失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語大石浩之の磐田論考 / 悉平太郎伝説の考察

磐田郷土史研究紀要

大石浩之の磐田論考 第16号(見付天神裸祭研究 二)

悉平太郎伝説の考察 ── 早太郎との異同と猿神退治の系譜

見付天神の霊犬譚を説話類型から読む

大石浩之1

1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役

公開日
2026.07.25
資料検証
公開資料による検証済み
対象地区
磐田市見付

要旨

磐田市見付に伝わる霊犬・悉平太郎の伝説は、信濃・光前寺の早太郎伝説と名称・筋立ての両面で強い類縁をもち、さらに人身御供を求める怪物を犬が退治するという、いわゆる猿神退治として類型化される説話群に連なる。本稿は、悉平太郎譚を見付だけに固有の史実として扱うのではなく、広く分布する説話型が見付天神の信仰と結びついて定着したものとして読む立場をとる。まず史料で確認できる事柄と伝承として語られる事柄とを腑分けし、次いで悉平太郎と早太郎の異同、全国の類話との関係、名称表記の変遷を順に検討する。伝播の経路については、信濃から遠州へ、あるいは遠州から信濃へ、または各地に独立して発生した型が後に結びついたとする諸説を対等に併記し、一つの経路に断定しない。人身御供の実在を示す一次史料は管見の限り確認できず、この物語は史実の当否とは別の水準で、地域が災厄と救済をどう語り継いできたかを示す口碑として位置づける。

キーワード:悉平太郎/早太郎/光前寺/猿神退治譚/人身御供/説話類型/見付天神

1. 問題設定 ── 一つの犬、二つの名

見付のまちを救った霊犬・悉平太郎(しっぺいたろう)の名は、磐田の人々に深く親しまれている。白羽の矢が立った家の娘を神へ供える習わしがあり、旅の僧が信濃から霊犬を借り受けて見付天神に巣くう怪物を退治し、人身御供が廃された──こうした筋立ての伝承が、見付天神裸祭の起源を語る物語の一つとして、地域に根強く伝わってきた1。ところが、この同じ犬は信濃・光前寺(こうぜんじ、長野県駒ヶ根市赤穂)では「早太郎(はやたろう)」と呼ばれ、退治の物語もまた、犬を送り出した側の話として語り継がれている。一つの物語が、遠州と信濃という離れた二つの土地に、異なる犬の名と異なる記憶の場所をもって伝わっている。

本稿の出発点は、この「一つの犬、二つの名」という事実そのものにある。悉平太郎の物語を、見付だけに起こった固有の史実として断定するのではなく、名称と筋立ての近い伝説が広い範囲に分布しているという前提に立って、その分布のなかに見付の伝説を置き直すことを課題とする。すなわち問うべきは、悉平太郎の話が本当にあった事件かどうかではなく、この物語がどのような型に属し、その型が見付という土地にどのように定着したのか、という点である。

こうした姿勢をとる理由は、伝説を史実として実証することが目的ではないからである。悉平太郎の物語は、歴史資料によって裏づけられた出来事ではなく、語り継がれてきた伝説である。だが、伝説であることは価値を下げるものではない。民俗学は、伝説がどのような型をもち、どの土地にどのように根づいたかを見る。史実と伝承を分けて扱うことは、伝説を切り捨てることではなく、地域が何を記憶として選び取ってきたかを、その本来の水準で正確に読むための手続きにほかならない。

「一つの犬、二つの名」という事態は、それ自体が問うに値する対象である。もし悉平太郎の物語が見付だけの実際の事件であったなら、なぜ同じ筋立てが信濃の光前寺に、犬の名を変えて伝わっているのかを説明できない。逆に、これを各地に広く分布する物語型の一例とみれば、二つの名の並存はむしろ自然な帰結として理解できる。すなわち、犬が二つの名をもつという事実こそが、悉平太郎を固有の史実としてではなく共有される型として読むべき理由を、端的に指し示している。本稿が説話類型からの接近を選ぶのは、この事実に導かれてのことである。

