失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語大石浩之の磐田論考 / 亀塚を読む

磐田郷土史研究紀要

大石浩之の磐田論考 第247号(福田の地形と信仰 二)

亀塚を読む ── 塚という土の記憶と信仰のかたち

古墳・経塚・信仰の塚のあいだで ──「未確認」と「記載なし」を分ける

大石浩之1

1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役

公開日
2026.07.26
資料検証
公開資料による検証済み
対象地区
磐田市福田

要旨

福田に「亀塚」と呼ばれる土の高まりが伝えられる。しかしそれが古墳なのか、経典を納めた経塚なのか、あるいは供養や境界のために築かれた信仰の塚なのかは、現在参照しうる資料からは定まらない。本稿は、塚の存在それ自体は確認できる範囲の事実として受けとめつつ、その性格と築造年代を史実・推定・伝承の層へ腑分けし、断定を避けて読むことを課題とする。中心に据えるのは「未確認」と「記載なし」の区別である。管見の限り性格を裏づける一次史料に突き当たっていないことと、史料にその事実が存在しないと断定できることとは、まったく別の状態にある。この区別を保ちながら、塚の類型論、古墳と経塚の識別基準、そして土の高まりに墓・供養・境界・信仰といった意味を託してきた民俗の一般論を手がかりとし、亀塚という一つの名称を、地域が土に意味を積み重ねてきたしくみのなかへ置き直す。素材が薄いという条件を、断定の誘惑から距離をとる方法上の利点へと転じることを試みる。

キーワード:亀塚/塚/古墳/経塚/信仰の塚/史料批判/未確認と記載なし

1. 問題設定 ── なぜ「塚」の性格は定まりにくいのか

「塚」という語は、じつに広い範囲を覆う。人の手で盛られた土の高まりであれば、古代の墳墓も、経典を納めた供養の施設も、道の分かれ目に置かれた境界の目印も、一里ごとに築かれた道程の標識も、等しく「塚」と呼ばれてきた。呼び名が同じであることは、対象が同じ性格であることを保証しない。ここに、塚をめぐる記述の難しさの根がある。

福田に伝わる「亀塚」も、この難しさをそのまま抱えている。名称だけを取り出せば、それが墓なのか、供養の場なのか、信仰の対象なのかは判じがたい。亀という語がつくのも、外形が甲羅に似ることによるのか、伝説に由来するのか、あるいは近隣の地名から呼び慣らわされたのか、名称からは決まらない。塚の名は、しばしば築いた当時の意図ではなく、後世の人がその高まりをどう見たかを映す。名称を性格の証拠とみなすことはできない。

本稿の出発点は、この不確定性そのものを研究の対象とみなす点にある。すなわち、亀塚が何であったかを一つに裁定するのではなく、それが古墳・経塚・信仰の塚のいずれとして読みうるか、それぞれの読みがどのような根拠に支えられ、どの程度確からしいかを腑分けする。断定を急げば、確かめられていない性格を史実のように語り、あるいは価値のある伝えを根拠薄弱として切り捨てる誤りに陥る。素材が薄いときこそ、この誘惑は強くなる。空白を、もっともらしい物語で埋めたくなるからである。

そこで本稿は、方法上の禁欲を先に据える。塚の存在という、確認できる範囲の事実は事実として受けとめる。その一方で、築造の年代や性格という、資料の裏づけを欠く事柄は推定の層にとどめ、地域に語り継がれてきた由来は伝承の層に置く。層をまたいで断定しないこと、そして後述する「未確認」と「記載なし」の区別を一貫して保つこと──この二つを、以下の検討を貫く基準とする。まず確認できる記録の輪郭を押さえ、次に塚の類型を整理し、古墳・経塚・信仰の塚という三つの読みを順に検討したうえで、比較と背景を経て結論に至る。

