磐田郷土史研究紀要
大石浩之の磐田論考 第251号(見付天神裸祭研究)
鬼踊りと飛蘇鞠 ── 見付天神裸祭の動と静、二つの極
拝殿の群舞と消灯渡御を、一つの神事を支える対の所作として読む
1 富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役
要旨
見付天神裸祭の核心は、拝殿を揺らす鬼踊りだけにあるのではない。腰蓑の裸衆が身体をぶつけ地を踏む「動」の鬼踊りに続いて、町の灯火が一斉に消え、神輿が漆黒の闇を総社へ渡る「静」の飛蘇鞠(消灯渡御)が訪れる。本稿は、この二つの神事を対立する見せ場としてではなく、一つの渡御を支える対の極として読み直す。鬼踊りにおける鈴と触の規則、八鈴の儀という転換点、消灯渡御における光の禁忌、そして飛蘇鞠という語の由来を、史実・通説・推定・伝承の層に腑分けして整理する。祭礼の次第や禁忌の多くは保存会・神社の資料で確認できる一方、飛蘇鞠の語義や所作の成立年代を直接記す一次史料は管見の限り確認できない。この「未確認」と「記載なし」の区別を保ちつつ、本稿は動と静の二段構成を、穢れを祓い切って神を送り出すための一貫した儀礼過程として記述する立場をとる。
キーワード:見付天神裸祭/鬼踊り/飛蘇鞠/消灯渡御/反閇/総社渡御/史料批判
1. 問題設定 ── 二つの極として読むということ
見付天神裸祭を語るとき、多くの記述はまず鬼踊りに焦点を当てる。腰蓑をまとった裸衆が拝殿にひしめき、汗を飛ばしながら練り合うその光景は、遠州の秋を代表する強烈な像として広く知られてきた。しかし、この祭礼を鬼踊りの一点だけで理解しようとすると、祭りの後半に訪れるもう一つの神事が視野から抜け落ちる。鬼踊りが最高潮に達したのち、見付の町は一斉に灯を消し、神輿は闇のなかを総社へと渡る。この消灯渡御こそが、しばしば飛蘇鞠(ひそまり)の語で呼ばれる、静寂の神事である。
本稿の出発点は、鬼踊りと飛蘇鞠を切り離さず、一続きの対として読むことにある。すなわち、鬼踊りを「動」の極、飛蘇鞠を「静」の極とし、両者が同じ一つの渡御神事のなかでどのように役割を分け合い、補い合っているのかを問う。ここで「動」「静」という対比は、単なる見た目の印象ではなく、祭礼の所作が担う機能の違いを指す言葉として用いる。動が身体で場を祓う所作であるとすれば、静は祓われた神を送り届ける所作である。この二つが順序をもって連なるとき、裸祭は無秩序な熱狂ではなく、きわめて構造化された渡御神事として立ち現れる。
こうした読みを試みる理由は、祭礼の記述がしばしば「激しさ」の描写に偏りがちだという反省にある。鬼踊りの迫力は確かに祭りの華であるが、その迫力だけを取り出して語ると、なぜその激しさが必要なのか、激しさのあとに何が来るのか、という問いが抜け落ちる。動と静を対に置くことは、鬼踊りの熱気を渡御の準備として、消灯渡御の沈黙を鬼踊りの帰結として、それぞれ相手の存在によって意味づけ直す作業でもある。
本稿の記述にあたっては、確度の異なる情報を同じ平面で混同しないための枠組みを設ける。第一に史実、すなわち保存会・神社・行政などの資料で確認できる次第・時刻・装束・禁忌。第二に通説、広く受け入れられているが一点で確定できない事柄。第三に推定、根拠はあるが未確定の事柄。第四に伝承、地域で語り継がれてきた意味づけである。この四層を語の水準で書き分け、層をまたいだ断定を避けることを、以下の検討の基本姿勢とする。とりわけ飛蘇鞠の語義や所作の起源をめぐっては、確度の低い伝えを史実のように語らぬよう、慎重に腑分けを行う。
なお、裸祭の起源そのものをめぐる歓喜踰躍舞説・人身御供説・反閇説の三説については、すでに本論考シリーズの第1号「起源三説の学史的検討」で扱った。本稿はその起源論を反復するのではなく、成立年代の問題をいったん括弧に入れ、現に伝わる祭礼形式のなかで鬼踊りと飛蘇鞠がどのような対をなすのかという、共時的な構造の分析に軸を置く。以下ではまず史料で確認できる御大祭の次第を押さえ、続いて動の極・静の極を順に検討し、語義の諸説と両者の比較を経て、結論に至る。
