の構成から読み取れる。
朝顔は、三人目の女性である。この人物は、熊野をめぐるこれまでの紹介ではほとんど触れられてこなかった。朝顔がどのような立場で物語に加わり、熊野・千手とどう関係するのかについても、本稿の範囲では詳細を確認できていない。しかし、朝顔という三人目が置かれているという事実そのものが、熊野の物語が単独の悲話ではなく、複数の女性の境遇を織り込んだ、より重層的な物語として構成されていたことを示している。この点は、和歌の一場面へと切り詰められた従来の紹介では伝えられてこなかった側面である。
三人の女性の関係を、確認できる事実と未確認の事項とに分けて整理すると、次の表のようになる。ここで重要なのは、各人物について「詞書に登場する」という記載の水準の事実と、「他の作品での言及」「史的実在」という別の水準とを、行ごとに区別して並べることである。情報の粒度をそろえ、確認できない欄を空白として糊塗せず「未確認」と明記することで、読者が各人物の資料的な位置を自ら判断できる状態をつくることを心がけた。
| 人物 | 詞書での位置(記載の水準) | 他作品・伝えでの言及 | 詞書における役割の確認状況 |
|---|---|---|---|
| 熊野(ゆや) | 物語の縦糸をなす主人公。宗盛に仕え、老母を案じ帰郷を願い、清水寺で和歌を詠む。 | 謡曲「熊野」、御伽草子「烏帽子折」(五美人の二番)などに見える。 | 比較的たどりうる。ただし史的実在は本稿では推定の域を出ない。 |
| 千手(せんじゅ) | 熊野と並ぶ登場人物として配される。 | 「烏帽子折」に手越の長者の娘・千手の前として五美人の一番に挙がる。 | 熊野との関係・宗盛とのやりとりの詳細は未確認。 |
| 朝顔(あさがお) | 三人目の女性として詞書に登場する。 | 本稿の範囲では、他作品での対応する言及を確認できていない。 | 立場・役割ともに未確認。従来の紹介では触れられてこなかった。 |
この不均等をどう受けとめるかは、詞書研究の姿勢に関わる。手がかりの多い熊野を軸に据え、千手・朝顔をその添え物として周縁に置く読み方は、資料の豊かさをそのまま物語の重要度に読み替える点で、方法上の危うさをはらむ。他作品に痕跡を残さない人物が、詞書のなかでは中心的な役割を担っていた可能性は、原理的に排除できないからである。むしろ、朝顔のように他に手がかりを欠く人物こそ、詞書という個別の本文が独自に語ろうとしたものを映している場合がある。したがって本稿は、資料の多寡を役割の軽重に短絡させず、三人をひとまず対等の登場人物として並べたうえで、各人の確認状況を別に記す方針をとる。
この表から見えてくるのは、三人が資料的にきわめて不均等な位置にあるという事実である。熊野は複数の作品に痕跡をとどめ、千手も「烏帽子折」という別系統の資料に対応する名が見えるのに対し、朝顔については詞書以外の手がかりを本稿は握れていない。この不均等それ自体が、詞書という資料の性格をよく物語る。すなわち、詞書は既知の物語群の登場人物だけで組み立てられているのではなく、他に手がかりを欠く人物をも含み込んでいる。朝顔の存在は、詞書がなお十分に読み解かれていない本文であることの徴である。
5. 確度の腑分け ── 記載・実在・伝えを分ける
ここまで詞書の場面と人物を読んできたが、その全体を整理するには、確度の層を明示的に腑分けする枠組みが要る。熊野絵巻をめぐる言説は、しばしば異なる水準の事柄を一つの平面で語ってしまう。詞書に書かれていること、その人物が実在したかどうか、後世に地域で語り継がれてきたこと──これらは確度の異なる別の層であり、混同すれば議論は混乱する。本稿は次の四層を語の水準で区別する。
第一の層は史実である。ただし本稿における「史実」は、限定された意味で用いる。それは「詞書にそう記されている」という水準の事実、すなわち絵巻という現存する資料に即して確認できる記載の事実を指す。清水寺の花見が描かれること、牛車の場面が含まれること、千手・朝顔が登場することは、この意味での史実である。これらは絵巻が現に伝える以上、動かない。