あらかじめ断っておけば、素材が薄いことは、論考の対象たりえないことを意味しない。むしろ、確たる証拠に乏しい対象こそ、私たちがどのように空白と向き合うかを試す格好の材料となる。厚い史料に恵まれた対象では、証拠を並べれば結論はおのずと立つ。だが亀塚のように手がかりの乏しい対象では、何を根拠とし、何を根拠としないかという判断が、そのまま論の質を決める。本稿が塚の類型論や塚信仰の一般論に多くの紙幅を割くのも、個別の事実を水増しするためではなく、空白を正しく測るための物差しを整えるためである。物差しがあってはじめて、亀塚という高まりの、輪郭のさだかでない部分を、輪郭のさだかでないものとして正確に描くことができる。

土の高まり=「塚」 名称は性格を決めない 墓(古墳) 供養(経塚) 境界・目印 信仰の塚 ひとつの「塚」が指しうる複数の性格
図1 塚という語の広がり。人の手で盛られた土の高まりは、墓・供養・境界・信仰という異なる性格を等しく「塚」と呼ぶ。名称は、その性格を確定する手がかりにはならない。

2. 確認できることと、できないこと ──「亀塚」という記録の輪郭

まず、亀塚について現在参照しうる記録の輪郭を確定しておきたい。福田地区に伝わる亀塚の読み直しを含め、地域資料に現れるのは、福田に「亀塚」という名で呼ばれる高まりが記憶されている、という水準の情報である。名称と、それがおおよそ福田に関わるという所在の伝えは、確認できる範囲の事実として受けとめてよい。土地に長く根ざした呼び名は、たとえ由来が失われていても、そこに何らかの高まりが存在した、あるいは存在すると意識されてきたことを示す痕跡だからである。

問題は、そこから先である。亀塚の性格、築造の主体、年代、外形の規模といった、塚を歴史のなかに位置づけるために必要な情報は、管見の限り一次史料に突き当たっていない。地域資料に断片的に現れる語のなかには、寺や観音といった信仰に関わる語や、特定の年を思わせる語も見えるが、これらが亀塚そのものの性格や築造年を指すのか、たまたま同じ資料に併記された別事項なのかは判別できない。断片の語をそのまま塚の属性へ結びつけることは、確かめられていない結合を史実に見せかける操作になりかねない。本稿はこれらを、塚の性格を確定する材料としては用いない。

ここで、本稿の中心となる区別を明示しておきたい。亀塚の性格や年代について、私は「わからない」と述べる。だがこの「わからない」には、性質の異なる二つの状態が含まれる。一つは未確認、すなわち管見の限り、性格や年代を裏づける一次史料に突き当たっていない、という状態である1。もう一つは記載なし、すなわち関係する史料を博捜した結果、そこにその事実が存在しないと積極的に確認できた、という状態である。

この二つは、しばしば同じ「不明」という言葉でまとめられ、混同される。しかし両者の含意はまったく異なる。未確認は、これから史料が見つかれば覆りうる暫定的な状態であり、探索の余地が残されていることを意味する。記載なし──史料の沈黙が確認された状態は、それ自体が一つの積極的な知見であり、なぜ記録されなかったのかという別の問いを開く。亀塚について私が言いうるのは、その大半が前者、すなわち未確認だということである。塚の存在を伝える記憶はあるが、性格を裏づける史料には至っていない。これは「史料に無い」のではなく、「まだ突き当たっていない」段階にある。この区別を曖昧にしたまま断定へ進むことを、本稿は自らに禁ずる。

確認できる 名称・所在の伝え =塚の存在 未確認 性格・年代・規模 =突き当たらず 記載なし 沈黙を確認した =別の問いへ 三つの状態を混同しない 亀塚の性格は「記載なし」ではなく「未確認」の段階にある(点線は未到達を示す)。
図2 「確認できる」「未確認」「記載なし」の弁別。亀塚では、存在は確認でき、性格・年代は未確認であって、史料の沈黙が確認された「記載なし」の状態には至っていない。

