四月の中ごろ、磐田市池田の行興寺(ぎょうこうじ)の境内は、紫の雲に覆われる。一・五メートルにも垂れ下がる藤の花房が、棚いっぱいに揺れ、甘い香りがあたりに満ちる。来訪者は思わず足を止め、頭上を流れる紫の滝を見上げる。国の天然記念物「熊野(ゆや)の長藤」である。その「ゆや」という名は、地名ではない。ひとりの女性の名に由来している。ここは天竜川の左岸、かつて東海道の旅人が渡し舟で川を越えた池田の里であり、藤の花の下には、平家の世の記憶が静かに眠っている。
紫のカーテン ── 国の天然記念物
行興寺の藤は、昭和七年(一九三二年)七月二十五日に、国の天然記念物に指定された。品種はノダフジ(野田藤)。蔓が右巻きに伸び、花房が長く垂れ下がるのが特徴で、古くから観賞用に好まれてきた種である。推定樹齢は約八百五十年とも伝えられる古木で、花房は長いもので一・五メートルに達する。一本の幹からのびた太い蔓が藤棚を這い、春には数えきれないほどの花序が一斉に開いて、棚の下を歩く人を紫色の天井で包み込む。文化庁も、藤の巨樹として有数のものと位置づけている。
境内には、この国指定の一株のほか、静岡県の天然記念物に指定された五株もある。県指定の五株は昭和四十七年(一九七二年)九月二十六日に指定されたもので、推定樹齢は約二百五十年と、国指定の老木にくらべればやや若い。これらの蔓が合わさって一面の藤棚に広がり、紫の藤のあいだには赤紫の藤(赤藤)や白い藤もまじって、花の色に濃淡の表情が生まれる。長い歳月のあいだには、台風や老衰で蔓が傷んだこともあったというが、そのつど手当てが重ねられ、今日まで花を絶やすことなく守り継がれてきた。
見頃の時期には「池田・熊野の長藤まつり」が開かれ、行興寺周辺がにぎわう。境内に設けられた能舞台での催しや、かつての「池田の渡し」をしのぶ渡船の再現、屋台の曳き回しなどが行われ、夜には藤棚がライトアップされて、昼とはまた違う幻想的な紫が闇に浮かび上がる。会期はおおむね四月中旬から下旬で、まつりの期間中は天竜川の河川敷に臨時の駐車場が設けられることが多い。ただし花の盛りは年によって前後し、会期や駐車場の扱いも変わるため、訪ねるなら開花情報を確かめてからがよい。
熊野御前と、平宗盛 ── 伝えられる物語
ここから先は、史実というより、語り継がれてきた伝承である。藤を植えたと伝わるのは、熊野御前(ゆやごぜん)という女性だ。言い伝えでは、彼女はこの地・池田の荘(しょう)の庄司(しょうじ)、藤原重徳(しげのり)の娘であったという。池田は東海道の宿駅であり、天竜川を渡る「池田の渡し」を控えた要衝で、旅人や貴人の往来が絶えなかった。平安の末、その池田に育った熊野は、平清盛の三男・平宗盛(たいらのむねもり)に見初められて都へ上り、寵愛を受けたと伝えられる。治承四年(一一八〇年)ごろのことというから、平家がなお栄華の頂にあった時代である。
やがて、故郷の母が重い病にあると知った熊野は、帰郷を願い出る。しかし宗盛はこれを許さず、折しもの清水寺の花見の宴に同行するよう命じた。心ならずも舞ううち、にわかの時雨が桜を散らす。それを見た熊野は、散る花に老いた母の身を重ね、一首の歌を詠んだと伝わる。「いかにせむ都の春も惜しけれど 馴れし東(あづま)の花や散るらむ」──都の春は惜しいけれど、慣れ親しんだ東国(故郷)の花(母)も散ってしまうのではないか、と。その心に宗盛もついに胸を打たれ、帰郷を許したという。言い伝えでは、のちに宗盛の最期を知った熊野は尼となって母の菩提を弔い、母の冥福を祈って建てたお堂が行興寺の始まりだとされる。境内の藤も、熊野がみずから植えたもの、あるいはその子孫の木だといわれている。
もっとも、これらはいずれも郷土の伝承や後世の物語によるところが大きい。寺の創建の年や、開かれた時期、宗派については記録が乏しく、後の世に時宗(じしゅう)の寺として整えられたとも伝えられるが、確かなことははっきりしない。ここでは「そう伝えられている」とだけ記しておきたい。境内には、熊野御前の墓と伝わるものと、母の墓とされるものが寄り添うように並び、訪れる人の手向ける花が絶えないという。
花の名に、ひとりの女性の名が残っている。母を思い、故郷を思ったその人の心が、八百年の藤となって、今も春ごとに咲く。
能『熊野』の舞台として
熊野御前の物語は、能(謡曲)の名曲『熊野(ゆや)』として、いまも舞われ続けている。世阿弥の作と伝えられ、『平家物語』巻十の「海道下(かいどうくだり)」の一場面をふくらませたものと考えられている。「熊野(ゆや)松風に米の飯」という言い回しがあるほど、『松風』とならんで愛されてきた人気曲で、母を思う娘の情と、散る桜の無常とが、静かな舞のうちに溶け合う。劇中で熊野が「東路(あづまぢ)の旅」を語る件には、遠江の国・池田が織り込まれており、それがこの磐田市池田にあたる。
こうした縁から、池田の里では熊野御前は今も大切に語り継がれてきた。長藤まつりの能舞台で『熊野』が演じられることもあり、物語の故地で物語そのものが舞われるという、めずらしい巡り合わせがここにはある。境内や近隣には、熊野の歌を刻んだ歌碑も残されている。
国の天然記念物という確かな事実と、能や言い伝えに彩られた物語と。その両方が一本の藤に重なっているところに、この花の奥行きがある。樹齢八百年といえば、熊野が生きたと伝わる平安の末から数えて、ほぼその時代をまたぐ年月である。藤がほんとうに彼女の手で植えられたのかは誰にも分からない。けれども、この古木が長い歳月を生き抜いてきたことだけは確かだ。春、紫のカーテンの下に立つとき、花の美しさだけでなく、そこに託された誰かの祈りにも、そっと耳を澄ませてみたい。
行興寺と長藤の手がかり
- 行興寺
- 磐田市池田。天竜川左岸。境内に「熊野の長藤」と熊野御前の墓と伝わるものがある。
- 熊野の長フジ
- 国指定天然記念物(昭和7年7月25日指定)。ノダフジ、推定樹齢約850年。国指定1株+県指定5株(県指定は昭和47年9月26日、樹齢約250年)。
- 藤まつり
- 例年4月中旬〜下旬が見頃。ライトアップあり。会期・駐車場は年により変動。
- 留意
- 熊野御前・平宗盛の物語、寺の創建年・宗派は伝承・郷土史によるもの。
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