失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語大石浩之の磐田論考 / 掛塚祭の竹馬を読む

磐田郷土史研究紀要

大石浩之の磐田論考 第175号(掛塚まつり研究 三)

掛塚祭の竹馬を読む

祭具が伝える湊まちの子どもと通過儀礼 ── 「未確認」と「記載なし」を分けて読む

大石浩之1

1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役

公開日
2026.07.26
資料検証
公開資料による検証済み
対象地区
磐田市掛塚(竜洋地区)

要旨

掛塚の貴船神社例祭「掛塚まつり」に伝わる市指定無形民俗文化財「掛塚祭竹馬(かけつかまつりたけうま)」は、令和6年(2024年)に指定された比較的新しい登録である一方、その名称・成立年代・由来には未解明の部分が多い。本稿は、竹馬を「祭役」であると同時に「竹馬(たけうま)という祭具・行事」として読み、湊まち掛塚の子どもと年齢集団・通過儀礼という視点からその位置づけを検討する。方法としては、指定情報や記録された役の姿を史実として確定する一方、名の由来や継承の起点を「未確認」の層に置き、これを史料に「記載がない」ことと厳密に区別する。竹馬という語が子どもの遊具を想起させながら、実際の役は若者が担うとされる齟齬を手がかりに、祭役の継承が果たしうる通過儀礼的機能を、民俗学の一般的知見を補助線として仮説の水準で提示する。素材が薄いことを逆手にとり、確度の腑分けそのものを論の骨格に据える立場をとる。

キーワード:掛塚祭竹馬/貴船神社/祭具/年齢集団/通過儀礼/未確認と記載なし/掛塚湊

1. 問題設定 ── 「竹馬」という名がひらく問い

掛塚祭竹馬は、天竜川河口の湊まち掛塚に鎮座する貴船神社の例祭「掛塚まつり」のなかで継承されてきた民俗であり、令和6年(2024年)4月30日に磐田市の無形民俗文化財に指定された1。指定の事実、文化財名、所在地、指定年月日は、公開された行政資料によって確認できる。この範囲は史実として扱ってよい。ところが、その名称の由来へ一歩踏み込むと、途端に確かなことが乏しくなる。なぜこの民俗が「竹馬」と呼ばれるのか、その呼称と行事の形がいつ結びついたのか、これらを直接に記す一次史料に、筆者は管見の限り突き当たっていない。

本稿の出発点は、この「竹馬」という名がはらむ齟齬にある。日常の語感において竹馬(たけうま)といえば、子どもが二本の竹に乗って歩く遊具、あるいは竹に馬の頭を模した作り物を付けて跨ぐ玩具を指すのが普通である。いずれも子どもの遊びと結びついた語である。ところが掛塚まつりで竹馬と呼ばれる役は、記録される限りでは天狗の面をかぶり、竹のササラ状の道具を手にして神幸行列の先頭を歩み、辻ごとに地を打ち鳴らして道を清める、猿田彦になぞらえられる役どころであるとされる。子どもの遊具を想起させる名と、道を祓い清める神事の役とのあいだには、そのままでは埋まらない距離がある。

この距離を、資料の不足として嘆くのではなく、読解の入口として使うのが本稿の企図である。名と実が食い違って見えるとき、そこには、行事が歩んできた時間の層が畳み込まれている可能性がある。名だけが古い記憶を残し、実の方が変わったのかもしれない。いずれにせよ、その判定には史料が要る。そして、その史料がいま手元にないのであれば、無いことを無いままに記し、埋められない空白を憶測で埋めない態度が求められる。

ここで、本稿が全体を通じて保持する方法上の区別を先に示しておきたい。それは「未確認」と「記載なし」の区別である。「未確認」とは、管見の限り、その事柄を裏づける一次史料に筆者が突き当たっていない状態を指す。「記載なし」とは、参照した史料のなかに、その事柄が記されていないことを指す。前者は筆者の探索の限界に関わる叙述であり、後者は史料そのものの内容に関わる叙述である。両者はしばしば混同されるが、地域史の記述においては、この二つを分けて書くかどうかが、叙述の誠実さを左右する。竹馬の由来を「不詳」と書くとき、それが「調べたが史料に無かった」のか「まだ調べ尽くしていない」のかで、次の研究に手渡すべき情報はまったく異なる。

