失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語大石浩之の磐田論考 / 福田の祭りと戦時記憶

磐田郷土史研究紀要

大石浩之の磐田論考 第213号(福田まつり研究 二)

福田の祭りと戦時記憶

伊東金平の体験記を史料として読む ── 回想という一次資料の性格と史料批判

大石浩之1

1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役

公開日
2026.07.26
資料検証
公開資料による検証済み
対象地区
磐田市福田

要旨

本稿は、寺田勝彦編『東屋台と西屋台』(郷土史探訪別冊第三集、昭和60年〔1985年〕発行)の冒頭に置かれた伊東金平の戦争体験記を、一次資料として読む試みである。とりわけ、遠い戦場で福田の秋祭りの記憶がどのように立ち現れるかに注目する。体験記に記された事柄を「そう回想されている」という水準の史実として受け止めつつ、その背後にある史的事実──部隊・日付・海戦の具体──は推定または未確認へ腑分けする。あわせて、回想という史料がもつ性格、すなわち記憶の選択、後年からの再構成、語りの型を史料批判の対象とし、体験記を無批判に事実の記録として扱うことの危うさと、それでもなお個人の回想が地域史にとって代えがたい証言でありうる理由を論じる。祭りの記憶が兵士の心の拠りどころとして想起される現象を、戦争と民俗の交わる一点に位置づけ、誇張と美化を避けて記述することを本稿の姿勢とする。

キーワード:戦争体験記/回想史料/史料批判/福田の秋祭り/六社神社/記憶の再構成/戦争と民俗

1. 問題設定 ── 個人の回想を史料として読む

祭りを記録した一冊の小冊子の、その冒頭に、海戦の記憶を綴った一編の文章が置かれている。寺田勝彦編『東屋台と西屋台』は、福田の六社神社の秋祭りと、それを支えた二台の屋台を書きとめた郷土史の冊子であるが、その巻頭を飾るのは屋台の由緒でも構造の解説でもなく、伊東金平による戦争体験記である1。屋台の寸法や順路を記した書物に、なぜ遠い南方の海の記憶が並ぶのか。この配置の不思議さそのものが、本稿の出発点である。

本稿が問うのは、この体験記に描かれた海戦の実相ではない。戦史の当否を判定することでもない。問うのは、遠く離れた戦場において、福田の祭りの記憶がどのように立ち現れているか、そしてその立ち現れ方を記録した一編の回想を、地域史の史料としてどう扱えばよいか、という二点である。個人が後年に書き残した回想は、公文書や編纂物とは性格を異にする。日付や部隊のような外形的な事実については裏づけを欠くことも多く、その一方で、当事者でなければ書きえない内面の証言を含む。この二面性をどう腑分けするかが、回想を史料として読むうえでの中心的な課題となる。

あらかじめ本稿の方法上の区別を明示しておく。第一に、体験記に「書かれている事柄」は、それが事実として起こったかどうかとは別に、「伊東金平がそう回想し、そう書き残した」という水準においては確実である。この水準を本稿は史実として扱う。第二に、その回想の背後にある史的事実──実際の海戦の経過、伊東の所属した部隊、乗艦、日付──は、体験記の記述だけからは確定できず、多くは推定または未確認にとどまる。第三に、回想という営みそのものがもつ性格、すなわち何を覚え何を忘れるかという記憶の選択、書く時点から過去を眺め直す後年の再構成、そして体験記という文章の型が語りに与える影響は、それ自体を史料批判の対象としなければならない。以下では、この三つの層を一貫して区別しながら読み進める。

ここで断っておきたいのは、こうした腑分けが、伊東の回想の価値を切り下げるためのものではないということである。むしろ逆である。回想を無批判に事実の記録として扱えば、確かめようのない細部までも史実であるかのように語ってしまい、かえって証言としての信頼を損なう。書かれた事柄がどの層に属するのかを丁寧に仕分けることで、はじめて、この体験記が地域史に対して何を確かに証言しているのかが見えてくる。祭りの記憶が極限の場でよみがえったという、その一点の証言を正当に受け取るためにこそ、確度の層を分ける手続きが要る。

