失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語大石浩之の磐田論考 / 於保と長野を分けるもの、つなぐもの

磐田郷土史研究紀要

大石浩之の磐田論考 第139号(南部低地研究 一)

於保と長野を分けるもの、つなぐもの
── 水利・農地・集落の南部史

二地区の比較からみる南部低地

大石浩之1

1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役

公開日
2026.07.25
資料検証
公開資料による検証済み
対象地区
磐田市南部

要旨

磐田市南部の低地には、旧於保村と旧長野村という隣り合う二つの旧村が並ぶ。本稿は、この両地区を水利・農地・集落・生活圏という共通の物差しで比較し、南部低地の集落形成を「分けるもの」と「つなぐもの」の両面から記述する。史料で確認できる事柄と、地形・地名から導かれる推定とを語の水準で書き分け、於保を「水を溜めて配る」性格、長野を「水を引き・逃がす」性格として対比する見立てを、確定した史実ではなく作業仮説として提示する。大池の役割や「島」を含む地名の由来については、各説の根拠と弱点を対等に併記し、断定を避ける。両地区の相違は水や集落への答え方の違いにとどまり、天竜川左岸の低地という土台と、農地維持・空き家・相続・防災・記憶継承という将来課題は強く共通する。南部低地に問われているのは、衰退か存続かの二択ではなく、条件に応じた再定義である。

キーワード:於保/長野/南部低地/天竜川左岸/溜池と用排水/自然堤防と後背湿地/史料批判

1. 問題設定 ── なぜ於保と長野を「並べて」読むのか

於保と長野は、磐田市の南部、天竜川左岸の広い低地に隣り合う旧村である。一括りに「南の田んぼの地域」と呼ばれがちだが、二つを並べて読むと、水とどう付き合うか、集落をどこに固めるか、外の世界とどの道でつながるかという点で、性格がゆるやかに分かれていく。単独の総論では、その地区に固有の事情ばかりが前に出て、こうした差異と連続性はかえって見えにくい。二地区を同じ物差しで並置することは、それ自体が一つの方法である。

本稿の課題は、この不一致と共通性を同時に読むことにある。どちらの地区がより古いか、より重要かを裁定するのではない。同じ低地の上で、二つの旧村がそれぞれ水と農地と暮らしをどのように組み立ててきたかを対等に並べ、そこから磐田南部全体の集落形成と将来課題を立体的に見る。既刊の総論、すなわち於保と大池を扱った論考や長野地区の成り立ちを扱った論考が個別地区の縦の記述であるとすれば、本稿はそれらを横に並べて比べる作業にあたる。

あらかじめ断っておきたいのは、比較が優劣の判定ではないということである。二つの地区は、同じ天竜川左岸の低地という土台の上に乗りながら、水の引き方や集落の固め方に別々の工夫を重ねてきた。その工夫の違いは、土地が置かれた条件への、それぞれ異なる答え方である。答え方が違うことは、一方が進んでいて他方が遅れていることを意味しない。分けるものと つなぐものの両方を同時に視野へ入れることでのみ、南部低地という一つの面が像を結ぶ。以下ではまず比較の枠組みと確度の扱いを定め、続いて水利・農地・集落・地名・生活圏を順に検討し、最後に将来課題へと論を進める。

もう一点、方法上の断りを加えておきたい。於保・長野の比較に用いうる一次史料は、必ずしも潤沢ではない。近世の村方文書や水利の取り決めが、両地区について体系的に残されているとは限らず、現に手元で確認できる情報の多くは、地形図・地名・地域の記憶に由来する。したがって本稿の比較は、豊富な史料を突き合わせる作業というより、限られた手がかりから確度の層を腑分けし、何が言えて何が言えないのかを見極める作業に近い。この制約を隠さずに示しておくことが、以下の議論を読むうえでの前提となる。薄い史料を厚く見せるのではなく、薄さを薄さのまま正確に描くことが、南部低地のような史料の乏しい地域を扱う際の誠実な態度である。

2. 枠組み ── 「南部」という括りと確度の腑分け

はじめに、本稿が立つ前提を確認しておく。現在の磐田市で用いられる「南部地区」という括りは、明治以降に整理された行政・生活上の枠組みであり、近世やそれ以前の村のまとまり、あるいは水利のまとまりとは、必ずしも一致しない1。於保と長野を比べるとき、私たちはつい現在の住所表記や学校区を物差しにしがちだが、集落の本当の骨格は、地名・水路・微高地・寺社といった、もっと古く動きにくい層のほうに残っている。行政区分は比較の入口にはなるが、それをそのまま歴史的な単位と取り違えると、旧村の輪郭を読み誤る。