第二の層は推定である。詞書に描かれた熊野・千手・朝顔が、歴史上実在した女性であったかどうか、また熊野が遠江国池田の生まれであるという出自の比定が正しいかどうかは、詞書の記載とは別に検証を要する問いであり、現状では推定の域を出ない。物語の登場人物が実在の人物に基づく可能性は否定できないが、それを裏づける独立の一次史料を本稿は握っていない。したがって人物の実在や地名比定は、史実の欄ではなく推定の欄に置く。
第三の層は伝承である。行興寺と熊野御前を結ぶ由緒、池田の地に熊野を偲ぶ記憶が語り継がれてきたこと、長藤に寄せられた思いなどは、地域が長く保持してきた伝えであり、伝承の層に属する。伝承は史実の劣位に置かれるべきものではないが、詞書の記載や人物の実在とは異なる水準の事柄として、その位置を保ったまま扱う必要がある。
第四に、これら三層の全体を貫いて、本稿は「未確認」と「記載なし」を区別する。「未確認」とは、管見の限り、それを裏づける一次史料に突き当たっていない状態を指す。「記載なし」とは、しかるべき史料を調べたうえで、そこに記載がないと確認できた状態を指す。両者はまったく異なる。たとえば、詞書の筆者について本稿が言いうるのは「未確認」であって「記載なし」ではない。奥書や識語の調査を経ていない以上、記録が存在しないと断ずることはできないからである。同様に、朝顔の他作品での言及も、本稿の範囲で「確認できていない」のであって、「どこにも存在しない」と証明したわけではない。この区別を曖昧にすると、調査の不足を資料の不在へとすり替える誤りが生じる。
この四層の腑分けは、単なる用語の整理ではなく、記述の作法そのものである。詞書を読むとは、記載を記載として、実在を推定として、地域の伝えを伝承として、それぞれの層に正しく置き分ける作業を伴う。層をまたいで断定すること──たとえば詞書に朝顔が登場するという記載から、朝顔という女性が実在したと結論することは、確度の水準を一段跳び越える誤りである。本稿はこの跳躍を避け、各事項を属する層にとどめる5。
6. 物語構造の分析 ── 帰郷の願いと宴の対比
場面と人物を確度の層に置き分けたうえで、最後に詞書を一つの物語として、その構造を分析する。ここで問うのは、詞書がどのような対立と緊張を軸に組み立てられているか、である。詞書の場面配列を通覧すると、物語を駆動している中心的な対立が浮かび上がる。それは、都にとどまることと故郷へ帰ることとの間の、熊野の引き裂かれた心である。
熊野は都で宗盛に仕え、寵愛を受ける身にある。一方で、故郷・池田には病んだ老母がいる。帰郷の願いは、この母への思いに発する。しかし宗盛はにわかに許さず、あまつさえ花見の宴に同行を命じる。ここに、都の権力と華やぎが熊野を引きとどめる力として働き、母への思いが熊野を故郷へ引く力として働く、二つのベクトルの対立が生じる。清水寺の和歌は、この対立が最も高い緊張に達した瞬間に置かれている。桜の散るのを母の姿に重ねる比喩は、宴の華やぎ(都)と母の老い(故郷)という二つの極を、一首のうちに凝縮する。
この対立構造から見ると、場面の配列は偶然の羅列ではなく、緊張の高まりと解放に沿って組織されていると読める。宴という静止の場面で対立が極点に達し、道行という移動の場面がその解放──都から故郷への移動──を担う。牛車の場面は、この対立が生じる以前の、都での日常の移動を描くものとして、緊張の前景に置かれると解しうる。もっとも、この配列の解釈は、本稿が資料から再構成しうる範囲での推論であり、詞書の現物の段構成がこの通りであると確定したものではない。
