戦争・平和特集 8/10
終戦の日|玉音放送とその後
昭和20年(1945年)8月15日、戦争は終わった。ラジオから流れた天皇陛下の重大放送を、人々はどこで、どのように聞いたのか。複数の証言から、終戦の日とその後の混乱を読む。
ラジオの前で聞いた重大放送
下大之郷の青木薫明氏の証言(本特集のh006で紹介)には、天皇陛下の重大放送を農家のラジオで聞いた住民の様子が記されている。都市部のように多くの人が一箇所に集まって聞いたわけではなく、農村の一軒の家に置かれたラジオを頼りに、放送の内容を確かめようとした人々の姿がうかがえる。放送の後、8月17日に出発命令を受けていた部隊が解散になったという青木氏の記述は、軍の現場でも情報の混乱があったことを示している。
この重大放送は、いわゆる玉音放送として知られる。昭和20年(1945年)8月14日深夜、日本政府はポツダム宣言の受諾を決定し、天皇自らが国民に終戦を告げる録音を行った。翌15日正午、この録音がラジオで全国に放送された。当時のラジオの普及率は都市部と農村部で差があり、多くの農村では一軒の家に置かれた受信機の周りに近隣の住民が集まって放送を聞いたと伝えられている。雑音の多い録音であったことに加え、難解な文語調の言葉が使われていたため、内容を正確に理解できなかった人も少なくなかったとされる。
終戦前後の複数の記憶。 本特集で紹介してきた証言の多くが、程度の差はあれ昭和20年8月15日前後の記憶に触れている。名古屋で学徒動員に従事していた佐藤博幸氏や大村榮男氏(本特集のh003・h006で紹介)は、空襲の恐怖から解放された安堵と、その後の家族との再会について記している。中国戦線から戻った河島和夫氏の証言(h006)にも、戦友との別れと帰還の記憶が重なっている。
終戦は、単に戦闘が止んだ日ではなく、それぞれの証言者にとって異なる形で訪れた出来事であった。本項ではあえて特定の証言に依拠せず、複数の視点を並べることで、終戦の受け止め方の多様さを伝えることを意図している。
「終わり」の受け止め方の違い。 終戦は、法的にはポツダム宣言の受諾という一つの出来事だが、それを経験した人々にとっての意味は一様ではなかった。前線から戻れた者にとっては安堵の日であり、家族を失った者にとっては喪失の重さがあらためて実感される日でもあった。青木氏のように、部隊の解散という形で現場の混乱を経験した者もいれば、佐藤氏や大村氏のように、空襲の恐怖からの解放として受け止めた者もいる。本特集で複数の証言を横断的に並べているのは、終戦という一つの出来事が、証言者一人ひとりにとって異なる意味を持っていたことを示すためである。
ポツダム宣言と占領の始まり。 ポツダム宣言は、昭和20年(1945年)7月26日にアメリカ・イギリス・中国(後にソ連も参加)が発した、日本に対する無条件降伏を求める宣言である。日本政府は当初この宣言への回答を保留したが、広島・長崎への原爆投下とソ連の対日参戦を経て、8月14日に受諾を決定した。8月15日の玉音放送はこの決定を国民に伝えるものであり、これ以降、日本は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による占領のもとで、非軍事化・民主化を柱とする改革を進めていくことになる。青木氏の証言にある部隊解散も、こうした急激な体制転換の初期段階に起きた出来事として位置づけられる。
復員という帰路
終戦後、国内外に展開していた軍人・軍属は、順次内地へ戻される復員の過程をたどった。青木氏のように部隊が解散となった場合、兵士たちはそれぞれの故郷へ自力で帰還する必要があり、混乱した交通事情の中での帰路は容易ではなかったと伝えられている。本特集で紹介した山内哲氏(h005)の帰還にも通じるように、復員は単に戦闘が終わったことを意味するだけでなく、軍隊という組織から離れ、家族のもとへ、そして地域の暮らしへと戻っていく、長い移行の過程でもあった。
戦地や国内各地に散らばっていた兵士たちが、それぞれの生まれ育った土地へ戻っていく過程は、終戦という出来事を、国全体の出来事から、一人ひとりの家族の再会という個人的な出来事へと変換していく過程でもあった。青木氏の証言に見られる混乱と、それでも故郷へたどり着いたという事実は、その過程を具体的に伝えている。
終戦をめぐる証言を横断して読む意味。 本特集では、あえて一人の証言者に絞らず、青木薫明・佐藤博幸・大村榮男・河島和夫という異なる立場の証言を並べて紹介した。これは、終戦という出来事が、軍にいた者、工場にいた者、戦地から戻った者など、それぞれの持ち場によって全く異なる形で経験されたことを示すためである。一つの証言だけでは伝えきれない終戦の多面性を、複数の証言を重ね合わせることで、より立体的に浮かび上がらせることを本項は意図している。
この記事で扱う範囲。 本項では、昭和20年8月15日前後の記憶について、青木薫明の証言を中心に、佐藤博幸・大村榮男・河島和夫ら複数の証言に触れながら横断的に紹介した。
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参考資料
- 『二十一世紀に伝えたい戦争体験』磐田市総務部総務課発行、平成14年(2002年)8月
- 青木薫明「私の戦争体験記」、佐藤博幸「私の戦争体験を記録として残したい」、大村榮男「私の戦争体験記」、河島和夫「苦難を越えて」(同書所収)
本文は各証言の転載ではなく、事実関係を確認しながら磐田物語用に要約・再構成したものです。