失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す

戦争・平和特集 6/10

戦地からの証言|中国戦線と軍隊生活の記憶

戦地に送られた兵士たちは何を見たのか。中国戦線での軍務、そして国内での初年兵教育。厳しい訓練と戦友との日々を、3人の証言からたどる。

大藤十区・河島和夫氏の軍務

大藤十区の河島和夫氏は、昭和17年(1942年)に豊橋の教育隊に入隊し、その後南京・上海方面での軍務に就いた。通信隊への配属を経て、演習や訓練の日々を送った様子を「苦難を越えて」と題した証言に記している。戦友との思い出も語られており、戦地での生活が単なる戦闘だけでなく、日々の任務の積み重ねであったことが伝わる。当時の南京・上海方面は日本軍による占領が続いていた地域であり、通信・警備といった後方任務に就いた将兵も多かった。

石原町・大村榮男氏の学徒動員と省察。 石原町の大村榮男氏は、昭和17年(1942年)に名古屋の商業学校に在学中、学徒動員によって軍需工場での勤務に就いた。名古屋空襲の恐怖を体験した後、戦後の教育の転換、すなわち皇国史観から民主教育への移行について、自身の学びを振り返りながら省察している。戦後、連合国軍占領下の教育改革によって、それまでの国家主義的な歴史教育は改められ、昭和22年(1947年)には教育基本法・学校教育法が制定されるなど、教育制度全体が大きく転換した。大村氏の省察は、こうした時代の変わり目を生徒として経験した世代の視点として読むことができる。戦地の証言ではないが、戦時教育を受けた世代の視点として、本ページで紹介する意義がある。

下大之郷・青木薫明氏の軍隊生活。 下大之郷の青木薫明氏は、日露戦争の話を聞いて育った少年時代から証言を書き起こしている。軍隊に入ってからの初年兵教育は厳しく、整列や寝台点検、私的制裁的な訓練の様子が記されている。加古川時代には空襲を体験し、機関砲の残骸を目にしたことも記録されている。終戦間近には防空警戒の任務に就き、終戦後の混乱の中で着剣した警備行動にあたった経験も証言されている。8月17日に出発命令を受けたところで部隊が解散になったという記述からは、終戦直後の軍隊の混乱ぶりがうかがえる。

青木氏の証言には、天皇陛下の重大放送を農家のラジオで聞いた住民の様子も記されており、次項「終戦の日」ともあわせて読むことができる。

初年兵教育という通過儀礼。 青木氏の証言に描かれる初年兵教育の厳しさは、当時の日本陸軍に広くみられた慣行であったことが、多くの元兵士の回想や研究で指摘されている。整列や寝台点検の徹底、上官による私的制裁的な訓練は、規律と服従を叩き込むための通過儀礼として行われていた。こうした訓練を経験した世代にとって、軍隊生活の記憶は戦闘そのものと同じくらい強く残るものであったことが、青木氏の証言からもうかがえる。

河島・大村・青木の3氏の証言を並べると、中国戦線での通信任務、名古屋での軍需工場勤務、国内での軍隊生活という、それぞれ異なる形で戦争に関わった経験が浮かび上がる。戦地に送られた者だけでなく、国内にとどまった者にとっても、戦争は日常の隅々にまで及ぶ出来事であった。

徴兵制度と召集の仕組み

当時の日本では徴兵制度のもと、成人男性は徴兵検査を受け、体格や健康状態によって甲種・乙種・丙種などに区分された。戦局の悪化とともに召集の対象は拡大し、当初は徴兵を猶予されていた学生や、それまで対象外とされていた年齢層にまで及ぶようになった。河島氏が豊橋の教育隊に入隊し、その後中国戦線へ送られたという経緯も、こうした徴兵・教育制度の一般的な流れに沿ったものである。青木氏が受けた初年兵教育も、入隊直後の全国共通の課程として位置づけられる。

日露戦争の記憶と少年時代。 青木氏が「日露戦争の話を聞いて育った」と証言しているように、明治から昭和初期にかけての日本では、日露戦争(明治37年〈1904年〉〜明治38年〈1905年〉)の記憶が、次の世代に語り継がれる形で受け継がれていた。祖父母や父母の世代が体験した戦争の記憶を聞いて育った少年が、やがて自らも軍隊に入り、より大規模で長期化した戦争を経験することになったという構図は、青木氏一人に限らず、当時の多くの日本人男性がたどった道筋でもある。

下大之郷という土地に生まれ育った青木氏にとって、日露戦争の記憶は遠い出来事ではなく、身近な大人たちが語る具体的な体験談として受け止められていたと考えられる。こうした戦争の記憶の世代間の連なりは、本特集そのものが目指す「体験を次の世代へ手渡す」という営みの、いわば先例にあたるものでもある。

加古川時代に経験した空襲や、機関砲の残骸を目にしたという記述も、内地にいながら戦争の破壊力を直接目にした経験として重要である。前線に送られなかった兵士であっても、訓練地や駐屯地が空襲の対象となり得た当時の状況を、青木氏の証言はあわせて伝えている。

この記事で扱う範囲。 本項では、中国戦線での軍務(河島和夫)、学徒動員を経た軍需工場勤務と戦後の教育観の転換(大村榮男)、初年兵教育と国内での軍隊生活(青木薫明)という3つの異なる立場からの証言を紹介した。

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  • 『二十一世紀に伝えたい戦争体験』磐田市総務部総務課発行、平成14年(2002年)8月
  • 河島和夫「苦難を越えて」、大村榮男「私の戦争体験記」、青木薫明「私の戦争体験記」(同書所収)

本文は各証言の転載ではなく、事実関係を確認しながら磐田物語用に要約・再構成したものです。