この記事の要点
- 豊田東小学校は1983年(昭和58年)、豊田北部小学校から分離して開校した。
- 学校敷地は、旧石器時代から古墳時代に及ぶ広野北遺跡の上にあり、2万年以上前の人の営みともつながる。
- 校訓は「やさしく」「かしこく」「たくましく」。花や藤の活動、地域人材との学びが特色となった。
- 現在は豊田中学校・豊田北部小学校とともに、ながふじ学府の一角を担う。
豊田東小学校は、現代の学校であると同時に、磐田原台地の長い時間の上に建つ学校である。高見丘の校庭の下には広野北遺跡があり、学校の開校史は、旧石器時代の生活痕跡、台地の農、宅地化、そして小中一貫教育の流れと重なっている。
本稿は、PDF「磐田市立豊田東小学校の調査」を基礎資料とし、既存の磐田物語記事と照合して再構成した。PDF中の個人史に関する記述は、学校と地域記憶の関係を考える範囲に限って扱った。
高見丘という境界の場所
豊田東小学校は、磐田市高見丘57に位置する。学区は、磐田原台地の縁と低地の里を含み、茶畑・畑作・水田・住宅地が重なる地域である。PDFは、学校の場所を「里」と「台地」の境界にあるものとして整理している。
磐田原台地は、水に乏しい土地として長く知られてきた。昭和33年(1958年)に上水道が整うまでは、雨水や天水井戸に頼る暮らしがあったとされる。一方、低地では寺谷用水や高木用水が水田を支えた。豊田東小学校の学区は、この二つの地形と生業をあわせ持つ場所だった。
広野北遺跡の上に建つ
豊田東小学校の建設前、校地では広野北遺跡の発掘調査が行われた。1982年(昭和57年)ごろの調査で、旧石器時代から古墳時代にかけての複合的な遺跡であることが確認されたとPDFは整理する。
出土した礫群やナイフ形石器、火山灰層の分析は、この土地に2万年以上前から人の営みがあったことを示す。学校の公式な紹介にも、遺跡の上に建つ歴史の香り豊かな学校という趣旨が記されていたと資料は伝える。児童が毎日歩いた校庭は、近代教育の場であると同時に、古代以前の生活の跡でもあった。
豊田北部小からの分離新設
豊田東小学校の開校は、旧豊田町の人口増加と宅地化に対応したものだった。昭和50年代、豊田北部小学校の児童数が増え、教育環境を整えるために新しい小学校が必要になった。1980年(昭和55年)に分離新設が決まり、1981年(昭和56年)から校地造成が始まった。
1983年(昭和58年)4月、豊田町立豊田東小学校として開校した。校歌、校服、プール、夜間照明などが整えられ、新しい住宅地と台地の学校として歩み出す。2005年(平成17年)の市町村合併により、磐田市立豊田東小学校となった。
やさしく、かしこく、たくましく
豊田東小学校の校訓は「やさしく」「かしこく」「たくましく」である。PDFは、学校の理念として「克己復礼」も紹介している。自分を律し、相手を尊重し、共同体の中で学ぶという方向性が、校訓と重なる。
校歌には、風、翼、高い丘、藤、富士、天竜川など、地域の地形と象徴が織り込まれているとされる。1993年(平成5年)には創立10周年にあわせて藤が植えられ、花の活動や地域の環境美化も学校文化となった。
ながふじ学府へ
現在の豊田東小学校は、豊田中学校、豊田北部小学校とともに「ながふじ学府」を構成する。ながふじの名は、行興寺に伝わる熊野の長フジに由来する。長フジは豊田地区を代表する文化財であり、学府名は地域の象徴を教育の言葉に置き直したものといえる。
ながふじ学府は、小中の連続した学びを意識し、地域と学校の関係を深める枠組みである。豊田東小学校にとって、それは単独の小学校史を閉じるものではなく、高見丘・台地・遺跡の記憶を、豊田地区全体の教育史の中へ位置づける動きでもある。
学校と個人史の交差
PDFは、豊田東小学校を、地域史アーカイブ「磐田物語」の運営者である大石浩之氏の母校としても位置づけている。個人史を学校史の中心に置きすぎる必要はないが、一人の卒業生が土地の記憶を記録する活動を続けている事実は、学校が地域感覚を育てる場であることを示す一例になる。
広野北遺跡の上に建つ学校で学ぶことは、意識していなくても、土地には見えない履歴があるという感覚を育てる。豊田東小学校は、そうした地域記憶の入口として読むことができる。
豊田東小学校年表
| 年 | 出来事 | 読みどころ |
|---|---|---|
| 1980年 | 豊田北部小学校からの分離新設が決定 | 宅地化と児童増への対応。 |
| 1981年 | 校地造成開始 | 高見丘の学校用地が整えられる。 |
| 1982年 | 広野北遺跡の発掘調査、体育館起工 | 学校建設と遺跡調査が重なる。 |
| 1983年 | 豊田町立豊田東小学校として開校 | 校歌・校服・プール・夜間照明を備えて出発。 |
| 1993年 | 創立10周年、藤を植樹 | ながふじ学府へつながる藤の記憶。 |
| 1997年 | 創立15周年、校訓を位置づける | 「やさしく・かしこく・たくましく」。 |
| 2005年 | 磐田市立豊田東小学校へ | 市町村合併による校名変更。 |
| 2012年 | 創立30周年 | 地域の学校としての節目。 |
| 2015年 | コミュニティ・スクール、ながふじ学府の流れ | 地域協働と小中一貫の接続。 |
用語メモ
豊田東小学校の建設地周辺で確認された旧石器時代から古墳時代にかけての複合遺跡。台地上の長い人の営みを示す。
豊田中学校・豊田北部小学校・豊田東小学校を結ぶ小中一貫教育の枠組み。名称は行興寺の熊野の長フジにちなむ。
磐田原台地の縁に位置する地名。豊田東小学校の所在地であり、台地・低地・住宅地の重なりを考える入口になる。
更新履歴
- 2026年7月17日 新規公開。PDF「磐田市立豊田東小学校の調査」をもとに、広野北遺跡、開校史、校訓、ながふじ学府への接続を整理した。
この地域の家・土地・空き家について
古い地名や集落の成り立ちを調べていると、 家や土地には、登記簿だけでは分からない地域の記憶が残っていることがあります。
相続した家、空き家、使わなくなった土地について、 「売る・貸す・残す」の前に、一度整理して考えたい方は、 富士ヶ丘サービス株式会社までご相談ください。