失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語大石浩之の磐田論考 / 『東屋台と西屋台』を読む

磐田郷土史研究紀要

大石浩之の磐田論考 第256号(福田・祭礼記録研究 一)

『東屋台と西屋台』を読む

一冊の私家版が記録した福田の祭り ── 書誌・編纂の視点から

大石浩之1

1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役

公開日
2026.07.26
資料検証
公開資料による検証済み
対象地区
磐田市福田

要旨

本稿は、寺田勝彦『東屋台と西屋台』(1985年〔昭和60年〕発行)を対象に、福田の秋祭りをどう記録しようとしたかという編纂・書誌の視点から読む史料論である。祭りの内容そのものを叙述するのではなく、一冊の私家版がいかなる目的のもとに何を選び、何を配列し、何を落としたかを分析対象とする。冊子に記されていることは「そう記録された」という水準での史実として扱い、編者がなぜそう編んだのかという編纂意図は推定に腑分けする。あわせて、原本を博捜していない「未確認」と、冊子に存在しない「記載なし」とを区別する。表紙の「郷土史探訪別冊第三集」という表記、序文が掲げる「ふる里の祭り」という枠組み、巻頭に置かれた戦争体験記の配置を手がかりに、私費で地域の記憶を残すという営みの史料的価値と限界を、公的編纂物および口承との対比のなかで論じる。祭りの記録を読むことと、その記録という行為そのものを記録し直すことの関係を、本稿は問う。

キーワード:私家版/自費出版/地域記録/書誌/編纂/福田まつり/史料批判

1. 問題設定 ── 記録という行為を対象にする

地域の祭りを記録した冊子は、各地に残されている。多くは自治体史のような公的な編纂物ではなく、その土地に暮らす人が私費で編み、少部数を刷って身近な範囲に配った小さな本である。磐田市福田の秋祭りにも、そうした一冊がある。寺田勝彦が編集・発行した『東屋台と西屋台』がそれで、表紙には「郷土史探訪別冊第三集」と刷られ、1985年(昭和60年)に世に出た。本稿はこの冊子を扱うが、扱い方をあらかじめ限定しておきたい。すなわち、祭りの内容を知るための資料として中身を要約するのではなく、この冊子が福田の祭りを「どう記録しようとしたか」という、編纂と書誌の側から読むことを課題とする。

この限定には理由がある。福田まつりの屋台そのものについては、本論考シリーズの既刊で二度にわたり扱ってきた。東屋台と西屋台という二基の造形と由来は第204号で、屋台をめぐる町内の運営と継承の歴史は第253号で論じている。同じ冊子を素材にしながら本稿がなお別稿を立てるのは、これらと主題を重ねないためであり、また記録媒体そのものを対象化することに固有の意義があると考えるからである。冊子に何が書かれているかではなく、誰が、何のために、何を選び、何を落として一冊に編んだのか。この問いは、祭りの内容とは別の水準にある。

方法上の区別を、はじめに明示しておく。冊子に「記されている」という事実は、そう記録されたという水準での史実として扱える。たとえば序文にある語句や、体験記が巻頭近くに置かれているという配列は、現物に即して確認できる事柄である。他方、編者がなぜそう編んだのか、なぜその語を選び、なぜその順に並べたのかという編纂意図は、現物からは直接には読み取れない。それは推定である。本稿はこの二つを混同せず、記述と推定を語のうえで書き分ける。

さらに「未確認」と「記載なし」を区別する。ある事柄が冊子に見あたらないとき、それが本当に元の冊子に存在しなかったのか(記載なし)、それとも筆者が原本を博捜しておらず突き当たっていないだけなのか(未確認)は、別の事柄である。地域の私家版は所在の把握そのものが難しく、この区別を保たないと、欠落を過大にも過小にも見積もってしまう。以下では、この禁欲的な手続きを一貫して保ちながら、私費で地域の記憶を残すという営みの史料的な価値と限界を、史料批判の観点から論じていく。

