磐田郷土史研究紀要
大石浩之の磐田論考 第283号(福田の民俗と信仰 総合)
磐田の民俗と信仰を総合する
年中行事・講・祭礼のあいだ ── 既刊各論を先行研究として横断する
1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役
要旨
本稿は、福田の民俗と信仰を扱ってきた既刊の各論──年中行事と信仰暦(第269号)、中野白山神社の白酒祭(第194号)、氏神様の年始回り(第199号)、お札降りと遠州(第244号)、昔ばなしと語りの文化(第182号)──を先行研究として整理し、そこから磐田・福田の民俗を横断的に総合するレビュー論考である。個別の各論が一つの行事や伝承を縦に掘り下げたのに対し、暦(年中行事)・講・祭礼・口承(昔ばなし)という民俗の諸相が相互にどう結びつくかは、各論をまたいで初めて像を結ぶ。本稿はその横断を課題とし、第一に諸相の相互関係、第二に村の信仰が生業と共同体にどう接続するか、第三に各論が共通して依拠した聞き書き資料・伝承という史料の性格と限界を論じる。記録された行事の存在は史実として扱い、由来や意味づけの語りは伝承として腑分けし、「未確認」(一次史料に突き当たっていない)と「記載なし」(史料に無い)を一貫して区別する立場をとる。
キーワード:民俗/信仰暦/講/祭礼/口承伝承/史料批判/福田
1. 問題設定 ── 諸相を束ね、民俗を総合する
民俗と信仰は、一つの行事を単独で見ているかぎり、その全体像を捉えきれない。年中行事は暦のうえに並ぶ点として、祭礼は年に一度の非日常として、講は特定の集まりとして、昔ばなしは語りの場として、それぞれ別々に記録され、別々に論じられてきた。だが実際の村の暮らしのなかでは、これらは切り離された事象ではなく、同じ人々が同じ一年のなかで営む、地続きの営みであった。正月に氏神を巡る者は、秋に濁り酒を醸す者であり、冬の講に集う者であり、洪水の記憶を昔ばなしとして子に語る者でもある。
本稿の出発点は、この地続きの全体を、いちど諸相に分けたうえで、あらためて束ね直すことにある。筆者はこれまで、福田の民俗と信仰について複数の各論を書いてきた。一つの祭礼、一つの伝承、一つの年頭儀礼を、それぞれ縦に掘り下げる作業である。しかしそうした各論を積み重ねてみると、個々の論考の内側では見えてこない論点が、論考と論考のあいだに立ち上がってくることに気づく。暦と祭礼はどう連動するのか、講は生業のどの局面に結びつくのか、昔ばなしは行事の由来をどう支えているのか。こうした横断的な問いは、一本の各論のなかでは扱いきれない。
そこで本稿は、既刊の各論を先行研究とみなし、それらを整理・史料批判したうえで総合する、レビュー論文の体裁をとる。新たな一次史料を掘り起こすのではなく、すでに書かれたものを横に貫いて読み直すことが課題である。この作業には二重の意味がある。一つは、諸相の相互関係を記述して福田の民俗の見取り図を描くこと。もう一つは、各論が共通して直面した史料上の問題──聞き書き資料と伝承をどう扱うか──を方法として取り出し、明示化することである。
あらかじめ本稿の立場を述べておく。本稿は、民俗の起源や由来を一つに確定することを目的としない。行事がいま行われているという事実は史実として確認できるが、その行事がなぜ・いつ始まったかという由来は、多くの場合、伝承の層にとどまる。この二つを混同せず、確度の異なる情報を同じ平面に並べないことを、記述の基本作法とする。以下ではまず既刊各論の到達点を整理し、続いて暦・講・祭礼・口承という四つの諸相を順に検討し、それらを貫く信仰と生業・共同体の対応構造を論じ、最後に史料批判を経て結論に至る。
もう一点、用語を定義しておく。本稿で「民俗の諸相」と呼ぶのは、暦(年中行事)・講・祭礼・口承の四つである。これらは互いに排他的な分類ではなく、一つの行事が複数の相にまたがることも多い。たとえば白酒祭は祭礼であると同時に暦のうえの秋の行事であり、その由来譚は口承でもある。したがって四相への分類は、対象を切り分けるためではなく、同じ民俗を異なる角度から照らすための補助線として用いる。分類の枠に事象を押し込めることが目的ではない。
2. 先行研究の整理 ── 既刊各論の到達点
