磐田郷土史研究紀要
大石浩之の磐田論考 第179号(史料学・アーカイブズ論)
佐口行正氏所蔵史料を読む
一つの家が守った約340点の意味 ── 目録という形式を史料として読む
1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役
要旨
見付の旧家に生まれた佐口行正氏は、引札・浮世絵・古地図・鉄道案内・絵葉書・屋台祭礼写真など約340点にのぼる史料を、生涯をかけて収集・保管してきた。本稿はこの佐口行正氏所蔵史料を、個々の資料の内容を読むのではなく、それらが一括して残り、目録として編まれたという「形式そのもの」を対象に読む。論点は三つである。第一に、一つの家に史料が伝来し残るのはどのようなしくみによるのか。第二に、雑多な紙片を種別へ分け、番号を与え、目録化する営みは何を生み出すのか。第三に、個人アーカイブは地域史研究に何をもたらし、同時にどのような限界──散逸のリスク、公開の制約、収集の偏り──を抱えるのか。約340点という総数と十二の種別は史料で確認できる事実として扱い、伝来の経緯は推定・未確認として腑分けする。「未確認」と「記載なし」を区別しながら、個人の蒐集が公共的な資料群へ転じる回路を史料学の視点から記述する。
キーワード:佐口行正氏所蔵史料/個人アーカイブ/目録学/史料の伝来/散逸リスク/出所原則/地域史料
1. 問題設定 ── なぜ「目録の形式」を読むのか
史料に向き合うとき、私たちはふつう一点の資料の内側を読む。一枚の引札からは明治期の商家が扱った品や口上を、一枚の絵葉書からは当時の町並みや人々の装いを読み取る。それは史料の正統な読み方であり、資料の内容を復元することは地域史研究の土台である。しかし本稿が試みるのは、そうした個々の読解ではない。約340点の紙片と写真が一人の手のもとに集まり、一括して残り、種別へ分けられて目録に編まれた──その一まとまりであること、目録という形式をとっていること自体を、一個の史料として読むことである1。
この視点をとる理由は単純である。個々の資料は、それを生み出した時代の証言者である。だが史料群の全体、すなわち「何が集められ、何が残り、どう分類されたか」という形式は、資料を生んだ時代ではなく、資料を残した人と営みの証言者だからである。同じ引札でも、屑籠に捨てられれば消え、誰かの手で束ねられ保管されれば残る。残ったという事実そのものが、後世に一つの情報を伝えている。目録を読むとは、この「残り方」を読むことにほかならない。
本稿ではこの史料群を、一貫して佐口行正氏所蔵史料と呼ぶ。磐田物語が公開している目録は、佐口行正氏個人の所蔵であり、氏の許可を得て掲載されているものである。本稿もその前提のうえに立ち、氏が私財を投じて数十年をかけ守り伝えてきた蒐集の意味を、収集家個人への賛辞としてではなく、史料学の対象として腑分けすることを目的とする。感謝の言葉と分析の言葉は別の水準にあり、後者を尽くすことが前者に応える一つの仕方だと考える。
あらかじめ本稿が用いる確度の区別を述べておく。史料で確認できることは史実として、根拠はあるが未確定のことは推定として、そして一次的な裏づけに突き当たっていないことは未確認として書き分ける。とりわけ「未確認」(管見の限り確かめる材料に行き当たっていない)と「記載なし」(源となる一覧や資料にそもそも記載がない)は、混同されやすいが性格の異なる状態であり、本稿は両者を一貫して区別する。伝来の経緯の多くは、この未確認あるいは推定の層に属する。
2. 佐口行正氏所蔵史料の輪郭 ── 約340点と十二の種別
読解に入る前に、史料で確認できる範囲を確定しておく。磐田物語が公開する目録によれば、佐口行正氏所蔵史料は約340点からなり、その種別は引札・浮世絵・銅印・絵葉書・絵馬・屋台祭礼写真・地図絵図・鉄道交通・名所観光案内・道中講社・商家地域資料・記念行事の十二にわたる。この総数と種別の構成は、目録という一次的な提示に基づく事実として扱ってよい。時代の幅は明治から昭和、そして近年に及ぶ。地理的な中心は見付と中泉、すなわち近世の宿場町と、その西に位置し近代に鉄道と役所を得た町である。
