磐田郷土史研究紀要
大石浩之の磐田論考 第288号(磐田文化史研究 総合)
磐田の芸能と文化を総合する ── 絵巻・芸能館・文人画・音の記憶
有形と無形の文化をいかに記録し継承するか ── 既刊各論の史料批判的整理
1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役
要旨
本稿は、芸能と文化を主題として既に公にした複数の各論──熊野絵巻の物語(第168号)、熊野伝統芸能館という保存の場(第207号)、遠州の文人画ネットワーク(第275号)、福田の音楽活動(第232号)、そして祭りを記録した私家版の書物(第256号)──を先行研究として横断し、整理・史料批判する総合論考である。論点は三つに整理される。第一に、地方における文化の営みが、物語・芸能・絵画・音という異なる形式をとりながら一つの地域史を編んできたこと。第二に、有形の文化と無形の文化とでは、記録と継承の回路が根本的に異なること。第三に、「地方文化は中央に劣らない」という命題を、実証と価値判断の別を保ちながらどう扱うかである。作品や記録の存在は史実として、様式の評価や影響関係は推定として腑分けし、とりわけ無形文化における史料の乏しさに正面から向き合う。「未確認」と「記載なし」を区別する姿勢を、本稿は五つの各論すべてに一貫して適用する。
キーワード:地方文化論/有形文化と無形文化/熊野絵巻/伝統芸能保存/文人画ネットワーク/音の文化史/史料批判
1. 問題設定 ── 芸能と文化を「総合する」とはどういう作業か
本論考シリーズでは、磐田の芸能と文化を主題として、これまでいくつかの各論を個別に公にしてきた。豊田・池田に伝わる熊野絵巻の物語、その池田に建つ熊野伝統芸能館という保存の施設、遠州に広がった文人画のネットワーク、福田に受け継がれた音楽の営み、そして福田の祭りを記録した一冊の私家版の書物──これらは、それぞれ扱う素材も地区も年代も異なる。にもかかわらず、五つを並べてみると、地方における文化の営みを記録し継承するという同じ課題が、形を変えて繰り返し立ち現れていることに気づく。本稿は、この繰り返される課題そのものを主題として、既刊各論を横断的に整理し直す試みである。
ここでいう「総合」とは、各論の結論を足し合わせて一つの大きな結論に仕立てる作業ではない。むしろ、それぞれの各論がどのような資料に立脚し、どこまでを確実に言え、どこから先が推定にとどまるのかを、共通のものさしで並べ直す作業である。個別の論考では、対象に即して史実と推定を腑分けしてきたが、対象が変われば腑分けの勘所も変わる。絵巻という有形の作品を扱うときと、祭囃子という無形の芸能を扱うときとでは、そもそも「史料」と呼びうるものの手ざわりが違う。横断してはじめて見えてくるのは、この手ざわりの違いこそが、地方文化を記録する営みの核心にあるという事実である。
あらかじめ本稿の見取り図を示しておく。第一の軸は、有形の文化と無形の文化という区別である。絵巻や絵画や書物は、物として残り、後世の目で直接に検分できる。これに対して、芸能や音楽は、演じられ、鳴らされたその場で消える。無形の文化を記録するとは、消えていくものを何らかの形へ写し取る作業であり、そこには必ず、写し取る者の選択と省略が介在する。第二の軸は、記録と継承の回路である。有形の文化は物として継承されるが、無形の文化は、担い手の身体から身体へ、あるいは記録という迂回路を通じてしか継がれない。第三の軸は、こうして残された地方の文化を、中央の文化との関係のなかでどう評価するかという価値の問題である。
方法上の原則を一つ、はじめに明示しておきたい。本稿は、対象となる作品・施設・記録が現に存在することを史実として扱う一方、その様式的な評価や、中央の文化との影響関係については推定として扱い、両者を語の水準で区別する。絵巻が行興寺に伝来すること、芸能館が池田に建つこと、私家版の書物が刊行されたことは、いずれも確認できる事実である。しかし、その絵巻の筆致が中央の絵師に劣らないとか、この地の文人画が崋山の直接の感化によるといった判断は、確実な論証を経ないかぎり推定の域を出ない。あわせて、一次史料に突き当たっていない「未確認」の状態と、史料に端から記載がない「記載なし」とを、本稿は五つの各論すべてにわたって区別する。以下ではまず各論を先行研究として要約し、続いて三つの軸に沿って検討を進め、結論に至る。