以下では、まず記録によって確認できる範囲を確定し(第2節)、続いて「竹馬」という祭具・名称の両義性を読み(第3節)、担い手としての若者と年齢集団(第4節)、祭役が果たしうる通過儀礼的機能(第5節)を順に検討する。そのうえで確度の層を腑分けし(第6節)、湊まちという背景に置き直して(第7節)、結論に至る。素材が薄い主題であるからこそ、事実を創作せず、確かめられたことと確かめられていないことの境界線を、できるだけ細く正確に引くことを心がける。

神幸行列の空間 ── 竹馬は列の先頭を歩む 竹馬 道を清める 神輿 渡御の中心 囃子 県指定・無形 屋台(9町) 市指定・有形 列の先頭で道を祓う役が「竹馬」。神輿・囃子・屋台とは別の層の神事を担う。 ※進行方向・配置は記録に基づく模式表現であり、実際の列次第を厳密に写すものではない。
図1 掛塚まつりの神幸行列における竹馬の位置(模式図)。竹馬は列の先頭で道を清める役とされ、神輿・囃子・屋台とは異なる層の神事を担う。配置は概念図であり、当日の次第を厳密に再現するものではない。

2. 史料・記録で確認できること

読解を始める前に、確かな足場を固めておく。掛塚祭竹馬について、公開資料から史実として確認できるのは、次の事項である。第一に、これが磐田市の指定する無形民俗文化財であること。第二に、文化財名が「掛塚祭竹馬」であること。第三に、所在地が掛塚であること。第四に、指定年月日が令和6年(2024年)4月30日であること。これらは行政の広報資料に基づく事実情報であり、本稿はこの範囲を動かさない1。指定という制度上の事実は、行事の古さそのものを保証しないが、その行事が保存継承に値すると公的に認められた段階を示す点で、記述の確かな起点になる。

竹馬が営まれる母体である掛塚まつりについても、確認できる輪郭がある。掛塚まつりは、掛塚の貴船神社の例祭で、毎年10月に行われる。掛塚地区の複数の町内がそれぞれ屋台を持ち出し、絢爛な屋台が町を練る祭礼として知られる。屋台に伴う掛塚祭屋台囃子は静岡県指定の無形民俗文化財であり、屋台そのものは磐田市の有形民俗文化財に指定されている。竹馬は、こうした屋台や囃子とは層を異にし、神輿の渡御に先立って道を清める神事の役どころに位置づけられる。この点は、当シリーズの既刊である掛塚祭屋台囃子の論考(第167号)および掛塚の御神輿の論考(第140号)と読み合わせることで、祭礼を構成する諸要素の分業として見通しやすくなる。

竹馬という役の具体的な姿については、地域の紹介や一般向けの記録が伝えるところがある2。それによれば、竹馬は天狗の面をかぶり、竹でできたササラ状の道具を手にした者が、猿田彦になぞらえられる存在として神幸行列の先頭を歩み、辻ごとに地面を打ち鳴らして渡御の道筋の穢れを祓う役とされる。あわせて、新しい馬を引き出す習俗と、ササラで道を清める習俗とが一体になった形の行事であるとも伝えられる。これらの記述は、竹馬が「道を清める露払い」と「馬に関わる所作」という二つの要素を含むことを示している。

ただし、ここで史料の性格を選り分けておく必要がある。役の姿を伝えるこれらの記述は、行事の当事者が現場で残した一次記録というより、外部の観察や紹介の水準にあるものが多い。したがって、そこに描かれた所作を、そのまま古い時代の形とみなすことはできない。所作の細部が近年整えられたものなのか、古くから続くものなのかを判別するには、より遡る記録の博捜が要る。現時点で言えるのは、「現在このように営まれ、また営まれてきたと語られている」という現況と伝承の水準までであって、「この形が近世以来変わらず続いてきた」と断ずる根拠は、本稿の範囲では未確認である。

もう一点、担い手についても記録と伝承を分けておく。竹馬役を、掛塚の町内のうち特定の一町が江戸時代から一貫して担ってきたと伝えられている。しかし、この「江戸時代から一貫して」という継承の連続性を、年紀を追って裏づける一次史料には、筆者は突き当たっていない。担い手の町内名を含め、この点は伝承の層に置き、記録による確認は今後の課題とする。以上を整理すると、確かなのは指定に関わる事項と、祭礼全体のなかでの竹馬の大まかな位置であり、名の由来・成立年代・継承の起点は、いずれも確定にはほど遠い。この確度の落差こそが、本稿が扱う素材の性格である。