記録という行為そのものを対象にすることには、地域史にとって固有の意義がある。私たちが過去を知るのは、つねに誰かが残した記録を通してであり、その記録は中立の窓ではなく、残した人の目的や立場によって形づくられている。どの記録を、どんな確度で信じるかを判断するには、その記録がどのように作られたかを知らねばならない。祭りの内容だけを冊子から抜き出して用いるのでは、この作られ方が見えないままになる。記録の成り立ちを問うことは、その記録から引き出せる事実の確からしさを見積もるための、避けて通れない手続きなのである。本稿が書誌・編纂という迂路をあえて選ぶのは、この一点のためである。

口承 生々しいが失われる 私家版 個人の視点を定着 公的編纂物 網羅的だが匿名的 記録の三つの媒体 ── 定着の度合いと担い手 私家版は、口承の生々しさと公的編纂物の定着性のあいだに位置する。
図1 記録媒体の見取り図。本稿は『東屋台と西屋台』を、口承と公的編纂物のあいだに立つ私家版として位置づけ、その記録としての性格を検討する。

2. 書誌 ── 『東屋台と西屋台』という物体

まず、冊子そのものの書誌的な事実を確定しておく。表紙に掲げられた題は『東屋台と西屋台』であり、その上には「郷土史探訪別冊第三集」と刷られている。編集・発行の任にあたったのは寺田勝彦で、発行日は1985年(昭和60年)11月20日である1。著者名・発行日・シリーズ表記が表紙および扉に明示されている点は、この冊子が私的な覚え書きにとどまらず、一個の刊行物として世に出す意図をもって作られたことを示している。奥付的な情報を備えることは、後の読者に対して出所を明かす姿勢であり、記録の公共性への配慮と読むことができる。

「別冊第三集」という表記には、注意を払う価値がある。この語は、単発の刊行物ではなく「郷土史探訪」という継続的な記録活動の一環として本冊子が編まれたことを推定させる。すなわち本編にあたる「郷土史探訪」があり、その別冊として第三集まで刊行が積み重ねられてきた、という編集の履歴が背景に想定される。ただし、その本編の実体や、別冊の第一集・第二集が何を扱ったのかは、本稿の調査範囲では未確認である。ここで「本編は存在しない」と断ずるのは誤りで、あくまで筆者がその現物に突き当たっていないという状態にとどまる。この一語の表記が、寺田の記録活動が単発の思いつきではなく、持続的な営みであった可能性を示している点だけを、いま確認しておきたい2

次に分量である。筆者が参照しえた資料は、冊子を画像化した12ページ分のもので、その構成は、表紙・はじめに・体験記・秋祭りの沿革・東西組の記録・屋台一覧からなる。本文は大部ではなく、薄い小冊子である。ここで一つ、史料批判上の留保を置く。参照した画像が12ページであることと、原冊子の総ページ数が12であることとは、論理的には別の事柄である。画像化の過程で一部の頁が欠けた可能性、あるいは白紙や広告の頁が省かれた可能性を、現時点では排除できない3。したがって「全12ページの冊子である」という命題は、参照資料の範囲では確からしいものの、原本に照らした確定には至っていない。この点も未確認として扱う。

装丁・印刷部数・頒布の範囲についても触れておきたい。これらは、筆者が参照しえた範囲には明示的な記載が見あたらない。地域の私家版は、数十部から数百部という少部数を刷り、著者の縁故や町内、地元の図書館などに配られるのが通例である。本冊子もその通例に沿った少部数の刊行物であった蓋然性は高いが、具体的な部数や頒布先は記載なし未確認のいずれとも即断できない。現物の奥付をなお精査する余地がある。書誌情報の確定は、私家版を史料として扱う際の出発点であり、この確定作業自体が、散逸しやすい地域刊行物を後世へ引き渡すための第一の手続きである。

発行の年そのものにも、記録の動機を読む手がかりがある。1985年(昭和60年)は戦後四十年にあたり、戦中・戦前の祭りを実際に担った世代が、なお存命でありながら、確実にその数を減らしていく時期にあたっていた。屋台を曳き、町内を差配し、あるいは出征先で故郷の祭りを思った人々が、まだ自らの言葉で語りうる。しかしその機会が永遠に続くわけではない。巻頭に戦争体験記が据えられたことと、この発行の時点とは、無関係ではないだろう。記憶の当事者がなお語りうるうちに、その証言を紙へと移し替えること──私家版の刊行は、しばしばこうした世代交代の局面に、いわば駆け込むようにして現れる。もっとも、寺田がこの年を選んだ具体的な事情は冊子には記されておらず、発行年と動機とを直接に結ぶこの読みは、あくまで推定の域にとどまる。ただ、私費を投じて一冊を編むという行為の背後に時間との競争があったことは、序文の切迫した語調からも十分にうかがえる。

