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磐田物語 / 磐田のバス交通史
磐田共通 | 交通史

磐田のバス交通史 ──
「ユーバス」の挑戦と、2015年の路線廃止

鉄道や国道の陰で、あまり語られてこなかったバス交通。磐田市には、遠州地方で初めてのコミュニティバスや、日本初のICカード乗車券を導入した先進的な自主運行バスがあった。その挑戦と、2015年に多くの路線が姿を消した転換点をたどる。

前史 ── 鉄道と競い、鉄道の跡を継いだ乗合バス

磐田のバスの歴史は、コミュニティバスよりずっと前に始まっている。別稿(なぜ鉄路は消えたのか)で扱ったとおり、昭和初期にはすでに乗合バスが台頭し、中泉軌道や光明電気鉄道といった地域の鉄道にとって最大の競争相手となっていた。線路という固定設備を持たないバスは、道路さえあればどこへでも路線を伸ばせる。鉄道が消えたあとの区間の足を引き継いだのもバスであり、戦後は遠州鉄道などの民間路線バスが、磐田駅を起点に市域へ路線網を広げた。つまり磐田のバスは、鉄道の「敵」として現れ、鉄道の「後継者」として定着し、やがて自らも縮小の時代を迎える ── という三幕の歴史を歩んできたことになる。本記事で扱うコミュニティバスの盛衰は、その第三幕にあたる。

市がみずから走らせた、自主運行バス。 磐田市が関わってきたバスには、大きく分けて二つの種類があった。一つは、既存のバス事業者(遠州鉄道等)が運行する民間路線バス。もう一つは、市が費用を負担し、地域の生活交通を維持するために走らせる「コミュニティバス」「自主運行バス(自治体バス)」である。磐田物語の別稿で触れた磐田駅の専用線や、光明電気鉄道のように、鉄道の廃線・縮小が進むなかで、地域の足を確保する役割を担ったのが、こうした自治体主導のバスだった。

遠州初、そして日本初 ── 「ユーバス」の先進性。 その代表格が「ユーバス」である。ユーバスは、平成の大合併前の磐田郡豊田町が、1997年(平成9年)10月1日に走らせ始めた、遠州地方で初めてのコミュニティバスである(2005年の合併により磐田市へ引き継がれた)。特筆すべきは、運行開始と同時に、日本で初めてのICカード乗車券「ユーバスカード」を導入したことである。JR東日本のSuicaが登場する2001年より4年も早く、しかもFeliCaではなくフィリップス社系の非接触方式(ISO14443 Type-A)を採用した独自のシステムだった。全国の交通系ICカードがまだ存在しなかった時代に、一地方の町のコミュニティバスが世界水準のカード乗車を実現していたという事実は、磐田の交通史における、あまり知られていない先進性の証である。カード自体は2006年(平成18年)に利用を終え、回数券に引き継がれた。

確認できること・できないこと
ユーバスの運行開始日(1997年10月1日)、旧豊田町による導入であること、ユーバスカードが日本初のICカード乗車券でISO14443 Type-A方式を採用していたこと、2006年に利用終了したことは、資料で確認できる。一方、カード発行枚数や利用実績の推移など運用の詳細は、今回のWeb調査の範囲では確認できていない。

2015年、多くの路線が姿を消した日

しかし、こうした自主運行バスの多くは、2015年(平成27年)3月31日をもって、大きな転換点を迎える。この日、磐田市が運行してきた自主運行バスのうち、磐田線を除くほぼすべての路線が廃止されたのである。廃止された路線には、向笠原線・岩田線・桶ケ谷沼線・天竜長野線・鮫島大原線、そしてユーバス、磐田温水プール・磐田市立病院線が含まれていた。かつて先進的な取り組みで知られたユーバスも、この廃止対象の一つだったのである。

路線バスという形態を維持したまま利用者数の減少に対応することが難しくなった結果、磐田市はデマンド型乗合タクシー「お助け号」という、より柔軟な交通手段への転換を選んだ。あらかじめ決まった時刻表・ルートを走る路線バスとは違い、利用者の予約に応じて運行する仕組みであり、人口減少・高齢化が進む地域の生活交通を維持するための、現実的な選択だったといえる。

自治体バスと、民間路線バスの違い。 ここで整理しておきたいのが、市が費用を負担する自主運行バスと、遠州鉄道等が運行する民間路線バスの違いである。磐田駅を発着する民間路線バスは、2015年の再編以降も一定の系統を維持しており、磐田市内の移動手段としては、今もこちらが中心的な役割を担っている。市が独自に走らせた自主運行バスの多くが姿を消した一方で、採算の取れる幹線については民間事業者による運行が続いてきたことになる。この住み分けは、地方都市における公共交通の維持が、「誰が費用を負担し、どの路線を残すか」という選別のうえに成り立っていることを、静かに物語っている。

今も残る、磐田線という一本の糸。 2015年の大幅な路線再編のなかで、唯一存続したのが「磐田線」である。磐田線は、磐田市・袋井市・森町の3市町が共同で秋葉バスサービスに運行を委託する自主運行バスで、磐田駅と森町とを結んでいる。平日のみの運行ではあるが、複数の自治体にまたがる広域路線として、現在まで生き延びている。多くの路線が姿を消したなかで、この一本が生き残った背景には、森町方面との広域的なつながりを維持する必要があったことがうかがえる。

鉄道の廃線(光明電気鉄道)、専用線の廃止(磐田駅の工場引込線)、そしてコミュニティバスの縮小――磐田の交通史をたどると、時代とともに公共交通の形が絶えず組み替えられてきたことがわかる。華やかな開業の記憶だけでなく、静かに役目を終えていった路線の記憶にも、目を向けておきたい。

1997年10月1日旧豊田町がユーバス運行開始。遠州初のコミュニティバス
ユーバスカード日本初のICカード乗車券(ISO14443 Type-A方式)。Suicaより4年早い。2006年利用終了
2015年3月31日磐田線を除く自主運行バス各路線(向笠原線・岩田線・桶ケ谷沼線・天竜長野線・鮫島大原線・ユーバス・磐田温水プール磐田市立病院線)が廃止
転換先デマンド型乗合タクシー「お助け号」
現存する路線磐田線(磐田市・袋井市・森町の共同運行、平日のみ)

主な参考資料

カード発行枚数・利用実績等の運用詳細は今回のWeb調査では確認できておらず、本文中で確認できた点とできない点を区別して記している。

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この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料をもとに、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。