磐田市誌シリーズ第二冊『東海道遠州見付宿 ── 江戸時代後期における宿駅の交通文化史的考察』(田中友次郎編著、静岡県磐田市誌編纂委員会刊)は、天保10年(1839年)前後を中心に、東海道見付宿の形態と機能を宿方文書から復元した研究である。巻頭の自序の末尾には「昭和二十年九月」とある。終戦の翌月に擱筆された原稿が、市誌シリーズの一冊として刊行されたのは1974年(昭和49年)3月であった。本特集では、第一章から第七章までを制度・実務・会計・宿泊・助郷・維新の主題に分け、全39ページで読みなおす。
- 『東海道遠州見付宿』は旧制見付中学の教員田中友次郎が長年の郷土史研究をまとめた一冊で、自序の日付は昭和20年(1945年)9月である。
- 刊行は1974年3月。擱筆から刊行まで約30年の間があった。
- 全7章構成で、天保10年前後の見付宿の機構を、問屋御用留・明細差出帳・軒別絵図などの宿方文書から明らかにする。
- 本特集は全39ページで構成し、制度一般・同書の叙述・本稿の計算や推定を区別する。
一冊の来歴 ── 擱筆から刊行まで約30年。 巻頭に置かれた「刊行のことば」(磐田市長山内克巳)によれば、磐田市誌シリーズは市誌改訂への道程として、価値ある資料・研究論文を順次発行するもので、第一冊『磐田市教育のあけぼの』(清水秀明編集)につづく第二冊として本書が出された。著者の田中友次郎は旧制見付中学に在職中、歴史教育のかたわら郷土史の研究に熱心で、とくに見付宿については後に文部省の補助も得て研究をまとめたと記される。
刊行の時期には理由がある。同じ「刊行のことば」は、見付の本通り(旧東海道)をどうするかが永年論議されてきたこと、都市計画街路事業によって「昔ながらの宿場町」から「新しい商業形態の街」へ脱皮する方向が決まったことに触れ、その節目に本書を刊行する意義を述べている。宿場町としての見付の姿が変わろうとするまさにそのとき、天保期の見付宿を記録した一冊が世に出たのである。
自序の末尾には「昭和二十年九月 田中友次郎」とある。原稿の骨格が戦中から終戦直後にかけて書き上げられていたことを示す日付である。国立情報学研究所の書誌データベース(CiNii)によれば刊行は1974年3月であり、擱筆から刊行まで約30年を数える。戦後の磐田市域では『磐田市史』をはじめ多くの自治体史が編まれていくが、本書はそれに先立つ時期の実証研究として、いまも見付宿を調べる際の基礎文献のひとつである。
本書の構成 ── 七章と資料目録
自序によれば、この研究は天保10年前後を中心とした宿駅としての形態・機能を対象とし、次の7章で構成される。
| 章 | 内容(自序の説明による) |
|---|---|
| 第一章 | 遠州見付の沿革と宿場町としての発達 ── 上古から近世宿場町成立までの概観 |
| 第二章 | 宿政一般 ── 宿役人、徴税、戸籍、災害史、治水と土木、神社仏閣と祭事など |
| 第三章 | 伝馬制と人馬継立の実際 ── 問屋場の構成と運営、天竜川渡船 |
| 第四章 | 宿の財政 ── 天保10年の宿の賄帳を中心とする検討 |
| 第五章 | 本陣および旅籠屋 ── 天保13年頃の宿の職業分布 |
| 第六章 | 見付宿の助郷制とその変遷 |
| 第七章 | 幕末から維新へ推移する見付宿の種々相 ── 文久末年から明治4年の廃藩置県まで |
巻末には見付宿資料目録が付され、見付宿御伝馬自林絵図、見付宿御普請所及び自普請所絵図、天保13年見付宿本陣旅籠屋分布、同年見付宿職業分布、幕末時代の物価変遷表などの図表が挿入されている。統計と図表を多用し、「蒐集し得た資料は史料尊重の意味から本文のままで、できるだけ多く各所に挿入しておいた」と自序に述べるとおり、史料の引用がきわめて豊富である。