冊子の外形 郷土史探訪別冊第三集 東屋台と西屋台 寺田勝彦 編集・発行 1985年11月20日 確認できる事実 ・題名・編者・発行日は表紙に明示 ・「別冊第三集」=継続的活動を推定 ・参照資料は12ページ分 未確認・記載なし ・本編「郷土史探訪」の実体(未確認) ・原本の総ページ数(未確認) ・印刷部数・頒布範囲(記載なし) 『東屋台と西屋台』の書誌
図2 冊子の書誌情報。表紙に明示された事実(左)と、参照資料の範囲では確定できない事項(右)を分けて示す。確認できることと未確認・記載なしを腑分けすることが、私家版を読む前提となる。

3. 編纂の構造 ── 何をどの順に置いたか

書物の記録は、必ず順序をもつ。何を先に置き何を後に回すかという配列は、編者の思想を無言のうちに語る。本冊子の配列は、表紙に続いて「はじめに」、次いで体験記、そして秋祭りの沿革、東西組の記録、末尾に屋台一覧という順である。この順序自体を、編纂の資料として読んでみたい。

一般に、祭礼を記録しようとする場合、想定されやすいのは「制度から個へ」という順序である。すなわち、まず神社の由緒を述べ、次に祭礼の次第を整理し、屋台や町内の個別の事柄を後に配する。公的な編纂物や神社の由緒書は、おおむねこの体系的な順に沿う。ところが本冊子は、この順を採らない。個人の名で書かれた序文と、一個人の体験記を前半に据え、祭りの沿革や屋台一覧といった、より制度的・整理的な記述を後半に置いている。順序が逆になっているのである。

ここから先は推定になるが、この逆順は、編者が「祭りの意味」を先に差し出し、「祭りの事実」を後から添える構成を選んだことを示していると読める。読者はまず、序文と体験記によって郷愁と記憶という枠組みを与えられ、その枠のなかで沿革や屋台一覧を受け取ることになる。事実を無味乾燥に並べるのではなく、その事実がどのような感情の器のなかで意味をもつのかを、あらかじめ提示する。この配列は、冊子の重心が前半の記憶の側にあることを示唆している。

末尾に屋台一覧を置くという選択も、同じ方向を向いている。一覧という形式は、本来なら記録の骨格をなす基礎資料である。それを結論の位置ではなく巻末の参照資料の位置に回すことは、一覧を冊子の目的そのものとしてではなく、記憶を裏づけるための補助として扱う姿勢と解される。もっとも、これは配列から導いた推定であって、編者が明示的にそう述べているわけではない。編纂意図を現物の外形から読むという作業には、つねにこの推定の余地が伴う。だからこそ、配列という確認できる事実と、そこから導く意図という推定とを、語のうえで分けておく必要がある。この冊子が依拠した屋台の具体については、本論考シリーズ第204号「東屋台と西屋台の造形」で別途扱った。

もっとも、配列をこのように読むことには留保も要る。冊子の順序は、編者の明確な意図の産物であることもあれば、単に手元に集まった原稿を並べていった結果であることもある。序文が先に書かれ、体験記の寄稿が先に届き、沿革や一覧の整理が後回しになった、という制作上の事情が、そのまま頁の順序に反映された可能性も否定はできない。私家版は、専門の編集者を介さず個人が制作を担うことが多く、それゆえに構成が制作の順序や資料の集まり具合に左右されやすい。したがって「情動から制度へ」という本稿の読みは、配列という確認できる事実から導いた一つの解釈であって、編者の内心を証明するものではない。ここでもまた、確認できる配列と、そこへ読み込む意図とのあいだの距離を、意識して保っておきたい。とはいえ、たとえ結果としての配列であったとしても、その配列が読者に与える効果──記憶の枠を先に手渡すという効果──は、意図の有無とは別に、現に働いている。