なお、この論考は福田まつりを扱う本シリーズの一編であり、年中行事の側から福田の信仰暦を論じた福田の年中行事 ── 正月から春への村の信仰暦と対をなす。前稿が村の暮らしのなかで祭りが果たす周期的な役割を扱ったのに対し、本稿は、その祭りの記憶が村を遠く離れた場面でどう働くかを扱う。祭りを共同体の内側から見るのが前者であり、共同体を離れた個人の内面から照らし返すのが本稿である。

体験当時の出来事 記憶選択・忘却 想起戦場での回帰 再構成後年の眼差し 記録冊子への収録 回想が史料になるまで 記録に至るまでに、記憶の選択と後年の再構成という二つの加工を経ている。
図1 回想が史料になるまでの過程。当時の体験は、記憶・想起・再構成という段階を経て記録となる。史料として読む際には、この各段階で加わる加工を勘定に入れなければならない。

2. 素材と背景 ── 『東屋台と西屋台』冒頭の体験記

まず、本稿が依拠する素材の性格を確定しておく。寺田勝彦編『東屋台と西屋台』は、郷土史探訪別冊の第三集として、昭和60年〔1985年〕11月20日に発行された小冊子である。福田の六社神社の秋祭りを主題とし、二台の屋台の由緒、構造、引き回しの記憶などを収める。冊子本文および表紙では「六社神社」と表記されるため、本稿でもこの表記に従う2。この冊子の巻頭に、伊東金平「私の戦争体験記 第三次ソロモン海戦」が置かれている。

体験記の内容そのものは、海戦時の緊張、艦内の様子、夜間の不安を綴ったものである。そのなかで、福田の祭りの進行する時間や屋台の位置が想起される。「第三次ソロモン海戦」という表題が示す海戦は、一般には太平洋戦争中の1942年〔昭和17年〕、ガダルカナル島をめぐる海戦の一つとして知られている。ただし、この一般的な戦史上の理解を、伊東の体験記の記述にそのまま重ねてよいかどうかは、慎重を要する。表題の海戦名と、本文に描かれた具体的な状況とが、戦史の記録とどこまで対応するのかを、体験記の記述だけから確定することはできないからである。この点は後の章で改めて腑分けする。

ここで冊子の編集意図に触れておきたい。祭りを記録する冊子が、その巻頭に一編の戦争体験記を据えたことは、偶然の配置とは考えにくい。編者の寺田勝彦は、屋台という「もの」の記録に先立って、その祭りに生きた一人の人間の記憶を置いた。屋台の構造や順路を書きとめることと、その祭りが人にとって何であったかを書きとめることとを、編者は切り離さなかったのだと解釈できる。もっとも、これは配置から読み取れる編集の志向についての推定であって、編者が明文でそう述べているかどうかは本稿の調査範囲では確認できていない。冊子内に編集意図を直接記した一文があるか否かは、原本の精査を要する課題として残しておく。

素材の限界も明示しておく。本稿が扱えるのは、あくまで冊子に収録された体験記の文面と、その配置という事実である。伊東金平という人物の生没年、経歴、所属部隊、体験記を書いた正確な時期といった外形的な情報は、体験記および冊子の記述からは十分に得られず、本稿の調査範囲では未確認である。ここで「未確認」というのは、そうした情報が存在しないと断定できる(=記載がない)という意味ではない。冊子のどこかに、あるいは福田の他の記録に、そうした情報が残されている可能性はあり、ただ筆者がまだそれに突き当たっていない、という状態を指す。この区別を保つことが、以下の史料批判の前提となる。

したがって本稿は、伊東という個人の伝記的復元を目的としない。目的はあくまで、この一編の回想が、福田の祭りについて、そして回想という史料の性格について何を教えるかを読み解くことにある。人物の全体像に迫れないという素材の薄さは、しかし裏を返せば、テクストそのものに即して読むことを促す。書かれた文面が、どの層の事実を、どのような語りの型で伝えているのか──素材が限られているからこそ、その一点に集中して読む意味がある。

冊子『東屋台と西屋台』 巻頭:戦争体験記 屋台の由緒 屋台の構造・意匠 引き回しの記憶 「もの」の記録の前に、 その祭りに生きた 一人の記憶を置く。 = 屋台の記録と、人の記憶の記録を   切り離さない編集の志向(推定) 冊子の構成 ── 巻頭に置かれた回想
図2 冊子の構成。祭りの記録を主題とする冊子が、その巻頭に戦争体験記を据えている。屋台という「もの」の記録に先立って人の記憶を置く構成は、編集の志向を推定させるが、明文の裏づけは未確認である。

