失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す

磐田駅から消えた二つの鉄路 | 子2

旧東海道を走った軌道――中泉軌道のルートと松並木の記憶

中泉軌道の面白さは、鉄道というより、道と川のあいだに敷かれた細い線路であった点にある。起点の中泉駅付近から旧東海道へ近づき、一言橋、森下を経て池田橋方面へ向かったとされるその道筋を、現在の地名とともに歩いてみたい。

中泉駅から旧東海道へ

起点は中泉駅付近。そこから東海道本線の北側を西へ進み、久保川付近を越えて、現在の県道や生活道路に沿いながら北へ向かったとされる。やがて軌道は旧東海道へ近づいていく。ここで問題になったのが道幅であった。旧東海道は歴史ある街道である一方、軌道を通すには十分な幅を持たない箇所があったとされる。

そのため、線路は一部で北側へ回り込み、一言橋付近から旧東海道に合流したと伝えられる。距離としてはわずかな区間だが、街道の中に軌道を通すための工夫が必要だったことがうかがえる。

松並木伐採の伝承について

この工事の際、旧東海道の松並木が伐採されたという伝承がある。現在、豊田地区周辺の旧東海道松並木が片側に偏って残る背景として、中泉軌道の敷設工事が関係したと語られてきた。ただし、これは史実として確定した記録ではなく、地域に伝わる言い伝えの域を出ていない。公開にあたっては、行政資料・郷土資料・現地の聞き取りで確認したうえで、本文では「伝えられる」という書き方にとどめる。

万能橋、森西橋を経て池田橋へ

軌道はその後、万能橋、森西橋を経て森下方面へ進み、森下で分岐したとされる。ひとつは天竜橋東詰付近の源平新田へ向かう支線、もうひとつは池田橋方面へ向かう本線である。池田橋周辺は、天竜川水運との接点であり、木材や荷の集積地でもあった。

旧東海道を歩くとき、松並木だけを見ると江戸時代の風景に意識が向きやすい。だが、明治から大正にかけて、その道は鉄路を通す近代化の現場でもあった。中泉軌道は、街道の記憶の上に重なった、もうひとつの近代の記憶である。

参考資料

  • アップロード資料「磐田駅発の廃線調査」
  • 磐田市立図書館所蔵資料(光明電気鉄道・中泉軌道関係)
  • 現地確認写真(公開時に撮影日を記載)

松並木伐採の経緯は伝承段階の情報であり、断定を避けている。ルート上の具体的な地番・経路については、公開後も郷土資料・現地確認による補強を続ける。

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旧東海道沿いの土地をたどると、街道・軌道・松並木といった何層もの記憶が同じ場所に重なっていることが分かります。

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