失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語 / 遠州灘の砂丘・海岸線・防潮堤
海岸・防災 | 福田・竜洋

遠州灘の砂丘・海岸線・防潮堤 ──
令和の「静岡モデル」がつなぐ防災の記憶

遠州灘に面した福田・竜洋の海岸線は、砂と風とのたたかいの歴史そのものだった。明治以来の黒松防風林から、令和のいま完成に近づく防潮堤「静岡モデル」まで――砂丘という同じ舞台の上で、時代ごとに形を変えてきた防災の記憶をたどる。

遠州灘の海岸線という舞台

竜洋・福田の沿岸は、太古から砂と風にさらされてきた土地である。縄文海進期には汽水湖がひろがり、その後の砂丘形成によって海岸線の姿が定まっていった。この古代の海岸線の記憶については太古の竜洋と大の浦で扱っている。

先人の対策 ── 黒松防風林という知恵。 飛砂に苦しんだ竜洋・福田の人々は、明治期以降、黒松の防風林を築くことでこれに対抗してきた。竜洋大砂丘の防風林については竜洋大砂丘と防風林の維持管理で、豊浜の砂丘については豊浜の砂丘と黒松防風林で、それぞれ詳しく扱っている。これらの防風林は、いまも保全活動が続けられている、地域が守り続けてきた財産である。

3.11が変えた海岸線への向き合い方。 この海岸線に対する行政と住民の意識は、平成23年(2011年)の東日本大震災を境に大きく変わった。東北の沿岸を襲った巨大津波の映像は、遠州灘に面する磐田市にとっても、他人事ではなかった。静岡県は震災直後の平成23年9月、「ふじのくに津波対策アクションプログラム(短期対策編)」を取りまとめ、従来の想定を超える最大クラスの津波、いわゆる「レベル2」の津波にどう向き合うかという課題に着手した。

それまでの海岸堤防は、比較的発生頻度が高く、東海地震などで想定される「レベル1」の津波高を基準に整備されてきた。しかし東日本大震災は、数百年に一度という「レベル2」の巨大津波が現実に起こりうることを示した。すべての海岸をコンクリートの壁で覆うことは、費用の面でも景観の面でも現実的ではない。そこで静岡県が打ち出したのが、既存の砂丘・海岸防災林を土台に、盛土や特殊な工法で嵩上げ・補強する「静岡モデル」という考え方だった。これは、津波の想定浸水域や地域の合意状況に応じて、21ある沿岸市町のうち条件が整った地域から順に整備を進めるという、静岡県独自の現実的なアプローチである。令和のいま、磐田市・湖西市・袋井市・掛川市・牧之原市・吉田町・焼津市の7市町で、この「静岡モデル」による整備が実施されている。

令和の防潮堤 ──「静岡モデル」という新しい対策。 磐田市の防潮堤は、南海トラフ巨大地震で想定される最大クラスの津波から市街地を守るため、高さ14m、延長11kmという規模で計画されている。この高さは、地盤沈下などを考慮したうえでレベル2の津波に対応する水準として設定されたもので、県の試算では、この高さの防潮堤によって住宅地の浸水面積を約8割減らし、浸水深2m以上となる住宅地はおよそ98%減らせるとされている。

「静岡モデル」は、コンクリートの壁だけに頼るのではなく、既存の砂丘への盛土や海岸林の整備を組み合わせたハイブリッド型の防潮堤であり、明治以来の黒松防風林の伝統と、どこかで地続きの発想だといえる。静岡県の治山事業「ふじのくに森の防潮堤づくり」は、平成26年度(2014年度)から、塩害や松食い虫の被害で衰えた海岸防災林を再生し、市民の憩いの場ともなる緑の堤防をつくる取り組みとして始まった。令和元年度(2019年度)からは、すでに一定の機能を備えた健全な区間についても、さらなる機能強化のための整備が可能になっている。

整備にあたっては、場所ごとの地形や条件に応じて工法が使い分けられている。竜洋海洋公園工区や防災林工区のように用地に余裕がある区間では土を盛る「盛土工法」が中心となる一方、住宅地に近く堤防の幅を広く取れない区間では、川砂利などの土砂にセメントと水を加えて固める「CSG工法」(Cemented Sand and Gravel)が採用されている。CSGは台形状の断面に締め固めることで、繰り返し押し寄せる津波や地震動に対しても、越流や浸透による破壊に強いとされる工法で、浜松市や東北の被災地でも実績がある。磐田市の防潮堤は、竜洋海洋公園工区(約1.6km)、海岸保全工区(約1km)、防災林工区(約7.5km)、太田川右岸工区(約0.3km)の4つの工区に分けて整備が進められており、このうち太田川右岸工区は平成28年度(2016年度)にひと足早く完成している。