2. 史料で確認できる御大祭の次第
動と静の検討に入る前に、資料によって確認できる御大祭当夜の次第を確定しておきたい。見付天神裸祭は、静岡県磐田市見付の矢奈比賣神社(通称・見付天神)を中心に営まれ、国の重要無形民俗文化財に指定されている1。御大祭の夜、祭りを担う四つの梯団──西区・西中区・東中区・東区──は、午後9時の煙火を合図に各地区を出発し、旧東海道を練りながら矢奈比賣神社を目指す。裸衆は晒の褌に新藁の腰蓑をまとい、午後11時ごろ拝殿へ堂入りする。ここで行われる激しい練り合いが、鬼踊りである。
堂入りには順序がある。西区が一番触、続いて西中区、東中区、そして東区が三番触として最後に拝殿へ入るとされる。ここでいう「触(ふれ)」とは、梯団が拝殿に入る合図であり、その順序自体が四つの梯団の関係と、祭りが一定の筋道に沿って進行する神事であることを示している。堂入りから鬼踊り、そして神輿の出御・渡御・還御へと続く一連の流れは、当夜の限られた時間のなかに、明確な段階を刻んで配置されている。
この次第で注目すべきは、祭りが「いつ、どの区が、どのように動くか」を細かく定めている点である。梯団の出発時刻、練りの経路、堂入りの順序といった要素は、いずれも保存会や神社の資料で確認できる範囲にあり、これらは史実の層で扱ってよい。祭りの外見が乱雑な熱狂に見えるとしても、その内実は時間と順序によって強く統御されている。動と静という本稿の枠組みも、この統御された次第を前提として初めて成り立つ。
ただし、ここで一つの区別を明示しておきたい。次第や時刻・装束・禁忌が現在このように営まれていることは確認できるが、それらの所作が「いつ成立したのか」を直接記す一次史料は、本稿の調査範囲では確認できていない。これは「そのような史料が存在しないと断定できる(=記載がない)」ことを意味しない。あくまで「管見の限り、成立年代を裏づける一次史料に突き当たっていない(=未確認)」という状態である。祭礼はしばしば担い手の交替や社会の変化に応じて所作を加除しながら伝えられるため、現行の次第がそのまま古態であるとは限らない。本稿が扱うのは、あくまで現に伝わる形式のなかでの動と静の関係であって、その形式の成立年代ではない。
この区別を保ったうえで、次章以下では御大祭の後半、すなわち鬼踊りから消灯渡御へと至る局面に焦点を絞る。動の極である鬼踊りがどのような規則によって統御されているのか、そしてその熱気がどのようにして静の極へと転換されるのか。まずは動の極から見ていきたい。神事の全体的な連なりについては、一般向けの神事構造と日程の解説にも整理があり、本稿の史料的前提と重なる。
3. 動の極 ── 鬼踊りの規則と八鈴の儀
鬼踊りは、外から見れば熱狂そのものである。裸衆が拝殿にひしめき、汗と湯気のなかで身体をぶつけ合い、足で床を踏み鳴らす。しかし、その内部には厳密な規則が働いている。まず、拝殿内で鳴る鈴は常に一つだけであり、その鈴に触れられるのは触番と呼ばれる役だけである。梯団が交代するときには、前の鈴を下ろしてから次の鈴が鳴る。鈴を二つ同時に鳴らすことはなく、鈴の受け渡しが梯団の交代を秩序づける。さらに、馬塞棒の上に乗らないといった禁忌もあり、鬼踊りは無秩序な狂乱ではなく、統制された神事として営まれている2。
この規則性は、動の極を理解するうえで決定的である。動とは、単に激しく動くことではない。鈴が一つに限られ、触番だけがそれを扱い、梯団が順序をもって入れ替わるという規則があるからこそ、拝殿の熱気は制御された祓いの所作となる。もし規則がなければ、それは事故と混乱の場でしかない。鬼踊りの激しさは、規則という枠のなかに保持されることで、初めて神事としての意味を帯びる。動の極の本質は、熱気そのものではなく、熱気を統御する規則の側にあると言ってよい。
