失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す

磐田物語 地区別入口ページ

竜洋地区

よみがな:りゅうよう / 磐田物語 地区分類番号 01007
天竜川の河口、掛塚湊(遠州の小江戸)と川・船・水辺の記憶が重なる、旧竜洋町の地区。掛塚・平松・中島など、川とともに生きたまちの歩みを伝えます。

竜洋地区の天竜川・掛塚の川湊・帆船・集落の記憶を表した模式図
竜洋地区の記憶をたどる入口図 ── 天竜川河口の川湊と帆船、集落と田園の重なりを表した模式図です(地理を正確に示す地図ではありません)。

この地区分類は、現在の行政区分をそのまま写したものではありません。旧町村の沿革、学校区、大字、生活圏、地域の記憶をもとにした、磐田物語独自の分類です。内容は今後の資料確認により随時更新します。

竜洋地区を代表するテーマ

はじめての方に、まず見ていただきたい入口です。

この地区の歴史を読む

竜洋地区に関係する読み物・特集・史料ページを、新着の記事を上に、ほかはランダムに並べて全件表示しています。テーマ別に絞り込んで探すこともできます。

全13件

天然記念物

須賀神社クス

市指定天然記念物。西島の鎮守に育つ低地のクスと水辺の信仰。

村・町の誕生から磐田市合併まで

竜洋は、平成の合併まで「竜洋町」という独立した町でした。ここでは、明治の町村制から掛塚町・竜洋町の成立、平成の磐田市合併までの流れを、年表と対応表で整理します。各行に出典または確認状況を添えています。

年表

竜洋地区の町村沿革年表
年月日出来事関係する旧町村・地区現在の地名・地区との関係出典確認状況
1889(明治22).4.1町村制施行。掛塚村・十郎島村・白羽村・豊岡村・川袋村が合併し、長上郡掛塚村が発足。掛塚村 ほか竜洋地区の母体『掛塚町』ほか確認済
1896(明治29).6.29郡の再編で磐田郡となり、掛塚村が町制を施行して掛塚町となる。掛塚町『掛塚町』ほか確認済
1955(昭和30)掛塚町・十束村・袖浦村が合併し、竜洋町が発足。掛塚町・十束村・袖浦村旧竜洋町『竜洋町』ほか確認済
2005(平成17).4.1旧磐田市・豊田町・竜洋町・福田町・豊岡村が新設合併し、現在の磐田市が発足(竜洋町廃止)。竜洋町ほか現在の磐田市『磐田市』ほか確認済
現在磐田物語では、旧竜洋町域を中心に「竜洋地区」として整理。磐田市の統計でも独立した「竜洋地区」とされる。竜洋地区当ページの対象範囲磐田市/磐田物語確認済

1889年に掛塚村を構成した「豊岡村」は竜洋地区の大字で、豊岡地区(旧豊岡村)とは別です。十束村・袖浦村の構成の詳細は調査中です。

旧町村・大字対応表

旧地域名から現在の地区分類への対応
旧町村・旧地域名成立・変遷現在の主な大字・町名磐田物語での分類備考・確認状況
掛塚町1889 掛塚村 → 1896 掛塚町 → 1955 竜洋町へ掛塚・十郎島・白羽・川袋 ほか竜洋地区確認済
十束村1955 竜洋町へ平松ほか竜洋地区要再確認
袖浦村1955 竜洋町へ駒場・岡 ほか竜洋地区要再確認
竜洋町(1955成立)2005 磐田市へ旧竜洋町域全域竜洋地区確認済

現在の統計・公共施設

磐田市は人口を磐田・福田・竜洋・豊田・豊岡の5地区で集計しています。竜洋地区は旧竜洋町域にあたり、磐田市統計上の「竜洋地区」として独立した数値が公表されています。

項目内容出典・確認状況
人口(竜洋地区)17,782人(男 9,027/女 8,755)磐田市「地区別人口」令和8年5月末現在
世帯数(竜洋地区)8,113世帯同上
交流センター・包括支援センター等調査中(磐田市資料を確認のうえ追記)調査中
磐田市全体(参考)163,503人/72,414世帯磐田市 令和8年5月末現在

数値は令和8年(2026年)5月末現在の住民基本台帳人口(外国人を含む)です。年齢構成・公共施設などの詳細は、磐田市「年齢別人口表」等をもとに今後追記します。

地名・大字・学校区

中学校区・小学校区は、現在の生活圏を知るための目安です。住所や番地によって異なる場合があります。正確な通学区域は、磐田市の最新情報をご確認ください。

現在の中学校区

中学校関係する地域備考
竜洋中学校竜洋地区

現在の小学校区

小学校関係する地域備考
竜洋東小学校竜洋地区
竜洋西小学校竜洋地区
竜洋北小学校竜洋地区

主な大字・町名

竜洋地区に関係する主な大字・町名は次のとおりです。「〜の一部」とあるものは、町の一部のみが当地区に該当します。

駒場、岡、西平松、中平松、飛平松、東平松、海老島、竜洋稗原、大中瀬、小中瀬、南平松、須恵新田、請負新田、浜新田、掛塚、十郎島、白羽、川袋、豊岡、竜洋中島、宮本、高木、松本、堀之内、平間

