失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語大石浩之の磐田論考 / 磐田の景観と自然の記憶を総合する

磐田郷土史研究紀要

大石浩之の磐田論考 第282号(自然・景観論 総合)

磐田の景観と自然の記憶を総合する ── 岩・並木・社叢・塚

既刊各論の史料批判的総合 ── 自然物に託された意味と、失われる景観の記憶

大石浩之1

1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役

公開日
2026.07.26
資料検証
公開資料による検証済み
対象地区
磐田市豊岡ほか

要旨

本稿は、磐田の自然と景観を主題とした既刊各論を先行研究として整理し、対象の違いを超えて反復される記述の型を取り出す横断的総合論考である。扱うのは、豊岡の獅子ヶ鼻公園の岩塊、福田を通った横須賀街道の松並木、市街に残る天御子神社のヤマモモと社叢、福田に伝わる亀塚、そして社寺林の巨樹群を横断した既刊の総合論である。これらを通覧すると、対象が岩・並木・森・塚と異なるにもかかわらず、記述の枠組みがほぼ同型であることが浮かび上がる。すなわち、自然物の物理的存在と現状は史料で確認できる史実として扱い、由来・意味・年代は推定・伝承の層へ腑分けし、「未確認」と「記載なし」を終始区別するという構えである。本稿はこの同型性を三つの問い──自然物に人が意味を託すしくみ、景観が記憶され失われ名を残す過程、確認できることと未確認を分ける方法──に沿って総合し、確度の層を保ったまま景観を記述する作法を、地域史一般に適用できる手続きとして提示する。

キーワード:景観の記憶/自然物への意味付与/社叢・社寺林/街道並木/塚/史料批判/未確認と記載なし

1. 問題設定 ── 自然・景観の各論を横断するとは何か

本シリーズでは、磐田の自然と景観を扱う各論を、対象ごとに一つずつ積み重ねてきた。豊岡の獅子ヶ鼻公園の岩塊、福田を通った横須賀街道の松並木、市街のただなかに立つ天御子神社のヤマモモと社叢、福田に伝わる亀塚、そして社寺林の巨樹群を横断した既刊の総合論である。本稿は、これら自然・景観を主題とする各論を先行研究として整理し、個別の対象を超えて共通する問いを取り出すことを課題とする。

ここで立てる問いは三つである。第一に、人は岩・巨木・森・塚といった自然物に、どのようにして意味を託すのか。第二に、景観はどのように記憶され、どのように失われ、そして名だけを残すのか。第三に、これらを書くとき、「確認できること」と「今後の確認を要すること」とを、どう分けて記述するのか。個々の各論はいずれもこの三点に触れているが、対象ごとに散在している。本稿はそれを一つの見取り図へまとめ直す。

横断という作業は、各論の結論を足し合わせることではない。むしろ、対象の違いを超えて反復される記述の型を取り出し、その型がどこまで妥当で、どこに限界を抱えるかを吟味することにある。同じ書き手が近い時期に書いた各論を並べれば、枠組みの同型性が浮かび上がるのは当然ともいえる。だが、その同型性が対象の性質からくる必然なのか、書き手の癖にすぎないのかを見きわめることは、方法それ自体を点検する意味をもつ。総合論とは、対象の再記述であると同時に、記述法の自己点検でもある。

あらかじめ本稿の立場を一文で示しておく。自然物の物理的な存在や現状は史料で確認できる史実として扱い、その由来・意味・年代は推定または伝承の層へ腑分けし、「未確認」と「記載なし」を終始区別する。これは各論がそれぞれに採ってきた構えであり、本稿はそれを横断的に明文化し、方法として取り出すことを企てる。

用語も先に定めておく。本稿でいう史実とは、指定文書・沿革・地形など、資料や現地で確認できる事柄を指す。通説は学界や地域で広く受け入れられているが一点では確定しない事柄、推定は根拠はあるが未確定の事柄、伝承は地域で語り継がれてきた事柄である。そしてこれとは別の軸として、未確認(管見の限り裏づける資料に突き当たっていない状態)と記載なし(資料にその事実が存在しないと断定できる状態)を区別する。この二つの軸を混同しないことが、以下の総合の背骨となる。

