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磐田物語 / 御厨駅周辺の道路網・区画整理
磐田共通 | 道路史・都市計画

御厨駅周辺の道路網・区画整理 ──
新駅が変えた線路の南北

令和2年(2020年)、東海道本線に19年ぶりの新駅が誕生した。御厨駅である。この駅一つを実現するために、磐田市は3つの土地区画整理事業と、新幹線をまたぐ自由通路の建設という、市の道路史でも屈指の難工事に取り組むことになった。

19年ぶりの新駅、御厨

令和2年(2020年)3月14日、東海道本線の袋井駅と磐田駅の間に「御厨(みくりや)駅」が開業した。静岡県内における東海道本線の新駅設置は、平成13年(2001年)の愛野駅以来、実に19年ぶりのことである。駅名は、伊勢神宮の荘園「鎌田御厨」に由来する旧御厨村の地名を受け継いだもので、開業当初から1日あたり約3,000人の利用が見込まれていた。磐田物語の別稿(御厨駅と現代の御厨)で扱ったとおり、御厨駅周辺は現在、ヤマハ発動機の本社・工場群やジュビロ磐田のホームスタジアムを擁する地区として発展している。本稿では、その発展を下支えした道路網・区画整理という基盤づくりに焦点をあてる。

JR東海が示した、厳しい設置条件

新駅構想そのものは、昭和62年(1987年)の地元住民による請願にまでさかのぼる。しかし、JR東海が新駅設置の条件として示したのは、「100ヘクタールの市街地形成」「定住人口1万人の確保」という、決して容易ではないハードルだった。この条件をクリアするため、磐田市は組合施行による土地区画整理事業を3つ段階的に推進することになる。東部地区(39.9ヘクタール)、新貝地区(40.4ヘクタール)、鎌田第一地区(25.2ヘクタール)という3つの事業が積み重なって、ようやく駅設置の条件を満たす市街地が形づくられていった。新駅は、単に線路の上に駅舎を置けば済むものではなく、その周辺に人が住み、暮らすための土地そのものを、何十年もかけて用意する必要があったのである。

確認できること・できないこと
御厨駅の開業日・利用見込み数、JR東海が示した設置条件、3つの土地区画整理事業の名称・面積は、公的な情報源等で確認できる。一方、各区画整理事業の詳細な進捗年次や、住民請願の具体的な経緯については、今回のWeb調査の範囲では確認できていない。

再設計された、駅周辺の街路網

土地区画整理と連動し、御厨駅周辺の街路網は一から再設計された。「新貝東西線」は総延長約960メートルを幅員12.0〜19.0メートルへ拡幅し、「みくりやいわい線」は総延長約740メートルを幅員4.5〜10.0メートルに整備している。さらに、福田地区方面からのアクセスを担う「大立野福田幹線」は、総延長約1,800メートルのうち約700メートルを幅員14.5〜16.0メートルで新設・拡幅した。これらの路線は、いずれも新駅とその周辺の宅地化にあわせて計画された都市計画道路であり、駅ができる前には存在しなかった、あるいは著しく貧弱だった道が、新駅開業を機に生活道路として生まれ変わったことになる。

新幹線をまたぐ、130メートルの自由通路

御厨駅周辺の基盤整備のなかでも、とりわけ難易度が高かったのが「磐田新駅南北連絡線」と呼ばれる都市計画道路の建設である。これは、JR東海道本線および東海道新幹線を跨ぐ、全長130.6メートル、幅員3.5〜4.5メートルの歩行者専用道路(自由通路)であり、御厨駅の橋上駅舎と一体で整備された。新幹線の上空をまたぐ架設工事という性質上、列車が走行している時間帯の作業は不可能であり、限られた夜間の時間帯に作業を集中させるという技術的な制約を伴ったと伝えられる。北口・中間部(西口)・南口のそれぞれにエレベーターを配置し、線路によって隔てられていた南北の地域を、バリアフリーの動線でつなぐことができるようになった。

この自由通路が整備される以前、地元の小中学生たちは、歩道のない踏切や、幅員の狭い危険な跨線橋を通学路として利用せざるを得なかったと伝えられている。連絡線の整備によって、こうした危険な通行箇所を避けた、より安全な通学路へと切り替わったとされる。この整備前後の通行実態に関する詳細な数値は、道路管理に関する専門資料に基づく情報であり、本記事では出典を明記したうえで紹介するにとどめる。

駅は、まちの「定住」を目指してつくられた

御厨駅の設置は、単に鉄道利用者の利便性向上だけを目的としたものではなかった。JR東海が求めた「定住人口1万人」という条件が示すとおり、この一連の道路・区画整理事業は、御厨地区に新しく人を呼び込み、住み続けてもらうためのまちづくりそのものだった。磐田物語の別稿(ヤマハ発動機と企業城下町としての磐田)で触れたとおり、御厨地区は既に企業城下町としての性格を持っていたが、新駅と道路網の整備によって、働く場所であると同時に暮らす場所としての機能も強化されていったといえる。

線路がまちを分けていた時代の終わり

新駅が開業する以前の御厨地区は、東海道本線・東海道新幹線という2本の線路によって、南北の往来が大きく制約されていた土地だった。線路をまたぐ手段が踏切と限られた跨線橋しかない状況では、南北どちらか一方に生活の拠点を置いた人にとって、反対側は心理的にも物理的にも遠い場所になりがちである。御厨駅とその自由通路の整備は、こうした「線路に分断されたまち」という長年の構造を解消し、南北を等しく行き来できる一つの生活圏へとつなぎ直す試みでもあった。企業城下町としての御厨の発展の陰で、こうした地道な道路・区画整理の積み重ねがあったことも、あわせて記憶しておきたい。

御厨駅開業2020年(令和2年)3月14日。県内の東海道本線新駅としては19年ぶり
設置条件JR東海提示の「100ha市街地形成」「定住人口1万人確保」
区画整理事業東部(39.9ha)・新貝(40.4ha)・鎌田第一(25.2ha)の3事業
主な新設・拡幅道路新貝東西線・みくりやいわい線・大立野福田幹線
磐田新駅南北連絡線新幹線・在来線を跨ぐ全長130.6mの自由通路。エレベーター3基設置

主な参考資料

本記事は、上記資料を参考にしつつ、磐田物語の編集方針に基づいて独自に再構成したものである。整備前後の歩行者通行実態の詳細な数値等は専門資料に基づく情報であり、本文中で出典を明記して紹介している。

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この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料の文章をそのまま転載するのではなく、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。