一、映画館の時代から、ボウリングの時代へ

磐田の娯楽をたどると、戦前から戦後にかけては芝居小屋と映画館が大きな役割を担っていた。見付の磐田座、中泉の中活劇場、駅前の花月劇場などは、映画を観るだけでなく、芝居や催し、地域の集まりを受け止める場所でもあった。

ところが昭和30年代後半から40年代にかけて、テレビが家庭へ入り、映画館の力は弱まっていく。その一方で、車で出かける新しい娯楽が広がった。郊外に大きな敷地を取り、駐車場を備え、家族や職場の仲間で楽しむ。ボウリング場は、その時代の空気に合った大衆レジャーだった。

この流れの中で、磐田には二つの対照的なボウリング場が現れる。ひとつは全国的なブームと大資本の開発に乗った三ヶ野の日活ゴールデンハイツ。もうひとつは、地域の人に長く使われた中野の磐田グランドボウルである。

二、日活ゴールデンハイツ - 三ヶ野に生まれた短命の複合レジャー

日活ゴールデンハイツは、磐田市三ヶ野にあったボウリング場である。同じ敷地では、昭和44年(1969年)12月15日に日活ドライブインシアターが開業した。車に乗ったまま映画を観る形式で、150台を収容する広い舗装地と、高さ18メートル、幅25メートルの屋外スクリーンを備えていたとされる。

ここで大切なのは、映画会社の日活が、映画館の入場者減に対して、ボウリング場やドライブインシアターを含む複合レジャーへ事業を広げようとしていた点である。映画館が街なかの建物だったのに対し、三ヶ野の施設は車で来ることを前提にした郊外型の空間だった。

しかし、この実験は長く続かなかった。全国的にボウリング場が増えすぎ、ブームが冷め、昭和48年(1973年)のオイルショックで車を前提にした娯楽にも逆風が吹く。日活ドライブインシアターは昭和48年(1973年)6月30日に休館し、ボウリング場も同年9月に閉鎖されたとされる。

跡地は、現在、遠州鉄道磐田営業所のバス車庫として利用されている。娯楽のために舗装された広い土地が、地域交通を支える場所へ変わった。短命のレジャー施設だったが、その土地は別の形で磐田の暮らしに組み込まれた。

二つの閉鎖ボウリング場

施設名所在地時期特徴閉鎖後
日活ゴールデンハイツ磐田市三ヶ野1970年前後 - 1973年9月日活ドライブインシアターと並ぶ郊外型複合レジャー。遠州鉄道磐田営業所の用地として利用。
磐田グランドボウル磐田市中野195-1開業時期未詳 - 2010年1月10日40レーン、ウッドレーンを備えた地域密着型の大規模ボウリング場。建物は解体・消失。跡地は別用途へ転用。

三、磐田グランドボウル - 中野にあった地域密着型の大空間

磐田グランドボウルは、磐田市中野195-1にあった。日活ゴールデンハイツがブームの熱に乗った短命の施設だったのに対し、磐田グランドボウルは長く地域の人に使われたボウリング場だった。

資料では、全40レーンを備え、コンコースが広く、天井も高かったとされる。レーンはウッドレーンで、現代の合成レーンに比べて維持管理の手間がかかる。表面を削り直し、塗装し、日々のオイル管理を行う必要がある。投げる人にとっては味わいのある設備でも、運営側には大きな負担を伴う施設だった。

磐田グランドボウルは、平成22年(2010年)1月10日に営業を休止した。閉鎖の直接理由を示す確実な一次資料は確認できないが、同時期の全国的なボウリング人口の減少、建物や設備の老朽化、平成20年(2008年)のリーマン・ショック後の景気低迷が重なった可能性は高い。特に遠州地方は製造業の比重が大きく、職場レクリエーションや企業大会の需要減も影響したと考えられる。

ボウリング場は、単なるスポーツ施設ではなかった。家族で行く場所であり、職場の大会の場所であり、常連が顔を合わせる場所でもあった。建物がなくなることは、ゲームをする場所が減るだけでなく、偶然に会う場所、同じ時間を過ごす場所が失われることでもあった。

四、閉鎖後、ボウリング需要はどこへ向かったか

磐田グランドボウルの閉鎖によって、磐田市内から単独の大型ボウリング場は姿を消した。しかし、ボウリングを楽しみたい人の需要そのものがなくなったわけではない。車で移動できる人は、袋井や浜松の施設へ向かうようになった。

袋井市には袋井グランドボウルがあり、磐田東部からは比較的行きやすい。浜松市には浜松毎日ボウル ARITAMA や、ラウンドワンスタジアム浜松店があり、ボウリングに加えてカラオケ、ゲーム、スポッチャなどをまとめて楽しめる施設もある。

これは、地方の娯楽が「市ごとに一つずつある」時代から、「車で行ける広域圏の中で選ぶ」時代へ移ったことを示している。磐田は日常の暮らしの場所であり、休日の大きなレジャーは袋井や浜松へ行く。そうした役割分担が、車社会の中で自然に進んだ。

現在の主な受け皿

施設所在地性格磐田との関係
袋井グランドボウル袋井市堀越ボウリングを中心とする地域型施設磐田東部からの受け皿になりやすい。
浜松毎日ボウル ARITAMA浜松市中央区有玉南町大規模レーンを持つ広域型施設競技志向から家族利用までを吸収する。
ラウンドワンスタジアム浜松店浜松市中央区天王町ボウリング、スポッチャ、カラオケ、ゲームを含む複合施設若年層や家族の週末レジャー先になっている。

五、アピナ磐田店に見る、レジャーの小型化と併設化

磐田市内から大型ボウリング場が消えた一方で、娯楽そのものが消えたわけではない。西貝塚のイオンタウン磐田には、アピナ磐田店がある。メダルゲーム、クレーンゲーム、アーケードゲームを置き、買い物のついでに立ち寄れるアミューズメント施設である。

ここには、かつてのボウリング場とは違う特徴がある。専用の靴に履き替え、レーンを使い、何人かで長い時間を過ごすのではなく、短い時間、少人数、あるいは一人でも楽しめる。広い土地と大きな建物を単独で維持するのではなく、商業施設の駐車場や人の流れを利用する。

レジャーは、ひとつの目的地から、買い物や外食と一緒に消費されるものへ変わった。これは便利になったとも言えるし、かつてのように地域の人が同じ大空間に集まる機会が減ったとも言える。

六、ボウリング場の記憶を残す意味

閉鎖したボウリング場の記録は、単なる懐かしさだけではない。日活ゴールデンハイツは、映画会社が車社会とボウリングブームに賭けた時代の跡である。磐田グランドボウルは、家族、職場、常連が同じ場所に集まった時代の跡である。

大きなレーン、大きな駐車場、高い天井、ピンの音、スコアラーの表示、職場の大会、子どもの誕生日。そうした記憶は、建物がなくなると急速に言葉にしにくくなる。だからこそ、場所の名と所在地、閉鎖時期、跡地の変化を残しておきたい。

映画館が消え、ボウリング場が消え、今は商業施設内のゲームや広域型の複合施設へ人が向かう。磐田のレジャー史は、まちの中心、車、家族、職場、そして地域のつながりがどう変わったかを映している。