磐田市上本郷の帯金家には、江戸時代初期に建てられたという大きな長屋門が今も残る。門の由緒とともに語り継がれてきたのが、元亀年間(1570〜1572年)、武田信玄との戦いに敗れて敗走する徳川家康を助けたという言い伝えである。
この記事で分けて扱うこと
- 確認できること:上本郷の帯金家に、江戸時代初期建立・末期に同規模で建て替えられたという長屋門が現存すること。「帯金」という姓自体が、地域では家康との言い伝えと結びつけて語られてきたこと。
- 伝承として扱うこと:家康が当家に立ち寄って助けを求めたこと、当主が帯の間から財布を取り出して金を与えたこと、その恩義により「帯金」の姓を賜ったといういきさつ。
- この記事の読み:姓の由来譚として語られる典型的な形式であり、史実そのものというより、地域が家の由緒をどう語り継いできたかという記憶として読みたい。
元亀年間、家康が逃げた道
元亀3年(1572年)は、甲斐の武田信玄が遠江に侵攻し、家康が三方原で大敗を喫した年にあたる。同じ豊田町域では、この前後の時期に一言坂の戦いが起きており、本多忠勝の「殿(しんがり)」の武勇が語り継がれていることは、別記事で詳しくたどっている。帯金家の伝承も、こうした武田軍の侵攻と徳川方の敗走が繰り返された時期の記憶の一つとして位置づけられる。
『町内史跡めぐり』が記す言い伝えでは、武田信玄と戦って敗れて逃げる家康が、上本郷の当家に立ち寄り、助けを求めたという。追われる身の主君に対し、当主は帯の間から財布を取り出し、金を与えて助けた。後にその恩義に対し、家康から「帯金」の姓を与えられた、と伝わっている。
姓の由来譚という形式
「帯(の間)から金を出した」という行為が、そのまま姓の由来になったという語り口は、地域の旧家に伝わる由緒譚として比較的分かりやすい形をとっている。こうした「主君を助けた功により姓を賜った」という型の伝承は、遠江・三河の旧家にいくつも見られ、家康にまつわる伝承は特に多い。家康自身が三河・遠江を拠点に育ったこともあり、この地域の旧家の多くが、家康との縁を家の誇りとして語り継いできた背景がある。
史実として、家康が個々の家に立ち寄った具体的な記録を確認することは難しい。しかし、こうした伝承が生まれ、代々語り継がれてきたこと自体が、地域にとっての意味を持つ。「主君を助けた家」という誇りが、家名とともに現在まで伝わっているのである。
今も残る長屋門
帯金家には、江戸時代初期に建てられた大きな長屋門があり、江戸時代末期に至って同じ規模のものとして建て替えられたと伝わる。長屋門は、武家屋敷や有力な豪農の屋敷に見られる形式で、門の両側に長屋(使用人の住居や物置)を配した構造を持つ。同じ規模を保ったまま建て替えられたという点は、当家がその由緒と格式を意識して、門の姿を保存しようとしてきたことをうかがわせる。『町内史跡めぐり』も、これを「昔の建物研究の上で貴重な文化財」と評している。
合戦の勝敗や政治の大きな動きとは別に、一軒の家に伝わる恩義の物語と、それを形にして残してきた建物。帯金家長屋門は、豊田町域に残る家康伝承の中でも、とりわけ「個人と個人の関係」が姓という形にまで残った、珍しい記憶といえる。
この地域の家・土地・空き家について
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