以下では、まず史料で確認できる事柄と伝承として語られる事柄とを腑分けし(第2節)、続いて悉平太郎と早太郎の名称・筋立ての異同を対照する(第3節)。そのうえで、この物語が連なる猿神退治譚という説話群の全体を見渡し(第4節)、名称表記が「早太郎」から「悉平太郎」へと移っていく過程を追う(第5節)。さらに、両地の伝説がどのように結びついたのかという伝播の問いに対して、断定を避けつつ諸説を併記し(第6節)、最後に見付天神裸祭との接点を確認して結論に至る(第7・8節)。この順序は、固有の話としての悉平太郎から、共有される型としての悉平太郎へと、視野を段階的に広げていく道筋である。

遠州見付・見付天神 霊犬=悉平太郎 信濃光前寺・早太郎 霊犬=早太郎 山道を越える霊犬伝説 同じ物語が、遠州では悉平太郎、信濃では早太郎として語られる。
図1 遠州見付と信濃光前寺を結ぶ霊犬伝説。一つの物語が二つの土地に、異なる犬の名と異なる記憶の場所をもって伝わる。本稿はこの分布のなかに見付の伝説を置き直す。

2. 史料で確認できる事柄と伝承として語られる事柄

検討に入る前に、悉平太郎をめぐる情報を、史料で確認できる事柄と伝承として語られる事柄とに腑分けしておく。両者を混同したまま議論を進めると、伝承にすぎない筋立てを史実のように扱い、あるいは確認できる事実まで疑わしいものとして退ける誤りに陥りやすい。

まず史実の層から確認する。見付の悉平太郎と信濃の早太郎という縁により、1967年(昭和42年)に磐田市と駒ヶ根市が友好都市の提携を結んだことは、近現代の記録によって確認できる事柄である2。見付に悉平太郎の像や霊犬にまつわる社があり、駒ヶ根市の光前寺に早太郎の塚が伝えられていること、そして現代の磐田市が「しっぺい」の名を冠したキャラクターを地域の象徴として用いていることも、いずれも現在の事実として確認できる。これらは、伝説が地域の公共的な記憶として定着している現状を示す。

これに対して、白羽の矢が立った家の娘が人身御供に供されたという習わし、旅の僧が信濃から霊犬を連れてきたという経緯、犬が見付天神に巣くう怪物を退治したという場面は、いずれも伝承・口碑の層に属する。人身御供が現に行われていたことを示す一次史料は、本稿の調査範囲では確認できていない。ここで注意を要するのは、これが「そのような史料は存在しないと断定できる(=記載がない)」ことを意味しない点である。あくまで「管見の限り、人身御供の実在を裏づける一次史料に突き当たっていない(=未確認)」という状態にとどまる。史料が現に伝わらないのか、伝わっているが筆者が把握していないのかは、それ自体が別に検証を要する問いであり、この区別は以下の検討でも一貫して保持する。

もう一点、切り分けておくべきことがある。悉平太郎伝説は見付天神裸祭の起源を語る物語の一つではあるが、祭礼そのものの中核である矢奈比賣神社から淡海國玉神社への神霊渡御とは、別の層として扱う必要がある。渡御という祭礼の骨格と、霊犬による怪物退治という起源譚とは、由来を異にする要素が後に結びついたものと考えるのが穏当であり、両者を同一の史実として一括りにすることはできない。この点は第7節で改めて論じる。

史料と伝承を腑分けするこの作業は、悉平太郎を貶めるためのものではない。むしろ、伝説のどの部分がどの層に属するのかを明らかにしておくことで、後の検討で名称の異同や伝播の経路を論じる際に、確実な足場と不確実な推論とを取り違えずに進むことができる。たとえば1967年の友好都市提携という史実は、遠州と信濃の伝説が現代において一つに結ばれている事実を示すが、それは両地の伝説がいつ、どちらの方向に伝わったのかという伝播の問いには直接答えない。史実は史実の、伝承は伝承の射程をもつ。両者の射程を混同しないことが、以下の議論の前提となる。