3. 回想という史料の性格 ── 選択・再構成・語りの型

回想を一次資料として扱うにあたり、その史料としての性格を三つの観点から点検しておく。第一は記憶の選択、第二は後年からの再構成、第三は語りの型である。これらはいずれも回想一般に共通する性質であり、伊東の体験記もその例外ではない。順に見ていく。

観点①・記憶の選択

何が覚えられ、何が忘れられたか

回想は、体験のすべてを等しく保存するものではない。人は、印象の強い場面を鮮明に覚え、そうでない多くを忘れる。そして、後になって意味のある出来事ほど、繰り返し思い返されることで記憶のなかに定着する。したがって体験記に書かれた事柄は、当時起こったことの全体ではなく、書き手の記憶が選び取り、保存し続けた一部である。伊東の体験記に祭りの場面が書かれているのは、それが彼の記憶のなかで残り続けたからにほかならない。逆に言えば、書かれなかった無数の出来事があり、書かれた事柄は、その厚い忘却の層のうえに浮かぶ、選ばれた記憶なのである。

この選択は、恣意的な取捨ではなく、書き手にとっての意味の重みに沿っている。極限の状況で祭りの光景が浮かんだこと、その光景を戦後も長く保ち続けたこと──この二重の選択を経て、祭りの記憶は体験記に書き留められた。史料として読むとき、私たちが手にするのは「何が起きたか」の記録である以上に、「何が記憶に値するものとして残されたか」の記録である。

観点②・後年の再構成

書く時点から過去を眺め直す

体験記は、体験の渦中で書かれた日記ではなく、後年になって書かれた回想である。書く時点の書き手は、その後の展開を──自分が生き延びたことを含めて──すでに知っている。この事後の視点は、過去の記憶を無意識のうちに整え直す。危機のさなかにあった当時の混沌とした感覚は、書く段階では一つの筋の通った物語へと編み直されやすい。伊東が戦後に体験記を綴ったとき、その筆は、生きて帰った者の位置から過去を振り返る筆であった。

この再構成は、嘘や誇張とは異なる。書き手は誠実に思い出しているのだが、思い出すという行為自体が、現在の視点からの整理を伴う。祭りの記憶が戦場の場面と結びついて語られるとき、その結びつきが当時そのままの経験なのか、後年の想起のなかで意味づけられた結びつきなのかを、テクストだけから完全に切り分けることはできない。史料批判は、この事後性を勘定に入れて記述を読むことを求める。

観点③・語りの型

「戦争体験記」という文章の様式

体験記には、それが書かれた時代と場に応じた文章の型がある。戦後に数多く書かれた戦争体験記は、緊張と不安を綴り、生還を語り、そして平和や故郷への思いに帰着するという、一定の語りの様式を共有することが少なくない。故郷の情景の想起も、この様式のなかでしばしば現れる主題である。伊東の体験記に祭りの記憶が現れることは、彼個人に固有の経験であると同時に、そうした語りの型の一部でもありうる。ここに個別の記憶と共通の様式とが交差している。

ここで注意すべきは、語りに型があることが、そこに書かれた経験を虚構にするわけではない、という点である。型は、経験を伝えるための器であって、経験を消し去るものではない。むしろ、型に沿って語られることで、個人の経験は他者に伝わる形を得る。史料として読むときに求められるのは、型を見抜いたうえで、その器に盛られた個別の内容──福田の祭りの、この時刻の、この道の記憶──を丁寧に取り出すことである。

本稿の姿勢:記憶の選択・後年の再構成・語りの型という三つの性格は、回想の証言価値を損なう欠陥ではなく、回想という史料に固有の読み方を要求する条件である。これらを勘定に入れて読むことで、体験記は事実の記録以上のもの──何が記憶に値し、どう語られたかの記録──として立ち上がる。
記憶の選択 覚える/忘れる 後年の再構成 事後の視点 語りの型 体験記の様式 体験記 読める史料 回想という史料に作用する三つの力 三つの力を勘定に入れて読むことが、回想の史料批判である。
図3 回想という史料に作用する三つの力。記憶の選択、後年の再構成、語りの型が重なって、いま読める体験記の文面が形づくられている。これらは欠陥ではなく、回想に固有の読み方を求める条件である。

