失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語大石浩之の磐田論考 / 磐田の閉鎖したボウリング場

磐田郷土史研究紀要

大石浩之の磐田論考 第110号(御厨・レジャー史)

磐田の閉鎖したボウリング場 ── 高度成長期の娯楽の記憶

日活ゴールデンハイツと磐田グランドボウル

大石浩之1

1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役

公開日
2026.07.25
資料検証
公開資料による検証済み
対象地区
磐田市御厨(三ヶ野)

要旨

高度成長期の磐田市には、大衆娯楽としてのボウリング場が現れ、そして短い期間のうちに姿を消した。本稿は、三ヶ野の日活ゴールデンハイツと中野の磐田グランドボウルという二つの閉鎖ボウリング場を手がかりに、映画館から郊外型レジャーへ、さらに広域移動と商業施設内アミューズメントへと移り変わった娯楽空間の盛衰を跡づける。日活ゴールデンハイツは映画会社が車社会に賭けた複合レジャーであり、昭和44年(1969年)開業のドライブインシアターと並んで昭和48年(1973年)に閉じた短命の施設である。一方、磐田グランドボウルは40レーンを備えた地域密着型の大空間として長く親しまれ、平成22年(2010年)に営業を終えた。両者の開業・閉鎖の年代や閉鎖の理由には、一次資料で確定できる事柄と、推定にとどまる事柄とが混在する。本稿はその確度を腑分けしつつ、跡地の転用が示す土地利用の連続性まで含めて記述し、消えた娯楽施設を地域史の対象として位置づけることを試みる。

キーワード:ボウリング場/日活ゴールデンハイツ/磐田グランドボウル/ドライブインシアター/高度成長期/郊外型レジャー/跡地転用

1. 問題設定 ── 消えた娯楽空間をどう読むか

磐田には、かつて大きなボウリング場があった。三ヶ野の日活ゴールデンハイツは、ドライブインシアターと並ぶ車社会型のレジャー空間として生まれ、短い時間で姿を消した。中野の磐田グランドボウルは、40レーンの大きな施設として長く親しまれ、平成22年(2010年)に営業を終えた。いずれも今はもう建物が残っていないか、まったく別の用途へと転じている。本稿は、この二つの閉鎖ボウリング場を対象とし、その盛衰を地域のレジャー史のなかに位置づけることを課題とする。

消えた娯楽施設を扱うにあたって、まず断っておきたいことがある。個々の施設の開業年や閉鎖年、規模といった基礎的な事実は、一見単純に見えて、実際には確定の度合いが一様ではない。ドライブインシアターの開業日のように日付まで記録の残るものもあれば、ボウリング場の開業時期のように資料上で確定しにくいものもある。閉鎖の理由に至っては、直接それを述べた一次資料が乏しく、時代の趨勢からの推定に頼らざるをえない部分が大きい。したがって本稿は、事実として確認できる事柄と、推定にとどまる事柄とを語の水準で書き分けることを、記述の基本方針とする。

こうした慎重さを保つのは、消えた施設ほど、記憶が美化されたり事実が曖昧になったりしやすいからである。建物が失われると、そこにあった年代や規模は急速に語りにくくなり、やがて「たしか昭和のいつごろ」という漠然とした形でしか伝わらなくなる。地域史の記述に求められるのは、そうした曖昧化に抗して、確かめられる範囲を確かめ、確かめられない範囲はその旨を明示して残すことである。断定を急げば誤りを固定してしまい、逆にすべてを不確かとして退ければ、伝えるべき記憶まで失われる。本稿はそのいずれの過ちも避けたい。

もう一点、なぜボウリング場という一種の娯楽施設をわざわざ地域史の対象に据えるのか、その理由も述べておきたい。ボウリング場は、寺社や城郭のような由緒ある建造物ではなく、また学校や役所のような公共の記録によく残る施設でもない。数十年のうちに現れて消える大衆娯楽の器は、まさにその一過性ゆえに、正史や公文書の網から漏れやすい。しかし、そこには家族連れや職場の仲間が集い、ある世代にとっては忘れがたい休日の光景が刻まれている。こうした「記録に残りにくいが記憶には残る」施設をあえて書き留めることは、公的な史料が扱わない領域を地域史へと繰り込む作業でもある。消えた娯楽施設の検討は、地域史の裾野を広げる試みとして意味をもつ。