史実の層 1967年 磐田市・駒ヶ根市 友好都市 悉平太郎像・早太郎の塚の現存 「しっぺい」の公共的定着 記録で確認できる 伝承・口碑の層 人身御供の習わし 旅の僧が霊犬を借りる 霊犬による怪物退治 一次史料は未確認 悉平太郎をめぐる情報の弁別
図2 情報の弁別。友好都市提携や記念物の現存は史実として確認できるが、人身御供や怪物退治は伝承の層に属し、その実在を示す一次史料は未確認である。

3. 見付の悉平太郎と信濃・早太郎の異同

次に、遠州側の悉平太郎と信濃側の早太郎を対照し、両者の異同を整理する。同一系統とみられる伝説が、二つの土地でどの点を共有し、どの点で分岐しているのかを明らかにすることが、伝播の問いを立てるための前提となる。

まず共有される核を確認する。両者はともに、共同体を脅かす怪物が人身御供を求め、通常の人間の力では対抗できないところに、犬という守護者が現れて怪物を退治し、危機を終わらせるという骨格をもつ。怪物は狒々(ひひ)として語られることが多く、退治のあとに秩序が回復するという結末も共通している。この骨格の一致は、両者が無関係に生まれた別々の話ではなく、同一の物語系統に連なることを強く推測させる。

他方、分岐する点も少なくない。犬の名は見付では悉平太郎、光前寺では早太郎であり、退治の舞台と犬の帰属先が反転している。見付側の語りでは、霊犬は信濃から借り受けられて見付天神で怪物を退治し、その後に信濃へ戻ったとされる。光前寺側の語りでは、犬は自らの土地から遠州へ送り出され、傷を負って帰り、やがて葬られたと伝えられる。すなわち、遠州側は「救われた側」の記憶として、信濃側は「犬を送り出し、その死を悼む側」の記憶として、同じ出来事の別の局面を語っている。記念のかたちも、見付では悉平太郎像や霊犬をまつる社、現代の「しっぺい」へと展開し、光前寺では早太郎の塚や光前寺縁起として受け継がれている。以下の表に、両者の異同を対照して示す。

表1 悉平太郎(遠州見付)と早太郎(信濃光前寺)の異同 ── 共有される核と分岐する要素
項目見付・遠州側光前寺・信濃側層/備考
犬の呼称悉平太郎(しっぺいたろう)早太郎(はやたろう)伝承。名称は分岐する。
物語上の役割見付を救う霊犬として語られる。霊犬の故郷・由緒の地として語られる。共有する核=犬による退治。
退治の場見付天神周辺の伝承として語られる。犬を送り出した側として語られる。舞台と帰属が反転する。
結末怪物退治の後、信濃へ戻ったとされる。傷を負って帰り、葬られたとされる。救済/哀悼と視点が分かれる。
現在の記憶悉平太郎像・霊犬をまつる社・「しっぺい」。早太郎の塚・光前寺縁起。記念のかたちが地域ごとに展開。
地域間の関係1967年(昭和42年)以来の磐田市・駒ヶ根市の友好都市関係(史実)。史実の層。

この対照から見えてくるのは、両者が矛盾する別話なのではなく、同じ物語の核を共有しつつ、それぞれの土地の立場から異なる局面を記憶している、という関係である。遠州は救済の喜びを、信濃は犬の献身と死を語る。物語の重心が土地ごとに置き換わることは、口承伝承がその土地の関心に沿って形を整えていく一般的なありようとも合致する。異同を優劣の問題として読むのではなく、一つの型が二つの土地でそれぞれの意味を帯びた結果として読むことが、本稿の立場である。

細部に目を向ければ、怪物が狒々(ひひ)として語られる点にも留意しておきたい。狒々は、山中に棲むとされる大型の獣的な妖怪であり、人身御供を求める怪異としてしばしば登場する。ただし、退治される怪物が常に狒々に固定されているわけではなく、語りによっては単に「化け物」「怪物」とだけ伝えられることもある。怪物の正体が揺れること自体が、この物語が固定した史実の記録ではなく、語りのなかで細部を変えながら伝えられてきた伝承であることを裏づける。核心にあるのは怪物の具体的な正体よりも、共同体を脅かす外部の脅威という機能であり、その機能を犬が無効化するという構造こそが、両地の語りを一貫して貫いている。