4. 体験記に現れる祭りの記憶 ── 時間・地名・身体

ここからは、体験記のなかに現れる福田の祭りの記憶そのものを読む。本稿がテクストから読み取れる祭りの記憶は、大きく三つの層に整理できる。時間の記憶、地名の記憶、そして身体の記憶である。いずれも、屋台の台数や構造といった外形の記録には還元されない、生活者の視点からの記憶である。

第一に、時間の記憶がある。体験記には、夕方から夜へ向かう時間の流れのなかで、故郷の屋台が今ごろ動いているのではないかという想像が重ねられる。祭りを毎年経験してきた者にとって、その日の時刻と屋台の進み具合とは、体のなかで一つに結びついている。夕方になれば屋台に灯がともり、動き出す。夜が更ければ、どの屋台がどのあたりを進んでいる──そうした祭りの時間の流れが、身についているのである。戦場で時計の針が進むにつれて、「今ごろは故郷であの場面か」と、祭りの時間が自然に重なってくる。この二重の時間感覚は、体験記が伝える最も印象的な記憶の層である。

ただし、この時間感覚をどう解釈するかには、前章で述べた史料批判が関わる。戦場で実際にその都度、故郷の祭りの時刻を思い浮かべていたのか、それとも後年、体験を綴る段階で「あのとき故郷ではこうだったろう」と重ね合わせたのか──この二つを、テクストだけから截然と分けることはできない。本稿の立場は、いずれであっても、伊東の記憶のなかで戦場の時間と祭りの時間が結びついていたこと自体は確かであり、その結びつきこそが読むべき対象である、というものである。実時間の同時性の当否は、ここでは括弧に入れる。

第二に、地名の記憶がある。体験記には、西組屋台、太郎衛門様前、右前島道路といった場所の名が現れる。これらは地図上の座標として覚えられているのではない。祭りの日にその場所で見た光景、聞いた音、感じた空気とともに、体に刻まれた記憶である。あの角を曲がれば屋台が見える、あの家の前で人が集まる──そうした場所と結びついた記憶が、遠い戦場でもよみがえる。地名の一つ一つが、その人にとっては情景の入り口になっている。ここで挙げられる地名は素材の体験記に即したものであり、その現在の比定地や表記の異同については、福田の地誌に照らした別の検討を要する5

第三に、身体の記憶がある。祭りの記憶は、頭で覚えた知識ではなく、屋台の囃子の音や、道のにぎわいや、夜の灯りのゆらめきといった、五感を通して体の奥にしみ込んだ記憶である。だからこそ、遠い海の上でも、ふとした折によみがえる。祭りとは、屋台という「もの」だけでできているのではない。それを取り巻く道や家、そこに集う人々、夜の灯り、若者たちの声──そうしたすべてが一つになって、祭りの記憶を形づくっている。福田の祭りを、屋台の総論として概観した東屋台と西屋台 ── 六社神社の秋祭りを支えた福田の二つの屋台が「もの」と組織の側から祭りを描くとすれば、本稿が体験記から読み取るのは、その祭りが一人の身体に残した痕跡の側である。

これら三つの層は、互いに独立しているわけではない。時間の記憶は、屋台がどの道を進むかという地名の記憶と結びつき、地名の記憶は、その場の音や灯りという身体の記憶と結びつく。祭りの記憶が濃やかで、長い年月を経ても消えないのは、時間・地名・身体という複数の層が絡み合って、一つの厚い記憶を成しているからである。体験記は、この厚みを、戦場という遠い場から照らし出している。

時間の記憶 屋台が動く時刻 地名の記憶 太郎衛門様前ほか 身体の記憶 囃子・灯り・声 祭りの記憶の三つの層 重なりに厚みが宿る
図4 祭りの記憶の三つの層。時間・地名・身体の記憶は独立ではなく、互いに絡み合って一つの厚い記憶を成す。この重なりが、記憶が長く消えない理由をなしている。

5. 史実と史的事実の腑分け ── 何が確認でき、何が推定にとどまるか

本章では、体験記の記述を確度の層ごとに腑分けする。冒頭に述べた区別を、ここで具体の記述に当てはめる。鍵となるのは、「そう回想されている」という水準の史実と、その背後にある史的事実とを、混同しないことである。