本稿の構成を先に述べておく。まず映画館からボウリング場へと移り変わった娯楽の背景を押さえ、続いて日活ゴールデンハイツと磐田グランドボウルの二施設をそれぞれ検討する。次に両者を比較し、資料上の確度を腑分けする。さらに閉鎖後にボウリング需要がどこへ向かったかを追い、最後に三ヶ野を含む御厨という地理と跡地の転用に触れて結論に至る。二つの施設の跡をたどると、磐田の娯楽が映画館から郊外型レジャーへ、さらに広域移動と商業施設内のアミューズメントへ移っていく流れが見えてくる。

三ヶ野日活ゴールデンハイツ 中野磐田グランドボウル 西貝塚アピナ磐田店 袋井袋井グランドボウル 浜松毎日ボウル・ラウンドワン 磐田のボウリング場と現在のレジャー圏
図1 磐田市内の二つの閉鎖ボウリング場(三ヶ野・中野)と、閉鎖後に需要を吸収した西貝塚・袋井・浜松の施設。青は広域レジャーの流れ、茶は市内の日常的な移動を模式的に示す。

2. 背景 ── 映画館の時代からボウリングの時代へ

磐田の娯楽をたどると、戦前から戦後にかけては芝居小屋と映画館が大きな役割を担っていた。見付の磐田座、中泉の中活劇場、駅前の花月劇場などは、映画を観るだけでなく、芝居や催し、地域の集まりを受け止める場所でもあった。娯楽が街なかの建物に集約されていた時代である。人々は歩いて、あるいは鉄道で街の中心へ出かけ、そこで催しに触れた。

ところが昭和30年代後半から40年代にかけて、テレビが家庭へ入り、映画館の力は弱まっていく。動く映像を見るために街へ出る必要は薄れ、娯楽の中心は次第に家庭のなかへと移った。その一方で、車で出かける新しい娯楽が広がる。郊外に大きな敷地を取り、駐車場を備え、家族や職場の仲間で楽しむ。ボウリング場は、その時代の空気に合った大衆レジャーだった。街なかの建物から、車で向かう郊外の広い施設へ──娯楽の空間そのものが、この時期に大きく組み替えられていく。

全国のボウリング場は昭和40年代に急増し、ブームは一時、社会現象と呼べるほどの熱を帯びた。プロボウラーが人気を集め、レーン数を競うように大型施設が各地に建てられた。この全国的な過熱を背景に、地方都市の磐田にもボウリング場が現れる2。ただしブームの過熱は、そのまま供給の過剰を意味した。短期間に施設が増えすぎれば、需要が一巡した後には淘汰が避けられない。磐田に現れた二つの施設の明暗も、この全国的な波と無関係ではない。

遠州地方の産業構造も、ボウリングという娯楽の受け皿を用意した。この地域は古くから製造業の比重が大きく、工場や事業所が数多く立地する。職場ごとに仲間が連れ立って余暇を過ごす習慣は、ボウリングのような団体で楽しめる娯楽と相性がよかった。部署対抗の大会や、仕事帰りの一投は、製造業の町ならではの利用の形だったといえる。全国的なブームという追い風に、遠州の産業構造という土地固有の条件が加わって、磐田のボウリング需要は支えられていた。この点は、後にボウリング場が閉じていく背景を考えるうえでも、押さえておくべき前提となる。