4. 猿神退治として類型化される説話群

悉平太郎と早太郎の関係をさらに広い文脈に置くと、この物語は見付と信濃の二地点に閉じた話ではないことが分かる。人身御供を求める猿神や狒々といった怪異を、犬が退治するという筋立ては、民俗学において「猿神退治譚」として類型化されており、同種の話柄は全国の各地に分布している3。悉平太郎伝説は、この広く分布する説話型の、遠州見付における一つの現れとして位置づけることができる。

この型の物語は、細部を変えながらも比較的明瞭な構造をもつ。共同体を脅かす怪物が人身御供を要求し、外部から来た僧や山伏がその正体を見抜いて霊犬を探し出し、犬が怪物を退治することで共同体の秩序が回復する、という流れである。そして退治の記憶は、犬の名、塚、神社、祭礼といった具体的なかたちへと結晶し、土地に残る。以下の模式図は、この構造を六つの段階として示したものである。

共同体の危機人身御供の恐怖 怪物の要求猿神・狒々 外部者の探索旅の僧・山伏 霊犬の登場人にない力 怪物退治秩序の回復 記憶化名・塚・祭礼 猿神退治譚の物語構造 ── 危機から記憶化へ 悉平太郎伝説も、この型の遠州見付における現れとして読める。
図3 猿神退治譚の物語構造。危機・要求・外部者・霊犬・退治・記憶化という六段階の型が、土地ごとの犬名や祭礼と結びつく。

この型を共有する伝承は各地にみられる。宮城県には竹箆太郎(しっぺいたろう)などの名で語られる犬の退治譚があり、山形県にはめっけ犬などと呼ばれる同種の話が伝わる。呼称の類似には注意も要る。たとえば宮城の竹箆太郎は、字面こそ見付の悉平太郎と近いが、この近さをもって直ちに同一の伝承が移動した証拠とみなすことはできない。近い名が別々に生じることもあれば、後から influence が及ぶこともあり、名称の類似だけでは系統関係を確定できないからである。さらに古典説話にさかのぼれば、『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』には、猿神への人身御供とその退治を主題とする話柄が収められており、この型が中世にまで確実にさかのぼることを示している。悉平太郎伝説を検討するうえで、これらの古典説話は比較の対象として欠かせない。

ここで、説話を「型」として捉えるとはどういうことかを補っておきたい。民俗学や説話研究では、個々の物語の細部の違いを超えて、繰り返し現れる筋立ての骨組みを話型として抽出し、その分布や変異を比較する。悉平太郎伝説を話型の側から見るとは、この物語を見付だけの孤立した出来事としてではなく、日本各地に分布する一つの筋立ての遠州における変異体として位置づけることを意味する。この視点に立つと、なぜ似た物語が遠く離れた土地に共通して見られるのか、そして各地の語りがどこで一致しどこで分かれるのか、という問いを立てることができる。悉平太郎と早太郎の異同も、この話型論の枠のなかで初めて意味をもって読める。

説話型として捉える視点は、いくつかの民俗学的な論点とも結びつく。人身御供を求める怪異が、かつては畏れられた神的な存在であり、時代を経るなかで妖怪・怪物として語られるようになったとみる妖怪零落の見方は、猿神という語そのものに、零落した神の面影を読み取ろうとする。柳田國男や大林太良の研究は、こうした伝説を単なる昔話としてではなく、信仰・共同体・祭礼の古い層を考える手がかりとして扱ってきた。悉平太郎伝説もまた、この文脈に置けば、見付だけの珍しい話ではなく、日本各地に広がる物語型が遠州見付で固有のかたちを得た一例として読むことができる。ただし、猿神が零落した神であるという見方も、なお仮説の域にとどまる点は明記しておく必要がある。

猿神退治譚 犬が人身御供の怪物を退治する型 見付悉平太郎 光前寺早太郎 宮城竹箆太郎系 古典説話今昔・宇治拾遺 山形めっけ犬系 説話型の分布と見付の位置
図4 説話型の分布。全国的な猿神退治譚の型が、見付天神・裸祭・霊犬をまつる社と結びつき、悉平太郎という磐田固有の記憶として定着した。名称の類似は系統の証拠とは限らない。

