失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語 / 磐田の子どもの遊び
磐田共通・子ども生活史

磐田の子どもの遊び ── 昭和30年代までの路地・原っぱ・手作り玩具

遊びは懐かしい名前の一覧ではない。車の少ない路地、田畑や川、身近な竹・紙・木の実、年上から年下へ伝わる規則がそろって成立した子どもの社会である。昭和30年代までの記録を、場所、材料、仲間、季節の四つから読み直す。
場所、材料、仲間、季節が重なって成立する子どもの遊び
記事固有の論点図。本文で扱う関係を、史料の読み順に沿って整理した。
磐田の子どもの遊びの三つの論点子どもの遊び、手作り玩具、路地を順に検討する構成図子どもの遊び手作り玩具路地
磐田の子どもの遊びを、制度・地域での運用・史料の確度に注意して読み進める。

遊びは子どもがつくる小さな社会だった

『磐田ことはじめ』は、昭和30年代まで磐田地方で見られた遊びを、戸外、室内、植物・動物、行事に分けて大量に記録する。輪回し、竹馬、ゴム跳び、石けり、陣取り、相撲、鬼遊び、紙飛行機、めんこ、こまなど、呼び名だけでも地域差と世代差がある。この記事は全項目を辞書のように転記せず、遊びが成立した条件を読む。

多くの集団遊びには、仲間を集める方法、順番、勝敗、反則、争いの収め方があった。大人が細部まで決めるのではなく、年長の子が規則を伝え、参加者がその場で調整した。遊びは自由時間であると同時に、交渉、協力、競争、排除を経験する子ども自身の社会だった。楽しさだけでなく、仲間に入れなかった子の存在も考える。

年齢の違う子どもが一緒に遊ぶと、技術と規則が縦に伝わる。年長者は有利な一方、道具の作り方や危険な場所を教える役割も担った。学校の学年集団だけでは見えない関係である。ただし『昔は皆が仲良く遊んだ』と一般化しない。性別、身体能力、家の手伝い、障害、経済条件によって参加機会は異なった。

柳田国男『こども風土記』の書誌と目次には、鹿遊び、あてもの、かごめかごめなど、遊びを民俗として記録する視点が確認できる。磐田の記録も、遊戯を単なる暇つぶしではなく、言葉、信仰、年中行事、土地の記憶を運ぶものとして読む余地がある。ただし全国の解釈を磐田の由来へ直接当てはめず、歌詞や呼称の地元採録を優先する。

遊びの記憶を聞き取る際は、名前だけでなく、遊んだ年、季節、場所、人数、年齢、男女構成、道具、勝敗、禁止事項を尋ねる。同じ『鬼ごっこ』でも規則が違えば別の伝承である。『誰から教わったか』『いつ見なくなったか』まで聞くと、伝播と衰退の時間が見える。

子ども同士の規則には、勝敗を決めるだけでなく、人数を調整し、年少者へ役割を与える工夫もあった。反対に、罰やからかいを伴う遊びもある。規則を採録するときは名称だけでなく、参加を断れるか、負けた者が何をしたかまで残す。

路地・原っぱ・水辺が遊具だった。 遊び場は専用公園だけではなかった。路地、寺社境内、学校の運動場、空き地、土手、田畑の縁、川や池が使われた。場所ごとに地面の硬さ、傾斜、水深、樹木、交通量が違い、できる遊びが決まる。『磐田ことはじめ』にある石けり、陣取り、凧、魚とり、虫とりは、土地の環境そのものを道具にしていた。

車が少ない路地は輪回しやボール遊びの場になったが、道路は完全に安全だったわけではない。荷車、自転車、農作業、用水路があり、事故の危険もあった。昔の自由さを称えるだけでなく、子どもが交通や水辺の危険をどう学び、大人がどこまで見守ったかを記録する。

田畑や山林での遊びは、自由に入れる共有地だったとは限らない。耕作地、私有林、収穫物には所有者があり、採集や踏み荒らしをめぐる約束があったはずである。現在の読者へ場所を紹介するときは、昔の利用記憶を現在の立入り許可と混同せず、私有地へ入らない。

水辺の遊びは、魚、エビ、カニ、昆虫、水草と出会う自然学習でもあった。一方、用水路や池には増水、深み、農薬、衛生の危険がある。桶ケ谷沼磐田の自然環境と結び付け、遊びの場が保全、造成、河川改修でどう変わったかを地図と聞き取りで確かめる。

昭和30年代以後、自動車交通、宅地化、学校管理、公園整備、テレビの普及で遊び場と時間は変わったと考えられる。ただし一つの原因で遊びが消えたとは言えない。人口構成、家事・農作業の手伝い、塾、玩具市場、安全規範も重なる。消滅年を決めず、地区と世代ごとの変化を比べる。

地図化では、一人の記憶だけで『遊び場』を固定しない。複数世代の証言を年代別に重ね、道路開通、宅地造成、河川改修、学校移転を同じ図へ置く。場所が変わったのか、遊びそのものが変わったのかを分けて読める。

竹・紙・木の実から道具を作る

PDFに挙がる竹馬、竹とんぼ、風車、紙飛行機、紙鉄砲、弓矢、凧、草笛、木の実遊びは、身近な材料を加工して初めて遊べる。完成品を買う玩具とは違い、材料探し、刃物や火の扱い、失敗と修理までが遊びに含まれる。道具の出来が勝敗を左右し、製作技術そのものが子どもの評価になった。