はじめにふる里の祭り 体験記個人の記憶 沿革祭りの歩み 東西組組織の記録 屋台一覧基礎資料 冊子の配列 ── 情動から制度へ 記憶・情動の層 制度・整理の層 一般的な祭礼記録の「制度→個」とは逆に、本冊子は「個→制度」の順で配列される。
図3 編纂の配列。冊子は序文・体験記という記憶の層を前半に、沿革・屋台一覧という制度の層を後半に置く。この逆順は、編者が記憶を記録の重心に据えたことを推定させる。

4. 「ふる里の祭り」 ── 序文が定めた記録の目的

冊子の「はじめに」には、福田の祭りを「ふる里の祭り」として記録したいという意識がはっきりと示される。そこには、遠い青春、心の安らぎの場、今日を生きる勇気といった言葉が置かれ、祭りが単なる年中行事の一項目としてではなく、故郷を思い出すための核として枠づけられている4。この語彙の選択は、記録の目的を最初に宣言する行為であり、以後の冊子全体の性格を規定する。

この語りは、観光案内の言葉づかいとも、学術的な記述の言葉づかいとも異なる。観光案内であれば、屋台の台数や見どころ、日程や交通が前面に出るだろう。学術記述であれば、祭礼の由来や構造が客観的な語調で整理されるだろう。だが本冊子の序文は、そのどちらでもない。祭りを外から眺めて紹介するのでも、対象として分析するのでもなく、祭りを内側から思い起こし、その情感を書き留めようとしている。ここで宣言されているのは「網羅」ではなく「想起の手がかりの保存」である。

記録の目的が網羅ではないという点は、重要な含意をもつ。序文が「ふる里の祭り」という枠を定めた以上、この冊子が祭りの全側面を均等に記述していないことは、欠陥ではなく目的に沿った選択として理解されねばならない。私家版の地域記録は、しばしばこの「目的の明示」を序文で行い、その枠のなかで記述を組織する。何を書き何を書かないかは、この目的に照らして選び取られる。したがって読む側は、まず序文が定めた目的を押さえ、その目的の枠内で記述の充実と欠落を評価する必要がある。

もう一つ、この序文には時限性への意識が読み取れる。「ふる里の祭り」を書き留めたいという動機の背後には、それが忘れられつつあるという危機感がある。祭りの担い手や、古い屋台を実際に知る世代が高齢化し、記憶の当事者が少しずつ減っていく。そうした局面で、当事者のひとりが自らの手で記録を残そうとする。ここには、公的な編纂の予定を待つのではなく、間に合ううちに自分で書くという、私家版に固有の切迫がある。この切迫こそが、私費を投じてでも一冊を編むという行為を支えている。福田の年中行事全体のなかでの秋祭りの位置は、素材となった一般向け記事「寺田勝彦『東屋台と西屋台』を読む」にも整理がある。

観光案内 台数・見どころ 日程・交通 =紹介する 学術記述 由来・構造 客観的分析 =分析する 私家版(本冊子) ふる里・記憶 想起の手がかり =思い起こす 記録の三つの目的 ── 序文が選んだ立ち位置 「ふる里の祭り」という枠は、網羅でも分析でもなく、想起の保存を目的に据える。
図4 記録の目的の三類型。本冊子の序文は、観光案内の「紹介」でも学術の「分析」でもなく、記憶を呼び起こすための「想起の保存」を目的として選ぶ。

5. 巻頭の体験記 ── 記録の選択

編纂上の選択・その一

祭礼冊子の巻頭近くに戦争体験記を置くこと

配置の事実。本冊子は、伊東金平の戦争体験記を巻頭近くに配している5。祭礼を記録する冊子に戦争体験記が置かれることは、一見すると本筋から離れて見える。祭りの沿革でも屋台の記録でもない文章が、なぜ前半の目立つ位置に据えられたのか。これは、編者が何を記録の一部とみなしたかを問う格好の手がかりである。