もう一つの前提は、両地区が天竜川の左岸低地という共通の土台の上に乗っているということである。天竜川と、その支流や用排水の系統が運んだ砂や泥が、長い時間をかけて低地と微高地(自然堤防など)をつくり、人はその微高地の上に住み、後背の低地を水田にした2。これは磐田南部に広く当てはまる地形の原理であり、於保も長野もその例外ではない。両地区の違いが生まれるのは、この共通の原理が「どこに、どの程度」現れたかという、濃淡の部分である。

本稿では、事実の扱いに一貫した区別を設ける。史料や公的資料で確認できる事柄を史実、地形や地名から根拠をもって導かれるが未確定の事柄を推定、地域で語り継がれてきた事柄を伝承として、語の水準で書き分ける。あわせて「未確認」と「記載なし」を区別する。前者は、そうした史料に管見の限り突き当たっていない状態であり、後者は、史料を調べたうえで記載が確認できないことをいう。於保・長野に関して手元にある情報は、必ずしも一次史料に厚く支えられているわけではない。だからこそ、確度の層を明示することが、断定を避けつつ議論を前へ進める条件になる。以下で示す対比の多くは、この意味での推定ないし作業仮説であって、確定した史実ではない。

この腑分けの姿勢は、地域史の記述一般にも通じる作法である。私たちは土地の由来を語るとき、しばしば「本当のところはどうだったのか」という問いに引き寄せられ、限られた伝えのなかから一つの正解を選び取ろうとする。だがその態度は、確度の異なる情報を無理に一つの平面へ押し込め、選ばれなかった伝えを切り捨てることにつながりやすい。史料で確認できることは史実として、地形から導かれることは推定として、語り継がれてきたことは伝承として、それぞれの位置を保ったまま書き留める。於保と長野という、史料の薄い低地の二地区を扱う本稿にとって、この手続きは装飾ではなく、議論を成り立たせるための土台である。

天竜川左岸の低地に並ぶ二つの旧村 天竜川(左岸の低地へ) 大池(溜池) 於保 長野(小島・前野・鮫島ほか) 後背の低地に広がる水田 旧村のおおよその区切り(模式)
図1 位置関係の模式図(独自作成)。於保(西寄り・大池に近い)と長野(東に水田が広がる)を、低地・微高地・水路・天竜川の関係として象徴的に示したもの。実際の境界や池の位置を正確に表すものではない。

3. 水利 ── 「溜める於保」と「流す長野」という見立て

両地区を分ける最も分かりやすい軸は、水との付き合い方である。ここでは確認できる事柄と、地形から導かれる推定とを分けながら述べたい。於保地区については、「大池」と呼ばれる溜池の存在が地域の記憶として伝わっている3。低地でありながら安定して水を得るために、池に水を溜め、必要なときに田へ配るという仕組みは、水源が天水や小河川に偏る土地でよく見られる工夫である。

もっとも、大池が地域の農業用水の要であったかどうかについては、慎重に扱う必要がある。ここには二つの見方が対立しうる。一つは、大池を配水の拠点とみて、於保の集落と水田はこの「溜めて配る」仕組みを中心に編成されていたとする見方である。溜池という地物・地名が現に伝わること、低地で安定水源を確保する必要が高いことを根拠とする。もう一つは、大池を農業用水の中核とまでは見ず、低湿地に自然に生じた水たまりや遊水の名残が地名として残ったにすぎない、とする見方である。前者は水利の実態を示す一次史料を欠く点に弱みがあり、後者は「大池」という規模を含意する呼称や、それが地域の記憶として保たれてきた事実を軽く見積もりすぎる恐れがある。本稿の立場は、大池を「溜めて配る」性格の象徴として作業仮説的に扱いつつ、その用水機能の実態は現地確認と資料調査を要する未確認事項として留保する、というものである。