3. 「竹馬」という祭具 ── 名称と道具の両義性

竹馬という名を、祭具・行事の名として正面から読んでみる。この語は、少なくとも三つの像を同時に呼び起こす。第一は、子どもが二本の竹に足がかりを付けて乗り歩く遊具としての竹馬。第二は、竹の棒の先に馬の頭を付け、股に挟んで駆ける「春駒(はるこま)」の類、すなわち馬に見立てた作り物としての竹馬。第三は、掛塚まつりで現に用いられている、天狗面とササラを伴う露払いの役としての竹馬である。前二者は一般語彙に属し、第三は掛塚固有の用法である。問題は、この三つがどのように結びつくのか、あるいは結びつかないのか、という点にある。

民俗の語彙として見れば、竹馬・春駒の類が単なる遊具にとどまらなかった例は、各地に広く知られている3。馬を模した作り物は、年頭の予祝や、疫を送り出す送り物の所作と結びついて用いられることがあり、子どもの手に握られた竹の馬が、共同体の願いや祓いを担う場面は珍しくない。遊びと呪術、子どもと祭りの境が、いまほど画然と分かれていなかった時代の名残が、こうした民俗語彙にはしばしば畳み込まれている。この一般的な知見を補助線として置くと、掛塚の竹馬が「馬を引き出す所作」と「道を清める所作」を併せ持つと伝えられることは、それ自体としては、馬の作り物と祓いの機能が結びつく広い民俗の圏内に収まる現象として理解しうる。

もっとも、ここで慎重でなければならない。一般的な民俗語彙の傾向は、掛塚の竹馬がまさにそうであることを証明しない。「馬を模した祭具が祓いに用いられる例が各地にある」という命題と、「掛塚の竹馬がその系譜に属する」という命題は、論理の水準が異なる。前者は補助線であって、後者を導く証拠ではない。掛塚の竹馬の名が、遊具の竹馬に由来するのか、春駒の馬の作り物に由来するのか、それとも露払いに用いる竹のササラや、渡御に関わる馬そのものに由来するのかは、いずれも仮説の域を出ない。名の由来をこの三択のいずれかに定める一次史料は、本稿の範囲では未確認である。

それでも、この名称の両義性は、行事を読むうえで無駄ではない。名が遊具の竹馬を想起させるという事実は、たとえ由来が別にあったとしても、この行事が「子ども」という主題と切り離せない場所に立っていることを指し示す。祭具の名が子どもの遊びを含意し、実の役は祓いの神事を担う──この二重性のなかに、湊まちの祭礼が子どもや若者をどのように祭りへ組み込んできたかを読む糸口がある。名は、実態そのものではないが、共同体がその行事に何を重ねて記憶してきたかの痕跡ではある。竹馬という名を残してきたこと自体が、この行事と子ども・若さのイメージとの結びつきを、細いながらも伝えている。あわせて、祭具が竹という河口の湊まちで手に入りやすい素材で作られることは、この行事が高価な材を要さず、町内の手で毎年こしらえ直せる規模のものであったことを示しており、行事が日常の暮らしの延長線上で維持されてきたことと無縁ではない。

「竹馬」という語がひらく三つの像 遊具の竹馬 子どもの遊び 馬の作り物 春駒・予祝・送り 掛塚の竹馬役 天狗面・ササラ・道清め 結びつきは仮説(由来を定める一次史料は未確認) 名は子どもの遊びを含意し、実の役は祓いの神事を担う。この両義性が読解の糸口になる。
図2 「竹馬」という語の両義性。遊具・馬の作り物・掛塚の祭役という三つの像は連続しうるが、三者を結ぶ由来を確定する一次史料は本稿の範囲では未確認である。

4. 担い手と年齢集団 ── 若者という位置

竹馬を読むもう一つの軸は、それを担う人である。記録される限り、竹馬役は「若者」が務めるとされる。天狗の面をかぶり、行列の先頭で道を祓うこの役は、体力と身のこなしを要し、また共同体のなかで一定の信を置かれた者に託される役どころであったと考えられる。ここで「若者」という語に注目したい。祭礼の役が年齢によって割り振られるという仕組みは、日本各地の祭りに広く見られるものであり4、掛塚の竹馬をこの一般的な構図のなかに置いて考えることには、一定の見込みがある。

