失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す

磐田駅から消えた二つの鉄路 | 子5

いま残る光明電鉄の痕跡――平松駅、二俣口、トンネル、マンホール

光明電気鉄道は短命だった。だが、すべてが消えたわけではない。線路や車両は失われても、地形、構造物、トンネル、マンホールの蓋といった形で、その記憶は残っている。

平松駅跡 ── ホームの記憶

資料によれば、平松駅にはホーム跡が残るとされる。廃線跡の多くが道路や農地に戻ったなかで、駅の形を思わせる痕跡が残る場所は貴重である。公開記事では、現地写真を必ず撮影し、読者が安全に外観を確認できる範囲で紹介する。

二俣口駅跡と阿蔵トンネル

二俣口は、現在の天竜浜名湖鉄道との関係を考えるうえでも大切な地点である。ここから先には阿蔵トンネルがあり、未成に終わった大谷トンネルへと、光明電鉄の構想の跡が続いている。

トンネル・廃線跡への立ち入りについて

阿蔵トンネル、大谷トンネルをはじめ、トンネル内部や廃線跡には危険がある。本特集では、立ち入りを勧めるものではなく、外観と歴史的な位置づけの記録にとどめる。撮影・確認は、公道や外から安全に行える範囲に限っている。

田川から二俣口 ── 天浜線に受け継がれた区間

田川から二俣口にかけての区間の一部は、のちに国鉄二俣線、現在の天竜浜名湖鉄道へと引き継がれた。神田トンネル、伊折トンネルなど、光明電鉄が築いた土木構造が後の鉄道に利用されたとされる点は、単なる廃線跡を超えた価値を持つ。

駅前で見つかったマンホール蓋

磐田駅前で見つかった光明電鉄のマンホール蓋も、忘れてはならない痕跡のひとつである。社章を思わせる意匠を持つこの蓋は、駅前再整備のなかで保存され、磐田市埋蔵文化財センターに保管されたとされる。鉄道の遺物というとレールや駅舎を思い浮かべがちだが、足元のインフラにも、会社の痕跡は刻まれていた。

光明電鉄の遺構は、派手な観光資源ではない。むしろ、気をつけて見なければ見落としてしまうものばかりである。だからこそ、地図と写真と資料を重ねながら、消えた鉄路の位置を丁寧に記録していく意味がある。

参考資料

  • アップロード資料「磐田駅発の廃線調査」
  • 磐田市立図書館所蔵資料(光明電気鉄道関係)
  • 磐田市埋蔵文化財センター関連情報
  • 現地確認写真(公開時に撮影日を記載)

「現存」「跡地」の表現は、現地写真または信頼できる資料で確認できる箇所に限って用いている。

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