3. 塚の類型 ── 古墳・経塚・信仰の塚

亀塚の性格を読むには、そもそも「塚」がどのような種類に分かれ、それぞれがどう識別されるかという枠組みが要る。ここでは考古学と民俗学の一般的な整理を借り、土の高まりを大きく三つの系統に分けて概観する。あらかじめ断っておくが、この整理は亀塚を特定の類型へ当てはめるためではなく、当てはめの手がかりと限界を明らかにするための道具である。

第一の系統は古墳、すなわち古墳時代を中心に築かれた墳墓である。内部に石室や木棺などの埋葬施設をもち、周囲に濠や葺石、埴輪を伴うものもある。前方後円・円・方といった墳形の別があり、規模や副葬品は被葬者の社会的な地位と結びつくと考えられている。古墳の識別は、原則として発掘や測量による埋葬施設・周溝・遺物の確認に依拠する。外形の高まりだけでは、それが古墳か後世の盛土かを決められない。

第二の系統は経塚である。経塚は、末法の世に仏法が滅びることを恐れた人々が、経典を書写して容器に納め、地中へ埋めて後世に伝えようとした供養の施設で、平安後期から広く営まれた2。地表にはしばしば小さな塚状の高まりや標石が築かれ、地中には経筒や外容器、鏡・銭・仏具などの埋納品が伴う。経塚の識別は、この埋納の内容物によって決まる。地表の高まりだけを見て経塚と断ずることはできず、逆に埋納品が確認されれば性格はほぼ確定する。

第三の系統を、本稿では便宜的に信仰の塚と総称する。これは古墳でも経塚でもない、多様な目的で築かれた土の高まりの総体である。塚の上に石仏や石塔をまつる塚、災厄除けや供養のための塚、道の境や村の境を示す塚、富士や庚申の信仰に結びつく塚、さらには一里塚のような道程の標識まで、性格はさまざまである。これらに共通するのは、土を盛るという行為に、墓とも供養ともまた別の、境を画し場を鎮め祈りを寄せるという意味が託されている点にある。信仰の塚は、地上の祭祀の痕跡や伝承によって性格が推し量られることが多く、地下に決定的な証拠を欠く場合も少なくない。

三系統を並べて見えてくるのは、確定の根拠が置かれる場所が、系統ごとにまるで異なるという事実である。古墳は地下の埋葬施設に、経塚は地中の埋納品に、信仰の塚は地上の祭祀痕や伝承に、それぞれ証拠を求める。裏を返せば、地表に現れた高まりの外形だけを見ても、どの系統に属するかは決まらない。円く盛られた高まりは古墳の墳丘にも、経塚の標にも、信仰の塚にも共通してありうる。しかも、人が盛った塚と、自然の営力が残した微高地や砂丘の高まりとを、外形だけで見分けることも容易ではない。塚の類型論が教えるのは、答えの一覧ではなく、どこを掘り、どこを見れば性格が決まるのかという、確認の勘どころである。この勘どころを踏まえてはじめて、亀塚について何が確認され何が未確認かを、正確に語ることができる。

塚(土の高まり) 識別は内部・伴出による 古墳 埋葬施設・周溝 埴輪・副葬品 =発掘で確認 経塚 経筒・外容器 鏡・銭・仏具 =埋納品で確認 信仰の塚 石仏・境・道標 庚申・富士など =地上・伝承で推定 同じ外形の高まりでも、確定の根拠が置かれる場所は系統ごとに異なる。
図3 塚の三系統。古墳は埋葬施設と周溝、経塚は経筒などの埋納品、信仰の塚は地上の祭祀痕・伝承によって性格が判じられる。確定の根拠が置かれる場所は系統ごとに異なる。

4. 亀塚を古墳として読む可能性とその限界

読み①・考古学的仮説

亀塚を古墳(墳墓)とみる読み

この読みの骨子。亀塚を古墳として読む場合、その高まりは古墳時代の墳墓の墳丘であり、内部に埋葬施設を伴うと想定される。「亀塚」という名称は、円墳や前方後円墳の外形が甲羅を伏せた形に見えることから、各地の古墳に付されてきた通称でもある。全国に「亀塚」「亀山」の名をもつ古墳が点在することは、この読みに一定のもっともらしさを与える。

