地名
匂坂・寺谷・岩田 ── 台地のへりに並ぶ村々
台地のへりに並ぶ村々の地形を読み解く。難読地名と沿革を図解で解説する読み物。
磐田物語 地区別入口ページ
よみがな:こうよう / 磐田物語 地区分類番号 01006
台地のへりに、住宅地と田園、匂坂(さぎさか)・寺谷・向笠などの難読地名が重なる地区。現代の磐田市の住宅地として性格づけられた、生活圏のまとまりです。
この地区分類は、現在の行政区分をそのまま写したものではありません。旧町村の沿革、学校区、大字、生活圏、地域の記憶をもとにした、磐田物語独自の分類です。内容は今後の資料確認により随時更新します。
はじめての方に、まず見ていただきたい入口です。
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全18件
地名
台地のへりに並ぶ村々の地形を読み解く。難読地名と沿革を図解で解説する読み物。
土地の記憶
多様な形状の古墳が尾根筋に共存する国指定史跡。古代遠江とヤマト王権の同盟を語る。
土地の記憶
古墳時代後期の円墳が集積する県指定史跡。地域の家族や共同体が築いた石室の歴史。
土地の記憶
「長者の屋敷があった」という昔話が発掘調査で真実へ。律令時代の行政拠点のロマン。
町村沿革
今川・徳川・武田のはざまで一族の命脈を繋ぎ、姉川の戦いで名を馳せた名門武士の記憶。
町村沿革
山地と台地が交わる北の要衝を抑え、古くから向笠を開発・支配した武士の歩みをたどる。
暮らし
1590年頃、荒れ狂う天竜川に挑んだ偉業。乾いた原野を豊かな田園へと変えた不屈の精神。
暮らし
水なき原野を切り拓き、風吹きすさぶ高台をお茶畑に変えた明治の開拓者たちのフロンティア。
地名
旅の僧が残した杖と笠から芽吹いた梅。台地のへりの豊かな湧水に育まれた美しい集落。
地名
なぜこんなに長い名前なのか?江戸時代の他村開拓(入作)システムが生んだ境界と労働の記録。
学校
大藤村と向笠村の合併と「向陽中学校」の誕生。学校区が歴史を繋ぎ、現代の生活圏を作るまで。
総論
向陽地区を、現在の学校区や生活圏だけでなく、岩田・大藤・向笠という旧村の重なりから読み直す導入ページ。
岩田地区
天竜川に接する岩田地区を、匂坂・寺谷・新田・寺社・水の記憶から整理する本編ページ。
大藤地区
磐田原台地上の大藤地区を、大久保・藤上原・藤野・原、水利、畑作、茶園の記憶から整理する本編ページ。
向笠地区
向笠地区を、笠梅・向笠上中下・向笠西・向笠新屋と、太田川・敷地川・小藪川の水系から読む本編ページ。
小字資料
岩田地区の大字・小字・難読地名を、資料画像で判読できる範囲から整理する資料ページ。
小字資料
大藤地区の大久保・藤上原・藤野・原・平松掛下入作などを、台地開拓と水の記憶から整理する資料ページ。
小字資料
向笠地区の笠梅・向笠上中下・向笠竹之内・向笠西・向笠新屋などを、水系と丘陵の記憶から整理する資料ページ。
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向陽は、磐田物語の分類で、台地のへりの旧村々が磐田市へ編入され、学校区と生活圏によって結び直された区域です。基礎になるのは旧大藤村・旧向笠村・旧岩田村の一部で、いずれも現在は旧磐田市域の中に含まれます。ここでは、明治の町村制から磐田市への編入、平成の磐田市合併までの流れを、年表と対応表で整理します。
| 年月日 | 出来事 | 関係する旧町村・地区 | 現在の地名・地区との関係 | 出典 | 確認状況 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1889(明治22).4.1 | 町村制施行により、大藤村・向笠村・岩田村などが発足。 | 大藤村・向笠村・岩田村 ほか | 向陽地区を構成する旧村の母体 | 磐田物語「磐田市の町村合併史」ほか | 確認済 |
| 1896(明治29).4.1 | 郡の再編により、所属が磐田郡となる。 | 大藤村・向笠村・岩田村 | — | 『磐田郡』ほか | 確認済 |
| 1955(昭和30)〜1957(昭和32) | 大藤村・向笠村・岩田村などが磐田市へ順次編入。 | 大藤村・向笠村・岩田村 ほか | 旧磐田市の一部に | 磐田物語「磐田市の町村合併史」ほか | 確認済 |
| 2005(平成17).4.1 | 旧磐田市・豊田町・竜洋町・福田町・豊岡村が新設合併し、現在の磐田市が発足。 | 旧磐田市ほか4町村 | 現在の磐田市 | 『磐田市』ほか | 確認済 |