竜洋地区の歴史をたどる ── 古代から現代まで

竜洋地区は、天竜川河口の水運、掛塚湊の廻船経済、遠州灘に近い低地の暮らし、そして昭和30年に成立した旧竜洋町の町村沿革が重なる地域です。掛塚だけを見れば湊町の歴史になりますが、竜洋地区全体として見ると、川袋、白羽、十郎島、平松、駒場、岡、中島、宮本、高木、松本、堀之内、平間など、川・海・田園・新田の記憶が連続しています。

この地区を読む鍵は、「川の物流」と「河口低地の維持」です。天竜川上流から材木が下り、掛塚で廻船へ積み替えられ、江戸や各地へ運ばれました。一方で、河口部は土砂の堆積、浅瀬、洪水、高潮、飛砂と向き合う場所でもありました。竜洋地区の歴史は、繁栄した湊の物語だけでなく、堤防、排水、漁労、祭礼、学校区、町村合併を通じて水辺の土地を守ってきた人びとの歴史として読む必要があります。

現在この地区に配置されている記事は、掛塚湊掛塚まつり貴船神社と水神信仰、十束村・袖浦村・白羽・十郎島・川袋・吉岡家・竜洋大砂丘・竜洋町沿革までの全12本です。竜洋地区の理解には、旧掛塚町、十束村、袖浦村、昭和30年の竜洋町成立、平成17年の磐田市合併までの流れも不可欠です。記事本文では、地名・町村沿革・地形・祭礼・町並みの痕跡を分け、確認できる事実と地域の記憶を区別して扱います。

竜洋地区の記事で使う根拠

根拠・資料分かること本文での扱い
『竜洋町』『掛塚町』、磐田市史、町村沿革資料掛塚村・掛塚町、十束村、袖浦村、竜洋町の成立と磐田市合併の流れ。行政上の変遷を整理する根拠にする。湊町としての生活圏とは区別する。
国土地理院の地理院地図、旧版地形図、治水地形分類図天竜川河口、自然堤防、旧河道、低湿地、海岸砂丘、集落立地の読み取り。地形の説明に使う。ただし特定年の河道や地名由来を地図だけで断定しない。
掛塚湊、廻船問屋、伊豆石、貴船神社例祭・屋台に関する地域資料湊の物流、帰り荷、町並み、祭礼文化に残る繁栄の痕跡。確認できる史料・町並みの痕跡・伝承を分けて記述する。
天竜川下流域の治水関連資料河口部の土砂堆積、洪水、堤防、近代以降の河川管理の背景。湊の成立と衰退を、交通だけでなく地形・治水の面から補う。

今後増やしたい記事テーマ

竜洋地区では、掛塚湊、十束村と平松、袖浦村、白羽、川袋・十郎島、竜洋町成立、天竜川河口の治水と海岸線の変化を既存記事として整理しました。今後は、竜洋稗原・中瀬・新田地名、学校区、現地写真、刻銘・町史の照合を追加して精度を高めます。

この地区の記憶を募集

この地区に関する古写真、古い地図、昔の屋号、商店、学校、祭り、建物、地名、言い伝えなどの情報を募集しています。

確実な史料だけでなく、「昔こう聞いた」「この場所にこんな建物があった」という記憶も、地域を記録する大切な手がかりです。確実な史料と地域の記憶は分けて整理し、次の世代へ手渡していきます。

この土地・家の記憶を残したい方へ

竜洋をはじめ磐田市・袋井市で、相続した実家・空き家・土地建物のご相談を、地域で暮らし不動産に関わる立場から承っています。歴史を記録する活動の延長として、土地や家のこれからを一緒に考えます。

作成方針・参考資料

このページは、磐田物語における地区別入口ページです。旧町村沿革、学校区、大字、地域資料、佐口行正氏所蔵史料などをもとに、今後内容を整理・更新していきます。

作成方針

  • 資料をそのまま転載せず、事実関係を確認したうえで独自に整理する。
  • 旧町村の沿革、現在の学校区、大字、生活圏を総合して分類する。
  • 断定できない情報は「要確認」「調査中」と明記する。
  • 地域の記憶は史実と分け、集合知として集めて随時更新する。

参考資料・出典

  • 磐田市公式資料(地区別人口・通学区域ほか)
  • 『竜洋町』『掛塚町』『磐田市』ほか沿革に関する公開資料
  • 国土地理院「地理院地図」および旧版地形図・治水地形分類図
  • 天竜川下流域の治水関連公開資料
  • 掛塚湊、廻船問屋、伊豆石、貴船神社例祭・屋台に関する地域資料
  • 磐田市史・旧町村史・地域資料
  • 佐口行正氏所蔵史料
  • その他、今後確認する地域資料

この地域の家・土地・空き家について

古い地名や集落の成り立ちを調べていると、 家や土地には、登記簿だけでは分からない地域の記憶が残っていることがあります。

相続した家、空き家、使わなくなった土地について、 「売る・貸す・残す」の前に、一度整理して考えたい方は、 富士ヶ丘サービス株式会社までご相談ください。