この読みの説明力。もし亀塚が古墳であれば、それは福田の地に古墳時代の有力者が存在したことの物証となり、地域の歴史を古代へさかのぼらせる手がかりになる。名称が外形に由来するという説明も、直観に訴えやすい。塚を墓として読むこの見方は、土の高まりに対する最も素朴で古い理解の一つでもある。

資料的裏づけと限界。ただし、この読みを支える決定的な根拠──埋葬施設や周溝、埴輪、副葬品といった、古墳を古墳たらしめる考古学的所見は、亀塚については確認できていない。名称が外形に由来するという説明も、逆から見れば、外形が甲羅に似るというだけで古墳と断ずる循環に陥りやすい。甲羅状の高まりは、古墳だけでなく、後世の盛土や自然の微高地でも生じうる。発掘や測量による内部構造の確認を欠くかぎり、亀塚を古墳と同定することはできない。ここでも問われるのは「未確認」と「記載なし」の区別である。古墳でないと確認されたのではなく、古墳である証拠に突き当たっていない、という段階にとどまる。

地域の背景から。遠江の各地には古墳が分布し、磐田原台地の縁辺などには群集する古墳の存在が知られている。こうした背景に照らせば、福田の地に古墳時代の墳墓が営まれた可能性を、頭から否定する理由はない。ただし、台地上に古墳が濃く分布することと、川と海のあいだの低地である福田に古墳があることとは、別の事柄である。低平な土地は、古墳の立地としても、また後世の盛土や自然の微高地としても解釈の余地を残す。地域全体の古墳分布は、亀塚を古墳とみる読みに背景を与えこそすれ、その読みを個別に裏づけるものではない。背景の蓋然性を、個別の証拠と取り違えないことが肝要である。

本稿の評価:亀塚を古墳とみる読みは、名称と外形から立てられる仮説としては成り立つが、埋葬施設等の確認を欠くため、これを史実として断定することはできない。福田周辺の古墳分布の調査と、塚の測量・確認が、この読みを検証する道筋となる。

墳丘(盛土) 埋葬施設 周溝 周溝 古墳の模式断面 ── 確認は内部と周溝による 外形の高まりだけでは古墳とは決まらない。埋葬施設・周溝・遺物の確認を要する。
図4 古墳の模式断面。古墳の同定は、墳丘の外形ではなく、内部の埋葬施設・周囲の周溝・埴輪や副葬品といった伴出によって支えられる。亀塚ではこれらが未確認である。

5. 亀塚を経塚・信仰の塚として読む可能性

読み②・考古学的仮説

亀塚を経塚(経典埋納の供養塚)とみる読み

この読みの骨子。亀塚を経塚として読む場合、その高まりは経典を地中に納めて供養した施設の標として築かれたことになる。地域資料に寺や観音といった仏教に関わる語が併記されることは、この読みを立てる一つのきっかけになりうる。経塚は寺社の境内や、それを見晴らす丘に営まれることが多く、信仰の場の近くに位置する塚を経塚とみる推論には一般的な蓋然性がある。

年代という手がかり。経塚は、末法の世に仏法が失われることを恐れた人々が、経典を未来へ託そうとした営みであり、その盛行はおおむね平安後期以降に位置づけられる。したがって、もし亀塚が経塚であれば、その築造は古墳時代よりはるかに新しい時期に下ることになる。年代の見当が類型ごとに大きく異なるという事実は、性格の未確認が同時に年代の未確認をも意味することを示している。逆にいえば、いずれかの類型が確認されれば、おおよその年代の幅も同時に絞られる。塚の性格と年代は、切り離せない一組の問いとして結びついている。

