失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語大石浩之の磐田論考 / 史料で読む見付宿のお札ふり

磐田郷土史研究紀要

大石浩之の磐田論考 第246号(見付宿幕末史料研究)

史料で読む見付宿のお札ふり

複数の記録を突き合わせる ── 見付宿大略記・永野家書留・庚申中掛銭帳の史料批判

大石浩之1

1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役

公開日
2026.07.26
資料検証
公開資料による検証済み
対象地区
磐田市見付

要旨

幕末の見付宿に起こったお札ふり(お札降り)は、単一の記録から復元できる出来事ではない。本稿は、平成6年度『磐田市歴史セミナー資料集』第7回に史料名の挙がる見付宿大略記・永野家書留・庚申中掛銭帳という性格の異なる三つの記録を対象とし、各史料の成立・作成者・目的を史料批判の観点から吟味したうえで、それらを突き合わせて何が言え、何が言えないかを検討する。宿の概略記、家に伝わる書留、講の金銭帳簿は、同じ町の出来事を別々の関心から書きとめており、記述の重なりと欠落そのものが読解の手がかりとなる。本稿は、史料に記される水準(=そう記されるという事実)と、その背後にある史実性(=実際にそうであったかの推定)とを腑分けし、あわせて「未確認」と「記載なし」を厳密に区別する。目的は個々の年代を確定することではなく、一つの祭りを複数の記録から立体的に読む史料学的手続きそのものを、見付宿のお札ふりを素材として、確度の層を保ちながら実演的に示すことにある。

キーワード:見付宿/お札ふり/ええじゃないか/見付宿大略記/永野家書留/庚申中掛銭帳/史料批判

1. 問題設定 ── なぜ一つの祭りを複数の記録から読むのか

幕末の東海道見付宿に、お札ふり(お札降り)と呼ばれる出来事があったことは、いまでは地域史のなかで広く語られている。天から神符が降ったとして人々が浮き立ち、通りへ繰り出して踊り騒いだ──そうした光景は、全国に広がった「ええじゃないか」の一齣として理解されることが多い。だが、この出来事を語る資料に目を向けると、それが決して一つの記録に集約されて伝わっているわけではないことに気づく。見付宿のお札ふりを伝える史料を並べると、そこには見付宿大略記・永野家書留・庚申中掛銭帳という、性格のまるで異なる複数の記録が関わってくる1

本稿の出発点は、この「一つの出来事が複数の記録に分かれて残っている」という事態そのものを、研究の主題として引き受ける点にある。すなわち、いずれか一つの史料を選んで出来事を語るのではなく、複数の記録を突き合わせ、それぞれが何を伝え、何を伝えないかを読み比べる。この突き合わせの作業を、本稿では史料の照合と呼ぶ。照合を通じて、単一の記録では見えない祭りの立体像に近づくこと、それが本稿の課題である。

なぜ照合が要るのか。理由は単純である。記録はそれぞれ、特定の関心のもとに、特定の人物によって、特定の目的のために書かれる。宿の概略を記した書物は町全体の動きに目を向け、家に伝わる書留は書き手の身辺で起きたことを書きとめ、講の金銭を記した帳簿は集まった銭の出入りを残す。同じ日の同じ町の出来事であっても、書き手の立ち位置が違えば、記述の焦点も、書き落とされる事柄も異なる。したがって一つの記録だけを頼れば、その記録が向いていた方向だけが見え、向いていなかった方向は闇に沈む。複数の記録を重ねてはじめて、闇に沈んでいた部分の輪郭が、他の記録の光によって照らし出される。

ここで本稿が一貫して守る区別を、あらかじめ明示しておきたい。第一は、史料に記される水準と、その背後にある史実性の区別である。ある史料に「お札が降った」と記されているとき、確実に言えるのは「その史料がそう記している」という事実であって、「実際に札が降った」という事実ではない。前者は史料批判によって確認できる史実の水準であり、後者は史料の性格を吟味したうえで推し量るべき推定の水準である。この二つを混同すると、記録の存在をただちに出来事の実在へと読み替える誤りに陥る5