景観の記憶 横断する主題 獅子ヶ鼻(189) 並木横須賀街道(224) 社叢天御子・巨樹(254・266) 亀塚(247) 四種の自然物を扱う各論が一つの主題に収束する
図1 本稿が横断する各論の配置。岩・並木・社叢・塚という異なる対象を扱った五論が、「景観の記憶」という一つの主題へ収束する。括弧内は論考番号。

2. 先行研究の整理 ── 岩・並木・社叢・塚をめぐる既刊各論

横断に入る前に、対象とする各論を、確度の層を明示しながら要約しておく。いずれも磐田市内の自然物・景観を扱い、その存在や現状を史実として、由来・意味・年代を推定または伝承として区別する構えを共有している。以下、対象の種類ごとに整理する。

岩──獅子ヶ鼻公園(第189号)。豊岡地区の獅子ヶ鼻公園を、岩塊と尾根、里山の植生、そこから開ける展望が重なる場として読んだ論である。地域資料には所在地としての岩室、隣接する敷地川、近隣の廃寺や観音への言及が残る。これらは確認できる範囲の記録である一方、公園整備の経緯や「獅子ヶ鼻」という地名の由来を直接に裏づける一次史料は、その調査範囲では確認できていない。地名は岩の形状に由来するとされるが、これは伝承・推定の層に置かれた1

並木──横須賀街道の松並木(第224号)。横須賀街道は、遠州灘沿岸の横須賀(現・掛川市)と内陸の東海道筋とを結んだ近世の脇往還であり、その沿道には松並木が伴っていたと伝えられる。福田地区に関わる地域資料に松並木の存在とその記録は残り、これは史実として扱いうる。しかし植栽の由来や年代を直接に裏づける一次史料は確認できていない。並木は松枯れや道路改良によって失われ、いまは主として記憶と記録のなかに残る。街道並木の制度・機能・保存という近世的な景観装置の観点から読み直された論である。

社叢──天御子神社のヤマモモ(第254号)と巨樹総合論(第266号)。天御子神社(中央町)の境内には、高さ15.5メートル、根回りの周囲4.7メートルに達するヤマモモの雄株が立ち、平地部のヤマモモとしては最大級として、2005年11月21日に市の天然記念物へ指定された。指定と規模は公式資料で確認できる史実、樹齢200〜300年は推定であり、社の由緒は通説・伝承として腑分けされた。第266号は、この一本を含む社寺林の巨樹群を扱った既刊七論を横断し、なぜ巨樹は社寺林に残るのか、樹齢推定はどこまで科学たりうるか、天然記念物制度は何を守り何を守れないかを総合した先行の総合論である。本稿はこれを、自然物の一類型を扱った先行研究として位置づける。

塚──亀塚(第247号)。福田に「亀塚」と呼ばれる土の高まりが伝えられる。それが古墳なのか、経典を納めた経塚なのか、供養や境界のために築かれた信仰の塚なのかは、現在参照しうる資料からは定まらない。塚の存在それ自体は確認できる範囲の事実として受けとめつつ、その性格と築造年代を史実・推定・伝承の層へ腑分けし、断定を避けて読んだ論である。中心に据えられたのは、まさに「未確認」と「記載なし」の区別であった。

五論のうち第266号は、それ自体が既刊七論を横断した総合論であった点で、本稿とは階層を異にする。すなわち本稿は、個別の対象を扱った各論だけでなく、すでに一度なされた総合をも先行研究として組み込む。巨樹という一類型については第266号がすでに横断を果たしているため、本稿はその成果を前提としつつ、視野を岩・並木・塚へと広げ、樹木に限らない自然物一般へと総合の枠を拡張する。総合の総合という二重の構造をとることで、対象の種類に依存しない記述の型が、より鮮明に取り出せると考える。

四種を通覧して浮かぶのは、対象の性質も立地も異なるにもかかわらず、記述の枠組みがほぼ同型だという事実である。いずれも存在や現状を史実、由来・年代を推定、意味づけを伝承と層別し、「なぜここに残ったのか」「なぜこう呼ばれるのか」を確度を分けて説明する。この同型性は、各論が同じ方法意識のもとに書かれたことの反映であると同時に、自然物と景観という対象そのものが、そうした確度の腑分けを要求する構造をもつことの反映でもある。次章以下では、この同型性を三つの問いに沿って解きほぐす。

