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磐田物語 / 庚申塔・馬頭観音・道祖神から見る民俗信仰
磐田共通 | 民俗信仰

庚申塔・馬頭観音・道祖神から見る民俗信仰 ──
路傍に刻まれた祈りの形

神社や寺院のように目立つ存在ではないが、村の辻や坂道には、生活に根ざした小さな祈りの証が数多く置かれてきた。庚申塔、馬頭観音、道祖神。これらの石造物が語る、暮らしのなかの民俗信仰をたどる。

眠らずに過ごす夜 ── 庚申信仰と庚申塔

庚申塔(こうしんとう)は、中国から伝わった道教に由来する「庚申信仰」にもとづいて建てられた石碑・石塔である。庚申信仰では、60日に一度めぐってくる庚申(かのえさる)の日の夜、眠らずに過ごすことで、体内にいるとされる三尸(さんし)の虫が天に昇り、その人の罪過を天帝に告げ口するのを防ぐという「庚申待(こうしんまち)」という行事が行われた。この庚申待を続けた記念、あるいは供養として建てられたのが庚申塔である。石塔には、干支の「申」が猿に通じることから「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿が彫られたり、庚申信仰の本尊とされる青面金剛(しょうめんこんごう)が刻まれたりすることが多い。地域の庚申講の仲間の名が刻まれている例も多く、村人たちの信仰共同体のつながりを今に伝える史料でもある。

馬とともに生きた村の記憶 ── 馬頭観音

馬頭観音(ばとうかんのん)は、正式には馬頭観世音菩薩といい、頭上に馬の頭を戴く姿で表される観音である。牛馬、なかでも馬の供養と結びつきが深く、村はずれの分岐点や坂道など、交通の難所となる場所に建てられることが多い。かつて馬は、荷物や人を運ぶ大切な労働力であり、旅の途上で命を落とす馬も少なくなかった。馬頭観音は、そうした馬たちへの感謝と供養の気持ちを、街道や村道のかたわらに刻みつけたものといえる。

確認できること・できないこと
庚申塔・馬頭観音・道祖神という石造物の一般的な性格・信仰の仕組みは、民俗学的な資料等で広く確認できる。一方、磐田市域における個別の庚申塔・馬頭観音の具体的な設置場所・建立年代等については、今回のWeb調査の範囲では特定できていない。

磐田に息づく、道祖神の実例

道祖神(どうそじん)は、村境や道の分岐点に置かれ、外からやってくる悪しきものを防ぎ、旅人や住民を守る神とされる。磐田物語の別稿で触れた福田地区の六社神社は、明治8年(1875年)の合祀の際、折口の道祖神社を含む複数の信仰を一つに重ねた社であり、道祖神が陸上交通の守り神として位置づけられていたことがうかがえる。また、池田やかた祭りと天白神社で扱った天白神社の祭神・猿田彦命(さるたひこのみこと)も、道祖神・導きの神として知られる神格である。天竜川の渡しを生業とした池田の人々が、旅人を正しい道へ導く神を氏神としたことは、道祖神という信仰の性格を象徴的に示している。

石造物を見るときの視点

庚申塔・馬頭観音・道祖神は、いずれも建立の経緯や願主の名が刻まれていることが多く、地域史の一次資料としての価値も持っている。ただし、風化や移設によって刻字が読みにくくなっていたり、後世に別の場所へ移されて本来の設置場所がわからなくなっていたりする例も少なくない。石造物そのものの形式(舟形・角柱型など)や、彫られている図像(三猿・青面金剛・馬・二神像等)を手がかりに、おおよその年代や信仰の系統を推定することはできるが、断定には注意が必要である。磐田物語の別稿(古地図に村の名を探す)で示した「事実・解釈・推測を分ける」という姿勢は、こうした石造物を読むときにも欠かせない。

小さな石造物が語る、村の生活誌

庚申塔・馬頭観音・道祖神は、いずれも神社や寺院のような大きな建物を持たず、路傍にひっそりと置かれてきた。しかし、その小ささゆえに、かえって当時の人々の生活実感に近い信仰のかたちを伝えている。眠らずに夜を過ごす庚申講の仲間意識、荷を運んだ馬への感謝、旅人と村を守る境界の神――これらはいずれも、大きな歴史の出来事には残らない、日々の暮らしのなかの祈りである。磐田市域を歩くとき、こうした小さな石造物にも目を向ければ、村の生活誌がまた違った角度から見えてくるかもしれない。

庚申塔庚申待の供養として建立。三猿・青面金剛が刻まれることが多い
馬頭観音牛馬の供養。坂道や分岐点など交通の難所に建てられることが多い
道祖神村境・分岐点で旅人や住民を守る神。磐田では六社神社・天白神社に実例
磐田域の詳細個別の建立場所・年代は今回のWeb調査では未確認

主な参考資料

本記事は、上記資料を参考にしつつ、磐田物語の編集方針に基づいて独自に再構成したものである。磐田市域の個別の庚申塔・馬頭観音については今回のWeb調査では確認できておらず、本文中で確認できた点とできない点を区別して記している。

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この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料の文章をそのまま転載するのではなく、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。