総合に入る前に、先行研究として本稿が依拠する既刊各論を整理しておく。ここで整理するのは、各論が何を史実として確定し、何を未確認として留保したか、という到達点である。
第一に、「一年を編む祈り ── 福田の年中行事と信仰暦を総合する」(第269号)は、福田の年中行事を季節ごとに扱った各論を束ね、一年を貫く信仰暦を描いた。そこでは、漁・農・織という生業のリズムと行事の対応、収穫を神に返す外向きの祈りと家や屋敷の神を祀り直す内向きの祈りの季節的な循環、日常(ケ)と非日常(ハレ)の交替という三つの軸が提示された。この論考は暦という時間軸の総合であり、本稿はそれをさらに講・祭礼・口承へと広げる位置にある。
第二に、「中野白山神社の白酒祭を読む」(第194号)は、豊浜中野の白山神社例祭を、文化財の名称や指定年からではなく「濁り酒を醸し、神に献じる」所作の側から読み直した。10月第1日曜の例祭、地区から選ばれた3人の杜氏による約1か月前からの仕込み、投餅といった次第を史実の層に、疫病退散や神託をめぐる由来譚を伝承の層に腑分けし、濁酒神事・新嘗・直会という収穫儀礼の枠組みのなかに白酒祭を位置づけた。創建を熊野勧請に説く社伝と白山を称する社名との齟齬は、未確認として留保されている。
第三に、「氏神様の年始回りを読む」(第199号)は、豊浜の三嶋神社で毎年1月13日に営まれる市指定無形民俗文化財を扱った。禰宜が御幣を胸より高く掲げ、無言のまま班長宅を一戸ずつ巡って「十六善神」守護の御札を配るという作法を、公式資料に基づく史実として確定する一方、由来と成立年代は一次史料に突き当たっておらず未確認であることを明示した3。指定情報という確度の高い史実と、由来という未確認の層とを腑分けする手つきは、本稿の方法の直接の先例である。
第四に、「各地に広がったお札降りと遠州」(第244号)は、慶応3年(1867年)秋ごろから東海地方に始まり畿内・江戸へ広がった「お札降り」を、記録に残る事例(史実)と、伝播の因果や遠州・見付での実態(推定・未確認)とに腑分けした。とりわけ、見付天神で神事として行われる「お札ふり」と、幕末の民衆運動としての「お札降り」との混同を避けることを方法上の柱とした点が、名称の近さに惑わされない史料批判の実例となっている。
第五に、「福田の昔ばなしと語りの文化」(第182号)は、福田町教育委員会『年中行事と昔ばなし』(1987年)に収められた「村を救った八衛門」や「五輪さま」などの伝承を、事実の記録としてではなく口承として読む方法を論じた。昔ばなしの史料的価値は、語られた出来事の史実性そのものよりも語られ方に宿るという視点は、伝承をどう史料として扱うかという本稿の中心課題に直結する。
これら五論を並べて見えてくるのは、対象は異なっても、各論がいずれも同じ方法上の姿勢を共有していることである。すなわち、記録された行事の存在は史実として確定し、由来や意味づけの語りは伝承として留保し、「未確認」と「記載なし」を区別する。本稿はこの共通の姿勢を、五論を横断する総合の原理として引き受ける。
3. 暦 ── 年中行事と信仰暦という時間の軸
四つの諸相のうち、暦は他の相を配置する土台にあたる。年中行事とは、一年という円環のうえに定期的に配される儀礼の連なりであり、それを信仰の側から見たものが信仰暦である。第269号が示したとおり、福田の一年は、漁・農・織という生業のリズムと分かちがたく結びついていた1。海に出る季節、田を作る季節、機を織る季節が、それぞれの節目に神を祀る行事を伴い、一年を編み上げていく。
暦のうえの祈りには、向きの区別がある。収穫を神に返す外向きの祈りと、家や屋敷の神を祀り直す内向きの祈りとが、季節に応じて交替する。秋の収穫儀礼は前者の代表であり、正月に家々で行われる祀りは後者にあたる。この外向きと内向きの循環は、村と家という二つの単位のあいだを祈りが行き来する運動として読める。氏神の祭りが村全体を束ねるのに対し、屋敷神や年神の祀りは家という単位を締め直す。一年の暦は、この二つの単位を交互に活性化させる装置でもあった。