選択の含意。体験記は、戦場の緊張のなかで故郷の祭りが思い起こされるという構成をとっていると読める。ここで記録されているのは、祭りそのものの内容ではなく、祭りが個人の記憶のなかでどのように生き残ったか、という別の事柄である。祭りを福田の内側から眺めるのではなく、外地から、極限の状況のなかから振り返る視点が、この配置によって冊子に導入されている。祭りは、福田にいる人だけのものではなく、遠く離れた者の心にも残る場所であった──体験記の巻頭配置は、そうした祭りの受け取られ方を記録に組み込む選択である。

私家版だからできること。個人の証言を、祭りの記録の一部として正面から据えるこの選択は、私家版という媒体だからこそ可能であった側面が大きい。公的な編纂物は、祭礼の由来や次第を体系的に記す一方で、一個人の戦争体験のような主観的な証言を、祭りの記録として本文に組み込むことをためらいやすい。均質で客観的な記述をよしとする編集の作法が、そこでは働く。これに対し私家版は、編者の裁量で「祭りが誰にとって何であったか」を、個人の名とともに書き留めることができる。この一編を巻頭に置いた選択は、本冊子が祭りを制度としてではなく記憶として記録しようとしたことの、最も明瞭な表れである。

本稿の評価:体験記の巻頭配置は、編者が「祭りの内容」ではなく「祭りが人の記憶にどう残ったか」を記録の中心に据えたことを示す編纂上の選択である。この選択の当否を論じるより、それが何を記録に含め得たかを読むべきである。

この視点は、同じ冊子を素材にしながら問いの立て方を変えることで、資料が別の顔を見せることをよく示している。既刊の第204号は屋台の造形と由来を、第253号は屋台をめぐる運営と継承の歴史を、この冊子から読み取った。同じ頁が、そこでは祭りの事実を語る資料として機能する。本稿はその同じ頁を、記録という行為の側から読み直している。一つの冊子は、読み手の問いに応じて、事実の器にも、記録行為の証言にもなる。福田まつりの運営をめぐる論点は第253号「屋台運営史」に詳しい。

個人の名を記録に刻むという点も、私家版の特質として見落とせない。伊東金平という実名とともに体験が残されることで、その証言は匿名の「ある古老の話」へと還元されず、特定の一人の記憶として後世へ伝わる。公的な編纂物では、聞き取った証言はしばしば要約され、匿名化されて「古老の伝えによれば」といった形に均されていく。実名を伴う証言の定着は、記録の確度という点では、当人以外による検証を難しくする面をたしかにもつ。だが記憶の具体性という点では、それは代えがたい価値をもつ。誰の記憶であるかが分かることは、その記憶の来歴をたどり直し、必要なら関係者に問い合わせる手がかりを、後世に残すことでもある。私家版は、この「誰の」という情報を、公的編纂物よりもはるかに豊かに保存しうる媒体である。

6. 記録の欠落 ── 何が書かれなかったか

記録はつねに選択であり、選択は必ず欠落を伴う。史料批判は、何が書かれたかを問うと同時に、何が書かれなかったかを問う。書かれなかった事柄の輪郭を描くことは、編者の価値判断を逆側から照らし出す作業である。ただしここでも、先に立てた区別を厳守しなければならない。冊子に見あたらない事柄が、元来書かれなかったのか(記載なし)、それとも原本にはあって画像化の過程で落ちたのか(未確認)は、慎重に分けて扱う。

参照しえた範囲で目につく欠落を挙げれば、たとえば屋台の詳細な寸法や製作年を裏づける一次的な記録、祭礼の運営にかかった費用や寄進を示す帳簿的な記録、そして祭りをめぐって生じたであろう町内の対立や、中断・縮小といった負の局面の記憶である。これらは、参照資料の範囲では前面に出てこない。もっとも、その一部は原本の別の頁にあって画像化で欠けた可能性を排除できず、一律に「記載なし」と断ずることはできない。確実に言えるのは、少なくとも参照しえた前半部分において、こうした散文的・葛藤的な事柄が記録の重心には置かれていない、ということである。

この欠落は、序文が定めた目的から自然に導かれる。「ふる里の祭り」という郷愁の枠組みは、費用の算段や町内の争いといった散文的で葛藤的な側面を、後景へ退けやすい。記憶として祭りを描こうとすれば、思い出したくない対立や、生々しい金銭の記録は、選択のふるいから落ちやすくなる。これは私家版の限界の一つであり、記録が担い手の視点と情感に強く規定されることの帰結である。編者の立ち位置が、書かれるものと書かれないものの境界を引く。

