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磐田物語竜洋地区 / 掛塚まつりと遠州屈指の豪華屋台

竜洋地区の記憶 第二回 | 祭り

掛塚まつりと遠州屈指の豪華屋台 ── 廻船文化が育んだ彫刻美術の粋

貴船神社の秋季大祭として受け継がれる「掛塚まつり」。漆塗りと金箔、そして諏訪立川流や名古屋の御用彫師たちの手による超一流の木彫刻で飾られた九台の豪華屋台の美術的価値を紐解きます。

掛塚の秋を彩る貴船神社の例祭「掛塚まつり」は、かつて日本海海運と江戸を結んだ廻船問屋の富の象徴です。九つの町からくり出す屋台は、他地域の手本となったほど華麗で、漆と金箔のなかに江戸・明治期の名工たちの精緻な彫刻が施されています。

本稿の要点
  • 廻船問屋が競った富の結晶:江戸や名古屋の第一流の彫刻師、塗師、金具師を呼び寄せ、採算を度外視して極限の豪華屋台を築き上げました。
  • 諏訪立川流と名古屋御用彫師の共演:諏訪の立川流や、名古屋の江坂兵衛一門、彫長など、当時の最高峰の彫刻師たちがその技を競い合いました。
  • 遠州屋台文化の源流:掛塚の屋台様式(総漆塗り・御簾脇の彫刻・箱段など)は、浜松や周辺地域の祭り屋台の設計に決定的な影響を与えました。

海の安全と豊漁を祈る貴船神社の秋祭り

毎年十月の第三土曜・日曜に行われる掛塚まつりは、天竜川河口の鎮守である貴船神社(きぶねじんじゃ)の例大祭で、正式には「遠州掛塚貴船神社例祭」と呼ばれる。貴船神社は室町時代以前の創立と伝わり、天正4年(1576年)に社殿が再建されたとされる。祭神は伊邪那岐命の子にあたり、水にまつわる全てを司る神とされ、農業・林業・漁業・醸造業・航海業の守護神として崇敬を集めてきた。慶安元年(1648年)10月24日には、江戸幕府三代将軍・徳川家光から朱印地8石が寄進されており、掛塚湊の鎮守として、幕府からも特別な位置づけを与えられていたことがうかがえる。

この祭りの起源は中世にまで遡るとされ、水運と航海の安全を祈願する神事として発展してきた。江戸時代に入り、掛塚が廻船の湊町として未曾有の繁栄を極めるようになると、祭りもまたその富を背景に、急速に華麗さを増していった。

祭りの主役は、神輿の渡御に供奉する九台の「大屋台」である。九台は掛塚の本町・横町・新町・仲町・大当町・蟹町・砂町・田町・東町という9つの町内からそれぞれ一台ずつ曳き出されるもので、現存する屋台のうち最も古いものは寛政10年(1798年)にさかのぼると伝えられる。これらは単なるお囃子の舞台ではなく、掛塚の人々が海へ注いだ情熱と、湊町の誇りそのものが形になった移動式の美術工芸品なのである。

廻船問屋の富が産んだ漆塗りと金箔の豪華屋台

掛塚の屋台の最大の特徴は、その極限まで高められた装飾美にあります。屋台全体に本漆が幾重にも塗られ、鏡のような光沢を放つ黒漆や朱漆のなかに、純金箔が惜しげもなく施されています。屋根の曲線、それを支える柱や梁の組物、木口を飾る金銅製の化粧金具など、細部に至るまで京都や江戸の高度な職人技が凝縮されています。

この豪華さは、廻船問屋が江戸への材木輸送や幕府の御用米輸送で得た莫大な利益があって初めて可能になりました。各町内は競い合って超一流の職人を招き、数年の歳月と莫大な予算をかけて自慢の屋台を作り上げたのです。

名工たちの技が競う木彫刻の極致

屋台の随所にはめ込まれた木彫刻は、日本の彫刻史上でも極めて重要な価値を持っています。信州諏訪の代表的な彫刻一門である「立川流(たてかわりゅう)」の名工たちや、名古屋城の御用達を勤めた江坂兵衛、彫長一門などが、中国の故事や日本の神話、鳳凰や龍などの瑞獣を題材に、立体的な透かし彫りを施しました。立川流は、信州諏訪出身の立川和四郎冨昌(1744〜1807年)を祖とする彫刻一門で、江戸で宮大工・彫刻の技術を学んだのち諏訪に戻って独立し、19世紀前半のおよそ40年間にその名声を全国に広めたことで知られる。豊川稲荷や飛騨高山の屋台彫刻などにもその作風を残しており、掛塚の屋台彫刻は、こうした全国的な彫刻文化の系譜の中に位置づけられるものである。

これらの彫刻は、生き生きとした表情や風に舞う羽の動きまでが緻密に表現されており、見る者を圧倒します。掛塚で完成されたこの漆塗り屋台と緻密な木彫刻のスタイルは、のちに浜松まつりの御殿屋台や、袋井・森町などの祭り屋台の模範となり、遠州地方全体の祭り文化を牽引する源流となりました。

県指定無形民俗文化財「掛塚祭屋台囃子」

掛塚まつりの屋台の上で奏でられる祭囃子「掛塚祭屋台囃子」は、昭和45年(1970年)6月2日に静岡県指定無形民俗文化財に指定された。笛・大太鼓・小太鼓の3種の楽器で演奏されるこの囃子は、格調高く優雅な曲調を特徴とし、京風・公家囃子の趣を残しているとされる。これは同じく県指定を受けている隣接地域の大須賀町三社祭礼囃子が江戸風の趣を持つのとしばしば対比され、掛塚の廻船問屋たちが江戸だけでなく上方とも太いつながりを持っていたことをうかがわせる。

囃子の曲目には、馬囃子・神楽囃子・本囃子・入船囃子・出船囃子・大場囃子・公家囃子・道中囃子など、場面に応じて使い分けられる複数の曲があり、湊を出入りする船の様子を思わせる「入船」「出船」といった曲名にも、掛塚が廻船の湊町として栄えた記憶が色濃く刻まれている。豪華な屋台の彫刻・漆塗りという視覚的な美と、この格調高い囃子という聴覚的な美が一体となって、掛塚まつりの完成度を高めている。

今に受け継がれる祭りの姿

現在の掛塚まつりでも、当日は九台の屋台が貴船神社周辺と掛塚の町並みを練り歩き、絢爛豪華な屋台が勢ぞろいする光景を一目見ようと、地元住民だけでなく県内外から多くの見物客が訪れる。地域の観光振興策としても、祭りの前後に掛塚の町並みや旧廻船問屋の建物をめぐるガイドツアーが企画されるなど、単なる年中行事にとどまらず、掛塚の歴史そのものを伝える機会として位置づけられている。屋台を担ぐ・曳くのは各町内の住民であり、彫刻や漆塗りの補修、囃子の継承もまた地域住民の手によって支えられている。廻船問屋の経済力が姿を消して久しい現在も、屋台と囃子という有形・無形の文化財が、かつての湊町の記憶を次の世代へとつなぐ役割を担い続けている。

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主な参考資料

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