もう一つの軸が、ハレとケの交替である。日常(ケ)の労働が続くなかに、非日常(ハレ)の行事が周期的に差し挟まれる。行事の日には、普段は口にしない濁り酒や餅が供され、普段は着ない衣が着られ、普段は発しない所作が演じられる。この非日常の区切りが、単調に流れがちな生業の時間に節目を与え、次の季節への切り替えを促す。暦は時間を計る道具であると同時に、時間に意味の濃淡をつける仕組みでもあった。
ここで確度を腑分けしておく。年中行事が現に行われている・行われていたという事実は、聞き書き資料や指定情報によって史実として確認できる。だが、その行事がいつ始まり、なぜその日に定まったのかという由来は、多くの場合、伝承の層にとどまる。たとえば年始回りが1月13日である理由、白酒祭が10月第1日曜である理由は、公式資料や聞き書きに日付そのものは記録されていても、その日付の起源を一次史料で遡れるとは限らない。暦の骨格は史実として確定できるが、暦を編んだ動機の細部は未確認にとどまる。この区別を保つことが、信仰暦を読む前提となる。
4. 講 ── 結社と生業の神をめぐる民俗
第二の相は講である。講とは、共通の信心や目的をもつ人々が結ぶ集まりであり、神仏を祀る宗教的な講から、金銭を融通し合う経済的な講まで、幅広い形をとる。年中行事が暦のうえに配された点であるとすれば、講は人と人とを横に結ぶ結社の相にあたる。ここで一点、方法上の断りを入れておかねばならない。福田における個別の講の具体的な次第や成立を記録した資料に、筆者は本稿の調査範囲では十分に突き当たっていない。したがって以下は、福田の特定の講を史実として記述するのではなく、講という民俗の一般的な性格を補助線として述べるにとどめ、福田固有の事例は未確認として区別する4。
講のなかでも生業と深く結びつくのが、恵比須講(えびすこう)である。恵比須は漁と商いの神として広く信仰され、恵比須講は商家や漁村で、生業の繁盛を願って営まれてきた。多くの地域で、年の特定の日に恵比須の像を祀り、供物を供えて商売や漁の無事を祈る。漁と商いを生業の柱としてきた海辺の村において、恵比須講が生業の神を祀る場として機能したことは、民俗の一般的な傾向として十分に想定できる。ただし福田で恵比須講がどのような日に、どのような形で営まれたかを断ずるには、なお資料の裏づけを要する。
もう一つ、庚申講(こうしんこう)がある。庚申講は、干支の庚申(かのえさる)の夜に人々が集まり、眠らずに夜を明かす「庚申待ち」を核とする講である。その背景には、庚申の夜に体内の虫が天に昇って人の罪を告げるという道教由来の信仰があったとされ、夜籠りには、この虫を昇らせないという意味が伝えられてきた。庚申講は、信仰の場であると同時に、村人が定期的に一堂に会する寄合の機能をあわせもっていた。信心を名目としながら、実際には共同体の結束を保つ集まりとして働いた点に、講という民俗の二重性がよく表れている。
講をこの総合のなかに置くと、暦・祭礼・口承との接続が見えてくる。庚申待ちが定期的に巡ってくる点で、講は暦の相と重なる。恵比須講が生業の神を祀る点で、講は祭礼の相と生業とを媒介する。そして講の場で交わされる世間話や言い伝えは、昔ばなしが伝わる口承の場ともなりうる。講は、他の三相を人の集まりという形で束ねる結節点にあたる。福田における具体像は今後の課題として残るが、諸相を貫く構造を論じるうえで、講という相を欠かすことはできない。
5. 祭礼 ── 白酒祭とお札、村の非日常
第三の相は祭礼である。祭礼は、年に一度あるいは数度、村の時間を非日常へと切り替える大きな区切りであり、暦のなかでも最も密度の高い結節点にあたる。ここでは、既刊各論が扱った二つの対象──中野白山神社の白酒祭と、幕末のお札降り──を手がかりに、祭礼という相を検討する。
白酒祭は、収穫と祭礼と生業が一つに結ばれる好例である。その年の新米から仕込んだ濁り酒を神前に供えるという所作は、稲作という生業の成果を神に返す収穫儀礼にほかならない。地区から選ばれた3人の杜氏が約1か月前から仕込むという次第は、祭礼が村の分業と当番の制度に支えられていたことを示す2。神に献じた濁り酒を人々が分かち合う直会は、神と人、そして人と人とを一つの飲食で結ぶ場であった。第194号が濁酒神事・新嘗・直会という枠組みで読んだこの祭礼は、暦(秋)・生業(稲作)・共同体(杜氏の当番)が祭礼という一点で交わる様を、よく示している。