ここで一つ、数量に関する腑分けをしておきたい。約340点という総数は目録に明示されている。しかし種別ごとの内訳点数は、公開された一覧のうえでは体系的に示されていない。したがって「引札が何点、絵葉書が何点」という配分は、本稿の扱いでは未確認である。これは配分が存在しないという意味ではなく、確かめる数値に行き当たっていないという意味である。この点を踏まえ、以下で示す構成の図は、実数の分布ではなく種別の広がりを示す概念図にとどめる。数量を装った図で読者を誤らせないことは、目録を扱う論考の最低限の作法である。
十二の種別は、性格の異なるいくつかの群に整理できる。第一に、引札・浮世絵・銅印・商家地域資料など、商いと生業に直接かかわる紙もの・道具の群。第二に、絵葉書・絵馬・屋台祭礼写真など、信仰と祝祭、そして視覚的記録にかかわる群。第三に、地図絵図・鉄道交通・名所観光案内・道中講社など、移動と地理、旅の経験にかかわる群。第四に、記念行事のように、共同体の節目を刻む群である。これらが一つの家に共存していること自体が、蒐集者の関心が特定の一分野に閉じず、まちの暮らしの全体へ向かっていたことを示している。
地理の中心が見付と中泉にあることにも、一言しておきたい。見付は近世の東海道の宿場町であり、人と物と情報が行き交う結節点であった。中泉はその西に接し、近代に入って鉄道の駅と役所を得て、行政と交通の拠点として性格を強めた。宿場の商いと、近代交通のもたらした旅と広告──この二つの町の性格が、引札・道中資料と、鉄道交通・絵葉書という種別の厚みに反映していると読むことは、あながち不自然ではない。史料群の種別構成は、それを生んだ土地の社会的性格を、間接的にではあれ映している。ただしこの対応関係は、前段で述べたとおり内訳点数が未確認である以上、印象的な指摘の域を出ないことも併せて断っておく。
種別を横断してもう一段、目録の記述の性格を確認しておく。目録の凡例では、判読できない箇所は記号で示され、複数枚で構成される史料は代表の一枚が掲げられる2。また絵葉書・絵馬・屋台祭礼写真といった一群については、年代や寸法は判明した分のみが記される3。これらの但し書きは、目録が完成された全知の一覧ではなく、分かる範囲を誠実に区切って提示した作業の記録であることを物語る。判読不能を空欄で糊塗せず記号で明示する態度は、後述する目録化の営みの質にかかわる。
3. 一つの家に史料が残るということ ── 伝来のしくみ
約340点がいま手元にあるという結果から、それらがどのように伝わってきたのかを問うと、たちまち推定と未確認の領域に入る。引札や絵葉書は、本来きわめて残りにくい史料である。商いの用が済めば捨てられ、便りが届けば束ねられずに散る。名のある古文書や什宝と違い、これらは残すべき「宝」として意識されにくい日用の紙片だからである。にもかかわらず約340点が残ったという事実は、どこかに、それを捨てずに留める判断が幾重にも働いたことを意味する。
この留める判断の連鎖を、本稿は伝来のしくみと呼ぶ。しくみといっても制度ではない。第一の関門は、資料を生んだ家や店が、用済みの紙をとりあえず捨てずに仕舞ったという偶然に近い選択である。第二の関門は、その家の代替わりや土蔵の整理といった局面で、紙束が廃棄されずに誰かの目に留まったことである。第三の関門は、見付・中泉のまちに、そうした紙片の価値を見抜き、拾い上げて自らの手元に集める人が現実にいたことである。佐口行正氏の蒐集は、この第三の関門にあたる。そして氏のもとに集まって初めて、散らばっていた紙片は一つの史料群としての輪郭を得た。
ここで確度を明示しておく。個々の資料が具体的にどの家から、いつ、どのような経緯で氏のもとへ移ったのか──その伝来の細部は、本稿の調査範囲では未確認である。目録は所蔵と掲載許可の事実を明示するが、一点ごとの入手経路までを記す性格のものではない。したがって「この引札はある商家に代々伝わったものだ」といった来歴は、多くの場合、推定として述べるほかない。来歴が不明であることは資料の価値を損なわないが、来歴を語れないという限界は、個人アーカイブに固有の弱点として後段で改めて検討する。