第二は、「未確認」と「記載なし」の区別である。ある事柄について、管見の限り裏づける記述に突き当たっていない状態(未確認)と、当該史料を確かめたうえでそこに記述がないと言える状態(記載なし)とは、意味がまったく異なる。前者は今後の調査で埋まりうる空白であり、後者はその史料の関心の外にあったことを示す積極的な情報でありうる。この二つを言い分けることは、複数史料の照合においてとりわけ重要になる。ある記録に「載っていない」ことが、書かれなかったのか、そもそも起きなかったのか、あるいは筆者がまだ見ていないだけなのかを、慎重に腑分けする必要があるからである。

本稿の素材は、あくまで平成6年度『磐田市歴史セミナー資料集』第7回に史料名の挙がる三点であり、そこに現れない史料名を新たに創作することはしない。以下ではまず三史料の性格を概観し(第2節)、お札ふりという現象の背景を確認したうえで(第3節)、三史料を一点ずつ読み(第4〜6節)、それらを突き合わせて言えること・言えないことを整理し(第7節)、結論に至る。

見付宿の お札ふり 大略記 町の動き 永野家書留 身辺の記録 庚申中掛銭帳 講の銭 三つの記録が一つの出来事を別角度から照らす 各記録の重なりと欠落を突き合わせることで、単一史料では見えない像に近づく。
図1 史料照合の構造。性格の異なる三つの記録を一つの出来事へ向けて重ねる。重なりは記述の信頼を高め、欠落は各史料の関心の所在を示す。

2. 三つの史料とその性格 ── 大略記・書留・銭帳

照合に先立って、突き合わせる三つの記録が、そもそもどのような種類の史料であるかを押さえておく必要がある。史料批判の第一歩は、内容を読む前に「これは誰が、いつ、何のために書いたものか」を問うことにある。ここで注意すべきは、素材とした資料集が伝えるのは主として史料の名称と、それが伝える内容の大まかな性格であって、各史料の正確な成立年・作成者・分量までを詳述するものではない、という点である。したがって以下では、史料の名称そのものが示す文書の種類(ジャンル)から読み取れる範囲で性格を述べ、個別の成立事情に踏み込めない箇所は未確認として明示する。

第一の見付宿大略記は、その名のとおり見付宿の概略を記した記録である。宿の来歴や町の出来事を大づかみに書きとめる性格の書物と解され、記述の視点は個人の身辺ではなく町全体の動きに置かれていると考えてよい。お札ふりについても、宿という共同体の側から、町がどう動いたかを記す立場にあると位置づけられる。ただし、この大略記がいつ、誰の手で成立し、同時代の記録なのか後年の編纂なのかは、素材の範囲では確定できず、この点は未確認とする。

第二の永野家書留は、永野という家に伝わった書留である。書留とは、書き手が身のまわりの見聞や出来事を書きとめておく私的な記録の総称であり、公的な帳簿や編纂物とは性格を異にする。したがってこの史料は、宿全体を俯瞰する視点ではなく、一つの家という具体的な立ち位置から、書き手の目に触れた範囲の出来事を伝えるものと考えられる。私的な記録であるがゆえに、町の公式の記述からこぼれ落ちた細部を含みうる一方、書き手の関心や見聞の及ぶ範囲に記述が限られるという制約をあわせもつ。

第三の庚申中掛銭帳は、庚申講にかかわる掛銭の帳簿である。庚申講とは、庚申の日に講の仲間が集い、精進や祭祀を営む民間信仰の集まりであり、その運営には銭の出し合いがともなう。掛銭帳はその金銭の出入りを記した会計記録であって、お札ふりの様子を情景として描くことを目的とした史料ではない。それでもこの帳簿が照合の対象として意味をもつのは、金銭の動きが、町のなかで人々がいつ何のために集まり、寄り合ったかという生活の実態を、間接的にではあれ示すからである。祭りや臨時の寄合には出費がともない、その痕跡が帳簿に残ることがある。