この流れのなかで、磐田には二つの対照的なボウリング場が現れる。ひとつは全国的なブームと大資本の開発に乗った三ヶ野の日活ゴールデンハイツ。もうひとつは、地域の人に長く使われた中野の磐田グランドボウルである。前者はブームの熱そのものを体現して短命に終わり、後者はブームが去った後も地域の日常のなかに根を張って長く続いた。同じ「ボウリング場」という括りのなかに、性格を異にする二つの施設が併存していたことは、磐田のレジャー史を読むうえで見落とせない。以下、この二施設を順に検討する。

〜昭和30年代映画館・芝居小屋 昭和40年代ボウリング隆盛 昭和48年ブーム後退 平成〜現在広域・併設化 磐田の娯楽空間の変遷 街なかの映画館から郊外の大型施設へ、さらに広域圏と商業施設内のアミューズメントへ。
図2 娯楽空間の変遷。街なかの映画館から車社会型のボウリング場へ、ブーム後退を経て広域圏と商業施設併設のレジャーへと、娯楽の器は移り変わってきた。

3. 日活ゴールデンハイツ ── 三ヶ野の短命な複合レジャー

日活ゴールデンハイツは、磐田市三ヶ野にあったボウリング場である。同じ敷地では、昭和44年(1969年)12月15日に日活ドライブインシアターが開業した。車に乗ったまま映画を観る形式で、150台を収容する広い舗装地と、高さ18メートル、幅25メートルの屋外スクリーンを備えていたとされる1。ドライブインシアターの開業日が日付まで伝わる一方、同じ敷地のボウリング場の開業時期は資料上で確定しにくく、昭和44年(1969年)前後とみるにとどまる。同一敷地の施設でありながら、記録の残り方に差があることは、それ自体が留意すべき点である。

ここで大切なのは、映画会社の日活が、映画館の入場者減に対して、ボウリング場やドライブインシアターを含む複合レジャーへ事業を広げようとしていた点である。映画館が街なかの建物だったのに対し、三ヶ野の施設は車で来ることを前提にした郊外型の空間だった。映画・ボウリング・自動車という三つの要素を一つの敷地へ束ねようとした企ては、テレビの普及で揺らいだ映画産業が活路を求めた、時代を映す試みだったといえる。街の映画館を郊外へ持ち出し、車社会に合わせて作り替える──そうした発想の延長線上に、この複合レジャーは構想された。

しかし、この試みは長く続かなかった。全国的にボウリング場が増えすぎ、ブームが冷め、昭和48年(1973年)のオイルショックで車を前提にした娯楽にも逆風が吹く。ガソリン価格の高騰と省エネの気運は、車で郊外へ出かけるという行動そのものに水を差した。日活ドライブインシアターは昭和48年(1973年)6月30日に休館し、ボウリング場も同年9月に閉鎖されたとされる。開業から数年という短さである。ブームの熱に乗って生まれた施設が、ブームの後退とともに退場した、その典型を三ヶ野の複合レジャーは示している。

跡地は、現在、遠州鉄道磐田営業所のバス車庫として利用されている。娯楽のために舗装された広い土地が、地域交通を支える場所へ変わった。短命のレジャー施設だったが、その土地は別の形で磐田の暮らしに組み込まれた。ここで注目したいのは、車社会を前提に整えられた広い平坦な敷地が、同じく車を扱うバス車庫へと転用された点である。娯楽としての役目は数年で終わったが、車のために造成された土地の性格は、用途を変えながらも受け継がれた。跡地の転用は、単なる後日談ではなく、その土地が何のために整えられていたかを逆に照らし出す。

複合レジャー ドライブインシアター ボウリング場 150台・スクリーン18×25m 1969年開業 1973年閉鎖 遠州鉄道 磐田営業所 バス車庫へ転用 三ヶ野の複合レジャーと跡地転用 車社会型に整えられた広い敷地は、車を扱うバス車庫へと役目を変えて受け継がれた。
図3 日活ゴールデンハイツの構成と跡地転用。映画・ボウリング・自動車を束ねた郊外型複合レジャーは短命に終わり、跡地は地域交通のバス車庫となった。