5. 名称と表記の変遷 ── 早太郎から悉平太郎へ

悉平太郎という名は、最初から現在の形に固定されていたわけではない。口承伝承では、地域や時代によって呼び名が揺れることが珍しくなく、この犬の名も例外ではない。古くは早太郎、疾風太郎(はやてたろう)、悉平太郎といった複数の表記が併存していたとされ、そのなかから「悉平太郎」が次第に前面に出て、現代の公共的な記憶へと定着していった。

この変遷を、確認できる範囲でたどっておく。地元資料でも早い時期には「早太郎」の表記が用いられていた形跡があり、旧『磐田市誌』には早太郎の項が見られるとされる。学術の場でも、1976年に大林太良が「遠州見付天神の裸祭と早太郎伝説」を論じた際には、「早太郎」の名で扱っている。その後、1984年に刊行された『磐田の民俗』では「悉平太郎」の項が前面に立ち、これが地元で悉平太郎表記が定着していく一つの契機となったと整理できる4。そして現代では、磐田市のキャラクター「しっぺい」に見られるように、悉平太郎の名は地域のブランドと公共的な記憶の双方に深く根を下ろしている。

ここで留意すべきは、これらの年代が「その表記が初めて現れた年」を意味するのではなく、「その表記が資料の上で確認できる時点」を示すにすぎない、という点である。口承の場では、文献に現れるよりも早くから複数の呼称が並び行われていた可能性が高く、文献上の初出をもって名称成立の年代とみなすことはできない。名称の変遷は、あくまで確認できる時点の連なりとして、慎重に扱う必要がある。以下に、確認できる範囲での表記の推移を示す。

名称が「早太郎」から「悉平太郎」へと前面を移していった背景には、地元の民俗調査の進展と、地域が自らの伝説をどう名づけて受け継ぐかという選択が働いている。学術の側で早太郎の名が用いられていた時期と、地元で悉平太郎の名が定着していく時期とがずれていることは、外部の研究者による記述と、土地の人々による記憶の継承とが、必ずしも同じ歩調では進まないことを示している。今日「しっぺい」として親しまれる名は、こうした複数の呼称の競合と選択の果てに残ったものであり、その定着の過程それ自体が、伝説が地域の公共的な記憶へと育っていく道筋を映している。

古くから早太郎・疾風太郎・悉平太郎の揺れ 1950年代頃旧磐田市誌「早太郎」項 1976年大林太良「早太郎伝説」 1984年磐田の民俗「悉平太郎」前面 現代「しっぺい」公共記憶化 名称表記の変遷 ── 確認できる時点の連なり ■ 早太郎系 ■ 悉平太郎系
図5 名称表記の変遷。赤は早太郎系、青は悉平太郎系の表記が資料上で確認できる時点を示す。各年代は初出ではなく確認できる時点であり、口承では以前から複数表記が併存したとみられる。

6. 伝播の経路をめぐる諸説

遠州の悉平太郎と信濃の早太郎が同一系統の伝説であるとして、では両者はどのように結びついたのか。この伝播の問いは、悉平太郎伝説の考察において最も答えにくい部分であり、確定した結論を出しにくい。本稿は、この点について一つの経路を断定せず、想定しうる複数の見方を対等に併記する立場をとる。以下に主な三つの見方を挙げる。

見方①・信濃から遠州へ

信濃の早太郎譚が遠州へ伝わり悉平太郎となったとする見方

見付側の語りが「信濃から霊犬を借り受けた」という形をとること、光前寺が犬の故郷・由緒の地として語られることを重く見れば、信濃で成立した早太郎の物語が、旅の僧・修験者や人の往来を介して遠州へ伝わり、見付天神の信仰と結びついて悉平太郎として定着した、と考えることができる。物語の内部で犬の出身地が信濃に置かれている点は、この見方を支える。ただし、これは物語の筋立てを根拠とする推論であって、伝播の事実を直接に裏づける史料があるわけではない。