この三者を並べると、同じ町の出来事に対して、公的な概略・私的な見聞・金銭の記録という、三つの異なる回路が対応していることがわかる。史料の種類が違えば、記録に残りやすい事柄と残りにくい事柄が系統的に異なる。町の大きな動きは大略記に、身辺の具体は書留に、集まりの費用は銭帳に、それぞれ痕跡を残しやすい。逆に言えば、一つの史料に載っていないことは、その出来事が無かったことを意味するのではなく、その史料の関心がそちらを向いていなかったことを意味する場合が多い。三史料の性格の違いを整理したのが表1である。

表1 見付宿のお札ふりを伝える三史料の性格対比 ── 種類・視点・目的・史料批判上の留意点
史料名文書の種類記述の視点本来の目的伝えやすい事柄留意点(史料批判)
見付宿大略記宿の概略記(編纂的記録)町全体・共同体の側宿の来歴・町の出来事の記録町の大きな動き、公的な次第成立年・作成者は未確認。同時代記録か後年編纂かで史実性の重みが変わる。
永野家書留家に伝わる私的書留一つの家・個人の身辺見聞・身辺の出来事の書きとめ公的記述から漏れる具体・細部書き手の関心・見聞の範囲に記述が限られる。範囲外は記載なしと未確認を区別。
庚申中掛銭帳講の金銭帳簿(会計記録)講という寄合の側掛銭・費用の出入りの管理集まりの費用、寄合の時期情景描写を目的としない。金銭の記載から出来事を推す際は解釈の媒介を要する。

3. 背景 ── お蔭まつり・お札ふり・ええじゃないか

三史料の内容に立ち入る前に、それらが記す現象そのものについて、混同されやすい語をいくつか整理しておきたい。お蔭参り・お札降り・ええじゃないかの違いは、しばしば一括りに語られるが、本来は指し示す範囲が重なりつつもずれている。見付の社寺と町の信仰空間を踏まえて言えば、これらは幕末の民衆信仰という一つの地層の、異なる断面と考えるのが穏当である。

お蔭参りは、近世に幾度か起こった伊勢神宮への爆発的な集団参宮を指す。ほぼ六十年前後の周期で群衆が伊勢をめざした現象で、日常の秩序を一時的に離れる熱狂をともなった。これに対しお札降り(お札ふり)は、伊勢をはじめとする神仏の神符が天から降ったとされる出来事であり、それを瑞兆として人々が祝い騒いだ。そして「ええじゃないか」は、こうしたお札降りに端を発して各地に広がった、囃子言葉とともに踊り歩く熱狂的な騒ぎの総称として、後世に用いられるようになった呼称である。一般には慶応3年(1867年)を中心に東海・畿内を中心として広範に見られたと理解されているが、地域ごとの実態には差があり、見付宿の事例をこの全国的な図式へただちに当てはめることには慎重でありたい2

ここで素材に即して確かめておくべきは、三史料が用いる語の異同である。素材資料の整理によれば、見付宿大略記は「お蔭まつり」の様子を、永野家書留は「お札ふり」を、それぞれ伝えるとされる。同じ町の一連の出来事が、一方では伊勢参宮の系譜を引く「お蔭」の語で、他方では札の降下に注目する「お札ふり」の語で呼ばれている可能性がある。これは単なる用語の揺れにとどまらず、それぞれの書き手が出来事のどの側面に意味を見いだしていたかの反映として読める。お蔭の語は伊勢信仰と豊穣・報謝の文脈を、お札ふりの語は神符降下という奇瑞の側面を、それぞれ前面に出す。

この語の違いを、出来事の実態の違いと短絡してはならない。同一の騒ぎであっても、宿の概略を記す立場と、身辺を書きとめる立場とでは、それを名づける語が異なりうる。したがって語の異同は、史実の水準ではまず「各史料がそれぞれの語で記している」という事実として確定し、その背後で「同じ出来事を別の語で呼んだのか、別の局面を別の語で捉えたのか」を推定の水準で問う、という二段構えで扱うのが適切である。この腑分けを欠くと、語の一致・不一致から出来事の同一性を軽々に断じてしまう。