この本の史料 ── 宿方文書を読むということ。 本書が依拠するのは、見付宿の問屋・宿役人の手もとに残された実務記録である。本文に繰り返し引かれる主なものに、見付宿問屋御用留、明和7年(1770年)見付宿明細差出帳、天保13年(1842年)の書上帳、年代不明(明和・安永以前と推定される)の伝馬役人軒別絵図、町内記録の庚申帳、幕末〜明治初年の水野日記がある。いずれも宿の運営当事者が書き残した一次史料であり、宿場を外から眺めた紀行文とは異なる、内側からの記録である。
ただし帳簿類には性格上の限界もある。同じ事項でも帳簿によって数値が食い違うことがあり、著者自身、天保11年(1840年)の大火の出火日について庚申帳と水野日記の記載が異なることを示し「何れが真なるや不明」と注記している。本特集でもこの態度にならい、数値はできるだけ出典の帳簿名とともに示し、異同のあるものはその旨を記す。判読や解釈に不安の残る細部の数値は、丸めて概数で述べる。
特集の構成 ── 4つの主題で読む見付宿。 第1部は次の11子ページで構成する。いずれも『東海道遠州見付宿』第一章・第二章(および第三章冒頭)の記述を主資料とし、適宜、磐田物語の既存記事と現在の知見を参照する。親ページである本稿を含めると第1部は12ページとなる。
| ページ | 主題 |
|---|---|
| 見付宿のすがたと戸口 | 天保13年の絵図で宿を東から西へ歩き、寛永15年から明治12年までの家数・人口の変遷を数える |
| 宿を動かした人々 | 名主・問屋・年寄・組頭の四役と天保13年の名前帳、問屋給米、間口で決まる伝馬役の負担 |
| 中泉代官と見付宿の年貢 | 中泉代官所の来歴と、安政3年の年貢割付・皆済目録・御囲蔵の備荒貯穀 |
| 火事・洪水・祭礼 | 宿の災害史年表、中川・加茂川の治水と橋の掛替普請、祇園と天神の祭礼、拝殿踊の順争い |
| 遠江の宿駅変遷 | 平安から江戸までの遠江宿駅変遷表を読み、国府から見付へ名を変えた土地の連続を追う |
| 十一ヶ寺と二社 | 宗派・本寺・朱印高・所在の一覧から、朱印高191石の寺社世界と堂庵の網を読む |
| 問屋場と六枚の高札 | 問屋場の位置と設備、掲げられた六枚の高札、問屋が自宅で交代事務をとっていた時代 |
| 小字・地名資料 | 宅地・畑・田の小字一覧を翻刻し、鐘鋳塚・元天神・城ノ腰などを本文の記述と結ぶ |
| 伝馬賃銭のしくみ | 御定賃銭の額と割増、当事者が自由に契約した相対賃銭という二つの価格世界 |
| 幻の大見付城 | 家康が築こうとして用水の関係で中止した城と、明和7年差出帳の「古城郭二ヶ所」 |
| 絵図で読む見付宿の周縁 | 御伝馬自林絵図と御普請所絵図 ── 権利と義務の線を引くための地図として読む |
第2部 ── 見付宿の人馬継立(全14ページ)
第2部は、同書第三章「伝馬制と人馬継立の実際」を軸に、宿駅の実務を14ページで読む。第1部が宿のすがたと宿政を扱うのに対し、第2部は人と馬がどう動き、その費用と負担を誰が負ったかを主題とする。
| ページ | 主題 |
|---|---|
| (13)見付宿の伝馬制 | 制度の全体像・二重の支配・年表・学説の整理(第2部総論) |
| (14)馬をどう補ったか | 伝馬の補充経路と馬持の負担、秣場をめぐる争い |
| (15)御用継立の実務 | 無賃・御定賃銭・相対賃銭という三通りの値段と証文の照合 |
| (16)大通行が見付宿に来た日 | 文久2年の御宿割下帳、寺の収容、助郷への触れ |
| (17)見付宿から天竜川へ | 東西の賃銭比から読む天竜川の負担と池田の渡し |
| (18)見付宿の財政 | 天保10年の歳入・歳出、宿助成、助郷との負担差を第四章全頁から読む |
| (19)人足100人・馬100疋とは何か | 常備人馬の定数をどう読むか、171軒という不変の枠 |
| (20)本馬・軽尻・人足 | 積載規定と賃銭比から読む継立の単位 |
| (21)見付宿の人馬割 | 間口分布・役の刻み方・免除された家々 |