3. 自然物に意味を託すしくみ ── 存在から名・信仰・記念へ

第一の問いは、人が岩・巨木・森・塚といった自然物に、どのように意味を託すのかである。五論を並べると、自然物への意味付与は一挙に起こるのではなく、いくつかの層をなして積み重なっていることが見えてくる。

最下層にあるのは、対象の物理的存在である。岩塊がそこにあること、松が沿道に列をなしていたこと、ヤマモモの大木が境内に立つこと、土の高まりが野にあること──これらはおおむね史料や現地で確認できる、意味以前の事実の層である。自然物への意味付与は、つねにこの物理的存在を足場として始まる。存在しないものに意味は託せない。

その上に重なるのが名づけの層である。獅子ヶ鼻という地名は、岩の形状を獅子の鼻に見立てたものとされる。亀塚という呼称も、塚の形状や伝えを亀に結びつけた名である。名づけとは、無名の自然物を人間の言語秩序のなかへ引き入れる最初の意味付与であり、しばしば形状の見立てという直感的な操作によってなされる。ただし、見立ての由来を直接裏づける一次史料は多くの場合に未確認であり、名は残っても名の起こりは失われている、という事態がしばしば生じる。

さらにその上に信仰・由来の層がある。ヤマモモや巨樹が鎮守の社叢の主木として神域に囲い込まれること、塚が墓・供養・境界の標として畏れられること、岩や公園の周辺に廃寺や観音の記憶がまといつくこと──ここでは自然物が、共同体の信仰や物語と結びついて意味を厚くする。この層の情報は、伝承として語り継がれる一方、由来の史実性はしばしば確定しない。

そして近代以降、最上層に保存・記念の層が加わる。天然記念物の指定、公園としての整備、並木の保存や記憶化がこれにあたる。ここでは自然物が、行政や制度の言葉によって「守るべき対象」として再定義される。第266号が論じたように、天然記念物制度は指定によって対象を守る一方、指定の網から漏れるものや、指定しても防げない衰亡もある。制度による意味付与は、保護であると同時に、何を残し何を残さないかの選別でもある2

この層状の構造は、なぜ自然物への意味付与が確度の腑分けを要求するのかを説明する。物理的存在の層は現地で確認でき、史実として確保しやすい。しかし名づけ・信仰・保存の各層は、それを裏づける記録が伴わない限り、いつ誰がその意味を書き込んだのかを遡れない。意味の層が上へ行くほど、確認の足場は薄くなる。獅子ヶ鼻の地名や亀塚の呼称のように、名は残っても名の起こりが失われるという事態は、この足場の薄さの帰結である。意味付与の層の高さと、その層を確認できる度合いとは、しばしば反比例する。

この四層は、下から上へ時間的に積み上がる傾向をもつが、機械的な順序ではない。名づけと信仰が同時に発生することもあれば、近代の指定が古い伝承を掘り起こして権威づけることもある。重要なのは、意味付与を単一の起源に還元せず、複数の層の堆積として読むことである。岩・並木・社叢・塚は、対象こそ違えど、いずれもこの層状の意味付与を受けてきた点で共通する。自然物とは、人間が意味を書き込み続けてきた古い書字板のようなものだといえる。

物理的存在 岩・松・巨木・土の高まり(おおむね史実) 名づけ 獅子ヶ鼻・亀塚(形状の見立て/由来は未確認) 信仰・由来 社叢・塚信仰・廃寺の記憶(伝承) 保存・記念 天然記念物・公園・記憶化(近代の制度) 自然物に託される意味の四層 下層ほど確度が高く、上層ほど人為的な意味付与が厚くなる
図2 自然物に託される意味の層。物理的存在を足場に、名づけ・信仰・保存の意味が積み上がる。下層ほど史実として確認しやすく、上層ほど伝承・制度による意味付与が厚い。

4. 景観はどう記憶され、失われ、名を残すか

第二の問いは、景観がどのように記憶され、失われ、名を残すのかである。前章が自然物への意味の積み上がりを扱ったのに対し、ここでは時間軸に沿った景観の変化と、その記憶化の過程を扱う。五論は、いずれもこの変化を主題の一部として抱えている。