もう一つ、伝来には収集者自身の手を経たという契機が加わることも見落とせない。散らばっていた紙片が一人の眼のもとへ集まるとき、それは単に物理的に移動するだけでなく、資料としての意味づけを受ける。ある家では用済みの反故でしかなかった引札が、収集者の手に渡った瞬間に、まちの記憶を担う一点へと格上げされる。この意味づけの移行こそが、蒐集という営みの本質である。したがって伝来のしくみを問うことは、物がどう動いたかを問うと同時に、その物がいつ「史料」になったのかを問うことでもある。多くの紙片にとって、史料になった瞬間とは、佐口行正氏の手に留められた時であった。
それでも、伝来のしくみを一般的な水準で描くことはできる。紙の史料が今日まで残るには、生産・使用・退蔵・救出・集約という段階のそれぞれで、失われずにすむ確率をくぐり抜けねばならない。各段階は篩のように働き、大多数の紙片はいずれかの段階で失われる。約340点とは、この幾重もの篩を通り抜けた残余であり、かつて存在した膨大な紙片の、ごく一部の生き残りである。目録に載る一点の背後には、載ることなく消えた無数の同種の紙片がある。この非対称を意識することは、残った史料を過大にも過小にも評価しないために欠かせない。
4. 目録化という営み ── 同定・記述・分類
集められただけの紙束は、まだ史料群ではない。雑多な紙片が調べものに耐える資料へ転じるのは、目録化という営みを経てからである。目録化は、大きく三つの作業からなると考えてよい。すなわち、これが何であるかを見きわめる同定、いつの・誰の・どんな寸法のものかを言葉に置き換える記述、そして種別や系列へ振り分ける分類である。佐口行正氏所蔵史料の基盤には、氏が長年かけて丹念に整えた「佐口行正氏所蔵史料一覧」があり、この一覧が同定・記述・分類の三作業の成果を担っている。
同定は、目録化の最も見えにくい労働である。一枚の紙が引札なのか広告なのか、浮世絵なのか複製なのか、どの町のどの店に関わるのか──それを判ずるには、地域の商家や地理、祭礼や交通に関する広い知識が要る。氏が単なる収集家ではなく郷土史研究家と呼ばれるのは、この同定の作業を、蒐集と不可分に担ってきたからである。同定を誤れば、以後の記述も分類も土台から崩れる。目録の信頼性は、まずこの見きわめの確かさに支えられている。
記述は、資料を言葉へ翻訳する作業である。商屋名・発行者・年代・寸法といった項目に沿って、一点ごとの属性が言葉に置き換えられる。ここで重要なのは、分かる項目と分からない項目とを厳密に区別する態度である。判読できない文字を記号で示し、年代や寸法は判明した分のみを記すという凡例は、まさにこの区別の制度化である。分からないことを分からないと記すのは、一見すると消極的な処理に見える。しかし史料学の観点からは逆であって、確実な情報と不確実な情報を混ぜないことこそ、後世の利用者が自ら判断するための前提を守る積極的な手続きである。
記述にはもう一つ、番号を与えるという作業が伴う。一点ごとに番号が振られることで、資料は口頭で指し示すしかない曖昧な存在から、特定して呼び出せる対象へと変わる。番号は些細な手続きに見えるが、実は目録の骨格である。番号があるからこそ、ある資料を他の資料と取り違えずに参照でき、複数の人が同じ一点について語り合える。研究とは、煎じ詰めれば特定の史料を名指して論ずる営みであり、その名指しを支えるのが番号という最小の仕掛けである。判読不能を記号で示す凡例も、番号による同定の体系があってはじめて、欠落を欠落として正確に記録できる。
分類は、個々の資料を全体のなかへ位置づける作業である。十二の種別への振り分けは、雑多な紙片に見取り図を与え、一点を他の資料との関係のうちに置く。ただし分類は中立ではない。どの軸で切るかによって、見えてくるものと隠れるものが変わる。種別で分ければ形態の系列が見えるが、同じ町内の暮らしという横のつながりは背後に退く。分類はつねに、ある秩序を立ち上げると同時に別の秩序を目立たなくする。目録を読む者は、採用された分類を自明の枠として受け取るのではなく、その枠が何を前景化し何を後景化しているかを意識する必要がある。