2. 先行研究の整理 ── 五つの各論を読み直す
横断的な検討に入る前に、対象とする五つの各論を、それぞれの主張と資料的基盤に即して要約しておく。以下の整理は各論を先行研究として扱うものであり、その結論を無批判に受け入れるためではなく、共通のものさしで並べ直すための下作業である。
第一に、熊野絵巻を読む(第168号)である。豊田・池田の行興寺に伝わる熊野絵巻を対象とし、その詞書が熊野御前・千手・朝顔という三人の女性の物語として構成されていることを、詞書そのものの構造から読み解いた論考である。絵巻という有形の作品が現に伝来することは史実として扱いつつ、絵の制作年代や筆者は容易に確定できず、詞書に描かれる人物の史実性もまた慎重な留保を要するとした。作品が残っていることと、その内容が史実であることとを混同しない姿勢が、この各論の骨格をなす。
第二に、熊野伝統芸能館を読む(第207号)である。同じ池田の、行興寺にほど近い地に建つ熊野伝統芸能館を、「無形の文化がどのように具体的な場へ定着するか」という問いのもとに読んだ。施設の存在と名称は地域資料で確認できる史実として扱い、そこで保存される芸能の由来や、熊野伝承との結びつきは推定として腑分けする。記録・上演・継承という保存の三つの位相を区別した点が、本稿の枠組みにとって重要な足がかりとなる。
第三に、遠州の文人画を総合する(第275号)である。これはすでにそれ自体が総合論考であり、福田半香を軸に、渡辺崋山との関係、半香義会、掛塚湊を介した文人ネットワーク、そして「地方文化は中央に劣らない」という命題を横断的に扱った。作品や書簡の存在を史実とし、人物評価や影響関係を推定として腑分けする方針は、本稿が引き継ぐべき先例である。
第四に、福田の音楽活動を読む(第232号)である。福田に伝わる楽団・唱歌教育・祭囃子を「音の文化」として読み、無形の音をどのように記録し継承しうるかを主題とした。音楽活動があったこと自体は史料で確認できるが、その具体的な編成や旋律を直接に記す一次史料は乏しく、多くが未確認にとどまるという状況を、この各論は正面から引き受けている。
第五に、『東屋台と西屋台』を読む(第256号)である。1985年に福田で刊行された私家版の書物を対象に、祭りの内容そのものではなく、その祭りを「誰が、何のために、何を落として記録したか」を書誌・編纂の視点から読んだ。記録という行為それ自体を史料批判の対象に据える方法は、無形の文化を扱ううえで示唆に富む。以上の五つを、次章以下で三つの軸に沿って読み直していく。
3. 有形と無形 ── 文化の営みを類型化する
五つの各論を並べて最初に見えてくるのは、対象が有形と無形のあいだに一様に分布しているのではなく、両者のあいだを橋渡しする中間の領域に多くが位置しているという事実である。純粋に有形なのは、物として残る絵巻や文人画の作品であり、純粋に無形なのは、演じられて消える祭囃子や、鳴らされて消える楽団の音である。だが、熊野伝統芸能館は、無形の芸能を保存するために建てられた有形の施設であり、私家版の書物は、無形の祭りを記録した有形の刊行物である。文化の営みは、有形と無形のいずれか一方に純粋に属するのではなく、無形のものを有形の器へ移し替え、有形のものから無形の意味を読み取るという往復のなかにある。