鬼踊りが最高潮に達すると、八鈴の儀と呼ばれる合図が拝殿に響く。八つの鈴が打ち鳴らされることで練り合いの区切りが示され、祭りの局面は神輿の出御へと切り替わっていく。この八鈴の合図は、動から静への転換点であり、鬼踊りと飛蘇鞠という二つの神事をつなぐ蝶番の役割を果たしていると読める。動の極がここで頂点に達し、同時に終息へと向かう。八鈴の儀は、熱気を渡御へと受け渡すための、規則化された終わりの合図である。
ここに、動の極が担う機能が明瞭になる。鬼踊りは、身体を使って町と拝殿の穢れを祓う所作であり、その激しさは祓いの徹底を示す。地域では「鬼踊りが十分でないと神輿は上がらない」と語られると伝えられる。これは、穢れを祓い切って初めて神が出御できるという祭礼の論理を、端的に言い表した言葉として読める。動が不十分であれば静は始まらない。祓いの動が完了して初めて、送りの静が許される。両者は単に前後するのではなく、前者の完遂が後者の条件となる関係にある。
鬼踊りの装いにも、意味づけの手がかりがある。裸衆が腰にまとう新藁の腰蓑は、単なる装束ではなく、注連縄と同じく聖と俗を分かつ結界を示すものとみる読みがある4。この読みに立てば、裸衆の身体そのものが、穢れを祓う祭場の一部として結界化されていることになる。腰蓑を結界とみる解釈も、足踏みを反閇と結ぶ解釈も、いずれも所作や装束の背後に浄めの論理を読み取ろうとする点で通じ合うが、これらは研究者の解釈であって、当事者がそう意図したことを直接に示す史料があるわけではない。装束という事実と、その意味づけとは、層を分けて扱う必要がある。
もっとも、鬼踊りの所作をどのように意味づけるかについては、確定した史実として語れる部分と、解釈にとどまる部分とを区別する必要がある。鈴の規則・触の順序・禁忌といった次第は資料で確認できる史実の層にある。他方、その激しい足踏みが何を意味するのか──これを陰陽道の呪法である反閇(へんばい)と関係づけて読む解釈は、研究者の学術仮説であって、鬼踊りが反閇として成立したことを直接に証す一次史料があるわけではない。次章の静の極を検討したのち、両者の意味づけをあらためて第6章で比較する。
4. 静の極 ── 飛蘇鞠と消灯渡御
八鈴の儀を境に、祭りは一転して静寂へ向かう。神輿の出御に前後して、見付の町は一斉に消灯する。街灯、信号、家々の明かり、スマートフォンの画面、カメラのフラッシュ、さらには煙草の火に至るまで、光という光が禁じられる。この徹底した光の禁忌によって、神輿が渡る道は、日常の道から神事の道へと変わる。動の極が身体の激しさによって場を祓ったのに対し、静の極は光を絶つという禁欲によって場を非日常へと変える。祓いの手段が正反対でありながら、いずれも「場を清める」という同じ目的に向かっている点が重要である。
約200キログラム5とされる神輿は、この漆黒の闇のなかを、遠江国の総社である淡海國玉神社(おうみくにたまじんじゃ)へと渡る。矢奈比賣神社は見付の産土神であり、淡海國玉神社は遠江国内の神々を束ねる総社である。地域の神が、国全体を代表する社へ夜ごと渡るという行為は、単なる移動ではなく、地域の信仰が国という一段大きな秩序へ接続される瞬間として読むことができる。この消灯渡御は、見物のための演出ではない。神霊を総社へ送り届けるために、町全体が沈黙と暗闇を守る奉仕なのである。
この静の極を、地域では飛蘇鞠と呼ぶことがある。飛蘇鞠は、光を絶ち、音を控え、ただ神輿の渡りだけに場を明け渡す神事であり、動の極である鬼踊りとはあらゆる感覚の水準で対照をなす。鬼踊りが光と熱と音の充満であるとすれば、飛蘇鞠は闇と冷えと沈黙の神事である。見ることが主眼となる鬼踊りに対し、飛蘇鞠は「見ないこと」「光を出さないこと」を参加者に求める。祭りの担い手も見物人も、ここでは能動的に何かをするのではなく、光を発しないという禁欲によって渡御に奉仕する。