民俗学が積み重ねてきた年齢集団の研究によれば、かつての村や町では、人は生涯を通じて子ども組・若者組・年寄といった年齢に応じた集団を移り渡り、そのそれぞれが祭礼のなかで固有の役を担った。子どもには子どもの役があり、若者には若者の役があり、年配の者には差配や祭祀の中枢が委ねられる。祭礼は、こうした年齢集団の階梯を、毎年目に見える形で確認し直す場でもあった。誰がどの役を務めるかは、その人が共同体のなかでいまどの段階にいるかを、周囲に対して表示する行為でもあったのである。この一般的な知見を掛塚に当てはめてみると、竹馬という露払いの重い役を若者が担うことは、若者組がその祭礼で果たすべき中心的な務めの一つであった可能性を考えさせる。

ただし、ここでも補助線と実証の区別を崩してはならない。「年齢集団が祭役を分担するのは一般的である」ことと、「掛塚の竹馬がまさに若者組の役として制度化されていた」こととは、別の水準の主張である。掛塚に、他地域で報告されるような明確な若者組の組織があったのか、竹馬役がその組織のなかでどう位置づけられ、どのような手続きで次の世代へ受け渡されたのか──これらを具体的に記した史料に、筆者は突き当たっていない。したがって、竹馬役を若者組の通過儀礼として断定することはできない。ここで言えるのは、竹馬が若者に担われるとされること、そして年齢集団と祭役の一般的な結びつきに照らせば、それが年齢に応じた役割分担の一環であった蓋然性は認めうる、という推定の水準までである。

この推定を、名称の側から補強することはできる。第3節で見たように、竹馬という語は子どもの遊びを含意していた。もし竹馬という行事が、かつて子どもや年少の者の関与を含んでいたとすれば、名が遊具を想起させることと、役が若者に担われることとは、年齢集団の階梯という一本の筋で結びつく。すなわち、竹馬の名がより年少の側の記憶を、竹馬の役がより年長の若者の実態を、それぞれ別の局面で保存している、という読み方が成り立つ。これは魅力的な仮説であるが、あくまで仮説である。名の由来が未確認である以上、この読みも確定はできない。

担い手をめぐる叙述で、もう一つ確認しておくべきことがある。祭役の継承は、単に個人の能力の問題ではなく、町内という集団の面子と責任に関わる。特定の町内が竹馬役を代々担ってきたと伝えられることは、その役が個人の裁量で移動するものではなく、町内という単位に結びついた務めであったことを示している。若者が竹馬役を務めることが、単なる個人的な晴れ舞台ではなく、町内という共同体のなかでの位置の確認であったとすれば、そこには通過儀礼的な機能を読み取る余地が生まれる。ただし、その具体的な作法や意味づけは、やはり記録による裏づけを欠いており、未確認の領域にとどまる。

年齢集団の階梯と祭役(一般モデルによる位置づけ) 子ども組 年少の関与 「竹馬」の名が想起 若者組 竹馬役を担うとされる 露払い・道清め 年寄・世話方 差配・祭祀の中枢 継承を見守る 図は民俗学の一般的知見による位置づけであり、掛塚に同型の組織があったことの実証ではない。 竹馬役が若者組の制度に組み込まれていたか否かは未確認。
図3 年齢集団の階梯と祭役の一般モデル。竹馬役を若者が担うとされることは、この階梯のなかに位置づけうるが、掛塚に同型の若者組が制度としてあったかは未確認である。

5. 通過儀礼としての祭役 ── 民俗学の補助線

ここまでの検討を、通過儀礼という概念を補助線にして束ねてみたい。通過儀礼とは、人が一つの状態から別の状態へ移るとき──たとえば子どもから若者へ、若者から一人前の大人へと移るとき──に営まれる儀礼の総称であり、民俗学・人類学では、分離・過渡・統合という三つの局面をもつ過程として整理されてきた5。日常の場から一度切り離され、境界的な時間を過ごし、新しい資格を得て共同体へ戻る──この三段の枠組みは、祭礼のなかで若者が担う役を読むうえで、しばしば有効な視角を与える。

祭礼の役を務めることが通過儀礼として機能する例は、各地に見られる。ある年齢に達した若者が、その年の祭りで特定の役を初めて務め、それを果たすことで一人前として共同体に承認される。役を務めるあいだ、若者は日常の身分を離れ、面や装束によって別の存在に扮し、祭りが終われば新しい位置を得て日常へ帰る。この過程は、分離・過渡・統合の三局面にきれいに対応する。掛塚の竹馬役に、この枠組みを当ててみると、いくつかの符合が目にとまる。天狗の面をかぶることは、日常の顔を隠して別の存在に扮する分離の所作と読める。行列の先頭で道を祓うあいだ、その若者は猿田彦になぞらえられる境界的な存在となる。そして祭りを終えれば、竹馬を務めあげた者として町内のなかでの位置を確かめる。面・露払い・帰還という流れは、通過儀礼の三局面と重ね合わせやすい。

