失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す

磐田物語 地区別入口ページ

豊田地区

よみがな:とよだ / 磐田物語 地区分類番号 01004
旧豊田町域を中心に、天竜川東岸の暮らし、農地と集落、東海道の渡し、古墳や寺社の記憶が重なる地区。銚子塚古墳、池田の渡し、行興寺の長藤、加茂・寺谷、東海道新田など、層の厚い歴史を伝えます。

豊田地区の天竜川・渡し・古墳・田園と集落の記憶を表した模式図
豊田地区の記憶をたどる入口図 ── 天竜川と渡し、古墳、田園と集落の重なりを表した模式図です(地理を正確に示す地図ではありません)。

この地区分類は、現在の行政区分をそのまま写したものではありません。旧町村の沿革、学校区、大字、生活圏、地域の記憶をもとにした、磐田物語独自の分類です。内容は今後の資料確認により随時更新します。

豊田を代表するテーマ

はじめての方に、まず見ていただきたい入口です。

この地区の歴史を読む

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全26件

町村沿革

加茂・寺谷の歴史

遠江有数の農業地帯・加茂と寺谷。古代信仰から近世の開発、近代化までの変遷。

街道・交通

東海道新田の歴史

東海道沿いに開かれた新田の歩み。街道と開発の記憶をたどる。

村・町の誕生から磐田市合併まで

豊田は、平成の合併まで「豊田町」という独立した町でした。ここでは、明治の町村制から豊田村の成立、町制施行、平成の磐田市合併までの流れを、年表と対応表で整理します。各行に出典または確認状況を添えています。

年表

豊田地区の町村沿革年表
年月日出来事関係する旧町村・地区現在の地名・地区との関係出典確認状況
1889(明治22).4.1町村制施行により、のちに豊田村を構成する富岡村・井通村などが発足。富岡村・井通村 ほか豊田地区の母体一般史構成村は調査中
1955(昭和30).3.31富岡村と井通村が合併し、豊田村が発足。富岡村・井通村豊田地区の母体『豊田町』ほか確認済
1973(昭和48).1.1豊田村が町制を施行し、豊田町となる。豊田町旧豊田町『豊田町』ほか確認済
2005(平成17).4.1旧磐田市・豊田町・竜洋町・福田町・豊岡村が新設合併し、現在の磐田市が発足(豊田町廃止)。豊田町ほか現在の磐田市『磐田市』ほか確認済
現在磐田物語では、旧豊田町域を中心に「豊田地区」として整理。磐田市の統計でも独立した「豊田地区」とされる。豊田地区当ページの対象範囲磐田市/磐田物語確認済

1889年の町村制で発足した構成村(加茂・池田などの旧村の所属)の詳細は、出典の追加確認中です(調査中)。確認でき次第、行を追記します。

旧町村・大字対応表

旧地域名から現在の地区分類への対応
旧町村・旧地域名成立・変遷現在の主な大字・町名磐田物語での分類備考・確認状況
富岡村1955 井通村と合併し豊田村へ富岡・富里 ほか豊田地区確認済
井通村1955 富岡村と合併し豊田村へ加茂・池田 ほか豊田地区大字の所属は要確認
豊田村(1955成立)1973 町制施行で豊田町へ豊田 ほか豊田地区確認済
豊田町(1973成立)2005 磐田市へ旧豊田町域全域豊田地区確認済

地名・大字・学校区

中学校区・小学校区は、現在の生活圏を知るための目安です。住所や番地によって異なる場合があります。正確な通学区域は、磐田市の最新情報をご確認ください。

現在の中学校区

中学校関係する地域備考
豊田中学校豊田地区
豊田南中学校豊田地区

現在の小学校区

小学校関係する地域備考
豊田北部小学校豊田地区
豊田東小学校豊田地区
豊田南小学校豊田地区
青城小学校豊田地区

主な大字・町名

豊田地区に関係する主な大字・町名は次のとおりです。「〜の一部」とあるものは、町の一部のみが当地区に該当します。

富里、東名、豊田、加茂、池田、富丘、東原、高見丘、小立野、上新屋、森岡、弥藤太島、上万能、一言の一部、豊田西之島、長森、源平新田、森下、下万能の一部、宮之一色、中田、気子島、海老塚、笹原島、立野、森本、上本郷、下本郷、赤池