この往復を整理するために、二つの軸を立てておきたい。一つは、対象そのものが有形か無形かという軸である。もう一つは、その対象が担っているものが「物語・意味」なのか「所作・音」なのかという軸である。絵巻は有形でありながら物語を担い、文人画は有形でありながら作者の教養と交友という無形の意味を帯びる。祭囃子は無形であり、しかも所作と音そのものが内容である。芸能館と私家版の書物は、無形の所作や音を、有形の場や紙へ写し取った記録として、二軸の中間に位置づけられる。この見取り図に立つと、地方文化の記録という営みが、なぜ画一的な方法をとりえないのかが明らかになる。対象の性質が違えば、残しうるものも、残せずに失われるものも違うからである。
類型化は分類のための分類ではない。それぞれの類型ごとに、史料批判の作法が変わることを見きわめるためのものである。有形の作品に対しては、伝来の経路、材質、様式といった、物そのものに即した検証が可能である。これに対して無形の芸能に対しては、物そのものが残らない以上、記録した者の証言や、間接的な言及を突き合わせるほかない。そして無形を記録した有形物──芸能館や書物──に対しては、記録という行為の性格そのものを問う、いわば二重の史料批判が要る。誰が、いつ、どのような意図で、何を選び、何を落として記録したのか。この問いを欠いたまま記録を史料として扱えば、記録者の選択をそのまま史実と取り違えることになる。
4. 物語という文化 ── 熊野絵巻の位置
有形の極から検討を始める。豊田・池田の行興寺に伝わる熊野絵巻は、物として残る点で、五つの対象のなかで最も検分しやすい素材である。だが、絵巻を「読む」という作業は、物が残っていることと、そこに描かれた内容が史実であることとを、慎重に切り離すところから始まる。第168号が明らかにしたのは、この絵巻の詞書が、熊野御前・千手・朝顔という三人の女性をめぐる物語として構成されているという、詞書そのものの内的な構造であった。
ここで史実として確認できるのは、絵巻が行興寺に伝来していることと、その詞書が右のような構成をとっていることである。一方、詞書に描かれた人物が実在したか、描かれた出来事が起こったかは、絵巻の内部からは決せられない。第168号がとった立場は、絵巻の制作年代や筆者をひとまず括弧に入れ、詞書という文章そのものの構造を分析対象に据えるというものであった。作品の外側の事実(いつ、誰が描いたか)が未確認であっても、作品の内側の構造(どのように語られているか)は検証しうる。この切り分けは、有形の作品を扱ううえでの一つの型を示している。
絵巻が示すのは、物語という文化の営みが、有形の器を得て長く伝わりうるという事実である。演じられる芸能が上演のたびに消えるのに対し、絵と文字に定着された物語は、器が失われないかぎり後世の目に直接ひらかれる。熊野御前の物語は、この地に生きた人々が自らの土地に与えた意味づけであり、その意味づけが絵巻という形をとったことによって、いまも読み解きの対象でありつづけている。物語が有形化されることの強みは、まさにこの点にある。
ただし、有形化には代償も伴う。絵巻に定着された物語は、定着された時点の一つの版であって、それ以前に口で語られていたであろう多様な語りの、どれか一つが選ばれ、固定されたものである。有形化とは、無数にありえた語りの一つを選び取り、他を切り捨てる作業でもある。その意味で、有形の作品もまた、記録者の選択の産物という性格を免れない。この点は、後に検討する私家版の書物と、構造として通じ合う。物語という文化を有形の器へ移すとき、何が選ばれ、何が落ちたのかを問う視線は、絵巻に対しても有効なのである。1
5. 保存という装置 ── 芸能館と私家版の書物
次に、無形の文化を有形の器へ移し替える中間項──熊野伝統芸能館と、私家版の書物『東屋台と西屋台』──を検討する。両者は、素材こそ施設と書物とで異なるが、「消えていく無形の営みを、いかにして残るものへ定着させるか」という同じ課題に応えた装置である点で共通する。