なお、見付宿がこうした現象の舞台となったこと自体は、地理的な条件からも理解しやすい。幕末の磐田地方と民衆の不安が示すように、見付は東海道の宿場として人と情報の行き交う要衝であり、中泉や今之浦、磐田原、旧豊田方面へ通じる道筋の結節点にあった。外から運ばれてくる知らせと、町の内側にわだかまる信仰や不安とが重なりやすい場であったことは、お札ふりの背景として押さえておいてよい。ただしこれは背景としての蓋然性であって、個々の記録の内容を保証するものではない。

宿場という場の性格は、同じ出来事が複数の名で呼ばれ、複数の回路で書きとめられたことの背景としても働く。宿には旅人が持ち込む噂、参宮帰りの者が語る伊勢の話、町内の講が抱える信仰、若者組が担う行動が、狭い通り沿いに折り重なっていた。ある者は伊勢に連なる「お蔭」の枠で出来事を受けとめ、ある者は目の前で起きた札の降下という奇瑞に驚き、ある者は寄合の費用として銭を出した。一つの騒ぎが宿の概略記・家の書留・講の帳簿という三つの回路に別々に沈殿したのは、この場が本来もっていた情報と信仰の多層性の反映にほかならない。だからこそ、三史料の照合は、出来事の復元であると同時に、宿場という場の重層性を裏側から読み取る作業にもなる。

お蔭参り 伊勢集団参宮 お札降り 神符降下の奇瑞 ええじゃないか 囃子と乱舞 重なりつつずれる三つの語 大略記は「お蔭まつり」、書留は「お札ふり」と記す。語の異同は出来事のどの側面に注目したかを映す。
図2 用語の関係。お蔭参り・お札降り・ええじゃないかは範囲が重なりつつずれる。史料ごとの語の違いは、まず記述の事実として確定し、実態の同一性は推定として別に問う。

4. 見付宿大略記を読む ── 町の記録という視点

史料①・宿の概略記

見付宿大略記 ── お蔭まつりを町全体の動きとして記す

史料の性格から読めること。見付宿大略記は、素材資料においてお蔭まつりの様子を伝える史料とされる。宿の概略を記す書物であるという性格を踏まえれば、その記述は個々の家の事情ではなく、町という共同体がどう動いたかに焦点を結んでいると考えられる。お札ふりを「お蔭まつり」の語で捉えている点は、この出来事を、突発的な騒擾としてよりも、伊勢信仰に連なる祝祭の一種として町の記録に位置づけようとする姿勢の反映とも読める。

この史料が強い部分。町全体を見渡す視点は、参加の広がりや町の空気といった、俯瞰的な情報を伝えるのに適する。個人の書留では捉えにくい「町ぐるみで動いた」という規模感は、宿の概略を記す立場だからこそ書きとめられる。お札ふりが一部の者の騒ぎにとどまらず、宿という共同体の出来事として認識されていたこと、その水準の事実は、この史料の性格からある程度の信頼をもって受けとめてよい。

史料批判上の留保。他方で、この大略記の成立事情が未確認である点は、評価を慎重にさせる。もしこれが出来事と同時代に近い記録であれば、その証言の重みは大きい。だが、後年になって宿の来歴を概略としてまとめた編纂物であるとすれば、記述はすでに整理と取捨を経ており、当時の生の混沌よりも、後から振り返って整えられた像を伝えている可能性がある。概略記という文書の性格そのものが、細部を捨てて大筋を残す方向に働くことも見落とせない。したがって、ここに記される「お蔭まつり」の像は、史料に記される水準としては確かでも、その史実性の細部までを保証するものではない。

本稿の評価:見付宿大略記は、お札ふりを町の共同体的出来事として位置づける俯瞰的証言として読む。規模感や町の関与という大づかみの水準では信頼しうるが、成立事情が未確認である以上、細部の史実性は他史料との照合を経て評価すべきである。

5. 永野家書留を読む ── 家に残る個人の記録

史料②・私的書留

永野家書留 ── お札ふりを身辺の見聞として書きとめる

史料の性格から読めること。永野家書留は、素材資料においてお札ふりの記録を伝える史料とされる。家に伝わる私的な書留であるという性格上、その記述は書き手の立ち位置、すなわち永野という一つの家の視点から、身のまわりで起きた出来事として綴られていると考えられる。大略記が「お蔭まつり」と町全体を名づけたのに対し、書留が「お札ふり」という札の降下そのものに即した語を用いているとすれば、それは書き手が奇瑞の側面を身近な出来事として書きとめたことの表れとも読める。