見方②・遠州から信濃へ

遠州の伝説が信濃へ伝わり早太郎として受容されたとする見方

逆に、見付天神という古い信仰の場を核として遠州側で形を得た物語が、後に信濃へ伝わり、光前寺の縁起と結びついて早太郎として受け止められた、とみることもできる。物語のなかで犬の出身地が信濃とされることは、必ずしも物語そのものの発生地が信濃であることを意味しない。異郷から来た守護者という筋立ては、この型に共通する要素であり、出身地の設定を根拠に発生地を信濃と断ずることはできない。この見方も、決め手となる史料を欠く点では①と変わらない。

見方③・独立発生と後の結合

各地に分布する型が独立に根づき、後に結びつけられたとする見方

第4節で見たとおり、猿神退治譚は全国に分布する説話型である。とすれば、遠州と信濃のそれぞれに、この型が独立して根づいていたところへ、両地の類似が後世に意識され、犬の名や物語が相互に参照され合って、現在のような結びつきが形づくられた、と考えることもできる。1967年の友好都市提携に象徴される近現代の交流が、両地の物語を一つに束ねる意識をさらに強めた面もあろう。この見方は、単純な一方向の伝播では説明しきれない両地の異同を、無理なく受け止められる。

これら三つの見方は、いずれも決定的な一次史料を欠いており、現時点でどれか一つに確定することはできない。本稿の立場は、伝播の経路を単一の方向に還元せず、これを未確定の問いとして開いたまま保持する、というものである。断定を急いで一つの経路を選び取れば、選ばれなかった経路が説明しうるはずの異同が視野から落ちてしまう。むしろ、悉平太郎と早太郎の関係は、一方向の移動としてよりも、広く分布する型を土台に、両地の伝承が長い時間のなかで相互に参照し合ってきた過程として捉えるほうが、両者の異同の実態に即している。伝播経路の精密な復元は、両地の伝承文献を系統的に突き合わせる作業を俟ってはじめて一歩前進する主題であり、本稿はその手前で、諸説の併記と確度の腑分けにとどめる。

諸説を併記するこの態度は、判断の放棄ではない。むしろ、限られた資料からどこまでが言え、どこからが言えないのかを見極めたうえで、言えない部分を無理に埋めないという、積極的な選択である。伝播経路を一つに断定した瞬間、その説明は明快になるが、明快さと引き換えに、選ばれなかった経路が捉えていた異同は説明の外へ追いやられる。悉平太郎と早太郎の関係が、単純な一方向の移動では割り切れない複数の局面を含んでいる以上、その複数性を保持したまま記述することのほうが、資料の実態に忠実である。伝播の解明は、今後、両地の伝承文献の年代的な前後関係を丹念に確かめる作業を通じて、少しずつ確度を上げていくほかない。

遠州見付 悉平太郎 信濃光前寺 早太郎 ①信濃 → 遠州 ②遠州 → 信濃 ③各地に独立発生 +後の結合 伝播の経路をめぐる三つの見方(いずれも未確定)
図6 伝播経路の三つの見方。信濃から遠州へ、遠州から信濃へ、あるいは独立発生と後の結合。いずれも決定的な史料を欠き、本稿は経路を断定せず未確定の問いとして保持する。

7. 見付天神裸祭との接点 ── 起源譚としての位置

ここで、悉平太郎伝説と見付天神裸祭との関係を確認しておきたい。悉平太郎の物語は、しばしば裸祭の起源を語る伝承の一つとして引かれる。人身御供の悲しみの祭りが、霊犬の介入によって喜びと感謝の祭りへ転じたという筋立ては、祭礼の情緒的な核を説明する物語として力をもち、地域の記憶を長く支えてきた。

ただし、前稿「見付天神裸祭 起源三説の学史的検討」で論じたとおり、裸祭の起源をめぐっては、この人身御供・悉平太郎説のほかに、菅原道真勧請の喜びを起源とする歓喜踰躍舞説、鬼踊りを大地を踏み鎮める所作とみる反閇説などが併存しており、いずれか一つが唯一の起源として確定しているわけではない。悉平太郎説は、これら複数の起源説明のうち、祭礼の情緒的意味を担う伝説・口碑の層に位置づけられる。本稿はその位置づけを引き継ぎつつ、悉平太郎譚それ自体を説話類型の側から掘り下げたものである。