現在の統計・公共施設

磐田市は人口を磐田・福田・竜洋・豊田・豊岡の5地区で集計しています。豊田地区は旧豊田町域にあたり、磐田市統計上の「豊田地区」として独立した数値が公表されています。

項目内容出典・確認状況
人口(豊田地区)29,379人(男 14,694/女 14,685)磐田市「地区別人口」令和8年5月末現在
世帯数(豊田地区)12,529世帯同上
1世帯あたり人員(参考)約 2.34 人上記より算出
交流センター・包括支援センター等調査中(磐田市資料を確認のうえ追記)調査中
磐田市全体(参考)163,503人/72,414世帯磐田市 令和8年5月末現在

数値は令和8年(2026年)5月末現在の住民基本台帳人口(外国人を含む)です。年齢構成・公共施設などの詳細は、磐田市「年齢別人口表」等をもとに今後追記します。

豊田地区の歴史をたどる ── 古代から現代まで

豊田地区は、天竜川の東岸に開けた土地である。西を流れる大河がもたらす豊かな土と、たびたびの洪水という恵みと災いの両方を受けながら、人々はこの地に古墳を築き、荘園を営み、渡しと宿場をひらき、堤を築いて村を守ってきた。ここでは、各記事で詳しく扱う出来事を、時代の流れにそってひとつの物語としてたどってみたい。なお、個々の事項の詳細と出典は、本文中からリンクする各記事を参照されたい。

古代 ── 磐田原に眠る王たち

豊田の歴史は、文字の記録すら残らない古墳時代までさかのぼる。磐田原台地の西縁、天竜川を見おろす一帯には、全長およそ百十メートル、静岡県内でも有数の規模をもつ前方後円墳・銚子塚古墳が築かれた。四世紀後半、この地を治めた豪族の墓と推定され、出土した銅鏡は大和の政権とのつながりをうかがわせる。すぐ近くには珍しい前方後方墳の小銚子塚古墳もあり、一帯は十基ほどからなる古墳群を形づくっている。国府が置かれるよりもはるか昔から、この台地のへりに大きな力をもつ「王」がいたことを、これらの墓は静かに物語っている。

中世 ── 荘園と熊野御前の伝説

平安から鎌倉にかけて、天竜川左岸の池田一帯には、京の松尾大社の所領とされる池田荘が営まれた。小立野や西之島に残る「葛巻」の地名は、その荘園の記憶を今に伝えるものと考えられている。この池田の地には、もう一つ、語り継がれてきた物語がある。熊野御前(ゆやごぜん)の伝説である。母への孝心から都を離れ郷里に帰ったと『平家物語』に描かれる女性で、彼女ゆかりと伝わる行興寺の長藤(熊野の長藤)は、のちに国の天然記念物に指定された。史実と伝承の境はさだかではないが、池田の地に積み重ねられた人々の祈りと物語の厚みが、ここにはある。

戦国 ── 街道をめぐる攻防

天竜川は、東西を結ぶ街道の要であると同時に、軍勢がぶつかる境でもあった。元亀三年(1572年)、三方ヶ原へ向かう武田勢を相手に、徳川方の本多忠勝が一言坂で殿(しんがり)をつとめた戦いは名高い。地区北端の社山(やしろやま)は、古くは山岳信仰の霊場であり、戦国期には武田・徳川が砦を争った要害でもあった。上万能に伝わる「挑燈野(ちょうちんの)」の地名のように、古戦場の記憶を宿すと語り継がれる土地もある。川と街道を押さえることが、そのまま力を意味した時代の名残である。

近世 ── 渡しと宿場、新田の開発

江戸時代、東海道が天竜川をわたるこの地は、街道の大きな結節点となった。舟で川をこえる池田の渡し、そして川越えの旅人でにぎわった池田宿と本陣。激流の渡船を担った池田の船頭衆は、徳川家康から朱印状を授かり、特権をもつ誇り高い自治組織を築いた。いっぽう堤の外や川沿いの低地では、江戸を通じて東海道新田をはじめとする新田開発が進み、上新屋「半場名」のように開発に携わった人の名が小字として残された。川がもたらす交通と土地、その両方を生かして暮らしが営まれた時代である。

