戦争・平和特集 7/10
東南海地震と戦時下の岩田村
昭和19年(1944年)12月7日、東南海地震が発生した。空襲だけでなく、大地震もまた戦時下の暮らしを襲った。岩田村での勤労動員と、地震による工場倒壊の記憶を読む。
岩田村・鈴木運世氏の証言
岩田村の鈴木運世氏は、当時31歳。「戦争中の生活と体験」と題した証言の中で、岩田村での勤労動員や松根油の採取、防空壕での生活、B29編隊の目撃といった戦時の日常を記している。その中で最も重く語られているのが、昭和19年(1944年)12月7日に発生した東南海地震である。この地震により工場が倒壊し、仲間を亡くしたことが証言に記されている。戦争そのものだけでなく、自然災害もまた、当時の人々の暮らしと命を脅かしていたことがわかる。
東南海地震という災害。 昭和東南海地震は、昭和19年(1944年)12月7日13時35分ごろ、三重県南東沖を震源として発生したマグニチュード7.9の地震である。内閣府の報告書によれば、死者は愛知・三重・静岡など7府県で計1,233人にのぼり、静岡県内では太田川・菊川沿いを中心に約295人が犠牲になったとされる。この地震は、軍需工場が集中する東海地方を襲ったにもかかわらず、戦局の悪化を隠すための報道管制によって、当時ほとんど報じられなかった。鈴木氏の証言にある工場倒壊は、こうした戦時報道管制の陰で記録されにくかった被害の一つとして読むことができる。
崎山は満子氏の証言にみる地震の記憶。 東塚町の崎山は満子氏は、浜松大空襲の証言(本特集のh002で紹介)とあわせて、東南海地震についても言及している。浜松高等学校在学中に空襲を経験した崎山氏の証言は、戦災と震災という二重の困難が同時期に重なっていたことを伝える記録として読むことができる。
空襲が6月、東南海地震が同じ年の12月というように、昭和19年から20年にかけての約1年間は、磐田・浜松周辺の住民にとって、空からの攻撃と足元からの揺れという、性格の異なる二つの脅威が相次いだ時期であった。証言者の多くが両方の記憶を併せ持っているのは、こうした時代背景を反映している。
報道管制の中に埋もれた被害。 東南海地震が戦時報道管制のもとでほとんど報じられなかったことは、後年になって記録の掘り起こしが必要になった大きな理由の一つである。空襲であれば市街地の焼失という目に見える痕跡が残るが、地震による工場倒壊や人的被害は、当時の新聞や公式記録に十分に残されなかった。鈴木運世氏のように、自らの体験として書き記した証言は、こうした報道管制の空白を埋める、数少ない一次的な記録としての価値を持つ。松根油の採取や防空壕での生活といった、地震以外の戦時の日常についての記述もあわせて、岩田村における当時の暮らしを具体的に伝えている。
松根油と燃料不足の時代
松根油とは、松の根株を蒸し焼きにして得られる油分から精製された、航空機燃料の代用品である。戦争末期、南方からの石油輸送が連合軍の攻撃によって困難になったことから、国内では松の根を掘り起こして油を採取する「松根油増産運動」が全国的に展開された。子どもから高齢者までが動員され、山林で松の根を掘り起こす作業に従事したことが、各地の記録に残されている。鈴木氏の証言にある松根油採取も、こうした燃料不足を背景とした国民総動員の一環として理解することができる。
岩田村という土地の記憶。 岩田村は、磐田市の前身となった町村の一つであり、農業を中心とした暮らしが営まれていた地域である。鈴木運世氏の証言に描かれる勤労動員や防空壕での生活は、都市部とは異なる農村地域ならではの戦時の日常を伝えている。工場という近代的な生産施設が、地震という自然災害によって倒壊し、そこで働いていた人々の命が失われたという出来事は、農村地域にも軍需生産の拠点が置かれていたことを示すとともに、戦争と自然災害という二重の困難が、都市だけでなく農村にも及んでいたことを物語っている。
当時31歳であった鈴木氏は、勤労動員に従事する年齢層としては比較的年長であり、若い学徒たちとは異なる立場から工場の現場を見ていたと考えられる。工場倒壊によって仲間を亡くしたという記述は、勤労動員の現場が、戦地とは異なる形ではあるものの、命の危険と隣り合わせであったことを伝えている。
戦争と震災という二つの困難が同じ時期に重なったことは、当時の人々の記憶の中で分かちがたく結びついている。空襲への警戒を続けながら、地震による家屋の倒壊や工場の被害にも対応しなければならなかった当時の暮らしは、現代の私たちが想像する以上に、絶え間ない緊張の中にあったと考えられる。
現在の磐田市域は、東海地震・東南海地震・南海地震が連動する南海トラフ巨大地震の想定震源域に含まれており、防災の観点からも東南海地震の記憶は重要な意味を持つ。戦時報道管制によって埋もれていた被害の記録を掘り起こし、証言として残すことは、単に歴史を振り返るだけでなく、将来の地震への備えを考える上でも意義のある作業といえる。
この記事で扱う範囲。 本項では、昭和19年12月7日の東南海地震が戦時下の岩田村を中心とした地域に与えた影響を、鈴木運世・崎山は満子の証言から紹介した。震災の詳細な被害統計は本特集の対象外とし、あくまで証言に記された個人の記憶を扱っている。
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参考資料
- 『二十一世紀に伝えたい戦争体験』磐田市総務部総務課発行、平成14年(2002年)8月
- 鈴木運世「戦争中の生活と体験」、崎山は満子「昭和20年6月18日浜松大空襲」ほか(同書所収)
本文は各証言の転載ではなく、事実関係を確認しながら磐田物語用に要約・再構成したものです。