4. 磐田グランドボウル ── 中野の地域密着型の大空間

磐田グランドボウルは、磐田市中野195-1にあった3。日活ゴールデンハイツがブームの熱に乗った短命の施設だったのに対し、磐田グランドボウルは長く地域の人に使われたボウリング場だった。ブームの過熱と後退という全国的な波のなかで、一方が波に消え、他方が波の引いた後も残ったという対照は、同じ市内の二施設を並べて初めて見えてくる。

資料では、全40レーンを備え、コンコースが広く、天井も高かったとされる。レーンはウッドレーンで、現代の合成レーンに比べて維持管理の手間がかかる。表面を削り直し、塗装し、日々のオイル管理を行う必要がある。投げる人にとっては味わいのある設備でも、運営側には大きな負担を伴う施設だった。40レーンという規模は、地方都市のボウリング場としては小さくない。それだけの台数を常に稼働させ、木製レーンを保守し続けることは、需要が旺盛な時期には強みであっても、需要が細れば重い固定費として経営に跳ね返る。設備の質の高さが、そのまま維持の負担でもあるという二面性を、この施設は抱えていた。

磐田グランドボウルは、平成22年(2010年)1月10日に営業を休止した。閉鎖の直接理由を示す確実な一次資料は確認できないが、同時期の全国的なボウリング人口の減少、建物や設備の老朽化、平成20年(2008年)のリーマン・ショック後の景気低迷が重なった可能性は高い4。特に遠州地方は製造業の比重が大きく、職場レクリエーションや企業大会の需要減も影響したと考えられる。工場の従業員が部署ごとに大会を開き、常連が仕事帰りに投げる──そうした職場を母体とした利用が細ったことは、製造業の町のボウリング場にとって小さくない打撃だったはずである。ただし、これらはいずれも状況からの推定であって、経営判断の内実を記した資料に基づくものではない。

ボウリング場は、単なるスポーツ施設ではなかった。家族で行く場所であり、職場の大会の場所であり、常連が顔を合わせる場所でもあった。建物がなくなることは、ゲームをする場所が減るだけでなく、偶然に会う場所、同じ時間を過ごす場所が失われることでもあった。大きなレーンの並ぶ空間に不特定の人々が集い、それぞれの目的で時間を過ごしながら、同じ音とざわめきを共有する──そうした場の機能は、レーンの数や設備の仕様には還元されない。建物の解体とともに失われたのは、施設であると同時に、人が緩やかに交わる場そのものであった。

全40レーン・ウッドレーンの大空間 広いコンコース/高い天井 味わいある木製レーンは、同時に日々の削り直し・塗装・オイル管理という保守負担を伴った。
図4 磐田グランドボウルの空間模式。40レーンとウッドレーンを備えた大空間は、設備の質の高さがそのまま維持の負担でもあるという二面性を抱えていた。

5. 二施設の比較と史料批判

ここまで見た二つのボウリング場は、同じ市内にありながら、性格も、資料の残り方も大きく異なる。日活ゴールデンハイツは大資本の開発によるブーム型・短命型の施設であり、開業日の記録は同一敷地のドライブインシアターを介して比較的よく残る。磐田グランドボウルは地域密着型・長命型の施設でありながら、開業時期はかえって確定しにくい。施設の性格と、資料の豊かさとは必ずしも一致しない。以下の比較表は、両者を所在・時期・規模・跡地という同じ粒度で並べ、あわせて各項目の確度を意識できるように整理したものである。

表1 磐田市の閉鎖ボウリング場二施設の比較 ── 所在・時期・規模・跡地と資料上の確度
施設名所在地時期規模・特徴閉鎖後確度の留意
日活ゴールデンハイツ磐田市三ヶ野昭和44年(1969年)前後 〜 昭和48年(1973年)9月日活ドライブインシアターと並ぶ郊外型複合レジャー。遠州鉄道磐田営業所のバス車庫として利用。ドライブインシアターの開業日は史実。ボウリング場の開業時期・閉鎖月は「とされる」水準。
磐田グランドボウル磐田市中野195-1開業時期未詳 〜 平成22年(2010年)1月10日全40レーン、ウッドレーン。広いコンコースと高い天井を備えた地域密着型の大空間。建物は解体。跡地は別用途へ転用。営業休止日は資料に残る。開業時期は未詳、閉鎖理由は推定にとどまる。