もっとも鮮明に喪失を語るのは、横須賀街道の松並木である。並木は、日除け・防風・道標・修景といった実用の機能を担う近世的な景観装置として成立し、街道の風景を形づくっていた。しかし松枯れや道路改良によって並木は失われ、いまは連続した景観としては残らない。ここで注目すべきは、実体が失われてもなお「横須賀街道の松並木」という名と記憶が残っている点である。景観の記憶化とは、しばしば実体の喪失を代償として起こる。失われるからこそ、それは語られ、記録され、名として残る。

これと対照的なのが、社叢とヤマモモである。天御子神社の巨木は、周囲が市街化するなかで、社という聖域に囲い込まれることで生き延びた。ここでは景観は失われず、むしろ都市化した土地に飛び地のように残存する。第266号が論じた社寺林の巨樹群も同様で、社寺という制度的な囲いが、開発の圧力から緑を守る器として機能してきた。景観の残存には、それを守る社会的な枠組みが要る。枠組みを欠いた景観は、松並木のように失われやすい。

獅子ヶ鼻公園は、また別の型を示す。ここでは自然の岩塊という古い景観の上に、近代の「公園」という新しい景観の層が重ねられた。公園化とは、自然物を眺め、歩き、憩う対象として整えなおす営みであり、それ自体が景観の記憶を制度的に定着させる装置である。ただし、その整備の経緯を裏づける一次史料は未確認であり、いつ誰がどのように公園として整えたのかは、なお確認を要する。景観は残っていても、残された経緯の記録は失われている、という事態がここにもある。

亀塚は、喪失とも残存とも異なる第三の相を示す。塚は土の高まりとして残っているが、その性格──古墳か経塚か信仰の塚か──が失われている。ここで失われているのは実体ではなく、実体に付されていた意味である。名は「亀塚」として残り、塚も残るが、なぜ築かれ何を意味したのかという記憶の核が抜け落ちている。景観の記憶化を論じるとき、実体の喪失と意味の喪失は、区別して扱わねばならない。

この四つの相は、記憶と実体との関係が一様でないことを示す。松並木では記憶が実体の不在を埋め、社叢では実体が記憶を支え、公園では新しい実体が古い実体の記憶を上書きし、塚では実体が記憶の空白を抱えたまま残る。記憶は実体に寄り添うこともあれば、実体を離れて自立することもあり、実体の内側に空洞として残ることもある。景観を記述する者は、いま目の前にある実体が、記憶とどのような関係を結んでいるのかを、対象ごとに見定めねばならない。実体があるからといって記憶が伴うとは限らず、実体が消えたからといって記憶まで消えるとは限らない。

これらを重ねると、景観の記憶をめぐって少なくとも四つの相が取り出せる。実体が失われ名が残る型(松並木)、実体が枠組みに守られて残る型(社叢)、古い景観に新しい景観が重なる型(公園)、実体は残るが意味が失われる型(塚)である。景観の記憶とは、単純な保存や喪失の一語では捉えきれない。何が残り、何が失われ、何が名として置き換わったのかを、対象ごとに腑分けする必要がある。

実体は失われ 名が残る 松並木(224) 枠組みが守り 実体が残る 社叢・巨樹(254・266) 古い景観に 新景観が重なる 獅子ヶ鼻公園(189) 実体は残り 意味が失われる 亀塚(247) 景観の記憶をめぐる四つの相 ← 喪失の側 残存の側 →
図3 景観の記憶化の四類型。左右軸は実体の喪失と残存、上下軸は実体の水準と意味の水準を分ける。五論はそれぞれ異なる相を示し、単一の「保存/喪失」では捉えきれない。

5. 方法としての確度の層 ──「未確認」と「記載なし」を分ける

第三の問いは、これらをどう書くのか、という方法の問題である。五論を貫く最大の共通点は、確度の異なる情報を同じ平面に置かないという禁欲的な構えにあった。この構えの要が、「未確認」と「記載なし」の区別である。