一方の長野地区は、小島・前野・鮫島・白拍子などの旧集落が低地に点在し、水田が面的に広がる景観が読み取りやすい。ここでは、特定の一つの水源に依存するというより、用水路と排水路の網の中で「水を引く・逃がす」連続的な調整が、暮らしの中心にあったと考えられる。低地の水田は、水が足りなくても困るが、抜けなくても困る。長野のような広い低地では、この排水、すなわち水を逃がす側の難しさが、より前面に出やすい。やや図式的に言えば、於保は「溜める」性格が、長野は「流す(引き・逃がす)」性格が読み取りやすい、という対比になる。むろん実際には両者は重なり合っており、於保にも水路はあり、長野にも溜め水の工夫はあったはずである。あくまで重心の置き方の違いとして理解されたい。

この「溜める/流す」という対比そのものにも、史料批判が要る。二項対立は理解を助ける一方で、実態を単純化しすぎる危うさを伴う。於保にも排水の課題はあったはずであり、長野にも渇水期の溜め水はあったはずである。両地区を截然と分けてしまうと、低地の水利が本来もっていた連続性が見えなくなる。本稿が「見立て」「作業仮説」という語を繰り返し用いるのは、この対比を分析の入口としては採りつつ、それを固定した結論へと硬直させないためである。重心の違いは確かにあると考えるが、その濃淡がどの程度のものであったかは、なお用水・排水の実態を示す資料による裏づけを待たねばならない。

「溜める於保」と「流す長野」という見立て 於保 ── 溜めて配る 大池(溜池) 必要なときに田へ配る 長野 ── 引いて、逃がす 用水と排水の網のなかで連続的に調整 水が足りなくても困り、抜けなくても困る ── 広い低地では排水側の難しさが前に出る やや図式的な作業仮説であり、確定した断定ではない
図2 水利の性格の対比(独自作成)。溜池という地物・地名から導かれる見立てであり、確定した事実ではない。実際の位置・規模を表すものでもない。

4. 農地と集落 ── 田を守る仕組みと共同体の単位

低地の水田は、自然のままに置けば成り立つものではない。水を引く水路、余分な水を逃がす排水路、畦や区画、そしてそれらを共同で維持する人の手──この一式が揃って初めて、田は田として機能する。於保にせよ長野にせよ、広い水田景観の背後には、長い時間をかけて積み上げられた「田を守る仕組み」がある。この仕組みの担い方に、両地区の集落の性格が反映される。

於保では、大池のような水源を共同で管理し、配水の順番や量をめぐって地域の取り決めが営まれてきたと推測される。溜池に依存する地域では、誰がいつ水を使うかという調整が共同体の重要な仕事になりやすく、それが集落のまとまりを強める方向に働くことがある。於保と大池を扱った既刊論考で述べたとおり、水を得ることと逃がすことの双方が、この地区の集落形成を規定してきたと考えられる。長野では、面的に広がる水田を貫く用排水路の維持・浚渫(さらえ)が、点在する複数の集落をまたいで共同で担われてきたと考えられる。どちらも、農地を守ることがそのまま共同体を結ぶ営みであった点は共通している。

集落がどこに、どのように固まったのかは、寺社・墓地・小字(こあざ)といった、地図に残りやすい目印から読み取ることができる。低湿地では、わずかに高い微高地が住むに適した場所となり、そこに家が寄り、寺社や墓地が置かれ、周囲に小字の名がついていく。長野地区で目を引くのは、小島・前野・鮫島・白拍子といった複数の旧集落名が並ぶことである。点在する旧集落は、それぞれが小さな共同体の単位を持ちながら、水利や祭礼を通じてゆるやかに結ばれていたと考えられる。これに対し於保地区では、集落が比較的まとまる傾向がうかがえ、その中心に共同体の核となる寺社や、水源である池が位置していたと見ることもできる。長野地区の成り立ちを扱った既刊論考が描いた分散型の集落像と、於保の集約的な集落像とを並べると、南部低地における集落配置の幅が見えてくる。

こうした仕組みは、担い手が十分にいる間は静かに回り続ける。問題は、その担い手が細っていくときである。水路の泥上げや畦の草刈りといった作業は、田を作る人が減れば一人あたりの負担として重くのしかかる。耕作されなくなった田が点在すると、水の流れや管理にも影響が及びうる。集落が集約している於保では、共同の意思決定はしやすい反面、その核が弱まると地区全体が影響を受けやすい。分散している長野では、一か所の衰えが全体に直結しにくい代わりに、全体をまとめる仕組みを別に用意する必要が生じる。集落の固まり方の違いは、共同体の強さと弱さの現れ方の違いでもある。