この重ね合わせは示唆に富むが、ここでこそ最も強く自制が要る。三局面の枠組みは、あまりに汎用的であるがゆえに、ほとんどどんな祭役にも当てはめられてしまう。当てはまることが、掛塚の竹馬が実際に通過儀礼として機能していたことの証拠になるわけではない。掛塚において、竹馬役を務めることが、若者の人生の段階を画する明確な節目として意識されていたのか、役を務める資格や年齢の定めがあったのか、務め上げた者が何らかの新しい地位を得たのか──こうした通過儀礼の実質を裏づける証言や記録に、筆者は突き当たっていない。したがって、掛塚の竹馬を通過儀礼として断定することは、本稿の立場では避ける。

それでは、この補助線は無益なのか。そうではない。通過儀礼という視角の効用は、断定を与えることにではなく、問いを精密にすることにある。この枠組みを通すことで、竹馬について今後たしかめるべきことが具体的になる。竹馬役に就く年齢の下限や上限はあったか。役に就くための手続きや、務め上げたことを承認する場はあったか。役を務めた経験が、その後の町内での立場にどう関わったか。これらは、通過儀礼という枠組みを持たなければ立てられなかった問いである。素材が薄い主題において、理論の役割は、空白を埋めることではなく、空白の形を正確に描き出すことにある。通過儀礼という補助線は、掛塚の竹馬をめぐる未確認の領域が、どのような輪郭をもつのかを照らし出す。

もう一歩進めて、名と担い手と儀礼を一つに結んでみる。竹馬という名は子どもを含意し、その役は若者が担うとされ、その務めは通過儀礼的な機能をもちうる。この三つを重ねると、掛塚の竹馬は、湊まちの人が子どもから若者へと育ち、共同体のなかで役を得ていく過程を、毎年の祭りのなかで表示する装置であった、という仮説が像を結ぶ。祭具の名に子どもが刻まれ、その担い手に若者が立ち、その所作に一人前への移行が重ねられる。これは、素材の薄さのなかから引き出しうる、最も豊かな読みの一つである。だが繰り返せば、これは仮説であって史実ではない。本稿は、この仮説を魅力的なままに提示し、その検証を後続の課題として明記するにとどめる。

通過儀礼の三局面と竹馬役(重ね合わせは仮説) 分離 天狗の面をかぶる 日常の顔を離れる 過渡 先頭で道を祓う 境界的な存在 統合 務め上げて帰る 町内での位置を得る 三局面はほとんどの祭役に当てはまる汎用枠組みであり、当てはまること自体は実証ではない。 掛塚の竹馬が通過儀礼として機能したか否かは未確認。
図4 通過儀礼の三局面と竹馬役の対応(仮説)。面をかぶり・道を祓い・務めて帰るという流れは分離・過渡・統合に重ね合わせやすいが、この重ね合わせは実証ではなく仮説にとどまる。

6. 確度の腑分け ── 何が史実で何が未確認か

ここまでの検討で扱った事項は、確度の水準がまちまちである。それらを同じ平面に並べたままにすると、確かなことと確かでないことが溶け合い、叙述全体の信頼性が損なわれる。そこで本節では、これまでの論点を、史実・伝承・推定・未確認・記載なしという層に腑分けし、一覧の形で可視化する。表を作ることの狙いは、竹馬について「何が分かっていて、何が分かっていないか」を、読者が一目で把握できる状態にすることにある。とりわけ、「未確認」と「記載なし」の欄を分けて設けることで、本稿が方法の主題に据えた区別を、目に見える形で示したい。

