失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す

戦争・平和特集 2/10

空襲の記憶|浜松大空襲と磐田・見付の空

昭和20年(1945年)、磐田市周辺の空にも米軍機が飛来した。隣接する浜松市への大空襲、そして磐田・見付の上空を通過した艦載機による攻撃。市民が地上から見た戦争の記憶を、複数の証言から読む。

浜松大空襲を見た人々

昭和20年(1945年)6月18日未明、浜松市は大規模な空襲を受けた。東塚町に住んでいた鈴木知行氏は、空襲で負傷し入院していた兄をこの空襲で亡くしたと記録している。氏は戦後、その記憶を残すために体験を書き記した。同じく東塚町の崎山は満子氏は、当時浜松高等学校に在学しており、空襲の当夜、防空壕の中で過ごした恐怖を証言している。崎山氏の証言には、空襲だけでなく、後述する東南海地震の記憶も併せて記されている。

浜松市は磐田市の隣接都市であり、磐田側からも空襲の炎や爆音を体感した住民が少なくなかった。鈴木氏・崎山氏の証言は、直接被災した側からの記録として、当時の空襲の規模と激しさを伝えている。

浜松大空襲の規模。 総務省や静岡県の資料によれば、昭和20年(1945年)6月18日未明の浜松大空襲では、B29爆撃機約100機が編隊を組んで飛来し、市街地に約65,000発の焼夷弾を投下した。この空襲により1万5,000戸余りの家屋が全焼し、死者は資料によって差があるものの約1,800人にのぼったとされる。浜松は東海道の鉄道拠点であるとともに、楽器製造から転換した軍需工場や航空機関連の生産拠点を抱える工業都市であり、そのことが標的とされた背景にあると考えられている。浜松への空襲は6月18日の大規模なものに限らず、終戦までに27回を数えたと記録されている。

磐田市は浜松市に隣接しており、直接の被弾を免れた地域であっても、夜空を焦がす炎や爆音は市内各所から体感できるものだった。鈴木氏・崎山氏の証言は、こうした隣接地から見た空襲の記憶として読むことができる。

磐田・見付上空の艦載機。 刑部島に住んでいた大庭ひろ子氏は、当時12歳。磐田市内での空襲警報が日常となっていた日々を振り返り、家族とともに防空壕で過ごした夜、B29編隊の飛来、幼い弟妹を連れて避難した記憶を記している。梅屋町の髙橋定子氏は、見付国民学校4年生のときに昭和20年5月19日の空襲に遭遇した体験を、詩の形式を交えて回想している。

この5月19日の空襲は、本特集ポータル(h001)でも触れた、磐田北高校正門付近での爆弾投下と重なる出来事である。この空襲では、下田中早苗先生と児童6名が犠牲になった。後にこの地には「子どもやくよけ地蔵」が建立され、今も毎年慰霊祭が営まれている。髙橋氏の証言は、同じ日に見付地区で空襲を体験した住民の記憶として、この出来事を別の角度から補うものである。

空襲警報と防空壕の暮らし

本項で紹介した4氏の証言に共通するのは、空襲警報が鳴るたびに防空壕へ避難するという、繰り返しの日常である。B29の飛来は次第に頻繁になり、昼夜を問わず警報が発令される中で、幼い弟妹を連れて避難する大人、家財を持ち出す間もなく壕に飛び込む家族の姿が、各証言に共通して描かれている。灯火管制のもとで夜間の明かりを落とし、遠くの空が赤く染まる様子を見つめた記憶は、直接被弾しなかった地域の住民にとっても、戦争を身近に感じさせる出来事だった。

こうした空襲の記憶を文字として書き残す取り組みは、磐田市に限らず全国の自治体で行われてきた。多くの市町村が「戦争体験集」「戦災誌」といった形で住民の証言を編さんし、平和教育の教材として活用している。『二十一世紀に伝えたい戦争体験』もこうした全国的な取り組みの一つに連なるものであり、鈴木・崎山・大庭・髙橋の4氏の証言は、その中でも磐田・見付地区に固有の記憶を伝える貴重な記録である。

当時のアメリカ軍による日本本土空襲は、軍需工場のような特定施設を狙う精密爆撃に加えて、木造家屋が密集する市街地全体を焼き払う焼夷弾攻撃を中心とする戦術に転換していった。浜松のように鉄道の要衝や軍需関連工場を抱える地方都市も、この焼夷弾攻撃の標的とされた。焼夷弾は建物を効率よく延焼させる構造を持ち、短時間で広範囲を焼き尽くす威力があったため、被害は一晩で市街地の大部分に及ぶことも珍しくなかった。証言に描かれる「炎に染まった夜空」は、こうした攻撃の実態を地上から見た記憶として理解することができる。

証言に残る「兄を亡くした」という記述の重み。 鈴木知行氏の証言にある、入院中の兄を空襲で亡くしたという記述は、戦災による死が必ずしも戦場でのみ起きたわけではないことを示している。負傷して病院にいたとしても、空襲の危険からは逃れられなかった当時の状況は、後方にいる家族にとっても常に死と隣り合わせであったことを物語る。こうした身近な人の死を、体験記として書き残すことには大きな心理的な負担が伴ったはずである。それでもなお記録を残そうとした証言者の意志は、本特集全体を貫く姿勢でもある。

この記事で扱う範囲。 本項では、浜松大空襲(昭和20年6月18日)と、磐田・見付周辺での空襲体験(同年5月19日ほか)について、鈴木知行・崎山は満子・大庭ひろ子・髙橋定子の4氏の証言を横断的に紹介した。名古屋空襲については、次項「学徒動員と対空戦」および「戦地からの証言」であわせて扱う。

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  • 『二十一世紀に伝えたい戦争体験』磐田市総務部総務課発行、平成14年(2002年)8月
  • 鈴木知行「私の戦争体験を記録として残したい」、崎山は満子「昭和20年6月18日浜松大空襲」、大庭ひろ子「空襲のこと」、髙橋定子「私の戦争体験記」(同書所収)

本文は各証言の転載ではなく、事実関係を確認しながら磐田物語用に要約・再構成したものです。