一方、お札降りは、祭礼という相のもつ別の側面──統御された非日常が、時に統御を超えて噴き出す局面──を照らす。第244号が論じたとおり、慶応3年秋の「お札降り」は、伊勢神宮などの御札が天から降ったとされ、人々が祭壇を設けて「ええじゃないか」と乱舞した幕末の民衆運動であった。定例の祭礼が暦に従って繰り返される統御された非日常であるのに対し、お札降りは暦の外から突発した非日常である。だが両者は無縁ではない。祭壇を設け、供物を供え、群れて踊るという所作の型は、日常の祭礼が用意していた身体の作法を下敷きにしている。非日常の噴出も、まったくの無からは生じない。
ここで史料批判上の一点を強調しておきたい。第244号が注意を促したように、見付天神で神事として行われる「お札ふり」と、幕末の民衆運動としての「お札降り」とは、名称が酷似するが別個の事象である。前者は祭礼の次第に組み込まれた統御された所作であり、後者は暦の外で突発した運動である。この二つを名称の近さゆえに同一視すれば、祭礼の相そのものを読み誤る。名称の類似に惑わされず、事象の性格によって腑分けするこの手続きは、祭礼を史料として扱うときの基本であり、次章で扱う口承の史料批判とも通じる。
祭礼を確度の層で腑分けすれば、次のようになる。白酒祭が10月第1日曜に行われている事実、お札降りが慶応3年に各地で記録された事実は、それぞれ史実として扱える。他方、白酒祭の由来を疫病退散や神託に説く物語、お札降りの伝播の因果をめぐる解釈は、伝承ないし推定の層にとどまる。祭礼は目に見える所作の集積であるだけに史実として確定しやすいが、その所作に与えられた意味づけは、なお慎重な留保を要する。
6. 口承 ── 昔ばなしと語りが伝えるもの
第四の相は口承、すなわち昔ばなしと語りの文化である。第182号が扱ったように、福田町教育委員会『年中行事と昔ばなし』(1987年)には、太田川の洪水に材をとる「村を救った八衛門」や、中野の堤防に人柱となった者を悼む「五輪さま」など、災害と犠牲の記憶を核とする伝承が収められている。これらは、暦・講・祭礼が行為として伝わるのに対し、言葉として伝わる民俗である。
口承の相を総合のなかに置くとき、まず確認すべきは、昔ばなしが何を伝え、何を伝えないかである。第182号が論じたとおり、昔ばなしは、いつ何が起きたかを年代とともに記録するのではなく、土地が何を恐れ、何を尊び、何を子孫へ手渡そうとしたかを、覚えやすい物語のかたちに畳み込んで伝える。したがってその史料的価値は、話に語られた出来事の史実性そのものよりも、語られ方のうちに宿る。八衛門譚が洪水の記憶を、五輪さま譚が治水の犠牲の記憶を伝えるとき、そこで史料として読むべきは、事件の年月日ではなく、太田川という川に対して村が抱いてきた恐れと祈りの構造である。
口承は、他の三相の由来を支える基盤でもある。祭礼の由来譚、行事の起こりを説く言い伝え、講の背後にある信仰の物語は、いずれも口承として伝えられる。白酒祭の疫病退散の由来も、年始回りの成立の言い伝えも、その多くは文字ではなく声によって受け継がれてきた。とすれば、暦・講・祭礼の「なぜ」を問うたときに立ち上がってくるのは、つねに口承の層である。行事という行為の骨格が史実として確定できるのに対し、その行為を意味づける物語は口承=伝承の層にとどまる。この構造こそ、本稿が繰り返し腑分けしてきた「行事は史実、由来は伝承」という区別の、民俗的な裏づけにほかならない。
口承を史料として扱うときの限界も、ここで確認しておく。声は、語られるたびにわずかに姿を変える。同じ昔ばなしでも、語り手によって細部が異なり、時代によって強調される点が移る。したがって、いま採集された一つの話型を、そのまま古い時代の原型と見なすことはできない。口承の史料批判は、話の真偽を裁定することではなく、語りがどのように変化し、何を核として保存してきたかを読むことにある。この点は、次章で論じる聞き書き資料一般の性格と、深く関わっている。
7. 信仰と生業・共同体の対応 ── 諸相を貫く構造
ここまで暦・講・祭礼・口承の四相を順に見てきた。本章では、これらを貫く一本の軸──村の信仰が生業と共同体にどう結びつくか──を取り出す。四相はばらばらに存在するのではなく、生業と共同体という二つの現実に根を下ろすことで、一つの民俗の体系をなしている。