この表から見えてくるのは、二施設が単純に「古い順に並ぶ」ものではなく、それぞれ異なる背景から生まれ、異なる理由で消えたという事実である。日活ゴールデンハイツは全国的なブームと映画会社の事業拡張という、外から来た力によって生まれ、ブームの後退という同じく外的な要因で短期に退場した。磐田グランドボウルは地域の日常的な需要に支えられて長く続き、その需要が細っていく緩やかな過程のなかで営業を終えた。ブームの熱で生まれて熱とともに消えた施設と、日常に根づいて日常の変化とともに消えた施設という対照である。

史料批判の観点からは、両者に共通して「閉鎖の直接理由を述べた一次資料が乏しい」という限界がある。日活ゴールデンハイツの閉鎖については、全国的なブーム後退とオイルショックという時代背景から推し量ることはできるが、経営側の判断を直接記した資料に本稿は突き当たっていない。磐田グランドボウルについても同様で、ボウリング人口の減少・設備の老朽化・リーマン・ショック後の景気低迷といった要因は、いずれも状況証拠から導かれる推定である。ここで「一次資料に突き当たっていない(=未確認)」ことと、「そのような資料が存在しないと確定できる(=記載なし)」こととは区別しておく必要がある。前者は今後の調査で状態が変わりうるのに対し、後者は不在の証明を要する、性質の異なる主張である。

確度を区別することの実益は、後続の調査に道を残す点にある。たとえば磐田グランドボウルの開業時期を「未詳」と明記しておけば、後に古い広告や住宅地図、事業者の登記といった別系統の資料が見つかったとき、その空白を埋める作業が可能になる。逆にここで根拠の薄い年代を確定として書き込んでしまえば、誤りが引用を重ねて固定され、訂正がかえって難しくなる。地域史の記述において、確定できないことを確定できないままに、しかし論点として明示して残すことは、消極的な保留ではなく、むしろ次の調査への積極的な引き継ぎである。本稿が随所で「とされる」「未詳」「推定」といった語を用いるのは、この引き継ぎを意識してのことである。

もう一点、資料の性格にも触れておきたい。本稿が依拠する事実の多くは、提供された調査報告や、閉鎖したボウリング場を記録する愛好者の資料に由来する。これらは貴重な記録であるが、一次的な行政文書や事業者の記録そのものではなく、後からまとめ直された二次的な性格を帯びる。二次資料であることは価値の低さを意味しないが、そこに記された年代や規模を、そのまま確定した史実として扱うことには慎重でありたい。開業時期のように資料間で揺れやすい情報は、「未詳」「とされる」といった留保とともに記録し、後続の調査に道を残しておくのが、この種の主題における誠実な扱いだと考える。

ボウリング 人口の減少 設備の 老朽化 景気低迷 職場需要の減 = 推定 閉鎖背景の重なり(いずれも推定)
図5 磐田グランドボウル閉鎖の背景要因。人口減・老朽化・景気低迷と職場需要の減退が重なったと考えられるが、いずれも状況からの推定であり、経営判断を記した一次資料は未確認である。

6. 閉鎖後の需要 ── 広域化と小型・併設化

磐田グランドボウルの閉鎖によって、磐田市内から単独の大型ボウリング場は姿を消した。しかし、ボウリングを楽しみたい人の需要そのものがなくなったわけではない。車で移動できる人は、袋井や浜松の施設へ向かうようになった。施設が消えたことと、需要が消えたことは別の事柄である。閉鎖後の需要がどこへ流れたかを追うことは、施設の盛衰を点ではなく面として捉え直すことにつながる。

