磐田市長森、旧東海道に沿ったこの地に、江戸時代初期から代々「こうやく」をつくり続けてきた家がある。山田与左衛門家である。「長森こうやく」の名で広く知られたこの家伝薬は、あかぎれやひびに効く妙薬として、東海道を行き交う大名や庶民の土産として評判を得ていたと伝わる。
この記事の要点
- 江戸時代初期から、東海道に沿った山田与左衛門家が代々家伝のこうやくをつくり、「長森こうやく」として売り出していた。
- あかぎれやひびの妙薬として、東海道を旅する大名や庶民の土産に評判が高く、明治以後も民間薬として珍重された。
- 当家には、京都の宮様からいただいたという座敷看板が保存されている。
東海道の旅と「こうやく」
「こうやく」とは、薬草や油脂を練り合わせてつくる外用薬で、皮膚の傷や炎症に貼って使う伝統的な民間薬である。江戸時代、徒歩での長旅が当たり前だった東海道では、あかぎれ、ひび、靴ずれといった皮膚のトラブルは、旅人にとって切実な悩みだった。街道沿いの宿場や立場には、こうした旅の疲れを癒す薬を商う店がしばしば見られ、地域ごとの名産薬として知られるようになっていった。長森こうやくも、そうした東海道文化の中で生まれ、育った家伝薬の一つである。
長森は、東海道の宮之一色や池田にほど近い、豊田町域の街道筋にあたる。街道を行き交う旅人の目に留まりやすい立地であったことも、この薬が広く評判を得た背景の一つだったのだろう。
家伝の妙薬、代々受け継がれて
山田与左衛門家は、江戸時代初期からこの薬をつくり続けてきたと伝わる。特定の代の当主の名や、薬の具体的な製法についての詳細は『町内史跡めぐり』からは確認できないが、「代々」という言葉が示すとおり、一時的な流行りものではなく、家業として世代を超えて受け継がれてきた点が、この薬の信頼を支えてきたのだろう。
あかぎれ・ひびの妙薬という評判は、東海道を旅する大名や庶民の土産として重宝され、明治維新後、鉄道の時代を迎えて東海道の徒歩旅行そのものが衰えたあとも、民間薬として珍重され続けたという。時代が移り変わっても、日常の皮膚トラブルへの需要は変わらなかったということでもある。
京都の宮様からの看板
山田家に伝わる品の中でも、特に目を引くのが、京都の宮様からいただいたという座敷看板と、「天下に類なし」と書かれた軒下の看板である。皇族・公家筋にあたる「宮様」から看板を賜ったという伝承は、この薬が単なる地域の民間薬にとどまらず、格式ある評価を得ていたことをうかがわせる。真偽の細部を確定する史料は乏しいが、こうした看板が実物として今日まで保存されてきたこと自体が、山田家がこの家伝薬を誇りとして大切に扱ってきた証しである。
合戦や政治の記録とは違う形で、街道沿いの一軒の家が、代々受け継いだ薬とともに旅人の暮らしを支えてきた。長森こうやくは、東海道という交通の記憶と、家業という生活の記憶が重なり合った、豊田町域らしい史跡の一つといえる。
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