この「見ないこと」への転換は、参加者の身体経験としても大きい。鬼踊りでは他者と密着し、汗と体温を分かち合っていた裸衆が、消灯とともに互いの姿を見失い、闇のなかで神輿の気配だけを頼りに歩む。視覚が奪われることで、聴覚と触覚が前景化し、担ぎ棒の軋みや足裏に伝わる路面の感触が、渡御の現実を支える。動の極が視覚的な充満であったとすれば、静の極は視覚の剥奪によって別の感覚を呼び起こす。飛蘇鞠の静けさは、単なる音量の低下ではなく、感覚そのものの組み替えを伴う神事なのである。
ここで、動と静を貫く一つの論理が浮かび上がる。鬼踊りによって穢れを祓い切った神霊だからこそ、闇のなかを静かに、しかし確実に渡ることが許される。もし祓いが不十分であれば、神は渡れない。動と静の二段構成は、単に激しい場面と静かな場面が並んでいるのではなく、前段の祓いが後段の送りを可能にするという因果の順序をもっている。飛蘇鞠の静けさは、鬼踊りの激しさの帰結であり、鬼踊りの激しさは、飛蘇鞠の静けさへ向けた準備である。二つの極は、この因果によって固く結ばれている。
もっとも、飛蘇鞠という語そのものの意味については、なお慎重を要する。消灯渡御という実際の所作は資料で確認できる史実の層にあるが、それを飛蘇鞠と呼ぶ由来、すなわち語の起源については、確定した史料に乏しい。この語義の問題は、静の極の意味を考えるうえで避けて通れない論点であるため、章を改めて検討する。
5. 「飛蘇鞠」の語義をめぐる諸説
静の極を飛蘇鞠と呼ぶとき、その三文字が何を意味するのかは、実のところ明確でない。「飛」「蘇」「鞠」という漢字の並びから直ちに意味を読み取ることは難しく、この語がいつ、どのような由来で消灯渡御の呼称となったのかを直接記す一次史料は、本稿の調査範囲では確認できていない。以下では、この語をめぐる読みを、断定を避けつつ整理する。
「ひそまり(潜まり・静まり)」に由来するとみる読み
もっとも広く知られるのは、飛蘇鞠を「ひそまり」と訓み、潜まり・静まりの意に結ぶ読みである。町が灯を消し、人々が声を潜め、神輿の渡りだけに場を明け渡すという消灯渡御の本質を、「ひそまる」という語の響きがよく言い当てているという理解である3。この読みに立てば、飛蘇鞠の三字は、忌み籠りと沈黙という神事の性格に、後から漢字を宛てた当て字ということになる。
この読みの強みは、語の意味と神事の実態がよく対応する点にある。実際、消灯渡御において求められるのは、まさに潜み静まることであり、「ひそまり」という訓は神事の内実を的確に表現している。ただし弱みもある。「ひそまり」という訓が先にあって漢字が後から宛てられたのか、それとも漢字表記が先にあって訓が付されたのか、その先後関係を確定する史料を欠く。語義と神事が対応することは、その語源を証明するものではない。あくまで、神事の性格を説明するために語られてきた伝承的な読みとして扱うべきである。
語源を未詳とし、断定を避ける立場
これに対し、飛蘇鞠の語義そのものを未詳とし、特定の由来に断定しない立場もありうる。当て字の可能性が高い以上、三字それぞれの原義を追うことにも、「ひそまり」という訓を唯一の正解とすることにも、確たる根拠を欠くという慎重な姿勢である。語源説は往々にして、後世の人々が語の響きや字面から遡って構成したものであり、それ自体が一種の伝承であることを免れない。
本稿はこの慎重な立場を基本としつつ、「ひそまり」の読みを、語源の確定としてではなく、地域が消灯渡御に与えてきた自己理解を映す資料として尊重する。すなわち、飛蘇鞠がどのような語から来たのかを断ずるのではなく、この語が潜み静まる神事と結びつけて語られてきたという事実そのものを、静の極の意味を読む手がかりとする。語源の当否とは独立に、この語が沈黙の神事に宛てられてきたこと自体が、飛蘇鞠を「静」の極として意味づけてきた地域の感覚を証言している。
