失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語向陽地区 / 岩田小学校の153年

向陽地区の記憶 | 学校史

岩田小学校の153年
── 匂坂学校から向陽小学校へ

明治6年、平松学校の分校「匂坂学校」として始まった学びの場は、岩田尋常小学校、岩田国民学校、磐田市立岩田小学校を経て、2026年に向陽小学校へ継承された。匂坂・寺谷の土地に根ざした学校の歩みを、校地、校歌、一輪車、ホタル、閉校行事から読む。

この記事の要点

岩田小学校の153年は、学校だけの歴史ではない。匂坂中、匂坂上、匂坂新、寺谷、寺谷新田という地域が、子どもたちを通じて一つの学区として結び合ってきた歴史である。岩田村の成立、戦時下の国民学校、戦後の施設整備、平成期の環境教育、そして閉校行事までをたどると、岩田地区の共同体がどのように学校を支え、学校がどのように地域の中心になってきたかが見えてくる。

本稿は、PDF「磐田市の岩田小学校調査」を基礎資料とし、既存の磐田物語記事と照合して再構成した。PDF中の出典番号は本文では整理し直し、断定できない箇所は「とされる」「伝える」と表現した。

匂坂学校として始まった

PDF「磐田市の岩田小学校調査」によれば、岩田小学校の源流は1873年(明治6年)、平松学校の分校として設けられた「匂坂学校」にある。学制発布から間もない時期に、匂坂の地にも近代教育の場が置かれたことになる。

1876年(明治9年)には校舎を匂坂中村46番地へ移したとされる。現在の感覚でいえば小さな移転に見えるが、寺子屋的な学びから制度としての学校へ移る時代に、どこへ校舎を置くかは地域の中心を示す重要な選択だった。

1889年(明治22年)、町村制により岩田村が成立すると、学校は岩田尋常小学校となった。岩田村は匂坂・寺谷・新田を含む複数の村々がまとまってできた村である。学校名が「岩田」を名乗ることは、旧村の寄り集まりを一つの地域として見せる働きも持っていた。

高等科と村の学校

明治後期になると、岩田の学校は初等教育だけでなく、より長く学ぶ場として整えられていく。1897年(明治30年)には補修科、1901年(明治34年)には高等科が置かれ、岩田村立岩田尋常小学校となったと資料は伝える。

1908年(明治41年)の義務教育年限延長、1922年(大正11年)の高等科再設置を経て、学校は岩田尋常高等小学校となる。村の子どもたちが読み書きだけでなく、地域の将来を担う人材として育てられていく場になっていった。

匂坂中987番地へ

1941年(昭和16年)、国民学校令により、学校は岩田村立岩田国民学校へ改称された。同じ年、閉校時まで続く所在地である匂坂中987番地へ移転したとされる。戦時下の制度変更と校地移転が同時に重なったことは、岩田小学校史の大きな節目である。

戦後の1947年(昭和22年)には、6・3制のもとで岩田村立岩田小学校となり、岩田村立岩田中学校も併設された。1954年(昭和29年)には学校給食が始まり、1956年(昭和31年)の市町村合併により磐田市立岩田小学校となった。

1961年(昭和36年)の北校舎、1978年(昭和53年)の体育館、1980年(昭和55年)の特別教室棟など、昭和後期には施設整備が進む。進学先も1965年(昭和40年)に組合立豊田中学校、1983年(昭和58年)に磐田市立向陽中学校へ変わり、のちの向陽学府につながる学校区の輪郭が整っていった。

校歌と音楽の記憶

1972年(昭和47年)、岩田小学校の校歌が制定された。作詞は「サッちゃん」などで知られる阪田寛夫、作曲は市川都志春であるとPDFは整理する。地域の学校の校歌でありながら、児童文学と音楽の専門家が関わった作品であったことは、岩田小学校の文化的な記憶として大切に扱いたい。

平成期には「岩田小マーチ」や「かわいいかわいいかわの歌」もつくられたとされる。閉校期には、校歌を未来へ残すための録音や動画も公開され、学校の記憶が紙の沿革だけでなく、声と音としても残された。

一輪車の学校

岩田小学校を語るうえで欠かせないのが、一輪車である。PDFは、児童一人につき一台の一輪車が割り当てられ、休み時間や体育の授業で日常的に練習されていたと整理する。ホッピング、アイドリング、フラフープ回り、バック走行など、段階的な技能を積み重ねる仕組みもあった。

一輪車は、単なる運動種目ではない。転んでもまた乗ること、友達に教えること、学年を越えて刺激を受けることが、岩田小学校らしい学びになっていた。小規模校だからこそ、全校で同じ目標に向かいやすく、運動会の演技や一輪車チャレンジは地域にも見える学校文化になった。

