失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語 / 古墳時代の水運を支えた木の道具
磐田共通 | 古墳・水運

古墳時代の水運を支えた木の道具 ──
丸木舟と木製農具の記憶

大の浦の水運を握った王がいた。では、その水運は、いったいどんな舟で担われていたのか。石や土器と違って、木は土の中で腐ってしまう。それでも磐田の湿った低地は、奇跡的に古墳時代の木の道具を残していた。舟と鋤(すき)という、記録に残りにくい道具の記憶をたどる。

腐りやすい木が、なぜ残ったのか

磐田物語の別稿(兜塚古墳)別稿(古墳と川・海・道)で扱ったとおり、古墳時代の磐田を統治した大首長の権力は、単なる農地支配ではなく、天竜川と潟湖「大の浦」を結ぶ「水運」の掌握にあった。しかし、その水運を実際に担った舟そのものは、通常であれば土に還って消えてしまう。木は、石器や土器と違い、地中では容易に腐朽するからである。ところが、地下水が豊富に湧き出す磐田市内の低湿地の遺跡では、水が空気を遮断することで木の腐朽が抑えられ、古墳時代の木製品が奇跡的な状態で保存されていた。

確認できること・できないこと
この記事で紹介する木製品(丸木舟の舟材・木製鋤など)の具体的な出土内容は、調査過程で提供された資料が引用する「磐田市文化財だより第251号」に基づいている。当該号は画像形式の刊行物であり、出土した遺跡名(資料では「野際遺跡」と表記)や品目の細部については、今回の独自のWeb調査では一般の資料から独立に確認することができなかった。そのため本記事は、市の刊行物に依拠した記述として、遺跡名を断定せず「磐田市内の低湿地の遺跡」という形で記す。丸木舟という技術そのものや、スギ材が舟に適することは、全国的な考古学の知見として確認できる。

全長5メートルの丸木舟

磐田市内の低湿地の遺跡からは、全長5メートルを超える大型の丸木舟の舟材が見つかっていると伝わる。丸木舟とは、一本の大きな木をくり抜いて造る舟のことである。舟材に選ばれていたのは、スギやマキなどの針葉樹であった。これらの木は耐水性に極めて優れ、かつ石器や初期の鉄器でも加工しやすいため、造船には最適の素材だったとされる。全長5メートルという大きさは、単なる漁労用ではなく、大の浦と内陸を結んで物資を運ぶ、輸送用の舟であった可能性を示している。

丸木舟という舟の造り方は、磐田だけのものではない。縄文時代以来、日本列島の各地で丸木舟が用いられ、スギ材の丸木舟は各地の低湿地遺跡から見つかっている。磐田の舟も、こうした列島規模の造船技術の伝統のなかに位置づけられる。大の浦という波の静かな潟湖を母港として、この丸木舟が遠州灘の海上交通と天竜川の内陸水運を結んでいたと考えられる。

使い終わった舟は、井戸になった

木の道具をめぐって、もう一つ興味深いことが伝えられている。大型の木材は当時きわめて価値が高く、舟としての耐用年数を終えた後も、そのまま捨てられることはなかった。舟材は、鎌倉時代に至るまで、井戸の枠として転用されていたことが確認されているという。海や川を渡るための舟が、その役目を終えると、今度は地中で水を守る井戸枠になる。木という貴重な資源を、形を変えながら何百年も使い続けた、徹底したリサイクルの記憶である。水源に乏しい磐田原台地の周辺で、水にまつわる道具がこれほど大切に使い回されたことには、この土地ならではの必然があったのかもしれない。

低地を拓いた、木の農具

木の道具が支えたのは、水運だけではない。同じ低湿地の遺跡からは、長さ80センチメートルほどの木製の鋤(すき)や、横鍬(よこぐわ)、掛矢(かけや)といった農具も見つかっていると伝わる。磐田物語の別稿(磐田原から今之浦へ)で扱ったとおり、古代の磐田南部は、排水の悪い沼や池が広がる湿地帯であった。古墳時代の人々は、こうした木の農具を手に、果敢に排水路を掘り、堤防を築いて、荒れた低地を少しずつ肥沃な水田へと変えていった。丸木舟が水運という「動」の権力基盤を支えたとすれば、木製の鋤や鍬は、農業生産という「静」の権力基盤を、地面のすぐ下から支えていたのである。

道具の記憶が、大首長の権力を裏づける

巨大な古墳や豪華な副葬品は、大首長の権力を華やかに物語る。しかし、その権力が何によって支えられていたのかを本当に語ってくれるのは、むしろこうした地味な木の道具である。丸木舟は水運の富を、木製農具は農業生産の富を、それぞれ実物として証明している。兜塚古墳の主が大の浦を見下ろす場所に葬られたことと、その足元の低湿地から丸木舟や木製農具が見つかることは、けっして無関係ではない。墓の上の壮麗さと、地面の下の泥臭い道具は、同じ一つの権力の、表と裏なのである。

消えやすいものを、記録に残す

木の道具は、たまたま条件が揃った低湿地でしか残らない。石や金属と違って、ほとんどの場合は跡形もなく消えてしまう。だからこそ、奇跡的に残った一艘の丸木舟や一本の木製鋤は、失われた無数の道具たちの代表として、当時の暮らしを今に伝えている。土地の記憶を記録し、次の世代へ手渡そうとする磐田物語にとって、こうした「消えやすいもの」をあえて言葉にして残しておくことには、大きな意味がある。壮大な古墳の陰で、名もなき人々が握っていた木の柄の感触までを含めて、古墳時代の磐田という土地の記憶なのだから。

丸木舟の舟材全長5m超、スギ・マキ材。耐水性と加工のしやすさから造船に最適。大の浦の水運を担ったとみられる
木製農具長さ80cmほどの木製鋤、横鍬、掛矢など。低湿地を水田へ変える開拓を支えた
リサイクル舟材は耐用年数後、鎌倉時代まで井戸枠に転用。木という貴重資源を形を変えて長期利用
保存の条件地下水が豊富な低湿地で、水が腐朽を抑えたため木製品が奇跡的に残存

主な参考資料

本記事は、上記資料を参考にしつつ、磐田物語の編集方針に基づいて独自に再構成したものである。木製品の出土遺跡名や品目の細部は磐田市文化財だより第251号に依拠しており、一般のWeb資料では独立に確認できなかったため、遺跡名を断定せず、確認できる範囲(丸木舟という技術一般)とできない範囲(具体的な出土内容)を区別して記している。

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この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料の文章をそのまま転載するのではなく、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。