語源が定まらないという事実は、しばしば研究上の欠落として否定的に受け取られる。だが見方を変えれば、飛蘇鞠がまず身体で体験される神事であり、その体験に後から言葉が宛てられてきたことの反映とも読める。名づけに先立って、光を絶ち声を潜めるという行いがあった。語義の探究はそれとして重要だが、それに劣らず、この語が沈黙の神事と分かちがたく結びついて語り継がれてきたという事実自体が、静の極の核心を証言している。本稿が語源を未確認としつつなお飛蘇鞠の語を手放さないのは、この理由による。
6. 動と静の比較と史料批判
ここまで見た鬼踊りと飛蘇鞠は、しばしば「激しい前半」と「静かな後半」として、印象の水準で対比される。しかし両者の対照は、単なる雰囲気の違いにとどまらない。感覚の水準(光と熱と音/闇と冷えと沈黙)、所作の方向(充満/禁欲)、参加の様式(能動的に動く/光を出さないことで奉仕する)、そして機能(祓い/送り)において、両者は系統的に対をなしている。以下の比較表は、この対照を項目ごとに並べ、あわせて各項目がどの確度の層にあるのかを可視化することを目的とする。
| 観点 | 鬼踊り(動の極) | 飛蘇鞠(静の極) | 確度の層 |
|---|---|---|---|
| 場 | 矢奈比賣神社 拝殿 | 矢奈比賣神社から総社への渡御路 | 史実(次第) |
| 感覚 | 光・熱・音の充満 | 闇・冷え・沈黙 | 史実(消灯の禁忌) |
| 所作 | 身体をぶつけ地を踏む | 光を絶ち声を潜める | 史実 |
| 規則 | 触の順序・一つの鈴・八鈴の儀 | 街灯・信号・火まで消す消灯 | 史実(保存会資料) |
| 機能 | 穢れを祓う | 神を総社へ送る | 通説・解釈 |
| 意味づけ | 反閇との関係で読む説がある | 「ひそまり」と結ぶ読みがある | 学説/伝承 |
| 相互関係 | 祓いが完了して初めて | 送りが始まる(動→静の因果) | 推定 |
この比較から見えてくるのは、鬼踊りと飛蘇鞠が競合しているのではなく、一つの渡御神事の異なる局面を担っているという事実である。両者を対立させて「どちらが祭りの本体か」と問うのは、方法として適切でない。祓いなくして送りはなく、送りの目的なくして祓いの意味はない。二つの極は、機能の分業によって一つの神事を完成させている。表の「機能」の行が示すとおり、動が祓い、静が送るのであって、両者は目的を分かち持つ相補的な関係にある。
ただし、確度の層に目を向けると、注意すべき点がある。表の上段、すなわち場・感覚・所作・規則といった次第の水準は、保存会や神社の資料で確認できる史実である。他方、下段の「意味づけ」「相互関係」の水準は、確度が一段下がる。鬼踊りを反閇と結ぶ読みは研究者の学術仮説であり、飛蘇鞠を「ひそまり」と結ぶ読みは伝承である。そして「祓いが完了して初めて送りが始まる」という因果関係も、次第の順序から導かれる推定であって、当事者がそのように意図したことを直接に証す一次史料があるわけではない。史料批判の観点からは、次第の記述と意味づけの解釈とを、同じ確度で語ってはならない。
この区別は、祭礼を記述する際の作法として重要である。「動が祓い、静が送る」という本稿の読みは、次第の構造からは自然に導かれるが、それ自体はあくまで解釈である。解釈を史実のように断定すれば、祭礼に一つの意味を固定し、それ以外の読みを排除してしまう。本稿が動と静の対比を提示するのは、これを唯一の正解として押しつけるためではなく、統御された次第という史実の上に、どのような読みが成り立ちうるのかを示すためである。次第は確認できる。その次第が何を意味するのかは、確度の層を明示したうえで、なお開かれた問いとして残しておくべきである。
7. 背景 ── 総社渡御と担い手の共同体