ホタル、花、ICT、支援の広がり

平成期の岩田小学校は、環境教育にも力を入れた。1989年(平成元年)のホタル小屋、1997年(平成9年)のホタル文庫、1998年(平成10年)の「学校自慢づくり」「花と緑の学校づくり」「ホタルフレンドクラブ」など、地域の自然を学校教育に取り込む活動が続いた。

一方で、岩田小学校は伝統だけに閉じた学校ではなかった。英語活動の研究、ICT機器活用、Chromebookの導入、特別支援学級の整備など、時代の変化にも対応していったと資料は伝える。匂坂・寺谷の土地に根ざしながら、学校としては新しい教育課題も受け止めていたのである。

閉校行事を地域でつくる

2026年(令和8年)3月14日、岩田小学校の閉校式が行われた。PDFは、閉校行事実行委員会が地域主体で準備を重ね、閉校の約2か月前の時点ですでに21回目の会合を数えていたと紹介する。学校が地域の中心であったからこそ、閉校もまた地域の手で整えられていった。

児童も受け身ではなかった。4年生から6年生の児童による「笑顔あふれる岩田小チーム」が、宝探しゲームなどの思い出づくりを企画したとされる。校舎の外壁には、一輪車をモチーフにした巨大壁画も描かれた。閉校は、学校が消えることを悲しむだけの行事ではなく、記憶を未来へ渡すための共同作業になった。

翌3月15日には、地元組織「岩田故郷の会」の主催で「お花畑コンサート」が開かれ、児童がベル演奏と歌唱を披露したと資料は伝える。閉校の最後に音楽が置かれたことは、校歌や学校歌の記憶とも響き合う。

向陽小学校へ何が受け継がれたか

岩田小学校、大藤小学校、向笠小学校は、2026年3月31日に閉校し、同年4月1日、向陽中学校敷地内の磐田市立向陽小学校へ統合された。向陽学府小中一体校は、9年間の連続した学びを意識した学校であり、交流コモンズ、学年コモンズ、ラーニングセンター、ランチルーム、みんなの家などを備えるとされる。

新しい校章には、向陽学府のコスモス、9年間の学び、三つの小学校のシンボルカラーが重ねられている。PDFでは、岩田小の色もその中に含まれていると整理されている。校名としての岩田小学校は閉じたが、岩田の子どもたちが育ってきた学校文化は、向陽小学校の中で他の二校の記憶と並びながら残っていく。

岩田小学校年表

表1 岩田小学校の主な変遷
出来事読みどころ
1873年平松学校の分校「匂坂学校」として創立岩田小学校153年の起点。
1876年匂坂中村46番地へ移転地域の中に校舎を持つ段階へ。
1889年岩田尋常小学校へ町村制による岩田村成立と連動。
1901年高等科を設置村の教育需要の広がり。
1941年岩田国民学校へ改称、匂坂中987番地へ移転戦時下の制度変更と校地移転。
1947年岩田村立岩田小学校へ戦後の6・3制へ。
1956年磐田市立岩田小学校へ改称岩田村の磐田市編入と連動。
1972年校歌制定阪田寛夫作詞、市川都志春作曲とされる。
1983年進学先が磐田市立向陽中学校へ向陽学府へつながる学校区の形成。
1989年ホタル小屋設置環境教育の始まりの一つ。
2003年開校130周年記念「大樹祭」学校文化を地域で共有する節目。
2013年向陽中学校区小中一貫教育指定校、創立140周年式典統合前から続く小中一貫の流れ。
2026年3月14日閉校式地域主体の閉校行事の節目。
2026年4月1日磐田市立向陽小学校開校岩田・大藤・向笠の三校から新しい学府へ。

岩田の名は、どこへ残るのか

岩田という行政地名は現在の磐田市の地名としては前面に出にくい。しかし、岩田小学校、岩田地区自治会、岩田神社、岩田山増参寺、そして匂坂・寺谷の土地の記憶を通じて、地域名としての岩田は生き続けてきた。

学校が閉じたあと、その名を残す力は弱まるかもしれない。だからこそ、岩田小学校の153年を記録する意味がある。一輪車に乗る子どもたち、ホタルを育てた校庭、校歌を歌った体育館、閉校式の壁画。そうした具体的な記憶が残るかぎり、岩田小学校は単なる過去の施設名ではなく、向陽地区を形づくった一つの教育文化として読み直すことができる。

用語メモ

匂坂学校

1873年(明治6年)に平松学校の分校として始まったとされる、岩田小学校の源流。匂坂の地に近代教育の場が置かれたことを示す。

一輪車チャレンジ

岩田小学校の特色ある教育活動。段階的な技能認定を通じて、平衡感覚だけでなく、挑戦、忍耐、学年を越えた教え合いを育てた。

向陽学府小中一体校

向陽中学校の敷地内に、岩田小学校・大藤小学校・向笠小学校を統合した向陽小学校を置き、小中一貫の教育環境を整える構想。2026年4月1日に向陽小学校が開校した。

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