両者はしばしば混同される。ある事柄を裏づける資料が手もとにないとき、それを「そのような事実はなかった」と読んでしまう誤りである。しかし、未確認とは「管見の限り、裏づける資料に突き当たっていない」という書き手の側の状態であり、記載なしとは「資料を博捜した結果、その事実が資料に存在しないと言える」という資料の側の状態である。前者は将来の調査で覆りうる暫定的な保留であり、後者はより強い否定的判断である。この二つを取り違えると、単なる調査の不足を、あたかも積極的な否定であるかのように語ってしまう。

亀塚の論(第247号)が、この区別を最も鋭く前面に立てた。塚の性格を裏づける一次史料に突き当たっていないことは未確認であって、塚が古墳でないとか経塚でないという記載なしの判断ではない。だからこそ、古墳・経塚・信仰の塚という複数の可能性を、いずれも排除せずに併置する構えが正当化される。もし未確認を記載なしと取り違えれば、確認できていないというだけの理由で、ありうる解釈を不当に切り捨ててしまう3

同じ区別は、松並木の植栽年代、公園整備の経緯、地名の由来、樹齢の推定にも一貫して適用されていた。松並木がいつ植えられたかは未確認だが、並木が存在したこと自体は記録によって確認できる。獅子ヶ鼻の地名がなぜそう呼ばれるかは未確認だが、そう呼ばれてきたこと自体は資料に確認できる。存在・呼称の水準では史実を確保しつつ、由来・年代の水準では未確認を明示する──この二段構えが、五論に共通する記述の作法である。

樹齢推定は、確度の層をめぐるもう一つの論点を提供する。第266号が論じたように、「樹齢200〜300年」といった数値は、外形からの推定であって、伐採して年輪を数えたわけではない。肥大成長の速度は樹種・環境・個体差に左右されるため、外形からの推定には原理的な幅がある。にもかかわらず、推定値はしばしば一人歩きし、いつしか確定した史実のように扱われてしまう。推定を推定として書き続けることは、地味だが方法的に不可欠な規律である4

この二軸の管理は、書き手に一種の禁欲を求める。確認できていないことを、確認できたかのように書かないこと。まだ調べ尽くしていないことを、調べ尽くした結果であるかのように書かないこと。この二つの禁欲は、いずれも書き手が自らの知の限界を正直に開示することを要求する。読者にとって親切なのは、しばしば断定ではなく、どこまでが確かでどこからが不確かかの明示である。断定は読みやすいが、その読みやすさは、確度の情報を切り捨てた代償として得られている。五論が地味な留保を重ねたのは、読みやすさよりも、後から検証できることを選んだからにほかならない。

ここから引き出せる一般則がある。景観や自然物を記述するとき、書き手は少なくとも二つの軸を同時に管理せねばならない。一つは史実・通説・推定・伝承という確度の層の軸、もう一つは未確認・記載なしという資料の状態の軸である。前者は情報がどれだけ確からしいかを、後者は書き手がどこまで調べ、何を言えるのかを表す。この二軸を意識的に分けて書くことが、断定を避けつつ、しかし曖昧に逃げもしない記述を可能にする。

確認できる(史実) 存在・規模・指定・現状 未確認 由来・年代・意味/将来覆りうる 記載なし 博捜のうえ資料に存在しない 推定・伝承 根拠はあるが未確定/語り継がれた 確度と資料状態の二軸弁別 「未確認」(左の保留)と「記載なし」(右の否定)を取り違えない
図4 確認できること・未確認・記載なしの弁別。未確認は将来覆りうる暫定的保留、記載なしは博捜を経た否定的判断であり、両者を混同しないことが記述の要となる。

6. 五論の比較と史料批判

ここまでの整理を一覧の形にまとめ、対象ごとの確度の分布を可視化しておく。次の比較表は、五論を対象・自然物の種類・確認できる史実・推定や伝承の層・未確認の点・地区という同一の粒度で並べたものである。特定の論を優位に置く書式を避け、各行の情報量をそろえることで、対象が違っても記述の枠組みが同型であることを見て取れるようにした。