表1 掛塚祭竹馬をめぐる論点の確度腑分け ── 確認できる要素・推測・伝承・未確認/記載なしの区別
論点確度の層内容本稿での扱い
市指定・文化財名・所在地・指定年月日史実(行政資料)令和6年(2024年)4月30日に磐田市の無形民俗文化財として指定。確定した事実として記述の起点に置く。
祭礼全体での位置史実に近い現況貴船神社例祭のなかで、囃子・屋台とは別に道を清める神事を担う。現況として確認できる範囲で記す。
竹馬役の姿(天狗面・ササラ・道清め)伝承・現況の記録猿田彦になぞらえ、行列先頭で辻を祓うとされる。現在語られる姿として扱い、古態か否かは判断保留。
特定町内による代々の継承伝承特定の町内が江戸時代から担ってきたと伝わる。伝承の層に置き、年紀の裏づけは求めない。
「竹馬」という名の由来未確認遊具・馬の作り物・祓いの道具など複数の可能性。由来を定める一次史料に未到達。断定しない。
年齢集団・若者組との制度的関係推定(一般知見からの見込み)年齢に応じた役割分担の一環であった蓋然性。推定として提示。掛塚固有の組織は未確認。
通過儀礼としての機能仮説(未確認)面・露払い・帰還が三局面に対応しうる。仮説として提示し、実証は後続の課題とする。
成立年代・起源未確認いつ現在の形が整ったかを記す史料。「記載なし」ではなく「未到達」として空白を残す。

この表から読み取れるのは、竹馬について確実に言えることが、指定の事実と祭礼内の大まかな位置に限られ、名称・担い手の連続性・成立年代・儀礼的意味といった、行事の核心に関わる部分の多くが、伝承・推定・未確認の層に属している、という現実である。この現実を隠さずに示すことが、本稿の第一の目的である。埋められた空白を推測でなめらかに塗り込めれば、そこに問いが残されていること自体が見えなくなり、後の研究に対してかえって害になる。

ここで、表の最下段に記した区別を改めて強調したい。竹馬の成立年代について、本稿は「記載なし」ではなく「未確認(未到達)」と記した。これは意図的な選択である。「記載なし」と書けば、それは「史料を調べたが、そこに成立年代の記載はなかった」という、調査を終えた者の断定になる。だが筆者は、掛塚の近世・近代の地方文書や祭礼記録を博捜し尽くしたわけではない。したがって正しい叙述は、「成立年代を記す一次史料に、いまだ突き当たっていない」である。この慎重さは、単なる言葉遣いの問題ではない。それは、次にこの主題を調べる者へ、「ここにはまだ探すべき史料があるかもしれない」という手がかりを残すか、「ここは調べ尽くされて何も無い」という誤った終止符を打つかの分岐である。地域史の記述において、この分岐は決定的である。

確度の層 ──「未確認」と「記載なし」を分ける 史実 ── 指定情報・祭礼内の位置(行政資料で確認) 推定 ── 年齢集団との関係(一般知見からの見込み) 伝承 ── 竹馬役の姿・特定町内の継承(地域で語り継ぐ) 仮説 ── 通過儀礼としての機能(枠組みは有効・実証は未了) 未確認 ── 名の由来・成立年代(一次史料に未到達=空白を残す) 「未確認」は探索の限界、「記載なし」は史料の内容。両者を混同しないことが方法の核。
図5 確度の層の模式図。史実から未確認までを段階的に示す。最下段の「未確認」は、史料に「記載なし」と断じることとは異なり、なお探すべき空白が残されていることを意味する。

7. 背景としての湊まち ── 掛塚と子どもの居場所

竹馬を、掛塚という土地から切り離して論じることはできない。掛塚は、天竜川の河口に開けた湊まちであり、近世から近代にかけて、上流から流し下ろされる木材やその他の産物を扱う掛塚湊として栄えた歴史をもつ。廻船問屋や材木商が経済の中心を担い、その富が祭礼の屋台や装束に反映されてきたと考えられている。掛塚まつりの絢爛さは、この湊まちの経済力の表現でもあった。竹馬という露払いの役は、その華やかな屋台の陰で、渡御の道をひそかに清める、いわば祭りの骨格を支える役どころに位置づけられる。

湊まちという環境は、子どもや若者の育ちにも独特の刻印を残す。港は、人と物と情報が出入りする場であり、水運を生業とする家々では、若い者が早くから船や荷の扱いに関わった。こうした湊まちの生活のなかで、祭礼は、子どもや若者が共同体のなかでの位置を確かめ、次の段階へと育っていく節目として働いたと考えられる。竹馬役を若者が担うとされることは、水運のまちで鍛えられた身のこなしと、共同体が若い力に託した信頼とが、祭りの先頭という目立つ場所で交わる場面であったと読める。