この対立の型は、熊野の物語に固有のものではなく、公への奉仕と私の情との板ばさみという、中世の物語が繰り返し描いてきた主題の一つである。仕える身の女性が、主君の命と肉親への情との間で引き裂かれるという構図は、宮仕えを背景とする物語群に広く見られる。熊野絵巻の詞書がこの型を踏まえていることは、この物語が孤立した地方の伝えではなく、より大きな物語の伝統のうちに置かれていたことを示唆する。ただし、詞書がその伝統をどの経路で受け取ったのかは、成立年代が定まらない以上、なお確定できない。
三人の女性という構成も、この物語構造のなかに位置づけうる。もし千手・朝顔が、それぞれ宗盛をめぐる別の境遇を担う人物として配されているのだとすれば、熊野一人の帰郷譚は、女性たちの複数の境遇を映し合わせる、より大きな枠組みのなかの一つの糸として読める。ただし、これは千手・朝顔の役割が未確認である以上、あくまで一つの可能性として述べるにとどめる。三人の関係が実際にどう組まれているかは、詞書の全文により踏み込んだ読解を経なければ確定できない。
ここで、謡曲「熊野」や御伽草子「烏帽子折」といった他の作品との関係にも触れておく。これらの作品と熊野絵巻の詞書は、熊野という人物や清水寺の和歌といった要素を共有する。しかし、前章で述べたとおり、詞書の成立年代が確定しない以上、詞書がこれらの作品に先立つのか、後続するのか、あるいは共通の源泉から派生したのかは断定できない。したがって、詞書の物語構造を謡曲や御伽草子の構造から説明することも、逆に詞書を起点にこれらを説明することも、いずれも慎重でなければならない。本稿は、詞書の構造をまず詞書に即して読み、他作品との関係の確定は今後の課題として残す立場をとる。この一般向けの物語紹介としては熊野絵巻を読む(一般向け記事版)を、文化財としての位置づけについては熊野絵巻をあわせて参照されたい。
7. 結論 ── 欠落を史料批判の対象として記述する
本稿は、行興寺に伝わる熊野絵巻を、熊野御前の実在や絵巻の成立年代ではなく、詞書そのものの構造という一点から読んだ。得られた見取り図は次のとおりである。詞書は、清水寺の花見・牛車・道行という場面を都から遠江への空間軸のうえに配し、熊野・千手・朝顔という三人の女性を宗盛のもとに結び、都にとどまる力と故郷へ帰る力の対立を軸に組み立てられた、一つの構成物である。従来しばしば和歌の一場面へと切り詰められてきたこの物語は、本来この骨格の全体をもって読まれるべきものであった。
同時に本稿は、この読みが立つ足場の限界を繰り返し確認してきた。絵巻の成立年代は室町期説・江戸期説が併存して確定せず、筆者は未確認である。千手・朝顔の役割、牛車の場面の詳しい情景、道行の正確な文言と地名の順序は、いずれも本稿が参照しうる資料の範囲では確認できていない。これらは詞書研究における明白な欠落である。しかし本稿の立場は、この欠落を欠点として糊塗したり、推測で埋めて滑らかな物語に仕立てたりするのではなく、欠落そのものを史料批判の対象として明記することにある。何が確認でき、何が未確認で、何がそもそも記載を欠くのか──その腑分けを保つことが、詞書を後世の調べものに耐える形で残す方途である。
この立場から、本稿は三つの水準の区別を一貫して保った。第一に、詞書にそう記されているという記載の水準(史実)と、人物の実在や地名比定(推定)と、地域の伝え(伝承)とを、語の水準で分けた。第二に、一次史料に突き当たっていない「未確認」と、調べたうえで無いと確認できた「記載なし」とを区別した。第三に、詞書の内在的な読みと、謡曲・御伽草子など他作品との関係とを切り離し、成立の先後が確定しないうちは影響の方向を断定しないこととした。これらの禁欲的な手続きは、物語を痩せさせるように見えて、実は詞書の輪郭を正確に描くための最小限の作法である。