まず生業との対応である。福田の生業は、漁・農・織を柱としてきた。この生業の局面のそれぞれに、信仰の相が対応する。漁と商いには恵比須講が、稲作の収穫には白酒祭や年中行事の収穫儀礼が、そして生業を脅かす太田川の水害には昔ばなしと治水の記憶が、それぞれ結びつく。信仰は生業から独立した観念ではなく、生業の不安と願いが形をとったものであった。海の無事を願い、稲の実りを神に返し、洪水の記憶を語り継ぐ──これらはすべて、生業を営む者が生業の危うさと向き合うための、民俗的な装置である。
次に共同体との対応である。四相はいずれも、人が集まることで初めて成り立つ。年始回りは班という単位を一戸ずつ巡ることで村を編み直し、白酒祭は杜氏の当番という分業に支えられ、講は寄合として人を横に結び、昔ばなしは語りの場という寄り合いを必要とする。信仰は、個人の内面にとどまるものではなく、共同体を定期的に確認し、締め直す働きをもっていた。誰が当番を務め、誰が班を巡り、誰が講に集うか──こうした役の配分そのものが、村の社会組織を可視化し、維持していた。
この対応を、外向きと内向きという第269号の軸に重ねると、さらに見通しがよくなる。収穫を神に返す外向きの祈りは、村全体を単位とする共同性に対応し、家や屋敷の神を祀り直す内向きの祈りは、家という単位に対応する。祭礼と講が主に村の共同性を扱うのに対し、年中行事の一部と口承は家の記憶を扱う。信仰は、村と家という二つの単位のあいだを、外向きと内向きの祈りとして往復していた。以下の比較表は、四相それぞれが、確度の層・生業との対応・共同体との対応・依拠する史料において、どのように位置づけられるかを一覧したものである。
| 諸相 | 史実として確定できること | 生業との対応 | 共同体との対応 | 由来・意味づけの確度 |
|---|---|---|---|---|
| 暦(年中行事) | 行事日・次第(聞き書き・指定情報) | 漁・農・織のリズムと連動 | 村と家の二単位を交互に締める | 行事日の起源は多く未確認(伝承) |
| 講 | 講という民俗の一般的性格 | 恵比須=漁・商い、庚申=夜籠り | 寄合として人を横に結ぶ | 福田固有の事例は未確認 |
| 祭礼 | 白酒祭の次第、お札降りの記録年 | 収穫を神に返す・生業の不安の噴出 | 当番・分業に支えられる | 由来譚・伝播の因果は伝承・推定 |
| 口承(昔ばなし) | 採集された話型の存在(1987年) | 水害など生業の危険の記憶 | 語りの場という寄り合い | 語られた出来事の史実性は留保 |
この表から読み取れるのは、四相が確度の層を異にしながらも、生業と共同体という同じ二つの現実に接続しているという構造である。史実として確定できる範囲は相によって異なる。祭礼の次第や指定情報は確度が高く、講の福田固有の事例や昔ばなしの出来事の史実性は留保が要る。だが、確度の高低にかかわらず、四相はいずれも生業の不安と共同体の維持という同一の課題に応える営みであった。信仰を生業・共同体から切り離して観念だけを取り出すのではなく、生業と共同体の現実のなかに信仰を置き直すこと──それが、諸相を貫く構造を読むということである。
8. 史料批判 ── 聞き書きと伝承の性格と限界
諸相の総合を支えているのは、聞き書き資料と伝承である。第269号・第182号がともに依拠した福田町教育委員会『年中行事と昔ばなし』(1987年)に代表される聞き書き冊子は、民俗を記録した貴重な資料であると同時に、固有の性格と限界をもつ5。本章では、この史料の性格を方法として明示する。
聞き書き資料は、体験そのものの記録ではなく、体験を経験した者の記憶を、後年、聞き手が言葉に写し取ったものである。したがってそこには、いくつもの媒介が介在する。行事を営んだ体験は、まず担い手の記憶となり、記憶は語りとして口承され、口承は聞き手によって選ばれて記録され、記録は編集されて冊子となる。この各段階で、情報は取捨され、整えられ、時に脱落する。聞き書き資料を読むとは、この媒介の連鎖を意識しながら、記録の背後にある元の民俗を推し量ることにほかならない。