もっとも、ここでも推定の水準を明示しておく。湊まちの子どもや若者が竹馬役とどう関わったかを具体的に記した史料に、筆者は突き当たっていない。上に述べたのは、湊まちの一般的な生活環境と、竹馬役が若者に担われるという伝承とを重ねて導いた見込みであって、掛塚の具体的な事例として実証されたものではない。ただ、この背景を欠いたまま竹馬を論じると、それは土地から浮いた抽象的な祭具の話になってしまう。竹馬を、掛塚湊の暮らしのなかに置き直すことは、たとえ細部が未確認であっても、この行事がどのような土壌に根ざしていたかを見失わないために必要な手続きである。

祭礼が湊まちの共同体にとってもった意味を、もう一つの角度から補っておく。港を生業とするまちでは、家々の結びつきや町内の秩序が、そのまま生業の安全や商いの信用に関わった。祭礼は、そうした町内の秩序を毎年目に見える形で組み直す機会であり、どの町内がどの役を担うかは、まちのなかの序列や分業を確認する行為でもあった。特定の町内が竹馬役を代々担ってきたと伝えられることは、この分業の一端を示している。竹馬は、単独の祭具・行事であると同時に、掛塚という湊まちの町内秩序が祭礼のなかで表現される、その一つの結節点でもあった。

竜洋地区という広がりのなかで見れば、掛塚は天竜川河口の湊まちとして独自の性格をもつ一角である。地区全体の地理と歴史のなかにこの行事を置くことは、竹馬が掛塚固有の産物でありながら、より大きな地域史の文脈に連なることを見通すうえで役に立つ。掛塚まつり全体の理解と合わせて、竜洋地区の地誌や、素材となった一般向け記事である掛塚祭竹馬の紹介ページを参照することで、本稿が扱った論点を、より広い土地の記憶のなかに位置づけ直すことができる。

天竜川河口の湊まち掛塚(地理模式図) 天竜川 上流より木材 掛塚湊 廻船問屋・材木商 貴船神社 例祭=掛塚まつり 町内と竹馬役 若者が道を清める 継承の起点は未確認 河口の水運が湊まちの富を支え、その富が祭礼を彩る。竹馬はその祭礼の骨格を担う。
図6 天竜川河口の湊まち掛塚の地理模式図。上流からの木材を扱う掛塚湊の経済が祭礼を支え、貴船神社の例祭のなかで竹馬役が道を清める。町内による継承の起点は未確認である。

8. 結論 ── 未確認を未確認として残す

本稿は、掛塚祭竹馬を「祭具・行事としての竹馬」として読み、湊まちの子どもと年齢集団・通過儀礼という視点から検討してきた。得られた見取り図は次のとおりである。指定に関わる事項と、祭礼のなかでの竹馬の大まかな位置は、史実として確定できる。竹馬役の姿や特定町内による継承は、いま語られている伝承として記録できる。年齢集団との関係は、民俗学の一般的知見に照らした推定として提示できる。しかし、名の由来、成立年代、そして通過儀礼としての具体的な機能は、いずれも一次史料に突き当たっていない未確認の領域にとどまる。

この結果を、素材の薄さゆえの物足りなさと受け取るべきではない。むしろ、確かなことと確かでないことの境界線を、できるだけ正確に引けたことに、本稿の意義を置きたい。竹馬という名が子どもの遊びを含意しながら、実の役は若者の祓いの神事であるという両義性は、この行事が湊まちの人の育ちと祭りとの結び目に立っていることを、細い糸で伝えている。名に子どもが刻まれ、担い手に若者が立ち、その所作に一人前への移行が重なるという読みは、素材の薄さのなかから引き出しうる最も豊かな仮説である。だが本稿は、それを仮説として提示し、史実と偽ることをしなかった。

したがって本稿の立場は明確である。分かっていないことを分かっているかのように書かない。埋められない空白を、推測でなめらかに埋めない。そして何より、「未確認」と「記載なし」を区別する。竹馬の成立年代を「史料に記載がない」と断じることと、「成立年代を記す史料に、いまだ突き当たっていない」と記すことのあいだには、次の研究へ手渡す情報の質において、決定的な差がある。前者は探索の終止符であり、後者は探索の継続を促す標である。本稿は一貫して後者を選んだ。

