失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語 / 旧東海道と国道1号・県道の主役交代
道路史 | 見付・豊田・中泉

旧東海道と国道1号・県道の主役交代 ──
磐田バイパスが変えた道の地図

見付の愛宕山に立つと、東へ向かってまっすぐ延びる二本の道が見える。一本は江戸の東海道そのもの、もう一本は、つい数年前まで国道1号だった道。同じ町を、時代の違う二本の道が並んで走っている。この記事では、東海道が国道1号になり、やがて磐田バイパスへと主役を譲っていった、道の交代劇をたどる。

旧東海道が国道1号だった時代

国道1号は、旧東海道・京街道を前身とする路線で、いまもほぼその経路を踏襲している。見付では、大正期にはまだ旧東海道(本通り)沿いに低い屋根の家並みが続き、林や森が町のすぐそばまで迫っていたと伝わる。やがて町が広がり、自動車の時代がやってくると、この旧東海道の道筋がそのまま拡幅され、歩道を備えた国道1号として使われるようになった。見付宿としての東海道そのものの姿は、東海道・見付宿の面影で詳しく扱っている。

愛宕山から眺めたときに見える二本の道――右側の太い道が、数年前まで国道1号だった道(現在の静岡県道413号磐田袋井線)、左側が江戸時代の東海道そのものと伝わる。同じ見付の町を、性格の異なる二本の道が並んで抜けているのは、この町が旧東海道の宿場町から、近代の交通の要衝へと重なりながら姿を変えてきたことの名残である。

史実と伝承の区別
磐田バイパスの開通年・有料道路としての変遷・4車線化・本線昇格の経緯は、国土交通省・Wikipedia等の資料で確認できる史実である。一方、大正期の見付の町並みの描写や、愛宕山からの眺めについての逸話は、紀行文由来の記述であり、学術的な一次資料による裏付けではない点に留意されたい。

磐田バイパスの誕生 ── 渋滞緩和という宿題

旧東海道をそのまま拡幅した国道1号は、見付・中泉の町なかを貫いていた。自動車が増えるにつれ、この町なかを通る国道は慢性的な渋滞に悩まされるようになる。その解決策として建設されたのが、磐田市中心部を迂回する磐田バイパスである。昭和56年(1981年)3月24日、暫定2車線で全線が開通した。起点は磐田市見付、終点は磐田市高丘、延長6.6km。信号機のないバイパスとして、町なかを通らずに東西を抜けられる新しい道が生まれた。

有料道路から無料開放へ

開通当初、磐田バイパスは有料道路だった。平成11年(1999年)4月1日からは、藤枝・掛川・浜名の各バイパスと同時期に、夜間(22時〜翌6時)の無料化が始まる。そして平成17年(2005年)3月30日22時、日本道路公団から国土交通省がこの道を買い取り、国と静岡県が費用を負担する形で完全に無料開放された。有料道路として生まれたバイパスが、公共の道として町に根づいていく過程である。

4車線化と「本線」への昇格 ── 旧道が県道になる

平成20年度(2008年度)、磐田バイパスの全線4車線化事業が新規に採択された。総事業費53億円をかけて、平成25年(2013年)3月28日に事業が完了する。そして平成27年(2015年)4月1日、磐田バイパスの全区間が正式に「国道1号の本線」に指定された。これにともない、それまで国道1号として町なかを通っていた旧道(旧東海道の道筋を踏襲した道)は、静岡県道413号磐田袋井線へと指定変更された。

ここで、道の主役交代が完成する。江戸時代は東海道、近代に入ってからは国道1号として町の中心を貫いていた道は、県道という一段格下げされた位置づけになり、代わって町の外を迂回するバイパスが「国道1号」を名乗るようになったのである。

江戸時代旧東海道が見付・中泉の町なかを貫く街道として機能。
大正〜昭和旧東海道の道筋が拡幅され、初期の国道1号として使われるようになる(正確な年は要調査)。
1981年(昭和56年)磐田バイパス、暫定2車線で全線開通。渋滞緩和が目的。
1999年(平成11年)夜間(22時〜翌6時)無料化。
2005年(平成17年)日本道路公団から国が買い取り、完全無料開放。
2008〜2013年全線4車線化事業。総事業費53億円。
2015年(平成27年)磐田バイパスが国道1号の本線に昇格。旧道は静岡県道413号磐田袋井線に変更。

主役交代が地図の上に残したもの

いまの磐田市街地には、性格の異なる三本の「東海道の記憶」が並んでいる。江戸時代そのままの旧東海道、かつて国道1号として町を貫いていた道(現・県道413号)、そして現在の国道1号である磐田バイパス。町を歩く人にとっては、どれも「昔からある道」に見えるかもしれないが、それぞれが背負ってきた役割は時代ごとにまったく違う。道の名前や格付けが変わっても、道そのものはそこに残り続ける。磐田の道の地図は、そうした主役交代の跡を、静かに記録しているのである。

主な参考資料

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この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料の文章をそのまま転載するのではなく、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。