失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
南部地区 成り立ち詳細

南部の成り立ち ── 沿革年表・学校区・大字

明治の長野村・南御厨村の一部から、昭和の磐田市編入、平成の磐田市合併まで。南部地区の成り立ちを、年表と対応表で整理します。

長野村ほか 明治22年(1889年) → 磐田市へ編入 昭和30年(1955年) → 新・磐田市 平成17年(2005年)

南部地区とはどんな土地か

磐田市の南部地区は、市街地の南に広がる、今之浦から遠州灘の方向へと続く一帯である。この土地の歴史をたどると、その根っこは、古くから開けた農村地帯にあった。豊島(としま)、北島、千手堂(せんじゅどう)、中野といった集落の名は、いずれも長い歴史を持つ。とりわけ千手堂には、平家物語ゆかりの千手前の墓と伝わる場所があり、この地が中世以来、人々の営みの舞台であり続けてきたことを、静かにうかがわせる。地名の一つ一つに、こうした歴史の物語が結びついているのである。低地が多く、今之浦の水と深く関わってきたこの一帯は、たびたびの水害と戦いながら、少しずつ田畑を開き、粘り強く暮らしを築いてきた土地でもある。「南部地区」という呼び名は、行政上の区分としては比較的新しいものだが、その内側には、それぞれに古い歴史を持つ村々が、いくつも含まれているのである。一つの「地区」という言葉でひとくくりにされる範囲のなかに、実に多様な来歴を持つ集落が寄り集まっている ── そのことを念頭に置いて読み進めると、この地区の奥行きが、より深く見えてくるだろう。

この記事では、そうした南部地区が、どのような町村の再編を経て、現在の「磐田市南部地区」というまとまりになったのかを、年表と対応表を中心に整理する。地区の成り立ちを知ることは、自分の住む町が、どんな歴史の積み重ねの上にあるのかを知ることでもある。数字と地名の並ぶ資料の向こうに、この土地に生きてきた人々の歩みを、読み取っていきたい。なお、資料のなかには、出典を確認できていない項目もあり、それらには「要確認」「調査中」を付している。地域の成り立ちを正確にたどることは、思いのほか難しい作業でもある。分かっていることと、まだ分からないことを、正直に区別しながら記録していくこと ── それもまた、地域史を扱ううえで欠かせない誠実さである。

三度の大きな節目 ── 明治・昭和・平成。 南部地区の成り立ちを大づかみにとらえると、明治・昭和・平成という三つの時代に、それぞれ大きな節目があったことが見えてくる。第一の節目は、明治22年(1889年)の町村制の施行である。それまで小さな村に分かれていた集落が、いくつか合わさって、長野村などの新しい行政村へとまとめられた。第二の節目は、昭和30年(1955年)、これらの地域が磐田市へと編入されたことである。そして第三の節目が、平成17年(2005年)、福田・竜洋・豊田・豊岡との合併による、新しい磐田市の誕生である。小さな村から、大きな市の一部へ ── およそ百二十年をかけて、この土地の行政上の枠組みは、段階的に大きくまとめられてきた。それぞれの合併の背後には、その時代ごとの事情と、人々の暮らしの変化があった。

明治22年の町村制は、近代国家をつくるための地方制度の整備だった。それまでの自然な村のまとまりを、行政の単位として再編し、戸籍や徴税、学校の運営などを効率よく行えるようにする ── そのために、それまでの小さな村がいくつか合わさって、新しい行政村がつくられていったのである。昭和30年の磐田市への編入は、戦後の復興と発展のなかで、周辺の町村が中心都市である磐田市と一体化していく動きの一環だった。そして平成17年の大合併は、少子高齢化や財政の効率化といった、現代的な課題を背景としている。この三度の節目は、それぞれまったく異なる時代の要請に応えたものだが、いずれも「より大きなまとまりへ」という、一つの共通した方向を向いていた。行政の枠組みが大きくなるにつれて、かつての村々の名は「大字」として残され、消えゆく地域の記憶をとどめる、大切な役割を担うようになったのである。

南部地区の成り立ち ── 三度の節目 明治22(1889)町村制・長野村ほか 昭和30(1955)磐田市へ編入 平成17(2005)新・磐田市へ 小さな村から、大きな市の一部へ ── 約120年の歩み
図1 南部地区の成り立ち。明治の町村制、昭和の磐田市編入、平成の新磐田市誕生という三度の節目を経てきた。

町村沿革年表

南部地区の町村沿革年表
年月日出来事関係する旧町村・地区現在の地名・地区との関係出典
1889(明治22).4.1町村制施行により、のちに磐田市へ編入される天竜川下流の村々(長野村ほか)が発足。長野村 ほか南部地区の母体一般史(調査中)
1894(明治27).5.31御厨村から南御厨村が分立。その一部が現在の南部地区に関係する。南御厨村一部が南部地区『御厨村』ほか
1955(昭和30).1.1長野村・南御厨村の一部などが磐田市へ編入。長野村・南御厨村ほか旧磐田市の一部に『御厨村』『磐田市』
2005(平成17).4.1旧磐田市・豊田町・竜洋町・福田町・豊岡村が新設合併し、現在の磐田市が発足。旧磐田市ほか4町村現在の磐田市『磐田市』ほか
現在磐田物語では、天竜川下流域の生活圏を中心に「南部地区」として整理。南部地区当ページの対象範囲磐田物語(分類方針)