5. 多軸分類がひらくもの ── 検索性という新しい層
目録が紙の一覧にとどまっていた段階と、それが検索できる形に整えられた段階とのあいだには、質の違いがある。磐田物語が公開する目録では、一点の史料が種別だけでなく、年代・発行者・シリーズ・場所やテーマといった複数の軸から絞り込める。同じ絵葉書が、絵葉書という種別からも、ある年代からも、あるシリーズからも手繰り寄せられる。一点が複数の軸に同時に属するというこの多軸分類は、紙の一覧では表現しにくかった資料間の関係を、利用者の側から自在に立ち上げる。
この検索性は、目録の上に重ねられた新しい層である。基盤にあるのは、あくまで佐口氏が長年かけて整えた同定・記述・分類の蓄積である。磐田物語が加えたのは、その蓄積を機械的に手繰れる形へ移し替える作業であって、史料そのものの価値を生み出したわけではない。検索窓と絞り込みの便利さの背後に、一枚一枚を見きわめ言葉に置き換えてきた人の労働があること──この順序を取り違えないことが、デジタル化された目録を扱ううえで肝要である。技術は蓄積を可視化するが、蓄積を代替はしない。
多軸分類には、単なる便利さを超えた含意がある。単一の分類は、資料に一つの居場所しか与えない。ある引札は「引札」の棚に収まり、それ以外の文脈からは見えにくくなる。これに対し多軸分類は、同じ一点を複数の文脈へ同時に開く。ある屋台祭礼写真は、写真という種別からも、ある年代からも、ある町内という場所からもたどり着ける。資料は一つの秩序に縛られず、利用者の問いに応じて別々の関係のなかへ置き直される。前章で述べた「分類が何かを後景化する」という限界は、軸を複数化することで部分的に緩和される。どの軸も特権化しないという構えが、そこにはある。
もっとも、多軸化は限界の解消ではなく再配置である。軸をいくら増やしても、そもそも一覧に記載のない情報は検索できない。来歴のように未記載の属性は、どの軸からも手繰れない。検索性が高まるほど、記載のあることと記載のないこととの落差はかえって際立つ。ここでも「記載なし」と「未確認」の区別が効いてくる。検索にかからないのは、その情報が存在しないからではなく、多くの場合、目録に記されていないか、そもそも確かめられていないからである。検索できないことを、存在しないことと取り違えてはならない。
6. 個人アーカイブの限界 ── 散逸・公開・偏り
ここまで個人アーカイブの働きを積極的に評価してきたが、史料学の論考としては、その限界を対等の粒度で記さねばならない。個人による蒐集と保存には、公的機関の収蔵にはない固有の弱点が三つある。散逸のリスク、公開の制約、そして収集の偏りである。これらは佐口行正氏所蔵史料に固有の欠点ではなく、個人アーカイブという形式そのものに内在する構造的な限界であり、この史料群もその条件のもとにある。限界を語ることは所蔵者の営みを貶めることではない。むしろ、どのような条件のもとで成り立っている史料群なのかを明らかにすることは、利用する側がその史料を適切な重みで扱うために不可欠な手続きである。以下、三つの限界を順に検討する。
散逸のリスク ── 個人の手を離れたあとの不確実性
個人が守る史料群は、その個人の存在に大きく依存する。収集者の代替わりや家の事情によって、一括して保たれてきたまとまりが分割され、売却され、あるいは散逸する例は少なくない。公的機関であれば、収蔵品は制度によって一括性が守られ、担当者が替わっても引き継がれる。個人アーカイブにはこの制度的な担保が乏しく、まとまりの維持は個人の意思と次代への継承にかかっている。約340点が一つの群として残っている現状は、貴重であると同時に、構造的にはつねに分散の圧力にさらされている。
公開の制約 ── 所蔵者の許可という条件