この史料が強い部分。私的な書留の価値は、公的な記録がすくい上げない具体にある。誰の家の近くで札が見つかったか、どの通りが賑わったか、書き手がその出来事をどう受けとめたかといった、生活の手ざわりを伴う細部は、身辺を書きとめる記録だからこそ残りうる。町の概略記が「町が動いた」と大づかみに記すところを、書留は「その一角で何が起きたか」の粒度で補完しうる。両者は視点の粗さが異なるがゆえに、照合したときに互いの空白を埋め合う関係に立つ。

史料批判上の留保。ただし私的記録には、公的記録とは別種の偏りがつきまとう。書き手の見聞の及ぶ範囲がそのまま記述の範囲となるため、家から遠い場所や関心の外の事柄は、たとえ起きていても書かれない。ここで「未確認」と「記載なし」の区別が要になる。書留に載っていない事柄について、それが「この書留には書かれていない(記載なし)」のか、「そもそも当該箇所を筆者がまだ確認できていない(未確認)」のかを、素材の情報だけで断ずることはできない。本稿の範囲では、永野家書留の記述の全体像を直接に検分できておらず、この点は未確認と明記しておく3

本稿の評価:永野家書留は、お札ふりを身辺の具体として伝える私的証言として読む。大略記の俯瞰を細部で補完しうるが、書き手の見聞の範囲という制約を負う。記述の範囲について、記載なしと未確認を混同しないことが肝要である。
大略記(俯瞰) 町が動いた =粗い粒度 書留(身辺) その一角で何が =細かい粒度 規模を与える 細部を与える 粒度の違いが生む相互補完 俯瞰と身辺は焦点が異なるため、照合すると互いの空白を埋め合う。
図3 俯瞰と身辺の相互補完。大略記は規模を、書留は細部を伝える。粒度の異なる二つの記録は、突き合わせることで単独では描けない像を結ぶ。

6. 庚申中掛銭帳を読む ── 講の帳簿という証言

史料③・講の金銭帳簿

庚申中掛銭帳 ── お札ふりを直接には描かない記録

史料の性格から読めること。庚申中掛銭帳は、素材資料において見付宿内の記録とされ、町内・講・信仰の手がかりを与える史料と位置づけられている。庚申講の掛銭を記した帳簿であるという性格上、この史料はお札ふりの情景を語ることを目的としていない。ここに書きとめられるのは、いつ、誰が、いくら掛銭を出したかという金銭の事実であって、天から札が降ったといった奇瑞の記述ではない。したがってこの帳簿からお札ふりを読むには、直接の描写ではなく、金銭の動きという間接的な痕跡を手がかりとする、一段の解釈が必要になる。

この史料が強い部分。それでも会計記録には、情景記録にはない独特の強みがある。金銭の出入りは、書き手の情緒や誇張が入り込みにくく、集まりが実際にあったこと、費用が実際に動いたことを、乾いた形で裏づける。もし帳簿の記載から、通常とは異なる時期の寄合や臨時の出費が読み取れるなら、それは町のなかで人々が集まり動いた事実の、間接的だが手堅い証拠となりうる。祭りや騒ぎは費用をともない、その痕跡は帳簿に沈殿する。この「描かれないが記録される」という性質こそ、会計史料を照合に加える意義である。

史料批判上の留保。もっとも、間接証拠であることの限界は明確に引いておかねばならない。掛銭帳の出費が、お札ふりに直接結びつくものであったかどうかは、帳簿の記載だけからは決められない。庚申講には本来の定例の営みがあり、その通常の出入りと、お札ふりに関わる臨時の動きとを、素材の情報だけで腑分けすることはできない。すなわち、この帳簿がお札ふりの時期に何らかの動きを示していたとしても、それを直ちにお札ふりの証拠と読むことは、解釈の飛躍を含む。本稿の範囲では、掛銭帳の具体的な記載を逐一検分できておらず、金銭の動きとお札ふりの結びつきは推定の水準にとどまる。