| (22)先触れから出発まで | 継立一件の手順と、問屋場の成立時期をめぐる学説 |
| (23)待つことも負担だった | 川留めと待機、帳簿に残らない時間 |
| (24)伝馬を飼う | 岩井野の秣場と無税の御伝馬林 |
| (25)継立帳簿は何を記録したか | 史料の性格別分類・数値の食い違い・未確認事項の一覧 |
| (26)大通行の人馬数を比べる | 数値比較の前提と助郷への広がり(第2部の結び) |
財政詳論 ── 第四章を3つの問いで深掘りする(全3ページ)。 総論m158で確認した宿財政を、歳入・歳出・宿助成という三つの問いに分けて検算する。帳簿の区分を薄く言い換えるのではなく、誰が負担したか、何に使ったか、なぜ貸付利子が助成になったかを、それぞれ独立したページで扱う。
| ページ | 主題 |
|---|---|
| (27)見付宿の歳入 | 賦課金・伝馬賃銭・助成金・特別借入金・財産収益を分け、負担者を読む |
| (28)見付宿の歳出 | 運輸費・給料・交付金・返却金・問屋場入用と、天保11年・元治元年の膨張を読む |
| (29)宿助成のしくみ | 貸付元金・助成利子・補金・返済猶予が宿駅を支えた制度を読む |
第五章詳論 ── 宿泊と町場経済を5ページで読む。 今回追加した第30〜34ページは、同書第五章162〜201頁を全頁画像で照合し、本陣・旅籠・料金と食事・飯盛女・職業分布という5つの問いへ分けた。施設数の時点差、書上帳の表面値、原史料未照合という限界を各ページで明示する。
| ページ | 主題 |
|---|---|
| (30)見付宿の本陣と脇本陣 | 三郎右衛門・孫兵衛・新左衛門、宿割、格式、経営 |
| (31)旅籠屋の間口と奥行 | 天保13年の39軒、建坪、所有、分布 |
| (32)宿泊料と食事 | 木銭・旅籠銭・宿割と食事の実務 |
| (33)飯盛女と宿場統制 | 59人の書上、規制、前借、史料の沈黙 |
| (34)見付宿の職業分布 | 448軒・約71職種から読む町場経済 |
第六・第七章詳論 ── 助郷から駅逓への5ページ。 第35〜39ページは、第六章202〜237頁と第七章238〜266頁を全頁画像で照合した。助郷村数、勤高、買人馬、水野氏記録、明治初年の駅制改革を分け、江戸後期の農村負担から駅逓への移行までをつなぐ。
| ページ | 主題 |
|---|---|
| (35)見付宿助郷68ヶ村 | 68ヶ村から84ヶ村、123ヶ村への人馬供給圏の変遷 |
| (36)助郷高と領主支配 | 村高・勤高・領主持分・三宿への割付 |
| (37)助郷人馬の賃銭と代勤 | 買人馬、御定賃銭、助成、刎銭と村負担 |
| (38)水野氏記録が見た幕末 | 将軍上洛、御札降り、天竜川舟橋普請 |
| (39)伝馬所から駅逓へ | 明治元年の宿駅改革、新助郷、駅逓役所 |
見付宿をはじめて読む方へ。 見付宿そのものの通史的な紹介は、既存記事見付宿 ── 東海道二十八番、様々な人と物が行き交った宿場町にある。宿の成立については見付宿の成立と宿場範囲 ── 慶長6年の伝馬朱印状から読むが、宿を支えた周辺村については見付宿の助郷制度と周辺村の負担が扱っている。本特集は、これらの記事が描いてきた見付宿の輪郭の内側に、帳簿の数字と人の名前を書き込む試みである。
更新履歴:2026年8月6日 新規公開(特集・全5ページ)。同日、第6〜12ページを追加し、全12ページ構成とした。2026年8月9日、第2部(第13〜26ページ・m153〜m166)を全面改稿のうえ統合。2026年8月10日、財政詳論m167〜m169を追加して全29ページ構成とした。2026年8月11日、第五章詳論m170〜m174を追加して全34ページ構成とした。2026年8月12日、第六・第七章202〜266頁を全頁照合し、助郷・幕末・駅逓の5ページ(m175〜m179)を追加して全39ページ構成とした。