竜洋地区の整備区間と進捗

竜洋地区では、天竜川左岸河口から竜洋海洋公園を経て、駒場海岸観光駐車場の地先までの約1.6kmの区間で、盛土による高さ14mの防潮堤が竜洋海洋公園と一体的に整備され、広葉樹などの植林も行われている。海水浴やマリンスポーツで親しまれてきた公園の姿を保ちながら、その地下に津波を防ぐ土台を築くという、レクリエーションと防災を両立させた整備の形である。令和7年度(2025年度)には新たに3.3kmが完成し、磐田市内の完成延長は9.3km、全体の91.5%に達する見込みで、令和8年度(2026年度)には残る区間も完成し、11km全線がつながる予定である。

隣接する浜松市では、平成25年(2013年)に着工した約17.5kmにおよぶ防潮堤が令和2年(2020年)3月に完成しており、地元企業1社の寄付を核として国・県・市が費用を分担する官民一体の事業として知られている。遠州灘沿岸では、こうした市境をまたいだ巨大な防災インフラが、一続きの海岸線として姿を現しつつある。

竜洋の地の利と、地元企業による支援。 磐田市の防潮堤整備を語るうえで欠かせないのが、地元企業スズキによる寄付である。スズキは竜洋地区の沿岸に二輪車のテストコースを保有しており、この地を今後も使い続けるために市と協議のうえ、令和2年(2020年)8月、防潮堤整備の促進費用として28億円を寄付した。一企業からの寄付としては当時、磐田市にとって過去最高額だったと報じられている。当時会長だった鈴木修氏は「市の予算が足りないということなので、寄付をした」と述べたと伝えられ、地元企業が防災インフラの整備を資金面で後押しする、令和らしい官民連携の一場面となった。

その後も磐田市の防潮堤整備は続けられ、令和7年(2025年)10月31日には、スズキが大規模地震・津波災害への備えとしてさらに10億3千万円を追加寄付したことが発表され、同社からの累計寄付額は39億円に達している。竜洋の海岸線は、かつて黒松防風林を育てた地域住民の労力によって守られてきたが、令和の防潮堤は、行政の事業費に加えて、この土地に根を下ろす地元企業の資金という、新しい形の「地域の力」によっても支えられているといえる。

古代縄文海進による汽水湖、その後の砂丘形成で海岸線が定まる(r018)。
明治期以降黒松防風林による飛砂対策(r010・f006)。現在も保全活動が続く。
2011年9月東日本大震災を受け、県が「ふじのくに津波対策アクションプログラム(短期対策編)」を策定。
2014年度〜静岡県「ふじのくに森の防潮堤づくり」開始。磐田市も静岡モデルによる整備に着手。
2016年度太田川右岸工区(約0.3km)が完成。
2019年度〜健全区間でも機能強化整備が可能に。
2020年8月スズキが磐田市の防潮堤整備へ28億円を寄付。
2025年度磐田市内、完成延長9.3km(全体の91.5%)見込み。
2025年10月スズキが追加で10億3千万円を寄付(累計39億円)。
2026年度高さ14m・延長11kmの防潮堤、完成予定。
史実と考察の区別
防潮堤の整備状況・年度・延長・高さ・寄付の経緯は、磐田市・静岡県の公式資料や報道で確認できる史実である。一方、「静岡モデル」の設計思想が明治以来の黒松防風林の伝統を継承したものだ、という見方や、地元企業の支援を「新しい形の地域の力」と位置づける記述は、地域史としての連続性を指摘する考察であり、公式にそう説明されているわけではない点に留意されたい。なお、竜洋海洋公園工区の完成年度や太田川右岸工区の完成時期以外の細かな工区別スケジュールについては、公式資料の更新により変動しうるため、最新の状況は磐田市公式ウェブサイトを参照されたい。

主な参考資料

あわせて読みたい

← トップへ戻る 関連記事 ── 竜洋大砂丘と防風林の維持管理 →

この地域の家・土地・空き家について

古い地名や集落の成り立ちを調べていると、 家や土地には、登記簿だけでは分からない地域の記憶が残っていることがあります。

相続した家、空き家、使わなくなった土地について、 「売る・貸す・残す」の前に、一度整理して考えたい方は、 富士ヶ丘サービス株式会社までご相談ください。

この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料をもとに、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。