表1 自然・景観を扱った五論の比較 ── 確認できる史実・推定/伝承・未確認の点
論(号)自然物確認できる史実推定・伝承の層主な未確認の点地区
獅子ヶ鼻公園(189)岩塊・尾根岩塊・地形の現存、岩室の所在、敷地川の隣接「獅子ヶ鼻」は岩の形状に由来するとされる地名の由来、公園整備の経緯豊岡
横須賀街道の松並木(224)街道並木並木の存在と記録、脇往還としての街道並木は防風・道標等の機能を担ったとされる植栽の由来・年代福田
天御子神社のヤマモモ(254)社叢・巨木高さ15.5m・根回り4.7m、2005年市指定樹齢200〜300年(推定)、社の由緒(伝承)正確な樹齢、地区分類中央町(要確認)
亀塚(247)塚(土の高まり)の存在古墳・経塚・信仰の塚のいずれかとする諸説塚の性格、築造年代福田
巨樹総合論(266)社寺林の巨樹群各巨樹の指定・樹種・所在各巨樹の樹齢(推定)、由緒(伝承)樹齢の正確値、指定外の巨樹市内各所

この一覧から、いくつかのことが読み取れる。第一に、いずれの論でも「確認できる史実」の欄には対象の存在・規模・現状が入り、「未確認の点」の欄には由来・年代・意味が入る。存在は確保でき、来歴は保留される、という分布が対象を超えて反復されている。これは偶然ではなく、自然物という対象の性質に根ざす。物理的なものはいま観察できるが、それがいつ、なぜ、どのような意味をもって成立したかは、記録が伴わない限り遡れないからである。

第二に、五論はいずれも同じ史料批判上の限界を共有している。すなわち「対象の来歴を直接記す一次史料は未確認である」という限界である。この限界が対象を超えて共通するのだから、それを理由に特定の論だけを不確実として退けることはできない。むしろ問うべきは、各論がその未確認をどう扱ったか、である。五論はいずれも、未確認を隠して断定へ進むのでも、未確認を口実にすべてを放棄するのでもなく、確認できる層と未確認の層を分けて書くという第三の道をとった。

第三に、地区の欄には注意を要する事例がある。天御子神社のヤマモモは、公式一覧では「見付」と表記される一方、所在は中央町であり、本サイトの地区分類上の位置づけには要確認の余地があった。これは自然物の記述が、対象そのものの確度だけでなく、それを収める分類の枠組みの確度にも左右されることを示す。景観を書くとは、対象を書くと同時に、対象を配置する枠組みの妥当性をも点検することにほかならない。

この比較の作業は、郷土史の記述一般に含意をもつ。地域の自然や景観を書くとき、私たちはしばしば「結局これは何なのか」という一つの答えへ急ぎ、確度の異なる情報を一つの断定へ押し込めがちである。だが五論が示すのは、答えを一つに定めないまま、確認できることと未確認とを腑分けして書き留めることが、かえって後世の調べものに耐える記録を残す、という逆説である。断定の速さは、記録の寿命を縮める。

確認できる(存在・現状) 未確認(由来・年代・意味) 獅子ヶ鼻 松並木 ヤマモモ 亀塚 巨樹総合 確度分布の同型性 ── 存在は確保、来歴は保留
図5 五論の確度分布。青は確認できる史実(存在・現状)、橙は未確認の層(由来・年代・意味)の幅を模式的に示す。対象は違っても分布の型は同じである。

7. 背景としての地理 ── 台地・低地・街道・市街

これらの自然物が、なぜそこにそのかたちで残ったのかを考えるには、磐田の地理を背景に置く必要がある。五論の対象は、磐田原台地とその周縁、そして低地へと広がる地形のうえに、それぞれ異なる位置を占めている。

獅子ヶ鼻公園の岩塊と尾根は、台地の縁が刻まれてつくる起伏のうえにある。岩が露出し、尾根から展望が開けるという景観は、平坦な低地では生まれにくく、台地縁部という地形条件と不可分である。豊岡地区が敷地川の谷と台地の入り組む地形をもつことが、この景観の物理的な前提を用意した。地形は、自然物のかたちを規定する最下層の条件である。

横須賀街道の松並木は、これとは対照的に、人が引いた線としての街道に沿う。並木は自然に生じたのではなく、街道という近世の交通インフラに付随して植えられた景観装置であった。したがってその分布は、地形よりもむしろ、遠州灘沿岸の横須賀と東海道筋とを結ぶという経済・交通の要請によって決まる。自然物のなかにも、地形に従うものと、人の営みの線に従うものとがある。