袋井市には袋井グランドボウルがあり、磐田東部からは比較的行きやすい。浜松市には浜松毎日ボウル ARITAMA や、ラウンドワンスタジアム浜松店があり、ボウリングに加えてカラオケ、ゲーム、スポッチャなどをまとめて楽しめる施設もある5。とりわけ後者のような複合型の施設は、ボウリングを数ある選択肢の一つとして取り込み、若年層や家族の週末レジャーを広く吸収している。単一の目的で通う場所から、多目的の時間消費のなかにボウリングが組み込まれる場所へ──受け皿の性格自体も変化している。

この広域化は、車を運転できる人とそうでない人との間に、娯楽への距離の差を生む面もある。市内に施設があった時代には、自転車や送迎で子どもや高齢者も足を運べた。それが袋井や浜松まで車で向かう前提になると、免許を持たない層にとって、ボウリングという娯楽は以前より遠いものになる。施設の広域化は、多くの人にとっては選択肢の拡大であっても、移動手段を持たない人にとっては機会の縮小として働きうる。消えた施設の影響を測るには、こうした担い手ごとの差にも目を向けておく必要がある。

これは、地方の娯楽が「市ごとに一つずつある」時代から、「車で行ける広域圏の中で選ぶ」時代へ移ったことを示している。磐田は日常の暮らしの場所であり、休日の大きなレジャーは袋井や浜松へ行く。そうした役割分担が、車社会の中で自然に進んだ。かつての市民プールが単独施設として維持されなくなったのと同じく、単独の大型娯楽施設を一市の内部で抱え続けることの難しさが、ここにも表れている。消えた公共・娯楽施設という点で、閉鎖プールとボウリング場の盛衰は同じ構造の変化を映している。

一方で、磐田市内から大型ボウリング場が消えても、娯楽そのものが消えたわけではない。西貝塚のイオンタウン磐田には、アピナ磐田店がある。メダルゲーム、クレーンゲーム、アーケードゲームを置き、買い物のついでに立ち寄れるアミューズメント施設である。ここには、かつてのボウリング場とは違う特徴がある。専用の靴に履き替え、レーンを使い、何人かで長い時間を過ごすのではなく、短い時間、少人数、あるいは一人でも楽しめる。広い土地と大きな建物を単独で維持するのではなく、商業施設の駐車場や人の流れを利用する。レジャーは、ひとつの目的地から、買い物や外食と一緒に消費されるものへ変わった。これは便利になったとも言えるし、かつてのように地域の人が同じ大空間に集まる機会が減ったとも言える。

磐田グランドボウル 2010年 閉鎖 広域型(袋井・浜松) 大型・複合レジャー 併設型(アピナ磐田店) 小型・商業施設内 閉鎖後の需要の行方
図6 閉鎖後の需要の行方。単独大型施設が消えたのち、需要は車で向かう広域型の大型・複合施設と、商業施設に併設された小型アミューズメントの二方向へ分かれて流れた。

7. 地理的背景 ── 御厨・車社会と跡地の転用

二つの施設のうち、日活ゴールデンハイツが立地した三ヶ野は、御厨地区に属する。三ヶ野は古くから東海道が通り、見付宿と袋井宿のあいだに位置する交通の要衝であった。街道の記憶を刻むこの地に、車社会を前提とした郊外型レジャーが生まれたことは、偶然ではない。人と車が行き交う道筋であったからこそ、広い敷地と駐車場を要する複合レジャーの立地として選ばれたと考えられる。街道の町が、そのまま車社会のレジャーの町へと読み替えられていった。

郊外型レジャーが成立する条件は、車で来られること、広い敷地が確保できること、そして一定の人口が背後にあることである。三ヶ野も中野も、市街から少し外れた場所に広い土地を取り、駐車場を備えることで、この条件を満たした。街なかの映画館が徒歩や鉄道の客を前提にしていたのに対し、これらのボウリング場は明確に車の客を前提としていた。娯楽施設の立地が、交通手段の変化に応じて街の中心から郊外へと移った、その具体的な現れが磐田の二つのボウリング場である。