近代 ── 「暴れ天竜」との闘いと村の誕生

恵みをもたらす天竜川は、同時に「暴れ天竜」と恐れられた。明治十六年(1883年)の大決壊をはじめ、洪水はくり返し村を呑み込み、人々は内郷堤などの堤防を築いて命と田畑を守った。この治水に生涯を捧げたのが金原明善である。全財産を投じて堤防の修築と上流の植林に取り組んだその足跡は、流域平野を守る近代土木の原点となった。明治二十二年(1889年)の町村制では、低地の村々が合わさって井通村(いどおりむら)が、磐田原台地の西縁には富岡村が生まれ、旧幕臣らの手で台地の荒野が茶園へと開かれていった。水との闘いと、新しい村づくりが同時に進んだ時代である。

現代 ── 豊田町から磐田市へ

昭和三十年(1955年)、井通村と富岡村が合併して豊田村が誕生し、昭和四十八年(1973年)には町制を施行して豊田町となった。そして平成十七年(2005年)、旧磐田市・竜洋町・福田町・豊岡村とともに新設合併し、現在の磐田市が発足する。豊田町としての歩みはここで閉じたが、その記憶は地名や祭り、人々の暮らしのなかに今も息づいている。毎年八月、池田の鎮守・天白神社にかかわる池田やかた祭り(磐田市指定無形民俗文化財)では、麦わらや竹で組んだ「屋形」に火を放って天竜川へ流し、水難除けと厄流しを祈る。川とともに生きた里の願いを伝える祭りとして、今も受け継がれている。磐田市の統計でも「豊田地区」は独立した区域として扱われ、約二万九千の人々がこの土地に暮らしている。

本節は、各記事の内容を時代順に要約してつないだ概観である。史実と伝承が混じる事項(熊野御前の物語、古戦場の伝承など)は各記事で区別して扱っている。年月日・人口などの数値や出典は、下記の年表・統計表および各記事末の参考資料を参照されたい。

この地区の記憶を募集

この地区に関する古写真、古い地図、昔の屋号、商店、学校、祭り、建物、地名、言い伝えなどの情報を募集しています。

確実な史料だけでなく、「昔こう聞いた」「この場所にこんな建物があった」という記憶も、地域を記録する大切な手がかりです。確実な史料と地域の記憶は分けて整理し、次の世代へ手渡していきます。

この土地・家の記憶を残したい方へ

豊田をはじめ磐田市・袋井市で、相続した実家・空き家・土地建物のご相談を、地域で暮らし不動産に関わる立場から承っています。歴史を記録する活動の延長として、土地や家のこれからを一緒に考えます。

作成方針・参考資料

このページは、磐田物語における地区別入口ページです。旧町村沿革、学校区、大字、地域資料、佐口行正氏所蔵史料などをもとに、今後内容を整理・更新していきます。

作成方針

  • 資料をそのまま転載せず、事実関係を確認したうえで独自に整理する。
  • 旧町村の沿革、現在の学校区、大字、生活圏を総合して分類する。
  • 断定できない情報は「要確認」「調査中」と明記する。
  • 地域の記憶は史実と分け、集合知として集めて随時更新する。

参考資料・出典

  • 磐田市公式資料(地区別人口・通学区域ほか)
  • 『豊田町(静岡県)』『磐田市』ほか沿革に関する公開資料(豊田村の成立・町制施行・合併の年月)
  • 『豊田町地名地図』ほか地名・地域資料
  • 佐口行正氏所蔵史料
  • その他、今後確認する地域資料

この地域の家・土地・空き家について

古い地名や集落の成り立ちを調べていると、 家や土地には、登記簿だけでは分からない地域の記憶が残っていることがあります。

相続した家、空き家、使わなくなった土地について、 「売る・貸す・残す」の前に、一度整理して考えたい方は、 富士ヶ丘サービス株式会社までご相談ください。