この媒介の連鎖は、確度の減衰として理解できる。冊子に「行事が行われた」と記録されていることは、その行事の存在を示す史実として、比較的高い確度で扱える。だが、冊子に「この行事はこういう由来で始まった」と記録されていても、その由来が史実である保証はない。記録されているのは、あくまで「そう語られていた」という事実であって、語られた内容の真偽は別の問題である。聞き書き資料の史料批判とは、記録された事実(そう語られていたこと)と、語られた内容の史実性とを、峻別することにある。
ここで、本稿が一貫して用いてきた二つの区別を、あらためて明示しておく。第一は「未確認」と「記載なし」の区別である。ある事柄について一次史料に突き当たっていない状態(未確認)と、史料を博捜したうえでその事柄が記されていないと確認できる状態(記載なし)とは、まったく異なる。前者は今後の調査で解消されうる筆者側の限界であり、後者は史料そのものの性質である。年始回りの由来や講の福田固有の事例を本稿が「未確認」と記すのは、それらが存在しないという主張ではなく、筆者がまだ一次史料に届いていないという状態の表明である。
第二は、史実・通説・推定・伝承という確度の四層の書き分けである。史料で確認できることは史実として、学界で広く支持されるが一点で確定しがたいことは通説として、根拠はあるが未確定のことは推定として、地域で語り継がれてきたことは伝承として、それぞれ語の水準で区別する。この書き分けを保つことで、確度の異なる情報を同じ平面に並べて読者を誤らせる事態を避けられる。伝承を史実の劣位に置いて切り捨てるのでもなく、伝承を史実であるかのように語るのでもない。それぞれの層の資料を、その層にふさわしい仕方で扱うことが、民俗を史料として扱う作法である。
9. 結論 ── 民俗をどう史料として扱うか
本稿は、福田の民俗と信仰を扱った五つの既刊各論を先行研究として整理し、暦・講・祭礼・口承という四つの諸相を横断して総合した。得られた見取り図は次のとおりである。四相は互いに独立した事象ではなく、生業(漁・農・織)と共同体(当番・班・寄合)という二つの現実に根を下ろすことで、一つの民俗の体系をなしている。信仰は、生業の不安と願いが形をとったものであり、同時に共同体を定期的に締め直す働きをもっていた。暦がその時間軸を、講が結社の相を、祭礼が非日常の結節点を、口承が意味づけの基盤を、それぞれ担う。
この総合を通じて一貫して保ってきたのは、「行事は史実、由来は伝承」という腑分けである。行事がいま・かつて行われているという事実は、聞き書きや指定情報によって史実として確定できる。だが、その行事の由来や意味づけは、多くの場合、口承=伝承の層にとどまる。この二つを混同せず、確度の異なる情報を同じ平面に並べないこと。「未確認」と「記載なし」を区別し、伝承を史実の劣位に置かず、推定を確定説と偽らないこと。これが、本稿が五論から取り出し、方法として明示した民俗の扱い方である。
したがって本稿の立場は明確である。民俗を史料として扱うとは、その真偽を一つひとつ裁定して正解を選び出す作業ではなく、それぞれの相・それぞれの語りが、どの確度の層に属し、生業と共同体のどの局面に結びつくかを、丁寧に位置づけていく作業である。起源や由来を一つに確定する誘惑を退け、確度の層を保ったまま資料を積み上げていくこと──その禁欲的な手続きこそが、失われつつある福田の民俗を、後世の調べものに耐える形で書き留める方途であると考える。
最後に、本稿が残した課題を明記しておく。第一に、講の福田固有の事例──恵比須講や庚申講が福田で具体的にどう営まれたか──は、本稿では未確認にとどまった。地方文書や新たな聞き書きによって、この未確認を史実へ押し上げる余地がある。第二に、暦・祭礼の由来をめぐる口承は、他地域の類例と系統的に比較することで、伝承の変化の筋道をより精確に描きうる。第三に、聞き書き資料そのものの成立過程──誰が、いつ、どのように採集し編集したか──を検証することは、資料の確度をさらに精緻に見積もる基礎となる。これらはいずれも、本稿が示した四層の腑分けと四相の総合という枠組みのなかで、未確認を史実へ、推定を通説へと押し上げていく、地道な作業に属する。諸相を貫く構造の全体像は、その積み重ねの先に、少しずつ像を結んでいくはずである。
注