天御子神社のヤマモモと社寺林の巨樹群は、市街や集落のただなかに点在する。これらの残存を決めたのは地形ではなく、社寺という聖域の分布である。第266号が論じたように、巨樹は低地にも台地にも残るが、その共通項は地形ではなく「社寺の境内であること」にあった。都市化の圧力が高いほど、聖域という囲いの有無が緑の生死を分ける。市街に残る巨木は、地形の産物というより、社会制度の産物である。

亀塚は、低地の野に築かれた土の高まりである。塚が古墳であれ経塚であれ信仰の塚であれ、それは人が土を盛るという行為の産物であり、地形のうえに人の意図が刻まれた痕跡である。福田という低地に塚が営まれたことは、その地が古くから人の活動の場であったことを示すが、塚の性格が未確認である以上、その活動がいつのものかは確定しない。

地形は、これら四種のすべてに通底する最下層の条件でもある。台地と低地の境、川が刻んだ谷、街道が選んだ経路、集落と社寺が営まれた場所──いずれも、水と土地の高低という地形の制約のうえに人の営みが重ねられた結果である。岩は地形そのものの露頭であり、並木は地形を横切る道に沿い、社叢は集落の立地に従い、塚は盛りやすい低地の土に築かれた。自然物の残存を地理から読むとは、地形という与件と、その上に人が加えた選択とを、二重写しに見ることである。どちらか一方だけでは、なぜそこにそれが残ったのかは説明しきれない。

四種を地理のうえに置き直すと、自然物の残存を決める要因が一様でないことが見えてくる。台地縁部の地形、街道という人の線、社寺という聖域の網、低地における造成の痕跡──岩は地形に、並木は交通に、社叢は制度に、塚は人の営みに、それぞれ根ざしている。景観の記憶を総合するとは、これら異なる根をもつ自然物を、磐田という一つの土地の地理のうえに並べ直し、それぞれがどの条件によって残り、あるいは失われたのかを腑分けすることでもある5

台地縁部の地形 並木街道という人の線 社叢社寺という聖域 台地 低地・市街 低地の造成 自然物の残存を決める異なる地理条件 岩は地形に、並木は交通に、社叢は制度に、塚は営みに根ざす
図6 地理的背景の模式図。破線は台地縁の起伏、実線は低地面を表す。自然物ごとに残存を決める条件が異なることを示す(配置は概念図であり実際の位置関係ではない)。

8. 結論 ── 各論の集積から景観の記述法へ

本稿は、磐田の自然と景観を扱った五つの各論を先行研究として整理し、対象の違いを超えて反復される記述の型を取り出してきた。得られた見取り図は次のとおりである。自然物への意味付与は、物理的存在・名づけ・信仰・保存という四つの層をなして積み重なる。景観の記憶は、実体が失われ名が残る型、枠組みに守られて残る型、古い景観に新景観が重なる型、実体は残るが意味が失われる型という複数の相をとる。そしてこれらを書くとき、五論はいずれも確度の層と資料の状態という二つの軸を分けて管理し、とりわけ「未確認」と「記載なし」を混同しない構えを共有していた。

この同型性は、書き手の癖に還元しきれない。岩・並木・社叢・塚という対象そのものが、いま観察できる存在と、記録なしには遡れない来歴とを併せ持つがゆえに、確度の腑分けを要求するのである。自然物とは、現在のうちに過去を含みながら、その過去の大半を語らない対象である。だからこそ、確認できることと未確認とを分けて書く作法が、対象の側から要請される。

したがって本稿の立場は明確である。景観や自然物の記述は、「これは何であるかを一つに定める作業」から、「何が確認でき、何が未確認で、何が名として残ったのかを層別して記述する作業」へと組み替えられるべきである。史実・通説・推定・伝承を混同せず、未確認と記載なしを区別し、伝承を史実の劣位に置かず、推定を確定と偽らない。この禁欲的な手続きこそが、失われゆく景観を、後世の調べものに耐えるかたちで残す方途である。