まず、史実として確実に扱える層がある。伊東金平が戦争体験を綴った文章を残したこと、その文章が『東屋台と西屋台』の巻頭に収録されたこと、その文中に福田の祭りの時間・地名・身体の記憶が書き込まれていること──これらは、冊子という現物によって確認できる。さらに、「伊東金平がそう回想し、そう書いた」という水準においては、体験記に書かれた祭りの記憶の内容もまた確実である。彼が戦場で福田の祭りを思ったと書いている以上、少なくとも「そう回想し記録した」ことは動かない。本稿はこの層を史実として扱う。

次に、推定にとどまる層がある。表題の「第三次ソロモン海戦」が、戦史上一般にそう呼ばれる1942年〔昭和17年〕の海戦を指すと解するのは、一般的な戦史知識からの推定として妥当である3。しかし、伊東が実際にその海戦に、どの艦で、どの立場で臨んだのか、体験記の記述が戦史の経過とどこまで対応するのかは、体験記の文面だけからは確定できない。ここは推定の層であり、断定を避ける。表題の海戦名を、そのまま伊東の実体験の外形的裏づけとして用いることはできない。

さらに、未確認の層がある。伊東金平の生没年・経歴・所属部隊・乗艦、体験記が書かれた正確な年、そして体験記に現れる地名の現在の比定──これらは、本稿の調査範囲では一次史料に突き当たっていない4。繰り返すが、これは「そうした事実が存在しない(=記載がない)」ことを意味しない。福田の兵事関係記録、部隊の戦時日誌、あるいは冊子の他の箇所に、これらを裏づける情報が残されている可能性はある。ただ筆者がまだ確認していない、という状態である。この未確認の層を、推定や史実へと押し上げるには、別途の史料調査を要する。

この三層の腑分けを怠ると、二つの誤りに陥りやすい。一つは、「そう回想されている」水準の史実を、そのまま史的事実として語ってしまう誤りである。体験記に祭りの記憶が書かれているという確実な事実から、当時実際に戦場でその都度祭りを思っていたという未確認の事柄へと、無自覚に踏み越えてしまう。もう一つは逆に、外形的事実が裏づけられないことを理由に、体験記の証言価値そのものを切り下げてしまう誤りである。日付や部隊が確認できないからといって、祭りの記憶が回想として残されたという証言まで疑う必要はない。腑分けは、この双方の誤りを避けるための手続きである。

ここで、回想史料に固有の逆説を確認しておきたい。外形的事実の確度が最も低い部分──いつ、どこで、どの部隊で、という具体──は、公文書や戦史記録によって補いうる領域である。逆に、体験記でなければ得られない部分──極限の場で故郷の祭りが心に浮かんだという内面の証言──は、他のいかなる史料によっても代替できない。回想史料の価値は、確度の高い外形にあるのではなく、他で代替できない内面の証言にある。だからこそ、腑分けによって内面の証言を外形の不確かさから守ることが、回想を史料として活かす道となる。

史実 ──「そう回想され、そう書かれた」水準 体験記の存在・巻頭収録・祭りの記憶が書かれていること ── 混同してはならない境界 ── 史的事実(推定) 1942年の海戦との対応 史的事実(未確認) 部隊・乗艦・日付・地名比定 体験記の記述を二層に腑分けする
図5 史実と史的事実の腑分け。上層は「そう回想され、そう書かれた」という確実な水準、下層は回想の背後にある史的事実であり、推定または未確認にとどまる。両層を隔てる破線が、混同を戒める境界である。

6. 史料類型のなかの回想 ── 比較と史料批判の総括

回想史料の性格を、他の史料類型と並べて相対化しておく。地域史の記述は、公文書、編纂物、新聞・雑誌の記事、そして個人の回想といった、性格の異なる史料を組み合わせて成り立つ。それぞれが得意とする領域と、抱える限界は異なる。以下の比較表は、これらの類型を、外形的事実の確度と、内面・生活実感の証言力という二つの軸で並べ、伊東の体験記のような回想史料がどこに位置づくかを示す。