ここで一つ、比較が陥りやすい誤りに触れておきたい。集約型を「まとまりが強い」、分散型を「まとまりが弱い」と価値づけるのは早計である。分散型の長野で複数の旧集落が併存しえたのは、それぞれが独立して水と農地を扱えるだけの条件を備えていたからであり、それは弱さではなく別の強さの現れとも読める。逆に集約型の於保は、核を共有するがゆえの効率と、核への依存という脆さとを、同じ構造の表裏として抱える。集落の固まり方は、共同体の優劣ではなく、土地の条件への異なる適応の形として読むべきである。分けて優劣を競うのではなく、それぞれの適応の理路を読み解くことに、比較の値打ちがある。

集落の固まり方 ── 集約と分散 於保 ── 集約型 寺社・池 核が弱まると全体に響きやすい 長野 ── 分散型 小島 前野 鮫島 白拍子 一か所の衰えは直結しにくいが、束ねる仕組みが要る
図3 集落配置の対比(独自作成)。於保の集約型と長野の分散型を、共同体の単位の違いとして図式化したもの。旧集落の正確な範囲や現住所との対応を示すものではない。

5. 地名と成立 ── 大池・「島」地名をめぐる史実と推定

地名は、集落の成立を読むうえで有力な手がかりとなる。ただし地名の由来には、地形だけでなく、人名・伝承・後世の当て字など複数の要因が絡む。ここでは、於保・長野の代表的な地名を、史実として確認できる部分と、推定にとどまる部分とに腑分けしておきたい。まず史実の範囲を確認すると、於保・長野がともに磐田市南部、天竜川左岸の低地に位置すること、両地区が旧村を単位として近代の行政区分に組み込まれたことは、公的資料で確認できる。これに対して、個々の地名の由来や、集落の成立年代を具体的に記す一次史料は、本稿の調査範囲では確認できていない。これは「そうした史料が存在しない」(記載なし)と断ずるのではなく、あくまで「管見の限り突き当たっていない」(未確認)という状態である。

長野地区の「島」を含む地名について、二つの解釈が対立しうる。一つは、これを低湿地の中の微高地、すなわち「水に囲まれた高み」を示す地形語とみる解釈である4。低地に集落が点在し、それぞれが微高地に乗るという景観と整合する点が、この解釈の強みである。もう一つは、「島」を人名・屋号・後世の当て字に由来する語とみる解釈で、地名の由来を地形へ短絡させることへの戒めとして働く。前者は各集落の比高や地質を裏づける現地資料をなお欠き、後者は「島」地名が低地に集中して分布するという傾向をどう説明するかという課題を残す。本稿の立場は、「島」地名を微高地の可能性を示す手がかりとして扱いつつ、由来の断定は避け、治水地形分類図や地籍資料による比高の確認を今後の課題とする、というものである。

大池についても同様に、地名が指し示す実態は史実と推定の境界にある。「大池」という呼称が地域の記憶として伝わることは確認できるが、その位置・規模・現在の状況、および農業用水としての役割の実態は、いずれも現地確認を要する未確認事項である。地名は、過去の土地利用や水との関係を凝縮した化石のようなものであり、正しく読めば集落史の骨格を照らす。だが読み違えれば、確度の低い推定を史実のように語る誤りに陥る。本稿が地名を扱う際に、そのつど「可能性」「推定」と明示するのは、この誤りを避けるためである。小字(こあざ)もまた、住所表記の整理で表に出にくくなったが、農地や水路の管理、地域の記憶の中に生き続けており、旧村の集落単位を読む有力な手がかりとなる。

地名研究には、地形へ短絡させる解釈と、地形以外の由来を重んじる解釈とのあいだに、長い緊張の歴史がある。「島」のように地形を連想させる語ほど、地形語と決めつけたくなるが、同じ字が屋号や人名、あるいは瑞祥を込めた当て字として付されることも珍しくない。したがって一つの地名から集落史を語るには、複数の傍証、すなわち周辺の小字、比高、旧河道、寺社の位置といった要素を束ねて読む必要がある。本稿が個々の地名について結論を急がないのは、この束ねる作業を経ないままの断定が、後の調べものをかえって誤らせるからである。地名は結論ではなく、問いの出発点として扱うのが穏当である。