本史料群は佐口行正氏の許可を得て公開されている。この許可は公開を可能にする条件であると同時に、公開が所蔵者の意思に依存することの現れでもある。個人アーカイブへのアクセスは、公的機関の閲覧制度のように誰にでも等しく開かれているわけではなく、所蔵者との関係と信頼のうえに成り立つ。無断転載や二次利用の禁止という条件も、所蔵者の権利として当然に尊重されるべきものである。研究の公共性と所蔵者の権利のあいだには、つねに調整を要する緊張がある。この史料群が広く役立てられているのは、氏がその緊張を公開の側へ引き受けてくださったからにほかならない。
収集の偏り ── 集められたものと集められなかったもの
いかなる蒐集も、収集者の関心と機会に規定される。手に入る紙片が集まり、手に入らなかったものは欠ける。目に留まる種別が厚くなり、関心の外にあった領域は薄くなる。したがって約340点の構成は、当時のまちに存在した史料の縮図ではなく、一人の収集者の眼を通した標本である。この偏りは欠陥ではなく、あらゆる史料群が免れない条件だが、目録を史料として読む際には、集められたものだけでなく集められなかったものへの想像力が要る。目録に載る種別の厚薄を、そのまま当時の実態の厚薄と読み替えてはならない。
7. 個人から公共へ ── 地域史研究のなかの位置
限界を確認したうえで、なお個人アーカイブが地域史研究に果たす役割は大きい。公的機関の収蔵が、名のある文書や指定を受けた文化財に傾きがちであるのに対し、個人の蒐集は、制度の網から漏れ落ちる日用の紙片を拾い上げる。引札や絵葉書、屋台祭礼の写真といった、公的な収集では優先順位の下がりやすい史料が、個人の眼によって救われ、まとまりとして残る。地域の暮らしの手ざわりを伝えるのは、しばしばこうした「取るに足らない」とされてきた紙片のほうである。
個人アーカイブが公共的な意味をもつのは、それが閉じた蒐集にとどまらず、外へ開かれたときである。磐田市内で行われた企画展や文化財関連の展示で、このコレクションの一部が紹介されてきたことは、氏の蓄積が個人の趣味の域を超え、地域の歴史を裏づける資料群として認められてきたことの一つの現れである4。展示や公開を通じて、私蔵の史料は地域の共有財産としての性格を帯びていく。個人の手のうちにありながら、公共の記憶の一部として機能しはじめる──この二重性こそ、個人アーカイブの核心にある。
ここで史料学・アーカイブズ学の一般原則を補助線として引いておきたい。史料の整理には、資料を出所ごとにまとめて扱う出所原則と、生成時の秩序を尊重する原秩序尊重の原則がある5。個人アーカイブは、この出所という観点からとりわけ豊かな情報をもつ。約340点が「佐口行正氏が集めたもの」という一つの出所のもとにまとまっていること自体が、個々の資料の内容とは別の、蒐集の営みに関する情報を保存している。仮にこの群が種別ごとに分割され別々の機関へ分散すれば、一点ごとの資料は残っても、それらが一人の眼のもとに集まっていたという出所の情報は失われる。まとまりを保つことの意義は、ここにある。
個人アーカイブと公的機関は、対立するものではなく補い合う関係にあると考えるべきである。公的機関は制度による一括性の保証と等しいアクセスを提供し、個人の蒐集は制度が拾いきれない周縁の史料を掬い上げる。両者が連携すれば、個人の眼が救った史料に公的な保存の担保が加わり、散逸のリスクは大きく減じる。所蔵者の権利を尊重しつつ、まとまりと出所の情報を保ったまま次代へ引き継ぐ道を探ることが、個人アーカイブをめぐる現実的な課題である。約340点という群が一括して残り、しかも公開されている現在の状態は、その課題を考えるうえで恵まれた出発点にある。
この観点は、本論考シリーズが個々の主題を論じる際の土台にもかかわる。見付天神裸祭を論じた稿をはじめ、地域の祭礼や町の歴史を扱うとき、屋台祭礼写真や絵葉書といった視覚史料は、文字史料の空白を補う証言となる。そうした史料の多くが、個人の蒐集によって今日まで伝えられてきた事実は、地域史研究が個人アーカイブにどれほど負っているかを示している。佐口史料室という公開の場と、その基盤である目録は、この負債を可視化し、次の世代の調べものへと橋渡しする装置でもある。