しかし、この限界は同時に長所の裏面でもある。公的な編纂物が均質化し匿名化してしまう個人の情動を、私家版はまさにその偏りゆえに残すことができる。網羅性を犠牲にする代わりに、特定の一人が祭りをどう感じ、何を大切に思ったかという、代替のきかない証言を定着させる。欠落と保存は、同じ選択のコインの裏表である。したがって私家版を読むときは、欠落を単純な不足として責めるのではなく、その欠落が何を保存するための代償であったのかを読み取る姿勢が要る。何が落とされたかを知ることは、何が守られたかを知ることでもある。

ただし、書かれなかったことから編者の意図を読む作業には、固有の危うさがある。沈黙は多義的だからである。ある事柄が記されないのは、それが重要でないと判断されたからかもしれず、あまりに自明で書くまでもないとされたからかもしれず、あるいは触れることがはばかられたからかもしれない。これらは、欠落という同じ外形をとりながら、その意味はまったく異なる。費用の記録が見えないことを、ただちに「編者が費用を軽んじた」と読むのは早計で、帳簿は別に存在し、冊子の対象外とされただけかもしれない。したがって欠落の解釈は、断定を避け、複数の可能性を併置するにとどめるのが穏当である。何が書かれなかったかは事実として指摘できるが、なぜ書かれなかったかは、多くの場合、推定の域を出ない。この慎重さを欠くと、史料批判は容易に憶測へと滑り落ちる。

記録したもの 記録の重心から外れたもの ・ふる里としての祭りの情感 ・個人の記憶・体験記 ・秋祭りの沿革 ・東西組と屋台の一覧 ・祭りへの郷愁と感謝 ・屋台の寸法・製作年の一次記録 ・費用・寄進の帳簿的記録 ・町内の対立・葛藤 ・祭礼の中断・縮小の局面 ※一部は「記載なし」か「未確認」か  の判別を要する 記録の選択と欠落
図5 記録の選択と欠落。序文の掲げる郷愁の枠組みが、情感と記憶を前景に、費用や対立といった散文的事柄を後景に置く。欠落は不足ではなく、何かを保存するための代償として読む。

7. 私家版という媒体の位置づけ

ここまでの検討を、記録媒体の一般的な類型のなかに置き直しておきたい。地域の記憶を残す媒体は、大きく三つに分けられる。第一に口承、すなわち語りによる伝承。第二に私家版、すなわち個人が私費で編む刊行物。第三に公的編纂物、すなわち自治体史や教育委員会の刊行物である。この三者は、担い手・目的・網羅性・確度・限界のいずれにおいても性格を異にする。下の比較表は、これらを対等の粒度で並べ、私家版の位置を可視化することを目的とする。

表1 地域の記録媒体の比較 ── 口承・私家版・公的編纂物の性格
観点口承(語り)私家版(本冊子)公的編纂物(自治体史等)
担い手共同体の成員一般特定の個人(編者)行政・委員会・専門家
目的記憶の共有・継承想起の手がかりの保存網羅的・体系的な記述
網羅性断片的・可変選択的・目的に規定高いが均質化しやすい
個人の情動生々しく残るが失われやすい編者の視点として定着する匿名化・後景化しやすい
確度の扱い検証が困難記憶と文書が混在(要腑分け)典拠を示すが再検証は要る
主な限界定着せず散逸する担い手の視点に強く規定される細部・情動を落とす

この対比から見えてくるのは、私家版が口承と公的編纂物のあいだの独自の位置を占めるという事実である。口承は生々しいが定着せず、世代の交替とともに失われていく。公的編纂物は網羅性と体系性に優れるが、個人の情動や町内の細部を均質化のなかで落としてしまう。私家版はその中間にあって、消えゆく口承的な記憶を、特定の個人の視点というかたちで紙の上に定着させる。『東屋台と西屋台』の巻頭に戦争体験記が置かれたのは、まさにこの媒体の特性が発揮された場面であった。