資料的裏づけと限界。しかし経塚の確定は、地表の高まりや近隣の寺社の存在ではなく、経筒や外容器といった埋納品の確認による。亀塚については、この埋納の内容は確認できていない。併記された仏教関連の語も、前章で述べたとおり、亀塚そのものの性格を指すのか別事項なのかが判別できず、経塚説の根拠としては弱い。したがって経塚とみる読みも、現段階では埋納品の確認を欠く仮説にとどまる。

読み③・民俗学的仮説/伝承

亀塚を信仰の塚(供養・境・祈りの塚)とみる読み

この読みの骨子。亀塚を、古墳でも経塚でもない広義の信仰の塚として読む見方である。塚の上に石仏や石塔をまつり、災厄を除け、あるいは村や耕地の境を画し、水辺の安全を祈るために土を盛る──こうした営みは、近世を通じて各地で盛んに行われた。福田のような、川と海のあいだに開けた低平な土地では、水に関わる祈りや、境を定める必要が、塚を築く動機として働きやすい。

この読みの説明力と限界。信仰の塚とみる読みは、決定的な地下の証拠を必ずしも前提としない点で、素材の薄い亀塚にはむしろ当てはめやすい。だが、当てはめやすいことは正しいことを意味しない。地上の祭祀の痕跡や、由来を語る伝承がなければ、この読みもまた推量の域を出ない。亀という名についても、水に住む生き物として水辺の信仰と結びつけたくなるが、その連想を裏づける伝承は本稿では確認できていない。連想の自然さを、根拠の代わりにしてはならない3

本稿の評価:経塚・信仰の塚とみる二つの読みは、いずれも福田の信仰環境から立てうる仮説であるが、埋納品や祭祀痕・伝承といった裏づけを欠くため、確定はできない。福田の寺社と信仰の環境については福田の寺社と海の信仰で別に論じた。塚の性格を読むうえでも、この信仰の地平を踏まえる必要がある。

標石・石塔 塚(標) 経筒(外容器の中) 経塚の模式断面 ── 確認は埋納品による 地表の標だけでは経塚とは決まらない。経筒などの埋納品の確認を要する。
図5 経塚の模式断面。経塚は、地表の標石や高まりではなく、地中に納められた経筒などの埋納品によって性格が確定する。亀塚ではこの埋納は未確認である。

6. 三類型の比較と識別の史料批判

ここまで見た三つの読みは、しばしば「亀塚は結局どれなのか」という択一の問いのもとに並べられる。しかし三者は、性格の確定が置かれる根拠の場所を、そもそも異にしている。古墳は地下の埋葬施設に、経塚は地中の埋納品に、信仰の塚は地上の祭祀痕や伝承に、それぞれ確定の根拠を求める。根拠の所在が違う読みを、同じ土俵で優劣化することには方法上の無理がある。以下の比較表は、三類型を確定根拠・年代の見当・亀塚での確認状況という同じ粒度で並べ、確度の水準を可視化することを目的とする。

表1 古墳・経塚・信仰の塚の対比 ── 確定の根拠・年代の見当・亀塚での確認状況
類型主な性格確定の根拠(識別基準)年代の見当亀塚での確認状況
古墳墓(墳墓)埋葬施設・周溝・埴輪・副葬品の確認。古墳時代が中心。埋葬施設等は未確認。外形のみでは同定不可。
経塚供養(経典埋納)経筒・外容器・鏡銭などの埋納品の確認。平安後期以降が中心。埋納品は未確認。仏教関連語の併記は根拠として弱い。
信仰の塚供養・境・祈り地上の石仏・石塔・道標、および由来の伝承。近世に盛行。時期の幅が広い。祭祀痕・伝承ともに未確認。当てはめやすさは根拠ではない。

この比較から見えてくるのは、三つの読みが競合しているというより、それぞれが異なる証拠の場所を前提としている、という事実である。そして亀塚については、そのいずれの場所においても、決め手となる証拠が未確認のままにある。古墳と同定する埋葬施設も、経塚と確定する埋納品も、信仰の塚と推す祭祀痕・伝承も、現段階では手もとにない。三つの読みは、根拠の空白を共有しているのである。