集落の成立時期についても、史実と推定を分けておく必要がある。両地区の旧村が近代の行政村として編成されたことは史実として確認できるが、個々の集落がいつ、どのような順序で低地に定着したのかを直接記す史料には、本稿の範囲では突き当たっていない。低地の開発は、微高地への居住から始まり、後背湿地の水田化、用排水路の整備という段階を踏んで進むのが一般的であり、於保・長野もおおむねこの筋道をたどったと推定される。ただし、その具体的な年代や主体は未確認であり、開発を主導した領主・土豪・村請の別といった論点は、村方文書の博捜を待って初めて像を結ぶ。ここでも、一般的な低地開発の原理から導かれる推定と、個別の史実とを取り違えないことが肝要である。

表1 於保・長野の比較 ── 地形・水利・集落・地名・生活圏・課題の重心(確認事実と推定を含む見取り図)
観点於保地区長野地区確度の層
地区分類磐田市南部磐田市南部史実
地形の土台天竜川左岸の低地。微高地と後背湿地が混在。天竜川左岸の低地。水田が面的に広がる。史実(一般的地形)
水利の重心「溜める」── 大池に象徴される溜池・配水。「流す」── 用排水路による引き・逃がしの連続調整。推定(作業仮説)
集落の固まり方やや西へまとまる集約傾向(微高地・道沿い)。小島・前野・鮫島・白拍子など複数の旧集落が点在。推定
地名の手がかり大池など水に関わる地物・呼称。「島」を含む地名など、微高地を示唆しうる語。推定(由来は未確定)
生活圏の向き中泉・見付方面の市街地、天竜地区への道。南の竜洋・福田方面、天竜地区方面への横のつながり。推定
共通する将来課題農地維持・空き家・相続・浸水備え・記憶継承。農地維持・空き家・相続・浸水備え・記憶継承。現状分析

表に整理すると違いが際立つが、最下段に置いた「共通する将来課題」が両列でまったく同じであることにも注意してほしい。水の引き方や集落の固まり方は分かれていても、これから直面する問題の枠組みは、南部低地として強く共通している。比較の目的は、この分かれる部分と つながる部分の両方を同時に見ることにある。右端に確度の層を添えたのは、各行の記述が史実なのか推定なのかを読者が判断できるようにするためである。表のうち断定できるのは上二行にとどまり、水利や集落・地名に関わる中段は、いずれも推定ないし作業仮説として読まれるべきものである。

6. 道と災害 ── 生活圏の向きと低地の宿命

集落は、内に閉じているだけでは続かない。米や農産物を運び出し、人や情報を行き来させる道があってこそ、暮らしは成り立つ。於保と長野は、外の世界へ向かう「向き」にも、ゆるやかな違いがあると考えられる。於保は、北側の天竜地区や、中泉・見付といった磐田の市街地方面への道とのつながりが想像しやすい位置にある。市街地に近いということは、生活物資や仕事、学校・商業施設へのアクセスがよい一方で、市街地化・宅地化の波が及びやすいということでもある。長野は、より南、すなわち竜洋・福田方面の低地や海寄りの地域、そして天竜地区方面との横のつながりの中に置かれている。南部低地の中での「位置」が、それぞれの生活圏の向きを決めてきた面がある。

この生活圏の向きは、天竜地区という上流側の低地との関係を抜きには語れない。天竜地区の成り立ちを扱った既刊論考で述べたとおり、天竜川の恵みとリスクは、左岸低地の集落に共通して働いてきた条件である。於保も長野も、その大きな低地の一部として、天竜地区と地続きの水と道の系統の中にある。近現代に入り、自動車が主役になり幹線道路や橋が整備されると、この向きは大きく組み替えられた。徒歩や舟で動いていた時代の生活圏と、車で動く現在の生活圏は同じではない。便利な道ができることは発展の条件だが、同時に、旧道や水路沿いの古い動線が忘れられ、地名や小字が見えにくくなる原因にもなる。道は、集落を発展させる力であると同時に、古い記憶を覆い隠す力でもある。