8. 結論 ── 目録を史料として読むこと
本稿は、佐口行正氏所蔵史料を、個々の資料の内容ではなく目録という形式そのものを対象として読んできた。得られた見取り図は次のとおりである。約340点という総数と十二の種別は史料で確認できる事実であり、時代は明治から昭和・近年、地理の中心は見付と中泉にある。一方、個々の資料の伝来の細部や種別ごとの内訳点数は未確認であり、これを推定や記載なしと混同しないことが、この史料群を誠実に扱う前提となる。
三つの論点への答えを整理する。第一に、一つの家に史料が残るのは、生産・退蔵・救出・集約という幾重もの篩を紙片がくぐり抜けた結果であり、約340点はかつて存在した膨大な紙片の生き残りである。第二に、目録化とは同定・記述・分類の営みであり、分かることと分からないことを区別しながら雑多な紙束を調べものに耐える史料群へ転じる作業である。第三に、個人アーカイブは制度の網から漏れる日用の史料を救い上げる一方で、散逸・公開の制約・収集の偏りという構造的な限界を負い、その限界を引き受けたうえで利用されねばならない。
したがって本稿の立場は明確である。目録は、資料へたどり着くための索引であると同時に、それ自体が一個の史料である。「何が集められ、何が残り、どう分類されたか」という形式は、資料を残した人と営みの証言として読むに値する。個々の引札や絵葉書を読むことと、それらが一括して残り目録に編まれたという事実を読むことは、地続きでありながら別の作業であり、後者を欠いては地域の記憶がどのように継承されてきたかという問いに答えられない。
最後に、本稿が扱いえなかった課題を記しておく。第一に、個々の資料の伝来の細部は、旧家の聞き取りや関連文書の照合によって、未確認の状態を推定へ、推定を史実へと押し上げうる余地がある。第二に、種別ごとの内訳点数や年代分布は、一覧の数量的な分析によって、より精確に描きうる。第三に、個人アーカイブの一括性をいかにして次の世代へ継承するかは、散逸のリスクに直面する現実的な課題であり、公的機関との連携や記録の複製といった方策と併せて検討されるべきである。一つの家が守った約340点は、それ自体が地域の記憶の一断面であると同時に、記憶をどう残すかという問いを私たちに差し出している。一つの家が幾世代もの偶然と一人の判断を経て守り抜いた約340点は、失われた無数の紙片を背後に負いながら、なお私たちの調べものに応えてくれる。その残余の重みを正しく受け取ること、それが目録を読む者に課された最初の務めである。目録を史料として読むという本稿の試みが、その問いへの一つの応答となれば幸いである。
付表 ── 種別ごとの性格と数量の扱い
| 種別 | 群 | 読み取れるまちの位相 | 数量・確度の扱い |
|---|---|---|---|
| 引札 | 商い・生業 | 商家の扱い品・口上・意匠。近代広告の実態。 | 点数は未確認。種別の存在は目録で確認。 |
| 浮世絵 | 商い・生業 | 視覚文化の流通、絵師と版元の関わり。 | 点数は未確認。複製との識別は同定に依存。 |
| 銅印 | 商い・生業 | 商標・印章としての信用の可視化。 | 点数は未確認。 |
| 商家・地域資料 | 商い・生業 | 店と地域の結びつき、経営や取引の断片。 | 点数は未確認。範囲は広く一括りにしにくい。 |
| 絵葉書 | 信仰・祝祭・記録 | 町並み・交通・装い。都市への視線。 | 年代・寸法は判明分のみ記載。点数は未確認。 |
| 絵馬 | 信仰・祝祭・記録 | 祈願の内容、信仰の対象と作法。 | 年代・寸法は判明分のみ記載。点数は未確認。 |
| 屋台・祭礼写真 | 信仰・祝祭・記録 | 祭礼の継承、屋台の町別、群衆の様子。 | 年代・寸法は判明分のみ記載。点数は未確認。 |
| 地図・絵図 | 移動・地理・旅 | 町割・地形の認識、空間の描き方。 | 点数は未確認。判読不能箇所は記号で明示。 |
| 鉄道・交通 | 移動・地理・旅 | 近代交通の到来、時刻や路線の意識。 | 点数は未確認。 |