本稿の評価:庚申中掛銭帳は、お札ふりを直接描かないがゆえに、かえって町の集まりの実態を乾いた形で裏づけうる会計証言として読む。ただし金銭の動きと出来事の結びつきは推定にとどまり、確定には帳簿の具体的記載の検分を要する。
掛銭の記載 金銭=乾いた事実 寄合・出費 人が集まった お札ふり 推定でつなぐ 間接痕跡から出来事への距離 実線は帳簿から確実に言える範囲、破線は解釈の媒介を要する推定の飛躍を示す。
図4 間接証拠の射程。掛銭帳から「寄合と出費があった」ことは手堅く言えるが、それを「お札ふりの証拠」と読むには破線部の推定が介在する。

7. 史料を突き合わせる ── 言えることと言えないこと

三史料の性格を一点ずつ吟味したうえで、いよいよ本稿の主眼である照合に移る。照合とは、複数の記録を並べて、記述が重なる部分と食い違う部分、そして一方にあって他方にない部分を読み分ける作業である。ここで得られる結論は、単一史料からは引き出せない種類のものになる。

第一に、記述が重なる部分について。仮に大略記と書留が、同じ時期の見付宿でお札にまつわる出来事があったと、それぞれの語で記しているとすれば、性格の異なる二つの記録が独立に同じ方向を指していることになり、その出来事があったという史実性の推定は、一史料だけの場合より確からしくなる。俯瞰の記録と身辺の記録という、書き手の立ち位置も目的も異なる二者が符合するとき、それは偶然の一致とは考えにくいからである。さらに掛銭帳が同時期の寄合の痕跡を示すなら、傍証がもう一段加わる。ただしこれはあくまで「素材が伝える史料名と性格から論理的に導ける照合の型」であって、三史料の記載が実際に同一時期を指すか否かの逐一の突合は、原史料の検分を要し、本稿の範囲では未確認である。

第二に、記述が食い違う、あるいは一方にしかない部分について。大略記が「お蔭まつり」と呼び、書留が「お札ふり」と呼ぶという語の差は、前節で述べたとおり、出来事の別々の側面への注目の差として読める。ここで重要なのは、この食い違いを「どちらが正しいか」の問題として処理しないことである。俯瞰の立場は祝祭としての全体像を、身辺の立場は札の降下という具体を、それぞれ正当に捉えているのであって、二つの語はむしろ出来事の多面性を、二つの角度から証言していると読むべきである。照合の妙味は、一致が信頼を高めるだけでなく、不一致もまた情報になる点にある。

第三に、どの史料にも見えない部分について。ここでこそ「未確認」と「記載なし」の区別が決定的になる。ある事柄が三史料のいずれにも現れないとき、それが「三史料の関心のいずれもがそちらを向いていなかった(=構造的な記載なし)」のか、「本稿がまだ原史料の該当箇所に到達していない(=未確認)」のかで、含意はまったく異なる。前者であれば、その空白は当時の記録の関心の輪郭を逆に描き出す積極的な情報となる。後者であれば、それは今後の調査で埋めるべき課題にすぎない。本稿は素材資料の整理に依拠する段階にあるため、多くの空白は現時点では未確認に分類すべきであり、これを軽々に「記録に残らなかった」と断ずることは戒めねばならない4

沈黙のもつ意味は、史料の種類によっても非対称である。会計帳簿が情景を語らないのは、その帳簿が沈黙しているというより、そもそも情景を書きとめる装置ではないからである。私的な書留が町の全体像を語らないのは、書き手の視野がそこまで及ばないからであって、町の動きが無かったからではない。宿の概略記が個々の家の細部を落とすのは、概略という様式が細部を捨てる方向に働くからである。したがって、それぞれの史料の沈黙は、同じ重さの「無かった」を意味しない。ある史料が黙っている事柄について、別の性格の史料が雄弁でありうるという、この非対称の関係こそが、複数史料の照合を実り多いものにする。沈黙を読むとは、その史料がどの方向に向けて開かれ、どの方向に向けて閉じているかを見きわめることにほかならない。