確度の扱いには、なお注意を要する。私家版に「記されている」ことを、無批判にそのまま史実化してはならない。私家版の記述には、編者自身の記憶や、身近な人からの伝聞に依拠する部分と、何らかの文書や記録に基づく部分とが混在している。両者は確度の層が異なる。読む側には、記述の一つ一つがどちらの層に属するのかを腑分けする作業が求められる。本稿が冒頭で立てた「記されていること=そう記録された水準の史実」と「編纂意図=推定」という区別は、この腑分けの基本の型でもある。私家版を史料として活かすとは、その記述を疑うことでも鵜呑みにすることでもなく、層を分けて正当に評価することにほかならない。

最後に、磐田の地域史における私家版の厚みに触れておきたい。福田のような旧町村を単位として、寺田勝彦のような篤志の記録者が編んだ冊子は、この地域に少なからず存在すると考えられる。それらの多くは少部数ゆえに散逸の危機にあり、現物の所在すら把握しにくい。こうした私家版を、図書館や個人が収集し、書誌を確定し、後世へ引き渡していくこと──いわば記録を記録し直す二次的な営みが、いま求められている。本稿もまた、その営みの一つの試みとして書かれている。

こうした二次的な営みは、地味でありながら、確度の底上げに直結する。一冊の私家版の書誌が確定され、複数の私家版が突き合わされれば、単独では記憶や伝聞の域にとどまっていた記述にも、相互の裏づけや食い違いが見えてくる。ある冊子が記した年紀を別の冊子が支えることもあれば、両者の食い違いが新たな検討課題を生むこともある。私家版は、単独では確度の判定が難しいが、集められ、並べられ、相互に照合されることで、はじめて史料群としての強さをもちはじめる。散逸を防ぎ、所在を可視化し、書誌を整えることは、その第一歩にあたる。個々の冊子を孤立した思い出の記録として眺めるのではなく、地域の記録の網の目の結節点として扱う視点が、いま求められている。

体系性・網羅性 → 個人性・情動 → 口承 私家版 本冊子 公的編纂 記録媒体の位置 ── 個人性と体系性の二軸
図6 記録媒体の座標。私家版は、個人性の高い口承と、体系性の高い公的編纂物のあいだに立ち、個人の視点を紙の上に定着させる中間的な媒体として位置づけられる。

8. 結論 ── 記録という行為を記録する

本稿は、寺田勝彦『東屋台と西屋台』を、祭りの内容を知る資料としてではなく、福田の祭りをどう記録しようとしたかという書誌・編纂の視点から読んできた。得られた見取り図は次のとおりである。表紙の「郷土史探訪別冊第三集」という表記は、この冊子が継続的な記録活動の一環であったことを推定させる。序文が掲げる「ふる里の祭り」という枠組みは、記録の目的を網羅ではなく想起の保存に定めた。巻頭に置かれた戦争体験記は、祭りを制度としてではなく個人の記憶として記録するという編者の選択を、最も明瞭に示していた。そしてその選択の裏側で、費用や対立といった散文的な事柄が記録の重心から外れていった。

これらを通じて確認できたのは、記録がつねに選択であり、選択がつねに目的と欠落を伴うという、当たり前だが見落とされやすい事実である。私家版の地域記録は、その内容を無批判に史実として鵜呑みにするのでも、非学術的であるとして退けるのでもなく、「誰が、どんな目的で、何を選び、何を落としたか」を腑分けしながら読むべき史料である。これが本稿の立場である。記されていることはそう記録された水準の史実として、編纂意図は推定として、そして見あたらない事柄は「未確認」と「記載なし」を分けて扱う。この禁欲的な手続きこそが、偏りを含む私家版を、後世の調べものに耐える史料として活かす方途である。

寺田勝彦が、忘れられる前に福田の祭りを書き留めようとしたように、本稿は、その記録という行為そのものを一段上から記録し直そうとした。祭りを記録する冊子があり、その冊子を記録として読む論考がある。継承とは、こうした記録の連鎖のなかで、少しずつ像を確かにしていく営みである。一冊の私家版は、それ自体が福田の祭りの一部であると同時に、祭りをどう残そうとしたかという地域の意志の記録でもある。

