旧東海道と国道1号・県道の主役交代 ──
磐田バイパスが変えた道の地図
「国道」という制度の誕生 ── 東海道が道の格付けを得るまで
そもそも「国道」という区分は、江戸時代の東海道そのものには存在しなかった。明治9年(1876年)、太政官達により道路がはじめて「国道」「県道」「里道」の三種に分けられ、さらにそれぞれが一等・二等・三等の等級に格付けされる制度が定められた。旧東海道は、この最初の国道網の骨格をなす路線のひとつとして位置づけられ、見付・中泉を含む区間もこの時点で「国道」の名を得たとみられる。もっとも、当時の国道は荷車や人力車が行き交う程度の道幅しかなく、いまの自動車道路とは似ても似つかないものだった。大正8年(1919年)には旧道路法が公布され、路線の認定や管理の仕組みが整えられていくが、自動車そのものの普及が遅れたこともあり、本格的な道路の近代化は戦後を待つことになる。国道1号として東海道の経路がほぼそのまま踏襲されているのは、こうした明治以来の制度の積み重ねの結果である。
見付では、大正期にはまだ旧東海道(本通り)沿いに低い屋根の家並みが続き、林や森が町のすぐそばまで迫っていたと伝わる。やがて町が広がり、自動車の時代がやってくると、この旧東海道の道筋がそのまま拡幅され、歩道を備えた国道1号として使われるようになった。見付宿としての東海道そのものの姿は、東海道・見付宿の面影で詳しく扱っている。
愛宕山から眺めたときに見える二本の道――右側の太い道が、数年前まで国道1号だった道(現在の静岡県道413号磐田袋井線)、左側が江戸時代の東海道そのものと伝わる。同じ見付の町を、性格の異なる二本の道が並んで抜けているのは、この町が旧東海道の宿場町から、近代の交通の要衝へと重なりながら姿を変えてきたことの名残である。
明治9年の道路等級制度、磐田バイパスの開通年・有料道路としての変遷・4車線化・本線昇格の経緯、新天竜川橋・天竜川橋(旧国道1号)の架橋史は、国土交通省・Wikipedia等の資料で確認できる史実である。一方、大正期の見付の町並みの描写や、愛宕山からの眺めについての逸話は、紀行文由来の記述であり、学術的な一次資料による裏付けではない点に留意されたい。
天竜川を渡る国道 ── 舟橋から鋼鉄のトラス橋へ
東海道・国道1号が磐田の町を抜けるうえで、避けて通れなかったのが天竜川である。江戸時代は池田の渡しによって舟で越えるほかなかったこの大河に、明治になって初めて橋が架けられた。明治元年(1868年)10月、明治天皇の東幸に際して急ごしらえの舟橋が架けられたのが最初の記録で、明治7年(1874年)2月には木橋と舟橋を組み合わせた橋が、明治11年(1878年)3月には両岸を結ぶ一本の橋が架かったと伝えられる。明治9年(1876年)には全長646間(約1,175メートル)、幅員2間(約3.6メートル)におよぶ賃取橋(通行料を取る橋)としての木橋も架けられており、明治の人々が国道の大河越えにいかに苦心したかがうかがえる。
木橋は洪水のたびに流失と架け替えを繰り返した。県営事業として昭和8年(1933年)6月に完成したのが、鋼鉄のワーレントラス橋14連からなる「天竜川橋」である。橋長919.5メートル、幅員7.3メートルという規模は、当時の道路橋としては国内で3番目に長いトラス橋だったとされる。この天竜川橋が、戦前・戦後を通じて国道1号の天竜川渡河部を長く支えた。やがて交通量の増加にともない、すぐ上流側に新たな橋が建設されると、天竜川橋は国道1号としての役目を終え、現在は静岡県道261号磐田細江線の橋として対面通行のまま使われている。国道1号としての現役を退いた年について、資料により記述に幅があり本稿では特定の年を明記しないが、昭和40年代前半までに国道1号の座を後継の橋に譲ったとみられる。旧道の橋がそのまま県道の橋として生き続けている点は、磐田バイパスと旧道(現・県道413号)の関係にも通じる、道の「格下げ」の縮図といえる。
天竜川橋に代わって国道1号を担ったのが「新天竜川橋」である。昭和40年(1965年)8月に完成したこの橋は、国道1号の路線変更にともない、すぐ下流の天竜川橋に代わる新しい渡河部として建設された。当初は片側2車線・計4車線だったが、無料開放後の交通量急増で慢性的な渋滞ポイントとなり、歩道もなく歩行者が路側帯を歩かざるを得ない危険な状態が続いた。そこで平成7年(1995年)から片側4車線・計8車線への拡幅工事が始まり、総事業費およそ460億円をかけて平成20年(2008年)3月に全8車線での供用が始まった。新天竜川橋は磐田市ではなく浜松バイパス側の橋だが、磐田バイパスと一体の国道1号東西軸を形づくっており、この拡幅完了が同年度の磐田バイパス全線4車線化事業の新規採択の呼び水になったとみられる。
磐田バイパスの誕生 ── 渋滞緩和という宿題
旧東海道をそのまま拡幅した国道1号は、見付・中泉の町なかを貫いていた。自動車が増えるにつれ、この町なかを通る国道は慢性的な渋滞に悩まされるようになる。その解決策として建設されたのが、磐田市中心部を迂回する磐田バイパスである。昭和56年(1981年)3月24日、暫定2車線で全線が開通した。起点は磐田市見付、終点は磐田市高丘、延長6.6km。信号機のないバイパスとして、町なかを通らずに東西を抜けられる新しい道が生まれた。開通当初から2車線では処理しきれないほどの交通量があり、後年の4車線化事業の遠因になったともいえる。
有料道路から無料開放へ