注記: 天竜川村など個々の旧村の所属・編入年の詳細は、出典の追加確認中です(調査中)。南部地区は磐田市統計上は旧磐田市域(磐田地区)に含まれます。

旧町村・大字対応表

旧地域名から現在の地区分類への対応
旧町村・旧地域名成立・変遷現在の主な大字・町名磐田物語での分類備考
長野村1955 磐田市へ編入豊島・北島・岡田 ほか南部地区
南御厨村〔一部〕1894 御厨村から分立 → 1955 一部が磐田市へ鮫島・中野 ほか一部が南部地区要再確認
天竜川下流の旧村天竜川の河道変遷とともに変化新島・長須賀 ほか南部地区調査中

出典を確認できない項目には「要確認」「調査中」を付しています。

現在の学校区。 正確な通学区域は、磐田市の最新情報をご確認ください。

中学校区

学校関係する地域備考
南部中学校南部地区

小学校区

学校関係する地域備考
磐田南小学校南部地区
長野小学校南部地区

主な大字・町名。 南部地区に関係する主な大字・町名は次のとおりです。「〜の一部」とあるものは、町の一部のみが当地区に該当します。

天龍の一部、豊島、北島、千手堂、万正寺、中野、上大之郷、下岡田、上岡田、大原の一部、下大之郷、浜部、鮫島、小島、野箱、白拍子、草崎、前野、新島、長須賀、真光寺、刑部島

大字が語る土地の記憶。 ずらりと並んだ大字(おおあざ)の名を、ただの地名の羅列として読み飛ばすのは、もったいない。一つ一つの名には、その土地の成り立ちや、かつての姿が刻まれていることが多いからである。たとえば「鮫島(さめじま)」「小島」「新島」「刑部島(おさかべじま)」のように、「島」の付く地名がいくつも見られる。これは、この一帯がかつて今之浦の入り江や低湿地のなかにあり、まわりを水に囲まれた「島」のような小高い場所に、人々が身を寄せて住みついたことの名残と考えられる。また「上大之郷」「下大之郷」の「大之郷(おおのごう)」は、古代の大之浦(おおのうら)という入り江に由来するともいわれ、この地の古い水辺の記憶を、今もひそかに伝えている。地名は、いわば土地が自らの過去をそっと語りかける、最も小さな声である。南部地区の大字を丁寧に読み解くと、水とともに生きてきたこの土地の、長い歴史が浮かび上がってくるのである。

南部地区の歴史は、まさに水との関わりの歴史でもあった。今之浦の低地に開けたこの一帯は、豊かな水の恵みを受ける一方で、しばしば水害にも悩まされてきた。田畑を開き、暮らしを守るために、人々は堤を築き、水路を整え、少しずつ土地を安定させてきた。今之浦や大池の干拓・埋立ての歴史は、そうした先人たちの営みの積み重ねである。いま、南部地区が住宅地として発展し、多くの人が安心して暮らす土地となっているその足もとには、幾世代にもわたって水と向き合い続けてきた、長い苦闘の歴史が横たわっている。地名や沿革の記録は、そうした目に見えにくい土地の来歴を、私たちに教えてくれる、貴重な手がかりなのである。

成り立ちを知るということ。 一つの地区の「成り立ち」を、年表や対応表として整理しておくことには、どんな意味があるのだろうか。それは、いま自分が暮らす町が、決して初めからこの形だったのではなく、いくつもの村が、長い時間をかけて再編を重ねた末にできあがったものだ、ということを教えてくれる。合併によって行政上の村の名は消えても、その土地に生きた人々の営みや記憶が消えるわけではない。大字として残る古い地名、代々受け継がれてきた祭りや行事、そして家々にひそかに伝わる言い伝え ── そうしたものの一つ一つが、行政の記録には残らない、この土地の本当の歴史を形づくっている。南部地区の成り立ちをたどることは、行政の記録の背後にある、人々の暮らしの歴史へと分け入っていくための、確かな入り口なのである。自分の住む町の来歴を知ることは、その土地への愛着を、いっそう深めてくれるにちがいない。何気なく通り過ぎている道や、当たり前のように口にしている町の名にも、実はこれほど長い歴史が積み重なっている ── そのことに気づくとき、見慣れた風景は、まったく新しい表情をもって立ちあらわれてくるはずである。

「島」の地名が語る、水辺の土地 かつての低湿地・入り江 鮫島 小島 新島 刑部島 水に囲まれた高まり(島)に、人々は集落を築いた
図2 「島」の地名が語る水辺の土地。鮫島・小島・新島・刑部島など、水に囲まれた高まりに集落が営まれた名残と考えられる。

参考資料・出典。 磐田市公式資料/『南部』『磐田市』ほか沿革に関する公開資料/磐田市教育委員会文化財課『ふるさと散歩 南部編』(南部編)/磐田市史・旧町村史・地域資料

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南部の成り立ちを調べていくと、家や土地には、登記簿だけでは分からない地域の記憶が残っていることがあります。相続した家、空き家、使わなくなった土地について、「売る・貸す・残す」の前に、一度整理して考えたい方は、富士ヶ丘サービス株式会社までご相談ください。