この照合作業から浮かび上がるのは、方法上の一つの教訓である。史料の照合は、記述の一致から出来事を確定していく単純な足し算ではない。むしろ、各史料が何を語り、何を語らないかという「関心の地図」を重ね合わせ、その重なりと隙間から、出来事の輪郭と、記録という営みそのものの性格とを、同時に読み取っていく作業である。お札ふりという一つの出来事を素材にすれば、宿の共同体は町の動きを、家は身辺の具体を、講は金銭の流れを、それぞれの関心に従って書きとめた。その三つの関心の交わるところに、幕末見付宿の一断面が、単一の記録よりも立体的に立ち上がる。

あわせて、本稿が採らなかった態度も明記しておきたい。史料が断片的であることを埋めるために、素材にない史料名を持ち出したり、他地域の事例の細部を見付宿の事実として流用したりすることは、してはならない。断片は断片として、確度の層を保ったまま扱う。三史料の照合から確実に言えるのは、性格の異なる複数の記録が見付宿のお札ふりに関わって残されている、というその事実であり、個々の年月日や参加人数といった具体は、原史料の検分を経てはじめて推定から史実の水準へ近づけていくべき課題である。

史料に記される水準 「そう記されている」=確認できる史実 背後の史実性 「実際そうか」=吟味を要する推定 記載なし 確かめた上で史料に無い=関心の外 未確認 まだ突き当たっていない=今後の課題 照合を支える二組の区別
図5 照合を支える二組の区別。上段は記述の事実と背後の史実性、下段は記載なしと未確認。この四象限を混同しないことが、複数史料を突き合わせる際の前提となる。

最後に、照合という方法が郷土史の実務にもつ含意を、図をもって示しておきたい。単一の史料に依拠する記述は、その史料の視点に閉じ込められる。複数の史料を照合する記述は、視点の複数性そのものを資源として、出来事の立体像へ向かう。この違いは、地域史を「誰かが書き残した一つの話」として受け取るか、「複数の記録が交わる場」として読み直すかの違いに対応する。

一史料 視点に閉じる 交点に立体像 閉じた記述から交わる記述へ 照合は視点の複数性を資源に変え、出来事の輪郭を立体的に描き出す。
図6 方法の対比。単一史料の記述はその視点に閉じるが、複数史料の照合は視点の交点に立体像を結ぶ。本稿はこの後者の手続きを見付宿のお札ふりで実演した。

8. 結論 ── 複数の記録から一つの祭りを立体的に読む

本稿は、見付宿のお札ふりを、見付宿大略記・永野家書留・庚申中掛銭帳という性格の異なる三つの記録を突き合わせて読む、史料学的な手続きを実演してきた。得られた見取り図は次のとおりである。三史料は、同じ町の出来事に対して、宿の概略という公的な視点、家の書留という私的な視点、講の帳簿という金銭の視点を、それぞれ提供する。町の動きは大略記に、身辺の具体は書留に、集まりの費用は銭帳に、それぞれ痕跡を残しやすく、一つの記録の空白は、しばしば他の記録の関心によって照らされる。

この照合を通じて本稿が一貫して守ったのは、二組の区別である。第一に、史料に記される水準(そう記されているという確認しうる事実)と、その背後の史実性(実際にそうであったかという吟味を要する推定)とを分けること。第二に、「記載なし」(確かめたうえで史料に無い)と「未確認」(まだ突き当たっていない)とを分けること。この二組の区別を保つことで、記録の存在を出来事の実在へ短絡させる誤りと、空白を性急に「無かった」と読む誤りの、双方を避けることができる。

したがって本稿の立場は明確である。見付宿のお札ふりの研究は、どれか一つの史料に依拠して一つの物語を語る段階から、性格の異なる複数の記録を照合し、各史料が何を語り何を語らないかを腑分けする段階へと、組み替えられるべきである。三史料の照合から現時点で確実に言えるのは、性格の異なる複数の記録が見付宿のお札ふりに関わって残されているという事実であり、個々の年月日・参加の規模・具体的な情景といった細部は、原史料の検分を経て、推定から史実の水準へ一歩ずつ近づけていくべき課題として残る。