低地に暮らすということは、水の恵みと、水のリスクを同時に引き受けるということである。於保・長野はともに天竜川左岸の低地にあり、過去の氾濫がつくった地形そのものの上に成り立っている。だからこそ、浸水のリスクは煽るべき恐怖ではなく、この土地が持つ歴史的な条件として、冷静に受け止める対象である。かつての人々は、微高地に住み、低地を田にし、水神や地蔵といった信仰を水辺に置くことで、水と折り合いをつけてきた。集落の位置取りそのものが、長い経験に裏打ちされた防災の知恵だったとも言える。現在では、磐田市のハザードマップや治水地形分類図によって、どこがどの程度浸水しうるかを具体的に確認できる5。古い集落がなぜそこに固まったのかを地形から読むことと、現在の浸水想定を確認することは、別々の作業ではなく、地続きの理解である。

将来に向けては、水害が起きるか起きないかという二択ではなく、もし大きな出水があったときに、誰がどこへ、どの道で避難するのかという具体的な備えが問われる。担い手が減り、空き家が増えると、こうした共同の備えそのものが弱まりかねない。集約型の於保と分散型の長野とでは、避難の呼びかけや助け合いの回路も異なる形をとるはずである。防災は、農地維持や記憶の継承と切り離せない、同じ根を持つ課題である。

災害の記憶は、農地や地名と同じく、記録されなければ薄れていく。大きな出水が数十年に一度の頻度でしか訪れないとすれば、その間に世代は入れ替わり、どこまで水が来たか、どの道が使えたかという具体的な知は継承されにくい。微高地に集落が乗るという配置は、こうした忘却に抗して土地そのものに刻まれた記憶であるとも言える。地形を読むことは、過去の水害の痕跡を読むことでもあり、それを現在のハザード情報と重ねることで、漠とした不安ではなく具体的な備えへと置き換えられる。於保・長野の集落配置は、その意味で、防災を考える出発点としての値打ちをもつ。過去の位置取りを侮らず、しかしそれに寄りかかりすぎず、現在の想定と照らし合わせて更新していく姿勢が求められる。

どちらを向いて開いていたか 中泉・見付 ── 市街地方面 於保 市街地に近い=波も及びやすい 長野 南部低地の横のつながりのなか 竜洋・福田 ── 海寄りの低地 天竜川左岸の低地という共通の土台 自動車の時代に、この「向き」は大きく組み替えられた
図4 生活圏の向きの模式図(独自作成)。両地区が外の世界へ向かう「向き」のゆるやかな違いを象徴的に示した概念図であり、実際の位置・道筋を表すものではない。

7. 土地と家 ── 不動産・相続の視点から

これまで述べてきた農地維持・空き家・防災といった課題は、突き詰めると「土地と家を、次にどう手渡すか」という問題に行き着く。低地の水田や、微高地の上に建つ古い家屋は、長く一族や集落が守ってきた資産であると同時に、地域の記憶そのものでもある。担い手の高齢化が進むと、田を継ぐ人がいない、家を継ぐ人が遠方にいる、といった状況が増える。相続の手続きが整理されないまま時間が過ぎると、所有者が分からなくなった土地、すなわち相続未登記・未整理の土地が生まれやすい。

そうした土地は、農地として維持することも、活用することも難しくなり、水路の管理や防災の備えにも影を落とす。於保・長野のような低地集落では、この「土地と家の宙づり」が、地域記憶の希薄化と静かに結びついていく。集約型の於保では、核となる家や土地の宙づりが集落全体の求心力を弱めかねず、分散型の長野では、点在する旧集落のそれぞれで同じ問題が個別に進行しうる。集落の性格が異なれば、相続未整理がもたらす影響の現れ方も異なる。

逆に言えば、土地と家の来歴を早めに整理し、誰がどう引き継ぐかを家族や地域で話し合っておくことは、それ自体が地域の記憶を守る行為でもある。磐田で暮らし、土地や空き家、実家の相続に関わる立場から言えば、こうした相談は決して特別なことではなく、田を守り水路をさらえてきた営みの、現代版の延長線上にあるものだと考えている。気がかりがあるときに、土地・家・空き家の記憶を残す相談先として、本サイトの運営に連なる窓口を控えめに案内しておきたい(詳しくはページ下部のリンクから)。

付け加えれば、土地と家の来歴を整理する作業は、郷土史の記述とも通じ合う。誰がいつその土地を拓き、どの水路で田を潤し、どの道で外とつながってきたか──こうした来歴を書き留めることは、相続の場面で土地の意味を次の世代へ伝える手がかりにもなる。歴史を記録することと、土地を手渡すことは、別々の営みではない。本稿のような比較地域史が、地区ごとの条件を可視化することで、そこに暮らす人が自らの土地を語り直す一助になればと考えている。