もう一点、繰り返し確認しておくべきことがある。悉平太郎伝説は裸祭の起源を語る物語ではあるが、祭礼の成立史をそのまま説明する史実ではない。祭礼の骨格である矢奈比賣神社から淡海國玉神社への神霊渡御は、霊犬による怪物退治とは由来を異にする要素であり、両者が重なり合うことで、見付の地域記憶は厚みを得た。祭礼と伝説が結びつく過程それ自体が、この土地の信仰の歴史の一部である。裸祭の神事の構造については別稿「神事の構造と日程」で整理されており、渡御の宗教的背景となる総社・淡海國玉神社の位置づけは「淡海國玉神社と、遠江の神々が集うまち」に詳しい。悉平太郎譚は、これらの祭礼の骨格に後から結びついた起源譚として読むのが妥当である5

祭礼と伝説の結びつきは、悉平太郎の物語が単なる昔話にとどまらず、まちの由緒と誇りを支える物語へと育っていった経緯を映す。裸祭という毎年くり返される神事の傍らで語られることによって、悉平太郎譚は具体的な場所と時間に結びつき、抽象的な説話型ではなく、見付という土地に固有の記憶として血肉を得た。説話型が土地に定着するとは、まさにこうした祭礼・信仰・場所との結合を通じて起こる現象である。

裸祭の起源をこの伝説だけに帰することの危うさも、あわせて確認しておきたい。悉平太郎説は祭礼の情緒的な意味を鮮やかに語るがゆえに、ともすれば裸祭の起源そのものであるかのように受け取られやすい。だが前稿で腑分けしたとおり、起源をめぐる語りは複数併存しており、悉平太郎説はそのうちの一つの層にすぎない。伝説の魅力に引かれて起源を一元化することは、祭礼が抱えてきた他の意味層を覆い隠してしまう。悉平太郎譚を正しく位置づけるとは、その物語の力を認めつつ、それを祭礼全体のなかの一つの層として、他の起源説明と並べて扱うことにほかならない。

8. 結論 ── 固有の史実から共有される型へ

本稿は、見付の悉平太郎伝説を、信濃・光前寺の早太郎伝説との異同、猿神退治として類型化される説話群との関係、名称表記の変遷、そして伝播の経路という四つの角度から検討した。得られた見取り図は次のとおりである。悉平太郎と早太郎は、犬による怪物退治という核を共有しつつ、退治の舞台と犬の帰属、結末の視点において分岐しており、同一系統の伝説が二つの土地でそれぞれの意味を帯びたものと読める。そしてこの物語は、遠州と信濃の二地点に閉じるものではなく、全国に分布し、古典説話にまでさかのぼる猿神退治譚の一つの現れである。

史料の観点からは、人身御供の実在や怪物退治を裏づける一次史料は本稿の範囲では未確認であり、これらは伝承・口碑の層にとどまる。一方、磐田市と駒ヶ根市の友好都市提携や記念物の現存は史実として確認できる。伝説の核心部分は実証できず、それが地域の記憶として定着している現状は確認できる──この二つを混同せず、それぞれの層で正当に扱うことが、悉平太郎を語るうえでの基本姿勢となる。伝播の経路については、信濃から遠州へ、遠州から信濃へ、あるいは独立発生と後の結合という三つの見方を対等に併記し、いずれか一つへの断定を避けた。決定的な史料を欠く以上、経路を未確定の問いとして開いたまま保持することが、資料に対して誠実な態度である。

したがって本稿の立場は明確である。悉平太郎伝説は、見付だけに起こった固有の史実として実証すべき対象ではなく、広く共有される説話型が見付天神の信仰・裸祭・土地の記憶と結びついて固有化した事例として読むべきものである。この読みは、伝説を史実の劣位に置いて切り捨てるものではない。むしろ、史実ではないからこそ、この物語は人々の恐れ、願い、そして救済への期待を今日まで運んできた。型を共有しながら土地ごとに固有の意味を帯びるという伝説のありようを丁寧に記述することこそ、地域の記憶を後世の調べものに耐える形で残す方途である。