最後に、本稿が残した課題を明記しておく。第一に、表紙が示唆する本編「郷土史探訪」および別冊第一集・第二集の実体は未確認であり、その現物に当たることで、寺田の記録活動の全体像を描く余地がある。第二に、印刷部数・頒布範囲は確定しておらず、原本の奥付をなお精査する必要がある。第三に、福田をはじめとする旧町村単位で編まれた他の私家版と本冊子を比較することで、地域における私家的記録の系譜を跡づけることができる。これらはいずれも、未確認を史実へ、推定を通説へと押し上げていく作業に属する。散逸しやすい一冊一冊の所在を確かめ、書誌を確定し、次の世代へ引き渡していくこと──その地道な手続きの先にこそ、福田という土地が自らの祭りをどう記憶しようとしてきたかの全体像が、少しずつ像を結んでいくはずである。

本稿が扱った福田をはじめ、磐田の各地には、祭りとともに受け継がれてきた古い家や土地が数多く残る。筆者は磐田・袋井で不動産と介護の実務に携わる立場から、こうした土地の記憶にも向き合ってきた。家・土地・空き家の整理について相談することができる。地域の記録を書き留めることと、その舞台となった土地を次の世代へ手渡すことは、地続きの営みだと考えている。

  1. 寺田勝彦編集・発行『東屋台と西屋台』(郷土史探訪別冊第三集、1985年〔昭和60年〕11月20日発行)。題名・編者・シリーズ表記・発行日は、いずれも冊子の表紙および扉に即して確認できる書誌事項である。
  2. 「別冊第三集」の表記は、本編「郷土史探訪」および別冊第一集・第二集の存在を推定させる。ただしそれらの現物は本稿の調査範囲では未確認であり、実在の断定にも不在の断定にも至っていない。
  3. 筆者が参照したのは冊子を画像化した12ページ分の資料である。参照資料が12ページであることと、原冊子の総ページ数が12であることは論理的に別であり、画像化に伴う頁の欠落の可能性は排除できない(未確認)。
  4. 「はじめに」に見える「遠い青春」「心の安らぎの場」「今日を生きる勇気」等の語による。祭りを故郷を想起する核として枠づける、序文の意図を示す表現として引用する。
  5. 伊東金平の戦争体験記が冊子の巻頭近くに配されている事実による。祭礼記録に個人の証言を組み込む編纂上の選択を示す配置として扱う。

付記:本稿は一般読者向け記事 f024「寺田勝彦『東屋台と西屋台』を読む」の内容を、郷土史研究者向けに書誌・史料論の観点から再構成した論考版である。冊子に記されていること(表紙表記・序文の語・体験記の配置等)を「そう記録された水準の史実」、編者の編纂意図を「推定」として区別し、あわせて「未確認」と「記載なし」を語のうえで分けた。祭礼内容そのものは既刊の第204号・第253号を参照されたい。

参考文献・参考資料

  • 寺田勝彦編集・発行『東屋台と西屋台』(郷土史探訪別冊第三集、1985年〔昭和60年〕11月20日発行)。
  • 提供資料「六所神社の祭り.pdf」(『東屋台と西屋台』を画像化した12ページ分の資料)。
  • 福田町教育委員会『年中行事と昔ばなし』(福田の民俗・年中行事に関する地域刊行物)。
  • 磐田市『磐田市史』通史編(磐田市、該当章)。
  • 静岡県『静岡県史』民俗編(静岡県、該当章)。
  • 六社神社(六所神社)由緒・祭礼関係資料。
  • 磐田市立図書館 郷土資料コーナー(地域刊行物・私家版の所蔵)。
  • 佐口行正氏所蔵史料。
  • 磐田物語 f024「寺田勝彦『東屋台と西屋台』を読む - 福田の祭りを記録した小冊子」 https://iwata-monogatari.net/f024.html (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 磐田物語 f023「東屋台と西屋台 - 六社神社の秋祭りを支えた福田の二つの屋台」 https://iwata-monogatari.net/f023.html (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 磐田物語 大石浩之の磐田論考 第204号「東屋台と西屋台の造形」 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/204/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 磐田物語 大石浩之の磐田論考 第253号「福田まつり屋台運営史」 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/253/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 磐田物語「福田地区」入口 https://iwata-monogatari.net/01008-fukude.html (最終閲覧:2026年7月26日)。