熊野伝統芸能館は、無形の芸能を保存し、上演し、次代へ継承するために設けられた有形の場である。第207号は、この施設を通して、保存という営みが記録・上演・継承という三つの位相からなることを示した。記録は、芸能を映像や文書へ写し取る位相である。上演は、記録を再び身体の動きへ戻し、生きた芸能として演じ直す位相である。継承は、その上演を担う次の世代を育てる位相である。無形の文化は、この三つの位相が回路として連結してはじめて存続しうる。記録だけがあって上演されなければ芸能は死蔵され、上演だけがあって記録されなければ担い手の途絶とともに失われる。芸能館という装置の意義は、この回路を一つの場に束ねた点にある。
私家版の書物もまた、無形の祭りを紙へ定着させた装置である。第256号が読み解いたのは、『東屋台と西屋台』が福田の祭りの何を記録し、何を落としたかという、記録行為そのものの構造であった。書物に書かれていることは「そう記録された」という水準の事実であって、祭りの現実そのものではない。編者が何を書き残す価値ありと見なし、何を省いたのか──その選択のなかにこそ、当時の福田の人々が自らの祭りに与えていた意味が透けて見える。私家版という媒体は、公的な刊行物では零れ落ちる地域の細部を掬い取る一方、編者個人の視点という限定を強く帯びる。この長所と限定の両面を見きわめることが、私家版を史料として扱う際の要点となる。2
芸能館と書物を並べると、保存という装置が抱える共通の逆説が浮かぶ。無形の文化は、有形の器へ移し替えられることで失われずにすむ。だが、器へ移された時点で、それはもはや生きて演じられる無形そのものではなく、選ばれ、切り取られ、固定された一つの版になる。保存とは、失うことを避けるために、別の仕方で一部を失う営みでもある。この逆説を自覚したうえで、なお記録し保存することを選ぶ──その覚悟が、地方文化の継承を支えている。3
6. ネットワークと音 ── 文人画と音楽の営み
ここまでは、一つの作品や一つの装置に定着した文化を見てきた。これに対して、文人画と音楽は、個々の作品や上演を超えて、人と人との結びつきのなかに営まれる文化である。文人画は、絵の巧拙にとどまらず、作者どうしの交友、詩文の応酬、書簡の往来という無形のネットワークによって支えられていた。第275号は、福田半香を軸に、渡辺崋山との関係、半香義会という結社、掛塚湊を介した交通の便を手がかりに、遠州の文人画がこうしたネットワークの産物であったことを整理した。作品や書簡が現に残っていることは史実であるが、誰が誰にどの程度感化されたかという影響関係の判定は、多くが推定にとどまる。4
ここで史料批判上とりわけ注意を要するのは、影響関係を語る言葉である。「崋山に学んだ」「中央画壇に伍した」といった評言は、資料の裏づけがどこまで及ぶかを確かめないまま流通しやすい。作品が現に優れて見えることと、その優秀さが特定の師の感化によるものだと論証できることとは、別の事柄である。第275号がとった慎重な筆致──作品と書簡の存在を史実とし、人物評価と影響関係を推定として腑分けする姿勢──は、無形のネットワークを扱ううえでの一つの模範であり、本稿もこれを引き継ぐ。ネットワークは、点である作品と作品のあいだの線であり、線そのものは物として残らない。残された点から線を推し量る以上、そこには必ず推定が介在する。
音楽は、無形の極に位置する。第232号が扱った福田の楽団・唱歌教育・祭囃子は、いずれも鳴らされたその場で消える音の営みである。音楽活動があったこと自体は、関係者の証言や断片的な記録から確認できる。しかし、どのような編成で、どのような旋律が奏でられたかを直接に記す一次史料は乏しく、多くが未確認にとどまる。ここで「未確認」と「記載なし」の区別が決定的な意味をもつ。旋律を記した楽譜が現に伝わらないことは、そうした楽譜が端から作られなかった(記載なし)のか、作られたが失われた、あるいは筆者が把握していない(未確認)のかを、ただちには決めない。両者を混同して「記録は存在しない」と断ずれば、探索の手前で扉を閉ざすことになる。
