失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語 / 日清・日露戦争と磐田
磐田共通 | 近代・戦争の記憶

日清・日露戦争と磐田 ──
忠魂碑が建てられた時代

磐田物語の戦争・平和特集は、太平洋戦争の記憶を39人の証言で記録した。しかし、村の若者が国家の戦争へ送られる時代は、その半世紀前に始まっている。日清戦争と日露戦争 ── 村々に忠魂碑が建ち始めたこの時代の磐田を、制度と碑の側からたどる。

徴兵制 ── 村と国家を結んだ新しい義務

明治6年(1873年)の徴兵令は、士族に限らず国民全体に兵役の義務を課した。江戸時代の村人にとって、戦は原則として武士の仕事であり、長州征伐のときの見付宿のように、村の負担はもっぱら人馬と物資の提供だった。徴兵制はこれを根本から変え、磐田の農家の次男坊・三男坊が、検査を受け、兵営に入り、大陸の戦場へ送られる時代が始まった。徴兵検査は戸長役場・町村役場の重要な仕事となり、兵事係の帳簿が村の若者の運命を記録するようになる。

日清戦争から日露戦争へ

明治27〜28年(1894〜95年)の日清戦争は、徴兵制世代が経験した最初の対外戦争だった。そして明治37〜38年(1904〜05年)の日露戦争は、その規模を桁違いに拡大させる。全国で100万人を超える兵力が動員され、戦死者は8万人余に達した。磐田の町村からも多くの男たちが出征し、帰らなかった者がいた。大正期の村の政治を扱った別稿に描かれる「在郷軍人会」や「戦友会」といった組織は、この日露戦争世代が村に持ち帰ったものである。戦争は、遠い出来事ではなく、村の人間関係と行事のなかに組み込まれていった。

確認できること・できないこと
徴兵令(明治6年)、日清・日露戦争の概要、忠魂碑という石造物の一般的な性格、磐田市の慰霊碑が明治以来の戦没者1,617柱等を祀り昭和53年(1978年)に再建されたことは、公的資料で確認できる。一方、磐田市域の日清・日露戦争の出征者数・戦没者数の内訳、市域内の個々の忠魂碑の建立年・所在の網羅は、今回の調査では確認できておらず、今後の掘り起こし課題である。

忠魂碑 ── 村が建てた戦争の記憶装置

日露戦争のあと、全国の村々に一斉に建てられたのが「忠魂碑(ちゅうこんひ)」である。地域出身の戦没者の霊を顕彰する石碑で、日清戦争後から現れ、日露戦争後に一般化した。多くは学校の校庭や神社の境内、村を見下ろす高台に建てられ、碑の背面や台座に戦没者の名が刻まれた。在郷軍人会が建立を担い、招魂祭には村人と学童が参列する ── 忠魂碑は、単なる石ではなく、村が戦争と戦没者をどう記憶するかを形にした装置だった。庚申塔や道祖神が村の内側の祈りの石だとすれば、忠魂碑は国家と村を結ぶ、近代ならではの石造物である。磐田市域の各地区にも忠魂碑・慰霊碑が残るが、その全体像の調査は、災害伝承碑と同じく、これからの宿題として残されている。

1,617柱 ── 磐田の碑が刻む数字

磐田市には、明治以来の戦争で帰らなかった1,617柱と、戦禍に倒れた学徒・勤労者ら218名を祀る慰霊碑があり、昭和53年(1978年)、市制30周年を機に再建されている。1,617という数字には、太平洋戦争の犠牲者とともに、日清・日露以来の戦没者が含まれている。非核平和都市宣言に至る磐田の慰霊の営みは、昭和の戦争だけでなく、明治の二つの戦争から数え始められているのである。碑の前に立つとき、その数字の最初の一人が日清戦争の兵士だったかもしれないことを、思い出しておきたい。

日清・日露と磐田 ── 関連年表

出来事
明治6年(1873)徴兵令。国民皆兵の時代へ
明治27〜28年(1894〜95)日清戦争。徴兵制世代最初の対外戦争
明治37〜38年(1904〜05)日露戦争。動員100万人超・戦死8万人余。磐田の町村からも出征
明治末〜大正各地に忠魂碑建立、在郷軍人会結成。招魂祭が村の行事に
昭和53年(1978)磐田市慰霊碑再建。明治以来の戦没者1,617柱等を祀る

記録の空白を埋めるために

太平洋戦争については、市民39人の証言という得がたい記録が残された。しかし日清・日露の磐田については、体験者はすでになく、村の兵事書類・従軍日記・碑文だけが手がかりである。どの神社の境内に、どの学校の跡地に、忠魂碑が立っているか。台座の名簿に、どの家の名が刻まれているか ── それを一基ずつ記録することが、磐田物語がこのテーマで次にやるべき仕事だと考えている。

主な参考資料

磐田市域の日清・日露の出征・戦没の内訳、個々の忠魂碑の所在は未調査であり、本文中で課題として明示している。

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この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料をもとに、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。