国立歴史民俗博物館は1877年の錦絵『小児遊春の竹馬』を所蔵し、竹馬が明治初期にも描かれたことを確認できる。これは磐田の竹馬が1877年から同じ形で続いた証拠ではない。全国的な図像資料は遊びの長い歴史を示す比較材料であり、磐田での形、呼び名、作り方は地元資料と現物で確かめる。

紙やゴム、ガラス玉、めんこなど市販材料を使う遊びも、店と流通が地域へ届いたことを示す。『手作りか既製品か』の二択ではなく、市販品を改造し、壊れた物を別の遊びへ転用する中間があった。商品名、価格、購入先、小遣いを聞けば、子どもの消費史と家計差が見える。

道具づくりには危険もあった。竹や木を削る刃物、釘、火薬に似た音を出す玩具、投石、弓矢は事故につながりうる。当時の経験者が『平気だった』と語っても、怪我がなかった証明にはならない。現代に再現する場合は材料と手順を安全基準に合わせ、史料の記述をそのまま作り方として提示しない。

保存すべきなのは完成品だけではない。寸法、材料、結び方、作る順序、使う場所、遊び歌、地域名、教え手を映像と図で残す。古い道具を再現するなら、経験者の監修、材料採取の許可、子どもの同意を得る。再現品と当時品を明確に区別し、作り手の名前と記録日を付す。

材料の季節性も記録したい。竹を切る時期、木の実が拾える季節、稲刈り後に使える藁、風の強い時期の凧など、自然暦と農作業暦が遊びを決めた。通年の一覧では見えない、季節ごとの子どもの時間が復元できる。

懐かしさを史料へ変える。 子どもの遊びは行政文書に残りにくく、回想の比重が大きい。そのため、聞き取りを『懐かしい話』のまま掲載せず、複数人の証言、学校文集、写真、新聞、玩具、地図で照合する。同じ遊び名が三人から聞けても、三人が互いの話を参照している場合がある。独立した記憶かどうかも記録する。

遊び歌や掛け声は重要な無形資料である。文字にすると音程、間、方言、動作が失われるため、本人の同意を得て録音・動画を残す。差別語や暴力的表現が含まれる場合は、削除して存在を隠すのでも無批判に再演するのでもなく、当時の社会背景と現在の公開配慮を説明する。

写真に写る子どもの名前や住宅位置は個人情報になりうる。撮影者、所蔵者、被写体、公開範囲を確認し、必要に応じて匿名化する。思い出の場所が現住住宅や私有地なら、詳細な位置を公開しない。地域史の価値は、個人の生活を危険にさらしてまで位置を特定することにはない。

このテーマは青年会と社会教育城山球場のような公的活動史とは違い、子どもが自らつくった日常を中心に置く。同時に、学校、道路、自然、商店、家庭労働と結び付く。遊びを独立した余暇史へ閉じず、町の空間と時間の使い方を測る資料にする。

本稿の結論は、昭和30年代までの遊びが『物がないから工夫した』だけでは説明できないということである。異年齢集団、使える場所、自然材料、伝承する言葉、自由時間が重なって成立した。遊び名の一覧は入口であり、規則・場所・担い手を記録して初めて、次の世代が追試できる地域史になる。

聞き取り成果は完成原稿だけでなく、質問票、音声、文字起こし、同意範囲、訂正履歴も保存する。同じ証言を後から別の研究者が確認できる形にすることで、懐かしさを共有する記事から、検証可能な生活史資料へ変えられる。

明治〜大正竹馬などの遊びは全国の図像・民俗資料にも残る。
昭和30年代まで路地・原っぱ・水辺の遊びが地域で継承。
高度成長期交通・宅地化・市販玩具で条件が変化。
現在聞き取りと安全な再現による記録が課題。
磐田の子どもの遊びの年表図記事中の主要な三時点を示す明治〜大正竹馬などの遊びは全国の図像・民俗資料にも残る。昭和30年代まで路地・原っぱ・水辺の遊びが地域で継承。高度成長期交通・宅地化・市販玩具で条件が変化。
年表は出来事の前後関係を示す。制度の開始と地域での実施が同時とは限らない。

『磐田ことはじめ(第二編・現代編)』は、磐田市役所勤務31年間の経験と行政資料、聞き取りをもとに熊切正次がまとめ、平成8年(1996年)3月に刊行した地域史資料である。本稿が参照したのは同書222〜231頁である。同時代を知る実務者の記録として具体性がある一方、出典注が簡略な箇所、回想と公文書の区別が本文だけでは確定できない箇所もある。

PDFの遊び名を網羅的に転載せず、場所、集団、材料、記憶という分析軸へ再構成した。由来は全国資料から直結させず、磐田固有の呼称と規則を今後の聞き取り課題として残した。

年代・制度名は資料に記された時点を優先した。現在の制度や区域へ直結させず、改称・統合・廃止を別の出来事として扱っている。
  • 初版公開。『磐田ことはじめ(第二編・現代編)』と公的資料を照合して構成。

この地域の家・土地・空き家について

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この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料をもとに、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。