| 現在 | 磐田物語では、台地のへりの生活圏を中心に「向陽地区」として整理。現代の住宅地としての性格を持つ。 | 向陽地区 | 当ページの対象範囲 | 磐田物語 | 分類方針 |
向陽地区は現在の行政上の単独地区ではなく、磐田物語が地域史を読みやすくするために設定した分類です。人口統計上は、旧磐田市域にあたる「磐田地区」に含めて扱われます。
| 旧町村・旧地域名 | 成立・変遷 | 現在の主な大字・町名 | 磐田物語での分類 | 備考・確認状況 |
|---|---|---|---|---|
| 大藤村 | 戦後、磐田市へ編入 | 大久保・藤上原・平松掛下入作 ほか | 向陽地区 | 確認済 |
| 向笠村 | 戦後、磐田市へ編入 | 笠梅・篠原・向笠西・向笠竹之内・向笠新屋 ほか | 向陽地区 | 確認済 |
| 岩田村の一部 | 戦後、磐田市へ編入 | 匂坂上・匂坂中・匂坂新・寺谷・寺谷新田・岩井の一部 ほか | 向陽地区 | 確認済 |
磐田市は人口を磐田・福田・竜洋・豊田・豊岡の5地区で集計しています。見付・中泉・御厨・南部・向陽の各地区は、統計上は旧磐田市域にあたる「磐田地区」として一括集計されます。ここでは向陽地区を含む磐田地区の数値を示します。
| 項目 | 内容 | 出典・確認状況 |
|---|---|---|
| 人口(磐田地区) | 89,868人(男 45,396/女 44,472) | 磐田市「地区別人口」令和8年5月末現在 |
| 世帯数(磐田地区) | 40,596世帯 | 同上 |
| 位置づけ | 磐田地区(旧磐田市域)に含まれる地区 | 磐田市 |
| 交流センター・包括支援センター等 | 調査中(磐田市資料を確認のうえ追記) | 調査中 |
| 磐田市全体(参考) | 163,503人/72,414世帯 | 磐田市 令和8年5月末現在 |
向陽地区単独の人口・世帯数は、磐田市の統計では旧磐田市域(磐田地区)に合算されており、地区単独の数値は公表されていません。地区単独のおおよその規模は、今後、磐田市「大字別人口表」「町別人口表」をもとに整理して追記します。
中学校区・小学校区は、現在の生活圏を知るための目安です。住所や番地によって異なる場合があります。正確な通学区域は、磐田市の最新情報をご確認ください。
| 中学校 | 関係する地域 | 備考 |
|---|---|---|
| 向陽中学校 | 向陽地区 | — |
| 小学校 | 関係する地域 | 備考 |
|---|---|---|
| 向陽小学校 | 向陽地区 | — |
向陽地区に関係する主な大字・町名は次のとおりです。「〜の一部」とあるものは、町の一部のみが当地区に該当します。
匂坂(さぎさか)は、向陽地区を代表する難読地名です。匂坂上・匂坂中・匂坂新という並びは、古い集落の中心、そこから派生した区域、開発によって広がった土地を考える手がかりになります。中世には匂坂氏の名と結びつき、城館跡や在地武士の記憶を読む入口にもなります。
寺谷・寺谷新田は、寺谷用水と結びつけて読む地名です。台地の縁では水の確保が暮らしと開発を左右しました。寺谷用水は、単なる水路ではなく、耕地・集落・低地の暮らしを変えた社会基盤として見る必要があります。
向笠の地名は、向笠西・向笠竹之内・向笠新屋などに残ります。向笠氏の伝承や向笠城だけでなく、新豊院山古墳群のようなさらに古い土地の記憶とも重なります。中世の城だけを単独で見るのではなく、古墳が築かれた台地、山地と平地の境、道の通り方をあわせて見ると、土地の性格が見えてきます。
大久保・藤上原は、台地開拓と茶園の記憶を伝える地域です。台地上の畑作や茶の栽培は、自然条件に合わせて土地利用を変えてきた人びとの営みを物語ります。住宅地としての現在の姿の下には、風、水、土と向き合ってきた近代以降の開拓の記憶があります。
笠梅は、地名の由来や伝承と、台地のへりの小さな集落景観をあわせて読みたい場所です。伝承は史実そのものとして断定せず、地域の人びとが土地をどう語ってきたかを示す記憶として扱います。
平松掛下入作は、長い地名そのものが歴史資料のような地名です。「入作」は、別の村の人びとが耕作に入った土地の記憶を示す言葉として読めます。地名の長さには、境界、開発、耕作権、村どうしの関係が折り重なっています。