最後に、この論考が残した課題を明記しておく。第一に、掛塚の近世・近代の地方文書や祭礼記録、町内に伝わる帳簿や覚書を博捜することで、竹馬役の継承の連続性や、名の由来に関わる手がかりが得られる可能性がある。第二に、竹馬役に就く年齢や手続き、務め上げた者が得た地位について、担い手や町内の記憶を丁寧に聞き取ることで、通過儀礼としての機能の有無を検証しうる。第三に、竹馬・春駒の類の民俗を掛塚周辺や遠州各地の事例と比較することで、掛塚の竹馬がどのような民俗の圏内に位置づけられるかを、より精確に描きうる。これらはいずれも、本稿が引いた未確認の境界線を、一歩ずつ史実の側へ動かしていく作業である。掛塚祭竹馬という、指定されて間もない民俗を、憶測で塗り固めるのではなく、確度の層を保ったまま次の世代の調べものへ手渡すこと──それが、この行事に対して書き手が果たしうる、最も誠実な務めであると考える。

本稿が扱った掛塚のような湊まちには、祭礼とともに受け継がれてきた古い家や土地、そして担い手を失いつつある空き家が数多く残る。筆者は磐田・袋井で不動産と介護の実務に携わる立場から、こうした土地の記憶にも向き合ってきた。家・土地・空き家の整理について相談することができる。祭りを書き留めることと、その舞台となった土地を次の世代へ手渡すことは、地続きの営みだと考えている。

  1. 掛塚祭竹馬は、令和6年(2024年)4月30日に磐田市の無形民俗文化財に指定された。指定区分・文化財名・所在地・指定年月日は、磐田市公式「無形民俗文化財」および磐田市教育委員会の文化財広報資料による事実情報として扱う。
  2. 竹馬役の姿(天狗の面、竹のササラ状の道具、猿田彦になぞらえられる道清め、新しい馬を引き出す習俗との一体)についての記述は、磐田物語の紹介ページ(r014)ほか一般向けの記録による。これらは当事者による一次記録ではなく、所作の古態か否かの判別には、より遡る記録の博捜を要する。
  3. 竹馬・春駒の類が単なる遊具にとどまらず、予祝や送りの所作と結びついた民俗語彙の一般的傾向による。管見の限り、掛塚の竹馬役と遊具・作り物の竹馬とを直接に結ぶ一次史料は未確認である。
  4. 年齢集団(子ども組・若者組など)と祭役の継承に関する民俗学の一般的知見による。掛塚に同型の若者組が制度として存在したかは、本稿の範囲では未確認である。
  5. 通過儀礼を分離・過渡・統合の三局面としてとらえる整理は、民俗学・人類学の古典的枠組みによる。本稿はこれを補助線として用いるにとどめ、掛塚の竹馬が通過儀礼として機能したことの実証とはしない。

付記:本稿は一般向け記事 r014「掛塚祭竹馬」の内容を、郷土史研究者向けに再構成した論考版である。既刊の掛塚祭屋台囃子(第167号)・掛塚の御神輿(第140号)との重複を避け、本稿は「竹馬という祭具・行事」と「子ども・通過儀礼」に軸を置いた。指定情報を史実、竹馬役の姿・町内継承を伝承、年齢集団との関係を推定、名の由来・成立年代を未確認として腑分けし、「未確認」と「記載なし」の区別を方法の主題に据えた。

参考文献・参考資料

  • 磐田物語 r014「掛塚祭竹馬」 https://iwata-monogatari.net/r014.html (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 磐田市公式ウェブサイト「無形民俗文化財」該当ページ https://www.city.iwata.shizuoka.jp/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 磐田市教育委員会教育部文化財課「いわた文化財だより」該当号。
  • 磐田物語 大石浩之の磐田論考 第167号「掛塚祭屋台囃子」 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/167/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 磐田物語 大石浩之の磐田論考 第140号「掛塚の御神輿」 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/140/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 磐田物語「竜洋地区」 https://iwata-monogatari.net/01007-ryuyo.html (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 磐田市『磐田市史』通史編(磐田市、該当章)。
  • 貴船神社(掛塚)由緒書および掛塚まつり関係資料。
  • 柳田國男『こども風土記』(初出1941年。子どもの遊びと年中行事に関する民俗の古典として参照)。
  • アルノルト・ファン・ヘネップ『通過儀礼』(綾部恒雄・綾部裕子訳、岩波文庫ほか。分離・過渡・統合の枠組みの出典として参照)。
  • 年齢集団・若者組に関する民俗学の概説(祭役の年齢分担に関する一般的知見の典拠として参照)。
  • 掛塚湊・天竜川水運に関する郷土史資料(湊まち掛塚の経済的背景の参照として)。
  • 静岡県指定無形民俗文化財「掛塚祭屋台囃子」関係資料。