跡地の転用に、この土地の性格がよく表れている。日活ゴールデンハイツの跡地は遠州鉄道磐田営業所のバス車庫となり、磐田グランドボウルの建物は解体されて別の用途へ転じた。車社会に合わせて造成された広く平坦な敷地は、娯楽としての役目を終えても、車を扱う施設や別の商業用途として再び活用されやすい。土地は一度役目を終えても、その造成の性格を残したまま、次の用途へと引き継がれていく。跡地を追うことは、単なる後日談の確認ではなく、その土地がもともと何のために整えられたのかを、逆から確かめる作業でもある。

もっとも、三ヶ野が街道の要衝であったという地理的性格と、そこに複合レジャーが立地したという事実とを、直接に結ぶ因果を一次資料で確認できるわけではない。ここで言えるのは、車社会型の郊外レジャーが成立する一般的な条件と、三ヶ野の地理的条件とがよく合致するということまでである。街道の記憶が施設の立地を導いたと語ると筋は通りやすいが、それは地理からの推論であって、立地を決めた当事者の判断を記した史料に基づくものではない。この点も、確度の層を区別する本稿の姿勢に照らして、推定として提示するにとどめる。

こうした地理と交通の条件を踏まえると、磐田のボウリング場の盛衰は、施設単体の物語ではなく、車社会の進展と街の空間構造の変化そのものと不可分であったことが分かる。娯楽が街なかから郊外へ出て、やがて広域圏へと分散し、あるいは商業施設のなかへ併設されていく──その一連の移動の軌跡が、二つの跡地とその転用に刻まれている。街道の要衝に生まれた複合レジャーがバス車庫となり、地域密着の大空間が解体されて別の用途へ転じた事実は、娯楽の器がその時々の暮らしの必要に応じて姿を変えてきたことを、無言のうちに物語っている。

8. 結論 ── 消えた娯楽施設の記憶を残す

本稿は、三ヶ野の日活ゴールデンハイツと中野の磐田グランドボウルという二つの閉鎖ボウリング場を手がかりに、高度成長期の娯楽空間の盛衰を跡づけてきた。得られた見取り図は次のとおりである。日活ゴールデンハイツは、映画会社が車社会とボウリングブームに賭けた時代の跡であり、ブームの熱とともに短期に生まれ、消えた。磐田グランドボウルは、家族・職場・常連が同じ大空間に集まった時代の跡であり、日常の需要に支えられて長く続いた末に、その需要の変化とともに営業を終えた。性格を異にする二施設が、いずれも磐田のレジャー史の一断面を担っていた。

記述にあたって本稿が保った態度を、あらためて確認しておきたい。ドライブインシアターの開業日のように一次的な記録に基づく事柄は史実として、ボウリング場の開業時期や閉鎖理由のように資料で確定しにくい事柄は推定として、語の水準で区別した。「未確認」と「記載なし」を混同せず、二次資料に記された年代や規模には留保を付した。閉鎖した施設ほど記憶は曖昧になりやすく、確かめられる範囲を確かめ、確かめられない範囲を明示して残すことこそが、消えた施設を後世の調べものに耐える形で書き留める方途である。

映画館が消え、ボウリング場が消え、今は商業施設内のゲームや広域型の複合施設へ人が向かう。磐田のレジャー史は、まちの中心、車、家族、職場、そして地域のつながりがどう変わったかを映している。同じく単独施設として維持されなくなった閉鎖プールの事例と併せて読むとき、これらの消えた公共・娯楽施設の盛衰は、地方都市が大きな器を一市の内部で抱え続けることの難しさという、共通の構造の変化を指し示している。大きなレーン、大きな駐車場、高い天井、ピンの音、職場の大会、子どもの誕生日──そうした記憶は、建物がなくなると急速に言葉にしにくくなる。だからこそ、場所の名と所在地、閉鎖の時期、跡地の変化を、確度を区別しながら残しておきたい。それが、消えた娯楽施設を地域史の対象として次の世代へ手渡すための、地道な手続きである。