- 福田の年中行事と信仰暦の総合的整理については、大石浩之「一年を編む祈り ── 福田の年中行事と信仰暦を総合する」(大石浩之の磐田論考 第269号)による。漁・農・織の生業リズム、外向き・内向きの祈り、ハレとケの循環という三軸は同論に負う。↩
- 白酒祭の次第(10月第1日曜の例祭、地区から選ばれた3人の杜氏による約1か月前からの仕込み、投餅)は市指定無形民俗文化財の公開資料および大石浩之「中野白山神社の白酒祭を読む」(第194号)による。由来譚は伝承の層として扱う。↩
- 氏神様の年始回り(豊浜・三嶋神社、毎年1月13日、市指定無形民俗文化財、保持団体=三嶋神社禰宜番)の作法は公開資料および第199号による。由来・成立年代は未確認とする。↩
- 恵比須講・庚申講の一般的性格については民俗学の概説による。福田固有の事例は本稿の調査範囲では未確認であり、「史料に記載がない(記載なし)」ことと区別する。↩
- 『年中行事と昔ばなし』は福田町教育委員会が1987年に刊行した聞き書き資料で、「村を救った八衛門」「五輪さま」等を収める。史料としての性格は大石浩之「福田の昔ばなしと語りの文化」(第182号)に詳しい。↩
付記:本稿は既刊各論(第269号・第194号・第199号・第244号・第182号)を先行研究として横断的に総合したレビュー論考である。行事の記録・指定情報を史実、由来・意味づけの語りを伝承として腑分けし、「未確認」(一次史料に突き当たっていない)と「記載なし」(史料に無い)を一貫して区別した。福田固有の講の事例など未確認の事項は、存在の否定ではなく調査上の限界の表明である。
参考文献・参考資料
- 大石浩之「一年を編む祈り ── 福田の年中行事と信仰暦を総合する」大石浩之の磐田論考 第269号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/269/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 大石浩之「中野白山神社の白酒祭を読む ── 濁り酒が結ぶ村と神」大石浩之の磐田論考 第194号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/194/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 大石浩之「氏神様の年始回りを読む ── 無形民俗文化財としての正月儀礼」大石浩之の磐田論考 第199号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/199/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 大石浩之「各地に広がったお札降りと遠州 ── 『ええじゃないか』前夜の民衆世界」大石浩之の磐田論考 第244号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/244/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 大石浩之「福田の昔ばなしと語りの文化 ── 伝承を地域史として読む方法」大石浩之の磐田論考 第182号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/182/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 福田町教育委員会『年中行事と昔ばなし』福田町、1987年。
- 柳田国男『年中行事覚書』(『定本柳田国男集』所収)筑摩書房。
- 和歌森太郎『年中行事』至文堂、1957年。
- 桜井徳太郎『講集団成立過程の研究』吉川弘文館、1962年。
- 宮田登『日本の民俗学』講談社、ほか同著者の民俗宗教論。
- 磐田市『磐田市史』通史編(民俗の章)磐田市。
- 静岡県『静岡県史』別編・民俗編、静岡県。
- 文化庁「国指定文化財等データベース」および静岡県・磐田市の指定無形民俗文化財に関する公開情報 https://kunishitei.bunka.go.jp/ (最終閲覧:2026年7月26日)。