| 名所・観光案内 | 移動・地理・旅 | まちが自らを見せる語り口、観光の視線。 | 点数は未確認。 |
| 道中・講社 | 移動・地理・旅 | 参詣と講の組織、旅と信仰の結合。 | 点数は未確認。 |
| 記念・行事 | 共同体の節目 | 共同体の慶事・節目の記録。 | 点数は未確認。範囲は事案により可変。 |
注
- 約340点という総数、および十二の種別(引札・浮世絵・銅印・絵葉書・絵馬・屋台祭礼写真・地図絵図・鉄道交通・名所観光案内・道中講社・商家地域資料・記念行事)は、磐田物語「佐口行正氏所蔵史料 目録」(c019)による。同目録は「佐口行正氏所蔵史料一覧」(2011年作成)を基盤とする。↩
- 同目録の凡例では、原資料の判読不能箇所を記号で示し、中綴じ・複数枚で構成される史料は代表の一枚を掲載するとされる。↩
- 絵葉書・絵馬・屋台祭礼写真(同目録にいう資料②)の年代・寸法は、判明した分のみが記載されている。年代・寸法の欠を「記載なし」と読むか「未確認」と読むかは、本稿の区別に従い後者に近い性格をもつ。↩
- 磐田市内で行われた企画展や文化財関連の展示において、本コレクションの一部が紹介されてきたことは、同目録の解説に基づく。個々の展示の名称・年次は本稿では未確認とする。↩
- 出所原則(プロヴィナンス)および原秩序尊重の原則は、アーカイブズ学における史料整理の基本原則である。個人アーカイブの一括性がもつ意義は、この出所という観点から理解できる。↩
付記:本稿は一般公開ページ「佐口行正氏所蔵史料 目録」(c019)を、郷土史研究者向けに史料学・アーカイブズ学の観点から再構成した論考版である。約340点・十二種別を目録に基づく事実として扱い、伝来の細部・種別内訳点数は未確認として腑分けした。表記は一貫して「佐口行正氏所蔵史料」に統一し、氏の許可を得て公開されている旨を明記した。
参考文献・参考資料
- 磐田物語「佐口行正氏所蔵史料 目録」 https://iwata-monogatari.net/c019.html (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 磐田物語「佐口行正氏所蔵史料(佐口史料室)」 https://iwata-monogatari.net/c020.html (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 「佐口行正氏所蔵史料一覧」(2011年作成)。所蔵:佐口行正氏。掲載許可済み。
- 大石浩之「見付天神裸祭 起源三説の学史的検討」『大石浩之の磐田論考』第1号 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/001/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 全国歴史資料保存利用機関連絡協議会(全史料協)編『アーカイブズの科学』(史料整理の基本原則に関する概説)。
- 国文学研究資料館 編『史料館所蔵史料目録』およびアーカイブズ学関連刊行物。
- 安藤正人『記録史料学と現代 ── アーカイブズの科学をめざして』吉川弘文館、1998年。
- 国立公文書館「アーカイブズ・インターン等における史料整理の原則」解説資料 https://www.archives.go.jp/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 磐田市 編『磐田市史』通史編(見付・中泉の近世・近代に関する各章)。
- 静岡県 編『静岡県史』資料編(近代の交通・商業・信仰に関する項)。
- 日本アーカイブズ学会 編『アーカイブズ学要論』(出所原則・原秩序尊重の解説)。
- 文化庁「地域の文化財・歴史資料の保存活用に関する指針」 https://www.bunka.go.jp/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 佐口行正氏所蔵史料(引札・浮世絵・絵葉書・屋台祭礼写真ほか)。所蔵・掲載許可:佐口行正氏。