最後に、本稿が残した課題を明記しておく。第一に、悉平太郎と早太郎の伝播経路は、両地の伝承文献・縁起類を系統的に突き合わせることで、未確定の状態を一歩進めうる余地がある。第二に、宮城の竹箆太郎や山形のめっけ犬をはじめとする各地の類話との系統関係は、名称の類似に安易に依拠せず、話型の細部を比較することで、より精確に描きうる。第三に、猿神が零落した神であるとする妖怪零落の見方は、なお仮説の域にあり、見付天神という信仰の場との関わりにおいて改めて検討されるべきである。これらはいずれも、固有の史実を探す作業ではなく、共有される型のなかに見付の伝説を位置づけ直し、その確度の層を一つずつ腑分けしていく作業に属する。裸祭の起源三説との関係も含め、見付天神をめぐる伝承の全体像は、本論考シリーズのなかで稿を改めて論じていきたい。

本稿の舞台である見付には、悉平太郎の物語とともに受け継がれてきた古い家や土地が数多く残る。筆者は磐田・袋井で不動産と介護の実務に携わる立場から、こうした土地の記憶にも向き合ってきた。家・土地・空き家の整理について相談することができる。伝説を書き留めることと、その物語が根づいた土地を次の世代へ手渡すことは、地続きの営みだと考えている。

  1. 見付天神裸祭は国の重要無形民俗文化財に指定されている。悉平太郎伝説は、その起源を語る伝承の一つとして地域に伝わる。指定名称・指定年については文化庁「国指定文化財等データベース」を参照。
  2. 磐田市と長野県駒ヶ根市は、悉平太郎・早太郎の縁により1967年(昭和42年)に友好都市の提携を結んだ。両市の公式資料による。
  3. 猿神退治譚の類型については、大林太良「遠州見付天神の裸祭と早太郎伝説」(『日本の神話』大月書店、1976年)ほかを参照。『今昔物語集』『宇治拾遺物語』に猿神・人身御供を主題とする話柄が収められる。
  4. 名称表記については、旧『磐田市誌』の「早太郎」項、および『磐田の民俗』(磐田市民俗調査団編、磐田市、1984年)の「悉平太郎」項による。文献上の確認時点であり、名称の初出年を示すものではない。
  5. 裸祭の起源三説における悉平太郎説の位置づけについては、大石浩之「見付天神裸祭 起源三説の学史的検討」(本論考シリーズ第1号)を参照。

付記:本稿は一般読者向け記事 m010「悉平太郎伝説の考察」の内容を、郷土史研究者向けに説話類型論と史料批判の観点から再構成した論考版である。確度の層(史実・伝承・推定)を語の水準で区別し、1967年の友好都市提携や記念物の現存を史実、人身御供・怪物退治を伝承として扱い、伝播の経路は諸説を併記して断定を避けた。

参考文献・参考資料

  • 大林太良「遠州見付天神の裸祭と早太郎伝説」『日本の神話』大月書店、1976年。再録:『北の神々 南の英雄 ── 列島のフォークロア』小学館、1995年。
  • 柳田國男『一目小僧その他』小山書店、1934年(妖怪零落論に関わる論考を含む)。
  • 『磐田の民俗』磐田市民俗調査団編、磐田市、1984年。
  • 旧『磐田市誌』磐田市、1950年代。
  • 磐田市『磐田市史』通史編、磐田市(該当章)。
  • 『今昔物語集』(猿神・人身御供退治譚の説話)。
  • 『宇治拾遺物語』(猿神退治に関わる説話)。
  • 光前寺(長野県駒ヶ根市赤穂)縁起および駒ヶ根市の公開資料。
  • 見付天神裸祭保存会 公式資料。
  • 矢奈比賣神社(見付天神)公式資料。
  • 佐口行正氏所蔵史料。
  • 文化庁「国指定文化財等データベース」重要無形民俗文化財の項 https://kunishitei.bunka.go.jp/ (最終閲覧:2026年7月25日)。
  • 磐田市公式ウェブサイト「悉平太郎伝説」関連ページ https://www.city.iwata.shizuoka.jp/ (最終閲覧:2026年7月25日)。
  • 磐田物語 m010「悉平太郎伝説の考察 ── 早太郎との異同と、猿神退治の系譜」 https://iwata-monogatari.net/m010 (最終閲覧:2026年7月25日)。