於保大池=「溜める」 長野水田=「流す」 分けるもの水の扱い方 つなぐもの ── 南部低地の水利と行政村の編成 於保と長野 ── 分けるもの・つなぐもの
図7 於保と長野を分けるもの・つなぐもの。於保は大池に水を「溜める」、長野は水を「流す」という水の扱いの違いが両地区を分け、南部低地の水利と近代の行政村編成がそれらをつなぐ。

8. 結論 ── 「衰退」ではなく「再定義」を問われている

於保と長野を並べて見えてきたのは、「分けるもの」と「つなぐもの」の両方であった。分けるものは、水を溜めるか流すか、集落を寄せるか点在させるか、どの方角へ開いているかといった、土地ごとの答え方の違いである。これらはいずれも、本稿では推定ないし作業仮説として提示したものであり、一次史料によって確定した史実ではない。つなぐものは、天竜川左岸の低地という共通の土台と、田を守ることが人を結ぶという原理、そして農地維持・空き家・相続・防災・記憶継承という、共通の将来課題である。分ける部分は確度の層が薄く、つなぐ部分は現状分析として確度が高い、という非対称も、本稿の比較が明らかにしたことの一つである。

これらの課題を前にして、「南部低地は衰退する」と一言で片づけるのは、正確でも誠実でもない。確かに、担い手が減り続け、記録されなければ、地名も水利の知恵も静かに失われていくだろう。それは条件付きの、しかし現実的な懸念である。だが同時に、静かな水田景観、微高地に守られた集落、水と折り合ってきた暮らしの記憶には、これからむしろ価値が高まりうる側面がある。市街地の喧噪から距離を置いた住環境、受け継がれた農地景観、そして「この土地がなぜここにあるのか」を語れる地域の記憶は、人口の多寡だけでは測れない財産である。

必要なのは、衰退か存続かという二択ではなく、それぞれの地区が持つ条件、すなわち於保の溜める力、長野の広がる水田、両者に共通する低地の知恵を見極めたうえで、これからの暮らしの形を地区ごとに「再定義」していく作業である。そのためにはまず、確度の層を保ったまま資料を積み上げ、未確認を史実へ、推定を通説へと押し上げていく地道な手続きが要る。大池の用水機能、「島」地名の由来、旧集落の範囲といった未確認事項は、治水地形分類図・今昔マップ・市の文化財資料の照合と、地域の聞き取りによって、少しずつ確度を上げられる。本稿の比較が、その再定義と検証のための、ささやかな見取り図になればと願う。於保と長野を個別に掘り下げる作業は、既刊の各総論に譲り、両地区を貫く水利史の通観については、稿を改めて論じたい。

分けるもの、つなぐもの 分けるもの ── 答え方の違い(推定) 水を溜めるか、流すか 集落を寄せるか、点在させるか どの方角へ開いているか つなぐもの ── 土台と課題(確度は高い) 天竜川左岸の低地という土台 田を守ることが人を結ぶ原理 農地・空き家・相続・防災・記憶 問われているのは「衰退か存続か」の二択ではない それぞれの条件を見極めたうえでの「再定義」である
図5 結論の整理(独自作成)。於保と長野を並べて見えてきた相違点と共通点をまとめた概念図であり、地区の範囲や優劣を示すものではない。

最後に、本稿が扱いえなかった課題を明記しておく。第一に、大池の用水機能と長野の用排水系統の実態は、水利組合資料や近世・近代の村方文書を博捜することで、未確認の状態を一歩前進させられる余地がある。第二に、「島」地名をはじめとする小字の由来は、治水地形分類図による比高の確認と地域の聞き取りとを突き合わせることで、地形語か否かをより精確に判定しうる。第三に、両地区の生活圏の向きの変化は、旧版地形図と今昔マップの比較によって、道と集落の組み替えの過程を跡づけられる。これらはいずれも、本稿が設定した確度の層のなかで、推定を通説へ、通説を史実へと押し上げていく作業に属する。分けるものと つなぐものを同時に見る視点を保ちながら、資料を積み上げていくこと──その先にこそ、南部低地という一つの面の全体像が、少しずつ像を結んでいくはずである。