表1 史料類型の比較 ── 外形的事実の確度と内面の証言力、および史料批判上の留意点
史料類型外形的事実の確度内面・生活実感の証言力本稿の素材との関係史料批判上の留意点
公文書・行政記録高い(日付・数量に強い)低い兵事記録等は本稿では未確認作成主体の目的に沿った選別が働く。
編纂物・地誌中〜高低〜中福田の地誌は地名比定の参照枠後代の編集意図・典拠の遡及が要る。
新聞・雑誌記事本稿の直接の素材ではない読者向けの脚色・二次性に注意。
個人の回想・体験記低い(外形は不確か)高い(他で代替不能)伊東金平の体験記=本稿の主素材記憶の選択・後年の再構成・語りの型。

この比較から見えるのは、回想史料が、外形的事実の確度という一つの物差しで測れば最も弱い類型だという事実である。日付や部隊のような検証可能な情報については、公文書や編纂物に大きく劣る。もし史料の価値を外形的事実の確度だけで測るなら、体験記は資料として頼りないものと評価されてしまう。しかし、もう一つの軸──内面と生活実感の証言力──に目を移すと、評価は逆転する。極限の場で故郷の祭りが心に浮かんだという証言は、いかなる公文書にも記録されえない。回想史料は、他の類型が構造的に取りこぼす領域を、ただ一つ証言しうる。

したがって、史料類型は優劣の序列ではなく、役割の分担として捉えるべきである。外形的事実は公文書や編纂物で押さえ、内面と生活実感は回想で補う。両者を組み合わせてはじめて、祭りの歴史は、制度としての側面と、人にとっての意味としての側面の双方から記述できる。伊東の体験記は、この後者の側面、すなわち祭りが人にとって何であったかを、他の史料では届かない深さで証言している。前稿福田の年中行事が聞き書きという別種の回想史料を用いて村の信仰暦を描いたことと併せて読めば、福田の祭礼研究において回想史料が担う役割の輪郭が、いっそう明瞭になる。

史料批判の総括として、三点を確認する。第一に、回想史料は外形的事実の裏づけを他の類型に仰ぐべきであり、体験記の記述だけで史的事実を確定してはならない。第二に、それでもなお回想史料には代替不能の証言力があり、外形の不確かさを理由にその証言まで棄却してはならない。第三に、回想固有の三つの性格──選択・再構成・型──を勘定に入れて読むことが、この史料類型を正しく活かす条件である。これらは、伊東の体験記に限らず、地域に残る戦争体験記や聞き書き一般に適用できる読み方の原則でもある。

7. 戦争と民俗の交点 ── 祭りの記憶という拠りどころ

ここまでの史料批判を踏まえたうえで、本章では、この体験記が示す主題そのもの──祭りの記憶が兵士の心の拠りどころとして立ち現れるという現象──を、戦争と民俗の交わる一点として論じる。デリケートな主題であるだけに、誇張と美化を避け、淡々と記述することを心がける。

人は、極限の状況に置かれたとき、しばしば故郷の風景を思い浮かべるという。命の危険と隣り合わせの戦場にあって、伊東の記憶に浮かんだのが、生まれ育った福田の祭りの光景であったこと──これは、体験記の証言する水準においては確かである。幼いころから毎年繰り返し体験し、身体の奥に刻まれた祭りの記憶は、頭で覚えた知識とは違って、意志とは無関係にふとよみがえる。祭りが、その人にとっていかに深いものであったかは、こうした場面で心に浮かんだという事実に、控えめながらはっきりとあらわれている。

ただし、ここで語りを膨らませすぎることは慎まなければならない。「祭りが命を救った」「故郷の記憶が兵士を支えた」といった大きな物語へと一足飛びに進むことは、体験記が実際に証言している水準を超える。体験記が確かに伝えているのは、祭りの記憶が戦場で想起され、戦後に書き残されるほど強く保たれていた、という事実である。その記憶が具体的にどのような心の働きをしたのか、それが生存にどう関わったのかは、体験記の外にある事柄であり、推測の域を出ない。本稿の立場は、証言された事実の重みを、証言を超える解釈で覆わない、というものである。