近代の音楽には、学校の唱歌教育という制度的な回路が加わる。唱歌は、国家的な教育制度を通じて全国へ広まった音楽であり、その意味で中央から地方へ流れ込んだ文化である。一方、祭囃子は、地域の担い手によって世代から世代へ口伝えに継がれてきた、土着の音の営みである。福田の音の文化は、この外来の制度的な音と、土着の口承の音とが重なり合う場であった。両者は、記録の残りやすさという点で対照的である。唱歌には教科書や制度の記録が伴うのに対し、祭囃子は担い手の記憶と身体にしか宿らない。音という無形の文化のなかにも、記録可能性の濃淡があることを、福田の事例は示している。
文人画のネットワークと音楽の営みは、一見かけ離れて見えて、じつは同じ構造を分かち持っている。どちらも、個々の作品や上演という点ではなく、点と点を結ぶ線のなかに文化の本体があるという点である。文人にとっての交友も、囃子方にとっての世代を越えた伝授も、線として営まれ、線としてしか継がれない。そして線は物として残らない。残された点──作品、書簡、断片的な記録──から、失われた線を推し量るほかない。ここに、有形の痕跡から無形の営みを復元しようとする作業に共通する困難がある。推定を史実と偽らず、しかし推定であることを理由に沈黙もしないという抑制が、この領域では絶えず要求される。
7. 「地方文化は中央に劣らない」という命題の検討
五つの各論を横断すると、しばしば地方文化を語る際に持ち出される一つの命題に行き当たる。すなわち、「地方の文化は中央の文化に劣らない」という主張である。この命題は、遠州の文人画を論じた第275号でも明示的に扱われた。地域の文化を書き記す動機として、この主張は力をもつ。だが、命題そのものを史料批判の対象に据えると、それが実証の言明と価値の言明という、性格の異なる二つの要素を含んでいることが見えてくる。
実証の水準では、「劣らない」は検証可能な比較の主張である。ある地方の絵師の作品が、中央の絵師の作品と技法において比肩するかは、原理的には作品に即して論じうる。しかし現実には、比較の基準を誰が、どのような尺度で立てるのかという問題がつきまとう。中央の様式を基準に据えれば、地方文化は「中央にどれだけ近いか」で測られることになり、地方が独自にもっていた価値は視野から外れる。「劣らない」という言い方自体が、暗黙のうちに中央を基準として認めてしまっている点に、この命題の落とし穴がある。
価値の水準では、「劣らない」は評価の宣言であり、実証によっては決着しない。地方文化の価値は、中央との優劣という一本のものさしで測り尽くせるものではなく、その土地の人々が自らの生活のなかで育て、意味を与えてきたという事実のうちにある。熊野御前の物語も、福田の祭囃子も、中央の基準で高く評価されるかどうかとは別に、この地に生きた人々にとって確かな価値をもっていた。命題を実証と価値の二層に腑分けすれば、実証の水準では慎重な比較を要し、価値の水準では中央基準そのものを問い直すべきだ、という二重の応答が導かれる。
本稿の立場を一文で示せば、次のようになる。すなわち、地方文化を評価するにあたっては、中央との優劣を性急に断ずるのではなく、作品や記録の存在という史実を土台に据えたうえで、様式評価や影響関係は推定として慎重に扱い、価値の判断は中央を唯一の基準としない複数のものさしのもとで行うべきである。「劣らない」と言い切ることも、「劣る」と決めつけることも、いずれも中央基準への従属という同じ轍を踏む。次の比較表は、五つの各論を、対象の有形無形・史実として言える範囲・推定にとどまる範囲・史料批判上の留意点という共通の項目で並べ、この立場を具体化したものである。
| 各論 | 有形/無形 | 史実として言えること | 推定にとどまること | 留意点(史料批判) |
|---|---|---|---|---|
| 熊野絵巻(168) | 有形(物語) | 絵巻が行興寺に伝来し、詞書が三女性の物語として構成されること。 | 制作年代・筆者、詞書内容の史実性。 | 作品の伝来と内容の史実性を混同しない。有形化は一つの版の固定。 |
| 伝統芸能館(207) | 無形→有形 | 施設が池田に存在し、芸能保存の場であること。 | 保存芸能の由来、熊野伝承との結びつき。 | 記録・上演・継承の三位相を区別。場は無形を固定する装置。 |