あわせて、本稿が扱いきれなかった課題を明記しておく。第一に、三史料の記載が実際に同一時期・同一の出来事を指すか否かの逐一の突合は、原史料に直接あたることを要し、本稿の範囲では未確認にとどまる。第二に、庚申中掛銭帳の金銭の動きとお札ふりとの結びつきは、講の定例の営みと臨時の動きとを腑分けする作業を経てはじめて、推定から一歩進めうる。第三に、見付宿の事例を全国的な「ええじゃないか」の図式へどう位置づけるかは、他地域の記録との比較を要する主題であり、本稿の対象を超える。これらはいずれも、本稿が設定した確度の層の枠組みのなかで、未確認を史実へ、推定を通説へと押し上げていく作業に属する。一つの祭りを複数の記録から立体的に読むという手続きは、その地道な積み上げの出発点にすぎない。関連する論点として、見付という町における祭礼と信仰の重層については、すでに見付天神裸祭の起源三説を扱った論考および見付の信仰空間を論じた論考で別の角度から検討しており、あわせて参照されたい。

本稿が素材とした見付宿には、お札ふりのような出来事の記憶とともに、家々に伝わった書留や帳簿のような古い記録が、いまも眠っていることがある。筆者は磐田・袋井で不動産と介護の実務に携わる立場から、こうした古い家や土地の整理に向き合ってきた。家・土地・空き家の整理について相談することができる。記録を読み解くことと、その記録を生んだ土地を次の世代へ手渡すことは、地続きの営みだと考えている。

  1. 見付宿大略記・永野家書留・庚申中掛銭帳の三史料名は、平成6年度『磐田市歴史セミナー資料集(全9回)』磐田市教育委員会、第7回「ええじゃないか ── 見付のお札ふり ──」の読み取りメモに基づく。本稿はこの整理を出発点とし、素材に現れない史料名を新たに立てることはしない。
  2. 慶応3年(1867年)を中心とする「ええじゃないか」の広がりは、近世民衆運動史の通説的理解によるが、地域ごとの実態には差があり、見付宿の事例をこの全国的図式へ直ちに当てはめることには留保を要する。
  3. 永野家書留の記述の全体像を、本稿は原史料に直接あたって検分できていない。したがって同史料の記載範囲について「記載なし」と断ずることはせず、「未確認」として扱う。
  4. 「未確認」は管見の限り裏づける記述に突き当たっていない状態、「記載なし」は当該史料を確かめたうえで記述がないと言える状態を指す。本稿では両者を語の水準で区別する。
  5. 本稿は一般読者向け記事 c042「史料で読む見付宿のお札ふり」の内容を、郷土史研究者向けに史料批判・史料照合の観点から再構成した論考版である。史実(記される水準)・推定(史実性)・未確認・記載なしを語の水準で区別した。

参考文献・参考資料

  • 平成6年度『磐田市歴史セミナー資料集(全9回)』磐田市教育委員会、第7回「ええじゃないか ── 見付のお札ふり ──」。
  • 見付宿大略記(前掲『磐田市歴史セミナー資料集』第7回所載の史料名による)。
  • 永野家書留(前掲『磐田市歴史セミナー資料集』第7回所載の史料名による)。
  • 庚申中掛銭帳(前掲『磐田市歴史セミナー資料集』第7回所載の史料名による)。
  • 磐田市『磐田市史』通史編(磐田市、該当章)。
  • 磐田市『磐田市史』史料編(近世、該当巻)。
  • 藤谷俊雄『「おかげまいり」と「ええじゃないか」』岩波新書、1968年。
  • 静岡県『静岡県史』通史編(近世、該当章)。
  • 見付宿・東海道に関する地域史料整理(磐田市教育委員会編、関係諸冊)。
  • 庚申信仰・講に関する民俗誌(遠州地域の事例を含む概説)。
  • 磐田市デジタル資料・文化財情報 https://www.city.iwata.shizuoka.jp/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 磐田物語 c042「史料で読む見付宿のお札ふり」 https://iwata-monogatari.net/c042.html (最終閲覧:2026年7月26日)。
  • 国立国会図書館デジタルコレクション(近世・近代の関係資料) https://dl.ndl.go.jp/ (最終閲覧:2026年7月26日)。