史料批判の観点からは、この空白は三類型に等しく課される。したがって、空白を理由に特定の読みだけを退けることも、逆に当てはめやすさを理由に特定の読みだけを採ることもできない。とりわけ注意を要するのは、素材が薄いときほど、決定的な証拠を欠く「信仰の塚」という広い受け皿へ流れ込みたくなる誘惑である。どの類型にも決められないものを、境界の曖昧な範疇へ落とし込んで説明した気になるのは、腑分けではなく思考の停止に近い。当てはめやすさは、証拠の代わりにはならない。

この点で、名称の扱いにも慎重でありたい。「亀塚」という名は、古墳の通称としても、水辺の信仰と結びつく塚の呼び名としても現れうる。名称は複数の類型にまたがって用いられるのだから、それ自体を特定の類型の証拠に用いることはできない。名称が語るのは、後世の人がその高まりをどう呼び、どう見たかであって、築いた者が何を意図したかではない。名を手がかりにしつつ、名を証拠と取り違えないこと──ここに、塚を読む際の史料批判の要がある。

もう一点、資料の性格そのものへの目配りも欠かせない。亀塚について現在参照しうるのは、近年に採取・編集された地域紹介の類であって、塚を築いた当時や、それを供養・信仰の場として営んでいた時代の一次記録ではない。二次的にまとめられた紹介は、対象を手際よく伝える一方で、編集の過程で断片の語が寄せ集められ、本来は別々の事項が一つの見出しの下に併記されることがある。前章で仏教関連の語を性格の根拠として用いなかったのは、この編集の層を透かして見る必要があるからである。史料批判とは、書かれている内容を疑うことであると同時に、その記録がどのような立場から、いつ、何のために作られたのかを問うことでもある。亀塚のように素材が薄い対象では、この記録の来歴への注意が、いっそう重みをもつ。

7. 塚に託された意味の層 ── 墓・供養・境界・信仰

三つの読みのいずれとも確定できないという結論は、一見すると行き止まりに見える。しかし視点を変えれば、この不確定性こそが、塚という対象の本質に触れている。塚とは、そもそも一つの意味に固定されにくい存在なのである。ここでは、亀塚という個別の事例をいったん離れ、土の高まりに人が意味を託してきたしくみの一般論へ視野を広げたい。

土を盛るという行為は、単純でありながら、きわめて多くの意味を担いうる。高まりは、平坦な地表からそこだけを際立たせ、日常の場から区別された特別な場所をつくり出す。この「際立たせる」働きが、墓としての塚、供養の場としての塚、境を示す塚、祈りを寄せる塚という、異なる用途を同じ形へ束ねてきた。古墳が被葬者を地上に顕彰し、経塚が経典を後世へ託し、境の塚が村と村の際を刻み、庚申や富士の塚が信仰の対象を地上に据える──いずれも、土を高くすることで場に意味を刻む点で通じ合っている4

さらに重要なのは、これらの意味が排他的でない点である。一つの塚が、時代を経るなかで意味を重ねていくことは珍しくない。古墳として築かれた高まりが、後世に信仰の対象へ転じ、その上に石仏がまつられ、あるいは境の目印として用いられる。経塚が土地の記憶のなかで由緒を失い、単に「塚」として畏れられるようになる。塚の意味は、築造の一点で決まるのではなく、その後にそこへ関わった人々の営みによって、層をなして積み重なっていく。名称もまた、その最も新しい層として塚に貼りつく。亀塚という名は、この累積の履歴の一番上に見えている呼び名にすぎないのかもしれない。