そのうえで、戦争と民俗の交点という主題の意味を述べる。民俗としての祭りは、平時の共同体のなかで、周期的に繰り返される営みである。それは共同体の内側で、季節のリズムと結びついて機能する。ところが伊東の体験記は、その祭りが、共同体を遠く離れた個人の内面において、非常時にも働きうることを示している。祭りの記憶は、村の外へ、そして平時の外へと持ち出され、一人の人間の心のなかで別の働きをした。民俗の営みが個人の内面に残した痕跡が、戦争という極限の場で照らし出される──ここに、戦争と民俗が交わる。

この交点は、祭りというものの二重の性格を明るみに出す。祭りは、共同体が担い、運営し、伝えていく社会的な営みであると同時に、一人ひとりの身体に沈み込み、生涯にわたってその人を内側から形づくる個人的な記憶でもある。屋台の台数や順路を記録する視点は前者を捉え、体験記を読む視点は後者を捉える。祭りの歴史を書くとは、この二つの側面を、どちらも切り落とさずに書きとめることであろう。福田の年中行事や盆の行事を扱った福田の年中行事と昔ばなしのような記録が村の暮らしの周期を描くとすれば、体験記は、その周期が一人の生涯にどう食い込んでいたかを、遠い戦場の側から証言している。

最後に、この体験記が冊子に残されたこと自体の意味に触れておく。戦後、生きて故郷へ戻った者が、その体験を書き残し、それが地域の祭りの冊子に収められた。祭りの記録に戦争体験記が並ぶことを意外に思う向きもあろう。だが、祭りは、それを担い、楽しみ、そして遠い異郷から思った一人ひとりの人生と、切り離すことはできない。屋台の記録の傍らに、一人の若者が遠い戦場で故郷の祭りを思った記憶を残すこと──それは、祭りの記録を、道具立ての記録から、そこに生きた人々の記憶の記録へと広げる営みであった。本稿がこの一編を史料として読み直した意味も、そこにある。

民俗としての祭り 共同体・平時・周期 個人の記憶 身体・生涯・内面 交点 非常時の想起 戦争と民俗が交わる一点 共同体の営みが個人の内面に残した痕跡が、極限の場で照らし出される。
図6 戦争と民俗が交わる一点。共同体の営みとしての祭りと、個人の内面に沈んだ記憶とが、非常時の想起において重なる。体験記は、この重なりを遠い戦場の側から照らし出す。

8. 結論 ── 回想を確度の層とともに残す

本稿は、寺田勝彦編『東屋台と西屋台』の巻頭に置かれた伊東金平の戦争体験記を、福田の祭りの記憶が遠い戦場でどう立ち現れるかという視点から、一次資料として読んできた。得られた見取り図は次のとおりである。体験記に書かれた事柄は、「そう回想され、そう書かれた」という水準においては史実であり、そこには祭りの時間・地名・身体の記憶が確かに刻まれている。一方、その背後にある史的事実──海戦の具体、部隊、日付、地名の比定──は、推定または未確認にとどまる。この二層を隔てる境界を守ることが、体験記を史料として読むうえでの要であった。

回想という史料は、記憶の選択、後年の再構成、語りの型という三つの性格を負っている。これらは証言の欠陥ではなく、回想に固有の読み方を求める条件である。外形的事実の確度という物差しで測れば、回想は最も弱い史料類型である。しかし、内面と生活実感の証言力という物差しに移せば、回想は他の類型が構造的に取りこぼす領域を、ただ一つ証言しうる。伊東の体験記が証言するのは、まさにこの代替不能の領域──極限の場で故郷の祭りが心に浮かんだという内面の事実──であった。

この体験記が示す主題、すなわち祭りの記憶が兵士の心の拠りどころとして立ち現れるという現象は、戦争と民俗の交わる一点に位置づけられる。共同体の周期的な営みである祭りが、共同体を離れた個人の内面において、非常時にも働きうること。民俗が個人に残した痕跡が、戦争という極限の場で照らし出されること。ここに、屋台の台数や構造の記録だけでは見えない、祭りのもう一つの層がある。ただし本稿は、この主題を大きな物語へと膨らませることを慎んだ。体験記が証言する事実の重みは、証言を超える解釈で覆うべきではないと考えるからである。