動と静の対を、さらに大きな文脈のなかに置き直しておきたい。飛蘇鞠が向かう先は、遠江国の総社・淡海國玉神社であった。この行き先の選択は、消灯渡御の意味を規定している。総社とは、国司が国内の主要な神々を一社にまとめてまつるために設けた社であり、その成立は国府の統治と不可分である。産土神である矢奈比賣神が総社へ渡るという形式は、地域の神が国という一段大きな秩序のなかに位置づけ直される所作として読むことができる。
見付は遠江国府が置かれた地とされ、国府の宗教的中心である総社への渡御は、国府祭の系譜を引く可能性を示唆する。もっとも、その前提となる遠江国府の所在そのものが、なお論点を残す主題である。国府が見付周辺に置かれたとする見方は有力であるが、具体的な位置をめぐっては複数の説があり、一点に確定しているとは言い難い。総社渡御を国府祭の後継とみる推論が、国府の所在という別の未確定の問いの上に立っていることは明記しておく必要がある。渡御形式の成立時期や、それが国府祭の直接の後継であることを証す一次史料についても、本稿の範囲では確認できていない。したがってこの点は、史実としてではなく、地理と祭礼形式から導かれる推定として提示するにとどめる。
この総社渡御という背景は、動と静の対に一つの奥行きを与える。鬼踊りの祓いも、飛蘇鞠の送りも、単に一社の内部で完結する所作ではなく、「地域の神を国の秩序へ渡す」という大きな枠のなかに置かれている。動が祓うのは、これから国の総社へ向かう神のための場であり、静が送り届けるのは、その祓われた神である。総社渡御という行き先を視野に入れると、動と静の二段構成が、なぜこれほど厳格に営まれるのかが見えてくる。神を国の秩序へ送り出すという重い目的が、祓いの徹底と送りの静寂の双方を要請しているのである。
そして、この二段構成を毎年くり返し支えてきたのは、近世には東海道の宿場として栄えた見付宿の人々である。四つの梯団に編成された担い手たちは、鬼踊りにおいては身体を張って祓いを演じ、消灯渡御においては光を絶って沈黙を守る。動の充満も静の禁欲も、いずれも同じ共同体が、局面に応じて役割を切り替えることで成り立っている。祭礼組織の編成、渡御路の維持、消灯の徹底といった営みは、いずれも宿場町の社会構造と不可分であった。動と静という観念の対比は、この担い手の共同体という現実の母体があって初めて、毎年の神事として実現される。
8. 結論 ── 対の所作としての裸祭
本稿は、見付天神裸祭の核心をなす鬼踊りと飛蘇鞠を、動と静の二つの極として対比的に読み直してきた。得られた見取り図は次のとおりである。鬼踊りは、触の順序・一つの鈴・八鈴の儀という規則によって統御された、身体で場を祓う動の所作である。飛蘇鞠は、街灯から火にまで及ぶ徹底した消灯によって、闇と沈黙のなかに神を送る静の所作である。両者は感覚・所作・機能のいずれにおいても系統的に対をなし、しかも「祓いが完了して初めて送りが始まる」という因果によって固く結ばれている。
この読みが示すのは、裸祭が無秩序な熱狂ではなく、きわめて構造化された渡御神事だという理解である。鬼踊りの激しさばかりが語られがちだが、その激しさは飛蘇鞠の静寂へ向けた準備であり、飛蘇鞠の静寂は鬼踊りの激しさの帰結である。動と静を切り離して一方だけを取り出すと、この因果の構造が見えなくなる。二つの極を対として読むことで初めて、裸衆の熱気と深夜の闇が、同じ一つの神事の裏表であることが明らかになる。
あわせて、本稿は確度の層の区別を一貫して保った。次第・時刻・装束・禁忌といった祭礼形式は資料で確認できる史実として扱い、鬼踊りを反閇と結ぶ読みは学術仮説、飛蘇鞠を「ひそまり」と結ぶ読みは伝承、動と静の因果や総社渡御の由来は推定として、それぞれの水準を明示した。とりわけ飛蘇鞠の語義と所作の成立年代については、「記載がない」のではなく「未確認」であるという状態を、そのまま記録した。この禁欲的な手続きこそが、祭礼を後世の調べものに耐える形で残す方途であると考える。