| 文人画(275) | 有形+無形 | 作品・書簡の存在、半香義会・掛塚湊の交通。 | 崋山らからの影響関係、様式評価。 | 影響を語る評言は資料の及ぶ範囲を確かめる。線は残らない。 |
| 音楽活動(232) | 無形(音) | 楽団・唱歌・祭囃子の活動があったこと。 | 編成・旋律の具体、多くが未確認。 | 「未確認」と「記載なし」を峻別。制度の音と口承の音で記録可能性が異なる。 |
| 私家版(256) | 無形→有形 | 1985年刊の書物が現に存在すること。 | 記録から落ちた祭りの細部。 | 記録行為そのものを史料批判。編者の選択を史実と取り違えない。 |
この命題の検討は、地方文化を書き記す者の姿勢に直接かかわる。中央への対抗心から「劣らない」と力むことも、逆に地方を卑下して価値を認めないことも、どちらも中央を絶対の基準とする点で表裏一体である。地方文化の記録が目ざすべきは、優劣の裁定ではなく、その土地の人々が何を大切にし、どのような文化を営んできたかを、確度の層を保ちながら書き留めることである。実証できることは実証として、評価にとどまることは評価として区別する──この禁欲的な手続きこそが、地方文化論を情緒的な自賛から救い出す。
8. 結論 ── 有形無形を横断して継承する
本稿は、芸能と文化を主題とする五つの各論──熊野絵巻、熊野伝統芸能館、遠州の文人画、福田の音楽活動、祭りの私家版──を先行研究として横断し、共通のものさしで整理し直した。得られた見取り図は次の三点にまとめられる。
第一に、地方における文化の営みは、物語・芸能・絵画・音という異なる形式をとりながら、一つの地域史を編んできた。それぞれの形式は、有形と無形のあいだの異なる位置を占め、絵巻のように物語を有形化するもの、芸能館や私家版のように無形を有形の器へ移し替えるもの、文人画のように有形の作品を無形のネットワークが支えるもの、音楽のように無形の極にとどまるものへと分布する。この分布そのものが、地方文化を記録する方法が一様たりえない理由であった。
第二に、有形と無形とでは、記録と継承の回路が根本的に異なる。有形の文化は物として残り、後世が直接に検分できる。無形の文化は、記録という迂回路を通じてしか残らず、その記録には必ず記録者の選択と省略が介在する。したがって無形文化の史料批判は、対象そのものだけでなく、記録という行為の性格そのものへ向かわねばならない。芸能館と私家版の書物を「無形を有形へ移す中間項」として読んだことは、この二重の史料批判の必要を具体的に示した。あわせて本稿は、記録が伝わらないことを「未確認」と「記載なし」に腑分けし、探索の手前で扉を閉ざす断定を、五つの各論すべてにわたって退けた。
第三に、「地方文化は中央に劣らない」という命題は、実証の言明と価値の言明を含んでおり、両者を腑分けして扱うべきである。作品や記録の存在という史実を土台に据え、様式評価や影響関係は推定として慎重に扱い、価値の判断は中央を唯一の基準としない複数のものさしのもとで行う──これが本稿の立場である。優劣の裁定へ急ぐことは、対抗であれ卑下であれ、中央基準への従属という同じ轍を踏む。
最後に、本稿が残した課題を記しておく。第一に、無形文化における「未確認」を「史実」へ一歩でも近づけるには、担い手の証言、近世・近代の地方文書、周辺地域の類例を突き合わせる地道な博捜が要る。第二に、有形の作品と無形のネットワークとを架橋する史料批判の方法は、なお彫琢の余地を残している。第三に、五つの各論を貫く「記録者の選択」という主題は、絵巻の詞書から私家版の編纂まで通底しており、これを独立の主題として稿を改めて論じうる。有形と無形を横断して文化を継承するとは、残ったものを守るだけでなく、何がなぜ残り、何がなぜ失われたのかを問いつづけることである。その問いを手放さないかぎり、磐田の芸能と文化は、たとえ形を変えても、次の世代へ手渡されていくはずである。5