本稿が扱いえなかった課題を明記しておく。第一に、伊東金平の伝記的事実──生没年、所属部隊、乗艦、体験記執筆の時期──は、福田の兵事関係記録や部隊の戦時日誌の調査によって、未確認から推定へ、あるいは史実へと押し上げられる余地がある。第二に、体験記に現れる西組屋台・太郎衛門様前・右前島道路といった地名は、福田の地誌に照らした比定を要する。第三に、この体験記を、戦後各地に書かれた戦争体験記という語りの型のなかに置き、故郷の記憶が想起される様式を比較することで、伊東の回想の個別性がより明確になるだろう。これらはいずれも、本稿が設定した確度の層の枠組みのなかで、未確認を推定へ、推定を史実へと積み上げていく作業に属する。個人の回想を、その確度の層とともに丁寧に残すこと──その手続きの先にこそ、祭りが人にとって何であったかという、外形の記録だけでは決して届かない歴史が、少しずつ像を結んでいくはずである。

本稿の舞台である福田をはじめ、遠州の町には、祭りとともに受け継がれてきた古い家や土地が数多く残る。筆者は磐田・袋井で不動産と介護の実務に携わる立場から、こうした土地に沈んだ記憶にも向き合ってきた。家・土地・空き家の整理について相談することができる。記憶を書き留めることと、その舞台となった土地を次の世代へ手渡すことは、地続きの営みだと考えている。

  1. 伊東金平「私の戦争体験記 第三次ソロモン海戦」(寺田勝彦編『東屋台と西屋台』郷土史探訪別冊第三集、1985年〔昭和60年〕所収)。本稿は同体験記を主素材とし、その一般読者向け読み解きとして磐田物語 f025 を公開している。
  2. 冊子本文および表紙では祭礼の主宰社を「六社神社」と表記する。他の資料には「六所神社」の表記も見えるが、本稿は素材冊子の表記に従い「六社神社」で統一する。表記の異同そのものの検討は別稿を要する。
  3. 「第三次ソロモン海戦」を戦史上一般にそう呼ばれる1942年〔昭和17年〕の海戦と解するのは推定であり、伊東の実体験が戦史の経過とどこまで対応するかは体験記の文面だけからは確定できない。
  4. 本稿でいう「未確認」は、当該事実を裏づける一次史料に筆者がまだ突き当たっていない状態を指し、「記載がない(史料に存在しない)」ことと区別する。伊東の伝記的事実および地名の比定は、この未確認の層にある。
  5. 体験記に現れる西組屋台・太郎衛門様前・右前島道路は素材の記述に即した地名であり、現在の比定地・表記は福田の地誌に照らした別途の検討を要する。

付記:本稿は一般読者向け記事 f025 の内容を、郷土史研究者向けに史料批判の観点から再構成した論考版である。体験記に「書かれている」事柄を「そう回想されている」水準の史実として扱い、その背後の史的事実を推定・未確認へ腑分けした。デリケートな主題であるため、証言が示す水準を超える誇張・美化を避けることを一貫した方針とした。

参考文献・参考資料

  • 寺田勝彦編『東屋台と西屋台』郷土史探訪別冊第三集、1985年〔昭和60年〕11月20日発行。
  • 伊東金平「私の戦争体験記 第三次ソロモン海戦」(前掲『東屋台と西屋台』所収)。
  • 提供資料「六所神社の祭り.pdf」(冊子本文の翻刻・参照用)。
  • 福田町教育委員会『年中行事と昔ばなし』(福田の民俗・聞き書き資料)。
  • 磐田市『磐田市史』通史編(磐田市、福田・戦時関係の該当章)。
  • 磐田市『磐田市史』資料編(近現代・民俗の該当巻)。
  • 静岡県『静岡県史』通史編(近現代、遠州の戦時下に関する章)。
  • 佐口行正氏所蔵史料(福田地区関係の郷土史料)。
  • 六社神社(福田)由緒・祭礼関係資料。
  • 磐田物語 f023「東屋台と西屋台 ── 六社神社の秋祭りを支えた福田の二つの屋台」 https://iwata-monogatari.net/f023.html (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 磐田物語 f025「福田の祭りと戦時記憶 - 伊東金平氏の体験記から読む」 https://iwata-monogatari.net/f025.html (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 磐田物語 f011「福田の年中行事と昔ばなし ── 磐田市福田地区の民俗と記憶」 https://iwata-monogatari.net/f011.html (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 大石浩之の磐田論考 第164号「福田の年中行事 ── 正月から春への村の信仰暦」 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/164/ (最終閲覧:2026年7月26日)。