失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語 / 街道のほとりの小さな祠
磐田共通 | 旧東海道・石造物

街道のほとりの小さな祠 ──
くろん坊様と梅塚、旅がうんだ信仰

宿場町の立派な本陣や寺社の陰で、街道のほとりには、小さな祠(ほこら)や塚がひっそりと祀られている。殺された異国の旅僧を神とした「くろん坊様」、生贄の伝承を伝える「梅塚」――人が絶えず行き交う旧東海道だからこそ生まれた、土着の信仰と伝承をたどる。

殺された異国人が、神になった ── くろん坊様

中泉地区に、「くろん坊様(黒坊大権現)」と呼ばれる祠がある。もとは旧東海道筋の田んぼの中にあった小さな祠を、後に移したものである。咳や熱病に効き目がある神様として、地域の人々の信仰を集めてきた。その由来には、痛ましい物語が伝わっている。かつてインド人の旅僧がこの地を通りかかった際、強盗に襲われ、金品を奪われて殺害されてしまった。それを不憫に思い、また怨霊となることを恐れた土地の人々が、手厚く葬ったのが、この祠の始まりだという。毎年11月3日が縁日とされている。

この伝承は、たいへん示唆に富んでいる。東海道は、人や物や情報が絶えず流動する、開かれた空間だった。だからこそ、遠い異国からやってきた見知らぬ旅人と出会うこともあった。その異邦人が非業の死を遂げたとき、土地の人々は彼を排除するのではなく、祟りを恐れつつも手厚く葬り、やがて病を治す神へと昇華させた。見知らぬ者を土着の神格に変えていく――くろん坊様は、流動性の高い街道だからこそ生まれた、きわめて希少な民俗の記憶である。

確認できること・できないこと
くろん坊様(黒坊大権現)が中泉地区に祀られ、咳や熱病の神として信仰され、殺害された異国の旅僧を葬ったという由来を持ち、11月3日を縁日とすることは、旧東海道を歩いた記録や地域資料で確認できる。ただし、この旅僧が実在したか、いつの出来事かといった史実の裏付けは、伝承の性質上、確定できない。本記事は、地域に語り継がれてきた伝承として記している。

白羽の矢が立った家の、悲しい塚 ── 梅塚

見付宿の東坂町と西坂町には、「梅塚」と呼ばれる伝承地がある。通称「東坂の梅の木」「西坂の梅の木」と呼ばれるこの塚には、悲壮な民間伝承が残されている。かつて陰暦8月の始めに、屋根に白羽の矢が立った家の娘を、怪物への生贄(いけにえ)として捧げる風習があり、その標(しるし)として植えられた梅の木が、この塚の由来だという。磐田物語の別稿(古墳が神社になった土地)で扱った見付天神の霊犬・悉平太郎(しっぺいたろう)が退治したとされるのが、まさにこの生贄を求めた怪物である。梅塚は、あの有名な悉平太郎伝説を、街道のほとりに立つ塚として物理的に留めた、いわば伝説の「現場」なのである。合理的な交通インフラである街道のすぐ傍らに、自然や未知への恐れ、そして共同体が犠牲を差し出す論理という、民俗の深淵が口を開けていた。

弘法大師の巡礼が、街道に重なる ── 大師堂

街道のほとりの信仰は、恐れや弔いだけではない。中泉の旧東海道沿いには、「弘法大師堂 磐田郡新四國 二十五番札所」と刻まれた石柱の立つ大師堂がある。弘法大師空海が厄除けの地蔵の石仏を作り、真言宗の寺としたことに由来すると伝わる。「新四国」とは、四国八十八ヶ所の巡礼を地域内に写し取った、ミニチュアの霊場めぐりのことである。遠くの四国まで行けない人々のために、身近な街道沿いに札所を設け、巡礼の功徳を得られるようにしたのである。旅の安全を祈り、厄を除け、病を癒す――街道のほとりの小さな石仏や祠は、旅する人と、そこに住む人の、切実な願いを受け止め続けてきた。

大きな歴史の陰の、小さな祈り

見付宿の本陣や中泉御殿、旧見付学校といった大きな建物は、権力や制度の歴史を語る。しかし、街道のほとりに祀られたくろん坊様や梅塚、大師堂の石仏が語るのは、名もなき人々の恐れと祈り、そして見知らぬ者への向き合い方である。異邦人を神とし、生贄の記憶を塚に留め、身近な札所に巡礼の功徳を写す――こうした小さな信仰は、大きく取り上げられることは少ないが、街道という開かれた空間に生きた人々の心のかたちを、もっとも生々しく伝えている。土地の記憶を記録し、次の世代へ手渡そうとする磐田物語にとって、こうした「ほとりの祈り」は、けっして見過ごしてはならない歴史の層である。

間の宿・池田にも、旅の記憶が残る

街道のほとりの信仰は、宿場だけのものではない。天竜川の渡しを控えた豊田の池田は、正式な宿場ではないものの、川止めで足止めされた旅人のための茶屋や旅籠が立ち並ぶ「間の宿(あいのしゅく)」として栄えた。人が滞留する場所には、必ず祈りが生まれる。豊田の時宗の寺・行興寺(ぎょうこうじ)に伝わる熊野御前(ゆやごぜん)の物語や、その境内に遺る中世の石造供養塔もまた、池田という交通の要衝が育んだ信仰の記憶である。旅人が渡河を待つあいだに手を合わせ、旅の無事を祈った場所は、街道沿いのそこかしこにあった。くろん坊様や梅塚は、そうした無数の「ほとりの祈り」のなかでも、とりわけ物語性の濃い一例なのである。

くろん坊様(中泉)黒坊大権現。旧東海道筋の祠。殺害された異国の旅僧を葬ったのが始まりと伝わる。咳・熱病の神、11月3日縁日
梅塚(見付)東坂・西坂の「梅の木」。生贄を求めた怪物への標として植えた梅に由来。悉平太郎伝説の現場
大師堂(中泉)「弘法大師堂 磐田郡新四國 二十五番札所」の石柱。空海の厄除地蔵に由来する真言宗の巡礼札所

主な参考資料

本記事は、上記資料を参考にしつつ、磐田物語の編集方針に基づいて独自に再構成したものである。くろん坊様・梅塚・大師堂の由来はいずれも地域の伝承・縁起に基づくものであり、史実の裏付けが困難な性質のものとして、伝承と明示して記している。

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この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料の文章をそのまま転載するのではなく、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。