最後に、本稿が残した課題を明記する。第一に、絵巻の原物に即した書誌学的調査──奥書・識語の有無、料紙・筆跡の検討──は、成立年代と筆者をめぐる未確認を、記載なしか記録の逸失かへと一歩腑分けする鍵となる。第二に、詞書全文の精読は、千手・朝顔の役割と三人の関係構造を、推測から確認へと押し上げる余地をもつ。第三に、謡曲「熊野」・御伽草子「烏帽子折」との本文比較は、詞書の物語がどの伝統のうちに位置するかを、影響の方向を含めて明らかにしうる。これらはいずれも、本稿が設定した確度の腑分けの枠組みのなかで、未確認を確認へ、推定を通説へと積み上げていく作業に属する。切り詰められた一場面ではなく、三人の女性を配した詞書の全体を、その不確定ごと記述の対象に据えること──その地道な手続きの先にこそ、行興寺の熊野絵巻という一巻が本来語ろうとした物語の姿が、少しずつ像を結んでいくはずである。
注
- 熊野絵巻の制作年代をめぐる室町期説・江戸期説の対立については、磐田物語「熊野絵巻の成立をめぐる論争」(t035)に整理がある。本稿は年代論そのものには立ち入らず、成立年代の不確定が詞書の読みに課す制約のみを扱う。↩
- 本文の記載は、年代論・筆者論の決着とは独立に確認できる。詞書に千手・朝顔が登場すること、清水寺の花見・牛車の場面が含まれることは、絵巻という現存資料に即した事実である。本稿はこの水準の事実を「史実(記載)」と呼ぶ。↩
- 牛車の場面が詞書に含まれる点は提供資料により確認できるが、その配置と具体的な情景は本稿の参照範囲では未確認である。牛車は平安期から中世にかけて貴族が用いた乗り物である。↩
- 御伽草子「烏帽子折」に五人の美女の名が並び、一番が手越(駿河国)の長者の娘・千手の前、二番が遠江国池田の熊野とされる。この枠組みは熊野絵巻の詞書とは別系統の資料である。↩
- 層をまたぐ断定の例として、「詞書に朝顔が登場する」(記載=史実)から「朝顔が実在した」(実在=推定)を結論することが挙げられる。本稿はこの跳躍を避け、各事項を属する層にとどめる。↩
付記:本稿は一般読者向け記事 t034「熊野絵巻を読む」の内容を、郷土史研究者向けに史料批判の観点から再構成した論考版である。確度の層(詞書の記載=史実・人物の実在=推定・地域の伝え=伝承)を語の水準で区別し、あわせて「未確認」と「記載なし」を区別した。
参考文献・参考資料
- 『熊野ものがたり』豊田郷土を研究する会編、平成21年(2009年)3月31日発行(「熊野絵巻(巻子本、詞書全文)」pp.3〜23を収録)。
- 行興寺蔵「熊野絵巻」(巻子本、詞書)。
- 御伽草子「烏帽子折」。
- 謡曲「熊野(ゆや)」。
- 磐田市『磐田市史』通史編(磐田市、該当章)。
- 静岡県教育委員会編『静岡県の文化財』県指定有形文化財(絵画)の項。
- 行興寺由緒書・寺伝関係資料。
- 磐田物語 t034「熊野絵巻を読む ── 熊野・千手・朝顔、三人の女性たちの物語」 https://iwata-monogatari.net/t034.html (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 磐田物語 t033「熊野御前ものがたり ── 池田に生きた伝説の女性と行興寺」 https://iwata-monogatari.net/t033.html (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 磐田物語 t035「熊野絵巻の成立をめぐる論争 ── 室町か、江戸か」 https://iwata-monogatari.net/t035.html (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 磐田物語 t027「熊野絵巻」 https://iwata-monogatari.net/t027.html (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 大石浩之「大石浩之の磐田論考」既刊各号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/ (最終閲覧:2026年7月26日)。