開通当初、磐田バイパスは有料道路だった。平成11年(1999年)4月1日からは、藤枝・掛川・浜名の各バイパスと同時期に、夜間(22時〜翌6時)の無料化が始まる。この4つのバイパスは当時「東海4バイパス」と呼ばれ、静岡県内の国道1号バイパス網としてまとまって整備・運用されてきた経緯がある。そして平成17年(2005年)3月30日22時、日本道路公団から国土交通省がこの道を買い取り、国と静岡県が費用を負担する形で、東海4バイパスがそろって完全に無料開放された。有料道路として生まれたバイパスが、公共の道として町に根づいていく過程である。
4車線化と「本線」への昇格 ── 旧道が県道になる
無料化によって交通量はさらに増え、とりわけ新天竜川橋の周辺や豊田東インターチェンジ〜見付インターチェンジ間では、慢性的な渋滞が新たな課題として浮かび上がった。これを受けて平成20年度(2008年度)、磐田バイパスの全線4車線化事業が新規に採択された。総事業費53億円をかけて、開通から実に32年を経た平成25年(2013年)3月28日に事業が完了する。そして平成27年(2015年)4月1日、磐田バイパスの全区間が正式に「国道1号の本線」に指定された。これにともない、それまで国道1号として町なかを通っていた旧道(旧東海道の道筋を踏襲した道)は、静岡県道413号磐田袋井線へと指定変更された。
この県道413号磐田袋井線は、磐田市小立野(磐田バイパス・浜松バイパスの小立野インターチェンジ付近、国道1号との交点)を起点に、袋井市国本(国道1号との交点)を終点とする、延長約12.098キロメートルの路線である。見付の市街地では、静岡県道56号磐田停車場線との交点をなし、静岡県道44号磐田天竜線の起点ともなっている。かつて国道1号として東西の大動脈を担っていた道が、いまは磐田市と袋井市を結ぶ一本の県道として、市街地の生活道路的な役割を担いながら現役であり続けている点は興味深い。
ここで、道の主役交代が完成する。江戸時代は東海道、近代に入ってからは国道1号として町の中心を貫いていた道は、県道という一段格下げされた位置づけになり、代わって町の外を迂回するバイパスが「国道1号」を名乗るようになったのである。天竜川橋が新天竜川橋にその座を譲ったのと同じ構図が、見付・中泉の市街地でも、数十年遅れて繰り返されたともいえる。
| 1876年(明治9年) | 太政官達により道路が国道・県道・里道の三種に分類。旧東海道が国道網に組み込まれる。 |
|---|---|
| 1868〜1878年(明治初期) | 天竜川に舟橋・木橋が相次いで架けられる(明治元年の舟橋、明治7年の木橋、明治9年の賃取橋、明治11年の橋)。 |
| 1919年(大正8年) | 旧道路法公布。路線認定・管理の制度が整備される。 |
| 大正〜昭和初期 | 旧東海道の道筋が拡幅され、初期の国道1号として使われるようになる(正確な年は要調査)。 |
| 1933年(昭和8年) | 天竜川に鋼鉄のワーレントラス橋「天竜川橋」完成(橋長919.5m)。以後、国道1号の渡河部を長く担う。 |
| 1965年(昭和40年) | 新天竜川橋完成。国道1号の路線変更にともない天竜川橋に代わる渡河部となる。天竜川橋は後に県道261号磐田細江線の橋となる。 |
| 1981年(昭和56年) | 磐田バイパス、暫定2車線で全線開通。渋滞緩和が目的。 |
| 1995〜2008年 | 新天竜川橋の8車線拡幅事業。総事業費約460億円、2008年3月に全8車線供用開始。 |
| 1999年(平成11年) | 磐田バイパスなど東海4バイパスがそろって夜間(22時〜翌6時)無料化。 |
| 2005年(平成17年) | 日本道路公団から国が買い取り、東海4バイパスが完全無料開放。 |
| 2008〜2013年 | 磐田バイパス全線4車線化事業。総事業費53億円。 |
| 2015年(平成27年) | 磐田バイパスが国道1号の本線に昇格。旧道は静岡県道413号磐田袋井線(延長約12.1km)に変更。 |
主役交代が地図の上に残したもの
いまの磐田市街地には、性格の異なる三本の「東海道の記憶」が並んでいる。江戸時代そのままの旧東海道、かつて国道1号として町を貫いていた道(現・県道413号)、そして現在の国道1号である磐田バイパス。町を歩く人にとっては、どれも「昔からある道」に見えるかもしれないが、それぞれが背負ってきた役割は時代ごとにまったく違う。天竜川に架かる橋も同様で、明治の舟橋・木橋、昭和8年の天竜川橋、昭和40年の新天竜川橋と、道の主役が交代するたびに、川を渡る橋そのものも役目を交代してきた。道の名前や格付けが変わっても、道そのものはそこに残り続ける。磐田の道の地図は、そうした主役交代の跡を、静かに記録しているのである。
主な参考資料
- Wikipedia「磐田バイパス」「国道1号」「新天竜川橋」「天竜川橋」「静岡県道413号磐田袋井線」
- 国土交通省中部地方整備局 浜松河川国道事務所「磐田バイパス|国道1号|道路事業」「天竜川に橋を架ける|天竜川の概要|河川事業」
- 国土交通省「道路:道の歴史」「道路:道の歴史:近代の道」
- 静岡県「静岡県の道」関連資料(天竜川橋の解説)
- フォートラベル「旧東海道は、今どうなっているんだろう(1)・・磐田市見付」(紀行文。町並み描写・愛宕山からの眺めの出典)
- 磐田物語「東海道・見付宿の面影」「池田の渡し ── 天竜川をわたる東海道」「旧東海道を走った軌道」
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