最後に、本稿が残した課題を明記しておく。第一に、ここで扱った五論は自然・景観という主題でくくったが、祭礼・信仰・街道といった隣接主題の各論を加えれば、意味付与と記憶化の型はさらに一般化しうる。第二に、松並木の植栽年代、獅子ヶ鼻の地名の由来、亀塚の性格といった個々の未確認は、近世・近代の地方文書や絵図を博捜することで、未確認から史実または記載なしへと一歩前進させられる余地がある。第三に、天然記念物や公園といった近代の制度が、何を残し何を選別してきたかは、制度史として別に検討されるべき主題である。これらはいずれも、本稿が取り出した二軸の枠組みのなかで、未確認を史実へ、推定を通説へと押し上げていく作業に属する。景観を一語で定める誘惑を退け、確度の層を保ったまま資料を積み上げていくこと──その地道な手続きの先にこそ、磐田の自然と景観が抱えてきた記憶の全体像が、少しずつ像を結んでいくはずである。個々の未確認をどこまで史実へ押し上げられるかは、稿を改めて論じたい。

本稿が扱った岩・並木・社叢・塚は、いずれも人の暮らしの傍らに残されてきた景観である。筆者は磐田・袋井で不動産と介護の実務に携わる立場から、こうした土地とそこに残る家や庭の記憶にも向き合ってきた。家・土地・空き家の整理について相談することができる。景観を書き留めることと、その舞台となった土地を次の世代へ手渡すことは、地続きの営みだと考えている。

  1. 獅子ヶ鼻公園および「獅子ヶ鼻」地名の由来については、本論考シリーズ第189号での整理による。地名を岩の形状に由来するとする理解は伝承・推定の層に属し、由来を直接裏づける一次史料は同論の調査範囲では確認されていない。
  2. 天然記念物制度が何を守り何を守れないかについては、本論考シリーズ第266号の整理による。指定は保護の手段であると同時に、対象の選別でもある点に注意を要する。
  3. 「未確認」と「記載なし」の区別を主題の中心に据えた検討は、本論考シリーズ第247号(亀塚)による。管見の限り一次史料に突き当たっていない状態と、資料に事実が存在しないと断定できる状態とは、まったく別の判断である。
  4. 樹齢推定の不確実性については、本論考シリーズ第254号および第266号の整理による。外形からの樹齢推定には、樹種・環境・個体差に由来する原理的な幅があり、数値は推定として扱うべきである。
  5. 磐田原台地と周縁低地の地形的背景については、磐田市史および地形分類に関する一般的知見による。本稿の地理的配置は概念的な整理であり、各対象の正確な位置関係を示す地図ではない。

付記:本稿は、自然・景観を扱った既刊各論(第189・224・247・254・266号)を先行研究として横断的に整理した総合論考(レビュー論文)である。各論の個別事実は原論に依拠し、本稿は確度の層(史実・通説・推定・伝承)と資料の状態(未確認・記載なし)という二軸に沿って、記述の型を取り出すことに主眼を置いた。

参考文献・参考資料

  • 大石浩之「獅子ヶ鼻公園を読む ── 岩と森が刻む自然と土地の記憶」大石浩之の磐田論考 第189号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/189/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 大石浩之「横須賀街道の松並木を読む ── 街道景観に刻まれた地域の記憶」同 第224号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/224/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 大石浩之「亀塚を読む ── 塚という土の記憶と信仰のかたち」同 第247号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/247/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 大石浩之「天御子神社のヤマモモを読む ── 市街に残る鎮守の社叢と巨木」同 第254号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/254/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 大石浩之「磐田の巨樹と天然記念物 ── 社寺林が守った緑を総合する」同 第266号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/266/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 文化庁「国指定文化財等データベース」天然記念物の項 https://kunishitei.bunka.go.jp/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 磐田市『磐田市史』通史編(磐田市、該当章)。
  • 磐田市教育委員会 編『磐田市の文化財』(磐田市、市指定天然記念物一覧を含む)。
  • 只木良也『森の生態学』(樹木の肥大成長と樹齢推定に関する一般的知見の参照として)。
  • 上田正昭 監修『鎮守の森』(社叢・社寺林の保存機能に関する一般的知見の参照として)。
  • 近世街道並木の制度史・機能・保存に関する概説(街道並木の成立と役割に関する一般的知見の参照として)。
  • 後藤和夫ほか 編『日本の天然記念物』(天然記念物制度と指定類型の概観として)。
  • 磐田市郷土資料および佐口行正氏所蔵史料(各論が依拠した地域資料の参照として)。