最後に、本稿が残した課題を明記しておく。第一に、飛蘇鞠という語の初出と表記の変遷は、近世・近代の地方文書や祭礼記録を博捜することで、未確認の状態を一歩前進させられる余地がある。第二に、鬼踊りの規則──とりわけ触の順序や八鈴の儀──がいつ現在の形に整えられたのかは、祭礼組織の変遷史として別に検討を要する。第三に、消灯渡御の徹底ぶりが近代以降どのように維持され、あるいは変化してきたかは、無形文化財としての継承の問題と併せて論じられるべき主題である。これらはいずれも、本稿が示した動と静の対という枠組みのなかで、未確認を史実へ、推定を通説へと押し上げていく作業に属する。断定を急がず、確度の層を保ったまま資料を積み上げていくこと──その地道な手続きの先にこそ、鬼踊りと飛蘇鞠という対の所作が抱えてきた意味の全体像が、少しずつ像を結んでいくはずである。お札ふりをはじめとする祭礼諸相の史料的検討については、本論考シリーズの別稿で稿を改めて論じたい。
注
- 見付天神裸祭は国の重要無形民俗文化財に指定されている。指定名称・指定年については文化庁「国指定文化財等データベース」を参照。↩
- 堂入りの触の順序、拝殿内で鳴る鈴が常に一つであること、馬塞棒に関する禁忌などは、見付天神裸祭保存会の公式資料に基づく。所作の呼称・細部は資料や年により異同がありうる。↩
- 飛蘇鞠を「ひそまり(潜まり・静まり)」と結ぶ読みは、消灯渡御の性格を説明する伝承的解釈であり、語源を確定する一次史料に基づくものではない。本稿はこれを伝承の層で扱う。↩
- 腰蓑を注連縄と同様の結界とみる読み、鬼踊りの足踏みを反閇と関係づける読みは、いずれも研究者による学術仮説であり、成立を直接に証す一次史料があるわけではない。↩
- 神輿の重量「約200キログラム」および消灯渡御における光の禁忌(街灯・信号・カメラのフラッシュ・煙草の火に至るまで)は、保存会・神社の案内および現地の運用に基づく記述である。数値は目安であり、厳密な計測値ではない。↩
付記:本稿は一般読者向け記事 m039「鬼踊りと飛蘇鞠 ── 動と静、二つの極」の内容を、郷土史研究者向けに確度の層を区別しながら再構成した論考版である。次第・禁忌・消灯ルールを史実、反閇・結界の解釈を学説、飛蘇鞠の語義を伝承として腑分けし、動と静の因果関係を推定として提示した。
参考文献・参考資料
- 見付天神裸祭保存会 編『見付天神裸祭ガイドブック』各号、見付天神裸祭保存会。
- 谷部真吾『裸祭りの民俗学的研究 ── 見付天神裸祭を中心に』(民俗芸能研究の関連論考を含む)。
- 神村直三郎「見付天神裸祭」『風俗画報』第170号、東陽堂、1898年(明治31年)。
- 『続日本後紀』承和7年(840年)条(矢奈比賣神関連記事)。
- 『延喜式』巻九・十(神名帳)遠江国条。
- 矢奈比賣神社(見付天神)公式資料・由緒書。
- 淡海國玉神社(遠江総社)由緒書。
- 磐田市『磐田市史』通史編(磐田市、該当章)。
- 磐田市教育委員会 編『磐田市の文化財』(該当項)。
- 佐口行正氏所蔵史料。
- 文化庁「国指定文化財等データベース」重要無形民俗文化財の項 https://kunishitei.bunka.go.jp/ (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 磐田物語 m039「鬼踊りと飛蘇鞠 ── 動と静、二つの極」 https://iwata-monogatari.net/m039.html (最終閲覧:2026年7月26日)。
- 磐田物語 大石浩之の磐田論考 第1号「見付天神裸祭 起源三説の学史的検討」 https://iwata-monogatari.net/oishi-ronko/001/ (最終閲覧:2026年7月26日)。