注
- 熊野絵巻の詞書構造と、作品の伝来(史実)と内容の史実性(未確認)の区別については、大石浩之「熊野絵巻を読む」(大石浩之の磐田論考 第168号)に依る。↩
- 私家版『東屋台と西屋台』を記録行為の産物として読む方法については、大石浩之「『東屋台と西屋台』を読む」(同 第256号)を参照。刊行は1985年(昭和60年)。↩
- 記録・上演・継承の三位相と、保存が抱える逆説については、大石浩之「熊野伝統芸能館を読む」(同 第207号)の整理に負う。↩
- 福田半香と半香義会、掛塚湊を介した文人ネットワーク、および影響関係を推定として扱う方針は、大石浩之「遠州の文人画を総合する」(同 第275号)に依拠する。↩
- 音楽活動における「未確認」と「記載なし」の区別、および制度の音と口承の音の対照については、大石浩之「福田の音楽活動を読む」(同 第232号)を参照した。↩
付記:本稿は、芸能・文化を主題とする既刊各論(第168・207・232・256・275号)を先行研究として横断的に整理・史料批判した総合論考(レビュー論文)である。個別事象の一次的な検証は各論に委ね、本稿は確度の層(史実・推定・未確認)を共通のものさしで並べ直す作業に徹した。作品・施設・記録の存在を史実、様式評価・影響関係を推定として腑分けし、「未確認」と「記載なし」を一貫して区別した。
参考文献・参考資料
- 大石浩之「熊野絵巻を読む ── 熊野・千手・朝顔、三人の女性の物語」大石浩之の磐田論考 第168号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/168/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 大石浩之「熊野伝統芸能館を読む ── 芸能を保存する場と信仰の記憶」同 第207号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/207/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 大石浩之「福田の音楽活動を読む ── 楽団・唱歌・祭囃子が編む音の文化史」同 第232号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/232/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 大石浩之「『東屋台と西屋台』を読む ── 一冊の私家版が記録した福田の祭り」同 第256号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/256/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 大石浩之「遠州の文人画を総合する ── 半香・崋山・地方文化のネットワーク」同 第275号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/275/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 『東屋台と西屋台』福田、1985年(昭和60年、私家版)。
- 磐田市『磐田市史』通史編(磐田市、該当章)。
- 磐田市誌編纂委員会編『磐田市誌』(該当章)。
- 行興寺および熊野伝統芸能館に関する地域資料。
- 福田町史編さん関係資料(福田の祭礼・音楽・教育に関する項)。
- 文化庁「国指定文化財等データベース」無形民俗文化財の項 https://kunishitei.bunka.go.jp/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 柳田國男・折口信夫ほかによる民俗芸能論の古典(無形文化の記録と継承に関する方法論的参照)。
- 佐口行正氏所蔵史料(磐田の文化・祭礼関係)。