この累積という視点は、福田という土地の性格と重ね合わせると、いっそう具体性を帯びる。福田は、太田川の下流域と遠州灘のあいだに開けた低平な土地で、漁と水に深く関わる暮らしが営まれてきた。川と海に挟まれた低地では、洪水や高潮といった水の脅威と、水の恵みとが背中合わせにあり、水にまつわる祈りが生活の底に流れてきた。土地の低さは、そのまま水との近さであり、人々は堤や社、そして時に土の高まりを頼みとして、水の脅威と折り合いをつけてきた。塚もまた、そうした水辺の暮らしの装置の一つとして意識されてきた可能性がある。そうした土地では、土の高まりは実用と信仰の双方で意味をもつ。わずかな微高地が避難や居住の拠りどころとなり、同時に、水を鎮め安全を祈る場ともなる。亀塚をめぐる地域の記憶を、こうした低地の暮らしの文脈へ置き直すことで、塚が何であったかを断定せずとも、なぜそこに塚が意識され語り継がれてきたのかを考える手がかりは得られる。

もっとも、これらはあくまで一般論と地理的背景からの推量であって、亀塚の性格を直接に語るものではない。福田が水に関わる土地であることは確かだが、そのことから亀塚を水辺の信仰の塚と決めることはできない。一般論は、個別の空白を埋める材料ではなく、空白をどの方向から探索すべきかを示す羅針盤である。塚に意味が累積するという見取り図は、亀塚の答えを与えるのではなく、答えを一つに決めつけないための根拠を与える。

築造の意図 供養・信仰の追加 境・畏れ・由緒 名称(「亀塚」) 外側ほど新しい層。名称は最も新しい層として塚に貼りつく。 塚に積み重なる意味の層
図6 塚に託された意味の層。土の高まりには、築造の意図を核として、供養・信仰・境・畏れ・由緒、そして名称が層をなして積み重なる。亀塚という名は、その最も新しい層として見えている呼び名にすぎない可能性がある。

8. 結論 ──「未確認」を保つという方法

本稿は、福田に伝わる亀塚を、古墳・経塚・信仰の塚のいずれかへ断定することなく読むことを試みた。得られた見取り図は次のとおりである。塚が福田に「亀塚」の名で記憶されてきたこと、その名称と所在の伝えは、確認できる範囲の事実として受けとめてよい。だが、その性格・築造年代・規模といった、塚を歴史へ位置づけるための情報は、いずれも管見の限り一次史料に突き当たっておらず、未確認の状態にある。古墳と同定する埋葬施設も、経塚と確定する埋納品も、信仰の塚と推す祭祀痕・伝承も、現段階では確認できない。

この結論は、消極的な「わからない」の表明ではない。本稿が一貫して保ってきたのは、「未確認」と「記載なし」の区別である。亀塚の性格が定まらないのは、史料がその不在を語っているから(記載なし)ではなく、性格を裏づける史料にまだ突き当たっていないから(未確認)である。この区別を保つかぎり、亀塚は閉じた謎ではなく、開かれた探索の対象でありつづける。福田周辺の古墳分布の照合、塚の測量と現地確認、地域の石造物や由来伝承の博捜──これらの作業は、未確認を史実へ、あるいは記載なしへと押し進めていく具体的な道筋である。

したがって本稿の立場は明確である。素材が薄い対象を前にしたとき、私たちのなすべきことは、空白をもっともらしい物語で塞ぐことではなく、空白の輪郭を正確に描くことである。何が確認でき、何が未確認で、何がまだ探索されていないのか。その線引きを丁寧に示しておくことが、後の調べものに耐える記録を残す唯一の方途である。塚を一つの類型へ性急に押し込めれば、他の可能性は視野から消え、当てはめやすさが証拠の顔をして居座る。それを避けるための禁欲こそが、ここでの方法であった。

最後に、塚という対象そのものが、この禁欲を要求していることを述べておきたい。塚は、一つの意味に固定されにくい。土を高くするという単純な行為に、墓・供養・境界・信仰といった意味が時代を越えて積み重なり、名称はその最も新しい層として貼りつく。亀塚を一つの答えへ還元することは、この積み重なりを切り捨てることにほかならない。塚が何であったかを決めきれないという事実は、この土地に生きた人々が、一つの土の高まりに、世代を越えて意味を託し続けてきたことの裏返しでもある。答えを急がず、確度の層を保ったまま資料を積み上げていくこと──その地道な手続きの先にこそ、亀塚という土の記憶が、少しずつ像を結んでいくはずである。塚の性格を確定しうる現地調査と、名称由来の系統的な検討については、本論考シリーズの続編で稿を改めて論じたい5