確度を積み上げる ── 未確認から史実へ 未確認突き当たっていない 推定根拠あり未確定 通説広く支持 史実史料で確認 資料の照合と聞き取りが、確度を一段ずつ押し上げる
図6 確度を押し上げる方向(独自作成)。本稿の未確認・推定事項を、資料の照合と聞き取りによって通説・史実へと押し上げていく手続きを図式化したもの。
本稿が扱った於保・長野のような低地集落には、田や水路とともに受け継がれてきた古い家や土地が数多く残る。筆者は磐田・袋井で不動産と介護の実務に携わる立場から、こうした土地の記憶にも向き合ってきた。家・土地・空き家の整理について相談することができる。歴史を書き留めることと、その舞台となった土地を次の世代へ手渡すことは、地続きの営みだと考えている。

  1. 現在の磐田市の地区区分は、明治の町村制(1889年施行)以降に整理された行政・生活上の枠組みを基礎とする。近世やそれ以前の村・水利のまとまりと必ずしも一致しない点に留意を要する。
  2. 自然堤防・後背湿地の分布は、国土地理院の治水地形分類図・旧版地形図等での確認が望ましい。本稿の地形記述は一般的な低地地形の原理に基づく。
  3. 「大池」は地域の記憶として伝わる呼称である。その正確な位置・規模・現在の状況、および農業用水としての役割の実態は、本稿の調査範囲では未確認であり、現地確認を要する。
  4. 「島」を含む地名を低湿地の微高地を示す地形語とみる解釈は一つの可能性であり、人名・当て字など地形以外の由来も想定される。由来の断定には地籍・比高資料と現地確認を要する。
  5. 浸水想定は磐田市のハザードマップ(天竜川水系の洪水・浸水想定)による確認が前提となる。集落の位置と浸水想定の対応関係は、治水地形分類図と併せて読むことが望ましい。

付記:本稿は一般読者向け記事 s017 の内容を、郷土史研究者向けに確度の層(史実・推定・伝承)と史料批判の観点から再構成した論考版である。於保=「溜める」/長野=「流す」という水利の重心の対比、および「島」地名・大池の由来はいずれも推定ないし作業仮説として扱い、断定を避けた。

参考文献・参考資料

  • 磐田市『磐田市史』通史編・資料編(旧於保村・旧長野村の村域・大字・沿革の整理に関する該当章)。
  • 磐田市『磐田市史』民俗編(低地集落の水利・農耕・祭礼に関する記述)。
  • 国土地理院「地理院地図」および旧版地形図・治水地形分類図(低地・自然堤防・後背湿地・旧河道の確認) https://maps.gsi.go.jp/ (最終閲覧:2026年7月25日)。
  • 今昔マップ on the web(明治期と現在の集落位置・道路・水田・水路の比較) https://ktgis.net/kjmapw/ (最終閲覧:2026年7月25日)。
  • 磐田市「洪水ハザードマップ(天竜川水系)」 https://www.city.iwata.shizuoka.jp/ (最終閲覧:2026年7月25日)。
  • 総務省統計局・e-Stat「国勢調査」(南部地区の人口・世帯・高齢化の傾向) https://www.e-stat.go.jp/ (最終閲覧:2026年7月25日)。
  • 農林水産省「農林業センサス」(農地・経営体・耕作放棄の動向) https://www.maff.go.jp/ (最終閲覧:2026年7月25日)。
  • 磐田市文化財・埋蔵文化財関係資料(寺社・旧村・小字について確認できる地域史資料)。
  • 静岡県編『静岡県史』(遠江の低地開発・水利史に関する該当章)。
  • 柳田國男ほか『地名の研究』系の地名学的研究(「島」など低地微高地地名の解釈に関する一般的知見)。
  • 大石浩之「於保と大池 ── 南部低地の水と村」『大石浩之の磐田論考』第92号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/092/ (最終閲覧:2026年7月25日)。
  • 大石浩之「長野地区の成り立ち ── 水田の広がりと旧集落の輪郭」『大石浩之の磐田論考』第119号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/119/ (最終閲覧:2026年7月25日)。
  • 大石浩之「天竜地区の成り立ち ── 川と低地がつくった暮らしの記憶」『大石浩之の磐田論考』第133号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/133/ (最終閲覧:2026年7月25日)。
  • 磐田物語 s017「於保と長野を分けるもの、つなぐもの ── 水利・農地・集落の南部史」(本稿の一般向け記事版) https://iwata-monogatari.net/s017 (最終閲覧:2026年7月25日)。