向陽地区の全体像をつかむには、まず 匂坂・寺谷・岩田 で地形と地名を押さえ、次に 新豊院山古墳群、米塚古墳群、長者屋敷遺跡 で古代以前の層を読むのがおすすめです。その後、匂坂城跡と匂坂氏、向笠城と向笠氏 で中世の在地武士を見て、寺谷用水、大久保と藤上原、平松掛下入作 で近世から近代の開発へ進むと、最後に 「向陽」の誕生 が理解しやすくなります。
向陽地区は、古くから一つの村として存在した地名ではありません。磐田物語では、現在の向陽小学校・向陽中学校を中心にした生活圏を手がかりに、旧大藤村・旧向笠村・旧岩田村にまたがる台地東縁の地域を「向陽地区」として整理しています。つまり向陽は、古代から続く個別の集落名ではなく、戦後の市域再編と学校区、住宅地化によって見えやすくなった新しいまとまりです。
この地域を読む鍵は、磐田原台地の縁です。台地の上には古墳や畑作・茶園の記憶があり、台地の裾や谷筋には用水、田園、集落が重なります。匂坂・寺谷・向笠・大久保・笠梅・平松掛下入作といった地名は、それぞれ別々の由来を持ちながら、台地の高低差、水の得にくさ、開発の歴史という共通の条件でつながっています。
向陽地区の歴史は、古墳時代の有力者の墓、古代の官衙・居館とみられる遺跡、中世の在地武士、近世の寺谷用水、近代以降の台地開拓、戦後の磐田市編入と学校区の成立という順に重ねて読むと分かりやすくなります。個別の記事を読む前に、このページで全体像をつかめるよう、時代別・旧村別・地名別に整理します。
| 旧村・地域 | 現在の主な地名 | 歴史を読む視点 | 関連ページ |
|---|---|---|---|
| 旧大藤村 | 大久保、藤上原、平松掛下入作 ほか | 磐田原台地の開拓、茶園、入作地名、戦後の住宅地化。水に乏しい台地をどう耕地に変えたかが主題になります。 | 大久保と藤上原、平松掛下入作 |
| 旧向笠村 | 笠梅、篠原、向笠西、向笠竹之内、向笠新屋 ほか | 台地東縁の古墳群、向笠氏の伝承、中世の城館、山地と台地の境に開けた集落の記憶をたどります。 | 新豊院山古墳群、向笠城と向笠氏、笠梅の歴史 |
| 旧岩田村の一部 | 匂坂上、匂坂中、匂坂新、寺谷、寺谷新田、岩井の一部 ほか | 匂坂氏、寺谷用水、寺谷台地の遺跡群、谷筋と低地の開発を結ぶ地域です。難読地名が多く、地名そのものが地域史の入口になります。 | 匂坂・寺谷・岩田、米塚古墳群、長者屋敷遺跡、匂坂城跡と匂坂氏、寺谷用水 |
| 時代 | 見えてくるもの | 読み解きのポイント |
|---|---|---|
| 古墳時代 | 新豊院山古墳群、米塚古墳群 | 台地の縁や尾根筋に墓域が置かれたことから、眺望・交通・地域支配のあり方を考えることができます。 |
| 古代 | 長者屋敷遺跡、寺谷周辺の伝承 | 「長者」の伝承と発掘成果を分けて読み、古代の行政・居館・集落の可能性を慎重に整理します。 |
| 中世 | 匂坂氏、向笠氏、城館跡 | 今川・徳川・武田の勢力が交錯した遠江で、在地武士がどのように土地と道を押さえたかを見る時代です。 |
| 近世 | 寺谷用水、新田、入作 | 天竜川の水を引き、乾いた台地や周辺低地を耕地へ変えていく営みが、地名や水路に残ります。 |
| 近代 | 大藤村・向笠村・岩田村、台地開拓 | 明治の町村制で地域が行政単位として整理され、茶園や畑作、学校、道路が生活圏を形づくっていきます。 |
| 戦後・現代 | 磐田市への編入、向陽小学校・向陽中学校、住宅地化 | 旧村の境を越えて通学・通勤・買い物のまとまりが生まれ、「向陽」という現代の地区名が実感を持つようになります。 |
この地区に関する古写真、古い地図、昔の屋号、商店、学校、祭り、建物、地名、言い伝えなどの情報を募集しています。
確実な史料だけでなく、「昔こう聞いた」「この場所にこんな建物があった」という記憶も、地域を記録する大切な手がかりです。確実な史料と地域の記憶は分けて整理し、次の世代へ手渡していきます。
向陽をはじめ磐田市・袋井市で、相続した実家・空き家・土地建物のご相談を、地域で暮らし不動産に関わる立場から承っています。歴史を記録する活動の延長として、土地や家のこれからを一緒に考えます。
このページは、磐田物語における地区別入口ページです。旧町村沿革、学校区、大字、地域資料、佐口行正氏所蔵史料などをもとに、今後内容を整理・更新していきます。
古い地名や集落の成り立ちを調べていると、 家や土地には、登記簿だけでは分からない地域の記憶が残っていることがあります。
相続した家、空き家、使わなくなった土地について、 「売る・貸す・残す」の前に、一度整理して考えたい方は、 富士ヶ丘サービス株式会社までご相談ください。