本稿で扱った三ヶ野や中野をはじめ、御厨や磐田各地には、役目を終えた施設や、世代交代を迎えた古い家や土地が数多く残る。筆者は磐田・袋井で不動産と介護の実務に携わる立場から、こうした土地の来歴にも向き合ってきた。家・土地・空き家の整理について相談することができる。閉鎖したレジャー施設の跡地がそうであったように、土地は一度役目を終えても、その来歴を知ることで次の使い道が見えてくることがある。

  1. 日活ドライブインシアターは昭和44年(1969年)12月15日に開業し、150台を収容する舗装地と高さ18メートル・幅25メートルの屋外スクリーンを備えていたとされる。開業日は記録に残る一方、同一敷地のボウリング場の開業時期は資料上で確定しにくい。
  2. 全国のボウリング場は昭和40年代に急増し、その後ブームが後退した。昭和48年(1973年)のオイルショックは、車を前提とした郊外型娯楽にも逆風となった。ボウリング人口の推移は業界統計に基づく。
  3. 磐田グランドボウルは磐田市中野195-1に所在し、全40レーン・ウッドレーンを備え、広いコンコースと高い天井を有したとされる。所在地・レーン数は愛好者による記録資料による。
  4. 営業休止は平成22年(2010年)1月10日と伝わる。閉鎖の直接理由を記した一次資料は確認できず、ボウリング人口の減少・設備の老朽化・平成20年(2008年)のリーマン・ショック後の景気低迷・職場需要の減退が重なった可能性は高いが、いずれも状況からの推定である。
  5. 閉鎖後の受け皿となった袋井グランドボウル、浜松毎日ボウル ARITAMA、ラウンドワンスタジアム浜松店、アピナ磐田店の性格・所在は、各施設の公開情報による。

付記:本稿は一般読者向け記事 c091 の内容を、郷土史研究者向けに確度の腑分けと史料批判の観点から再構成した論考版である。ドライブインシアターの開業日(1969年12月15日)を史実、ボウリング場の開業時期や閉鎖理由を推定として書き分け、跡地の転用が示す土地利用の連続性を論の軸に据えた。

参考文献・参考資料

  • 提供PDF「磐田市における閉鎖ボウリング場の歴史的変遷と地域レジャー産業の空間的構造転換に関する総合調査報告」。
  • 「思い出のボウリング場081 磐田グランドボウル」。
  • 「消えた映画館の記憶」磐田市・ドライブインシアターに関する記録。
  • 磐田市『磐田市史』通史編(磐田市、該当章)。
  • 公益社団法人 日本ボウリング場協会 統計資料 https://www.jbc.or.jp/ (最終閲覧:2026年7月25日)。
  • 遠州鉄道株式会社 公開情報(磐田営業所) https://www.entetsu.co.jp/ (最終閲覧:2026年7月25日)。
  • 袋井グランドボウル 公開情報(袋井市堀越)(最終閲覧:2026年7月25日)。
  • 浜松毎日ボウル ARITAMA 公開情報(浜松市中央区有玉南町)(最終閲覧:2026年7月25日)。
  • ラウンドワンスタジアム浜松店 公開情報(浜松市中央区天王町) https://www.round1.co.jp/ (最終閲覧:2026年7月25日)。
  • アピナ磐田店(イオンタウン磐田・西貝塚)公開情報(最終閲覧:2026年7月25日)。
  • 磐田物語 c051「磐田市の旧映画館を歩く」 https://iwata-monogatari.net/c051.html (最終閲覧:2026年7月25日)。
  • 磐田物語 c091「磐田市の閉鎖したボウリング場を読む ── 日活ゴールデンハイツと磐田グランドボウル」(本稿の素材記事) https://iwata-monogatari.net/c091 (最終閲覧:2026年7月25日)。
  • 大石浩之の磐田論考 第102号「磐田市の閉鎖プールを読む ── 市民プールから防災インフラへ」 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/102/ (最終閲覧:2026年7月25日)。