本稿の舞台である福田には、川と海のあいだの低い土地に、古い家や土地が数多く残る。筆者は磐田・袋井で不動産と介護の実務に携わる立場から、こうした土地に積み重なった履歴にも向き合ってきた。塚の意味が世代を越えて累積するように、家や土地にも、登記簿だけでは読み取れない記憶が層をなしている。家・土地・空き家の整理について相談することができる。歴史を書き留めることと、その舞台となった土地を次の世代へ手渡すことは、地続きの営みだと考えている。

  1. 本稿で「未確認」とは、管見の限り、当該事項を裏づける一次史料・調査記録に突き当たっていない状態を指す。これは、史料を博捜した結果その事実が存在しないと積極的に確認できた「記載なし」の状態とは区別される。両者を同じ「不明」でまとめないことが、本稿の方法上の要である。
  2. 経塚は、末法思想を背景に、経典を書写して経筒などに納め地中へ埋納した供養の施設で、平安後期から盛んに営まれた。地表の標と地中の埋納品からなり、性格の確定は埋納品の確認による。
  3. 「亀」を水の生き物として水辺の信仰へ結びつける連想は自然だが、亀塚についてその連想を裏づける伝承は本稿では確認できていない。連想の自然さは根拠ではない。
  4. 土の高まりに意味を託す民俗については、塚・境・道標をめぐる民俗学の一般的整理を参照した。個別の塚の性格は、地上の祭祀痕・石造物・伝承の総合によって推定される。
  5. 名称由来の系統的検討、および現地の測量・確認については、本稿の範囲を超えるため、続編で扱う。本稿はあくまで、確度の層を腑分けする方法の提示にとどめる。

付記:本稿は一般読者向け記事 f050「亀塚に残る信仰と文化の記憶」の主題を、郷土史研究者向けに史料批判の観点から再構成した論考版である。塚の存在という確認できる範囲の事実と、性格・年代という未確認の事柄とを語の水準で区別し、「未確認」と「記載なし」の弁別を中心に据えた。素材が薄いという条件のもとで事実の創作を避け、塚の類型論と塚信仰の一般論によって論の厚みを確保した。

参考文献・参考資料

  • 磐田物語 f050「亀塚に残る信仰と文化の記憶」 https://iwata-monogatari.net/f050.html (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 大石浩之「福田の寺社と海の信仰 ── 海上安全を祈った湊まちの社寺」大石浩之の磐田論考 第154号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/154/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 磐田物語「福田地区トップ」 https://iwata-monogatari.net/01008-fukude.html (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • NPO磐田まちづくりネットワーク「磐田お宝見聞帳」記事「亀塚」(Internet Archive 保存データ、採取:2026年)。
  • 磐田市『磐田市史』通史編(磐田市)。
  • 磐田市教育委員会『磐田市の文化財』(磐田市教育委員会)。
  • 静岡県編『静岡県史』通史編・資料編(静岡県)。
  • 大塚初重・小林三郎ほか編『日本考古学を学ぶ』(古墳・墳墓の項、有斐閣)。
  • 小田富士雄・関秀夫ほか『経塚論攷』(経塚の類型と埋納品に関する論集)。
  • 関秀夫『経塚の諸問題』(経塚研究の基礎的整理)。
  • 大護八郎『石神信仰』(塚・境・石造物をめぐる民俗の整理、木耳社)。
  • 柳田国男『石神問答』(塚・境・道祖神をめぐる民俗学の古典、筑摩書房ほか)。
  • 文化庁「国指定文化財等データベース」 https://kunishitei.bunka.go.jp/ (最終閲覧:2026年7月26日)。