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ARCHIVE | 竜洋・資料編 ── 統治者を史料として読む

竜洋を治めた人達
── 遠州の藩主・中泉代官・明治以降の首長一覧

「町や村を背負った人達」(r021)は、林伊太郎・林厚徳・竹内善平・牧野定久・中島重助という代表的な人物にスポットを当てた読み物であった。本記事は、原資料『ふるさと竜洋』にある一覧表そのものを史料として整理したものであり、r021の人物読み物とは位置づけが異なる。
本ページは、提供資料『ふるさと竜洋』(竜洋町教育委員会編、昭和52年〈1977年〉3月刊、「資料1」「資料2」「資料3の二」)を主な典拠とする。一覧表は人名・年代の転記精度が特に重要であるが、原資料は手書き・スキャンによる旧字体・変体仮名を含み、判読が難しい人名・年代が多数ある。中泉代官の在任期間一覧(原資料に約39名分が記載されている)は、氏名・在任年代の判読に不確かな部分が多く、本ページでは特に明瞭に判読できた範囲の代表的な人物のみを掲げ、全項目の網羅的な転記は行っていない。正確な全容を確認したい場合は、原本『ふるさと竜洋』にあたることを推奨する。

この一覧表について(原資料の性格)

『ふるさと竜洋』の巻末には、「資料1 遠州の藩主」「資料2 中泉代官」「資料3の二 各地の石高」と題する一覧表が付されている。これらは、竜洋町教育委員会が編纂にあたって整理した史料であり、個々の人物の逸話ではなく、在任期間・石高といった客観的なデータの一覧という性格を持つ。本ページは、この一覧表を、地域の統治構造を俯瞰するための資料として紹介するものである。

遠州の藩主一覧

原資料「資料1 遠州の藩主」には、慶長19年(1614年)以降の横須賀・浜松・掛川など遠州各藩の藩主の変遷が記されている。判読できた範囲では、横須賀藩に大須賀忠次(所領6万石)、浜松藩に松平忠次、掛川藩に松平忠照といった藩主の名が確認できる。明治期に近い時期の藩主として、牧野定久(浜松藩、5月とのみ年代が記載)、池田正太郎(掛川藩、複数回にわたり記載)といった名も見える。

表1 遠州の藩主(一部、提供資料「資料1」による、判読できた範囲)
藩主石高・備考
横須賀藩大須賀忠次所領6万石
浜松藩松平忠次[要確認]詳細な石高は判読できず
掛川藩松平忠照[要確認]詳細な石高は判読できず
幕末期の藩主牧野定久、池田正太郎ほか年代・在任期間の詳細は原資料の判読困難につき[要確認]

原資料には、このほかにも複数の藩・藩主名が年表形式で記載されているが、手書き文字の判読が困難な箇所が多く、本ページでは網羅的な転記を行っていない。

中泉代官の在任期間(一部)

竜洋一帯は、江戸幕府の直轄地(天領)として、中泉(現・磐田市中心部)に置かれた中泉代官所の支配を受けていた。原資料「資料2 中泉代官」には6名の代官が挙げられており、判読できた範囲では、井伊秀用(貞享元禄時代)、横須賀・西尾忠照(文化10年頃)といった名が確認できる。

さらに原資料には、正保2年(1645年)から嘉永6年(1853年)にいたる、約39名分の詳細な中泉代官の在任期間一覧が掲載されている。最初期の代官として竹本久兵衛(正保2年〈1645年〉より慶安元年まで)、r021が紹介する林伊太郎は、この一覧の最後(39番目)に位置し、嘉永6年(1853年)から安政5年(1858年)まで在任したことが確認できる。この間の中間の代官については、氏名・在任年代の判読が難しい箇所が多く、本ページでは全39名の網羅的な転記は行わない。原本での確認を推奨する。

表2 中泉代官の在任期間(一部、提供資料「資料1」「資料2」による、判読できた範囲)
代官在任期間
竹本久兵衛正保2年(1645年)より慶安元年まで
井伊秀用貞享元禄時代[要確認]
西尾忠照文化10年頃、横須賀
林伊太郎嘉永6年(1853年)より安政5年(1858年)まで(一覧最後の39番目)

各地の石高一覧

原資料「資料3の二」には、袖浦地区・十束地区の各集落の石高が記載されている。掛塚地区の石高については「掛塚・袖浦・十束の村域変遷と石高」で扱っているため、そちらを参照いただきたい。袖浦地区・十束地区の各集落の石高も、原資料には具体的な数値が記されているが、判読が難しい箇所が多く、本ページでは代表的な項目のみを示すにとどめる。

明治初年からの静岡県知事・磐田郡長一覧(一部)

原資料には、明治初年から昭和にいたる静岡県知事・磐田郡長の一覧が、西暦・和暦とともに年表形式で記載されている。この一覧は、県政・郡政という竜洋町を取り巻く上位の行政組織の変遷を示すものであり、氏名の判読ができた範囲では、複数の知事・郡長の名が確認できるが、手書き文字の判読困難な箇所が多く、本ページでは全項目の転記を見送る。

竜洋町長・議員一覧

原資料には、竜洋町長・掛塚町長・袖浦村長・十束村長(合併前)の一覧、および竜洋町議会議員(昭和30年〈1955年〉頃)の氏名が記載されている。r021が紹介する初代町長・竹内善平の名も、この一覧の中に確認できる。個々の議員名については、判読が難しい文字を含むため、本ページでは網羅的な掲載を行わない。

r021(町や村を背負った人達)との読み方の違い

r021は、林伊太郎・林厚徳・竹内善平・牧野定久・中島重助といった代表的な人物の功績・エピソードを、読み物として紹介している。これに対し、本ページは、原資料にある一覧表そのものを、氏名・在任期間という客観的なデータとして整理したものである。両者は重複するものではなく、r021が「誰が、どのような功績を残したか」を語るのに対し、本ページは「誰が、いつ、その地位にあったか」という史料的な骨格を提供する、という役割分担になっている。

用語解説

中泉代官所
江戸幕府が中泉(現・磐田市中心部)に置いた代官所。竜洋を含む天領の統治にあたった。
天領(てんりょう)
江戸幕府の直轄地。代官が派遣され、年貢の徴収などの統治にあたった。
大区小区制
明治初年、廃藩置県後に敷かれた行政区画制度。r021も紹介する林厚徳県令の改革の一つ。

むすび

藩主・代官・知事・郡長・町村長という、竜洋を治めた人々の一覧は、個々の人物の物語ではなく、この土地がどのような統治の枠組みの中に置かれてきたかを示す骨格である。手書き資料の判読には限界があり、本ページで転記できたのはその一部にとどまるが、それでも、遠州の藩主から中泉代官、そして明治以降の知事・郡長・町村長へと続く統治の連なりの輪郭は見えてくる。個々の人物の功績を知りたい方は「町や村を背負った人達」を、あわせて読んでいただきたい。

参考資料

  • 『ふるさと竜洋』竜洋町教育委員会編、昭和52年(1977年)3月刊(「資料1」「資料2」「資料3の二」。出典:提供資料)。
  • 磐田物語「町や村を背負った人達」(r021)、「掛塚・袖浦・十束の村域変遷と石高」(r034)。

本ページは上記資料をもとに、磐田物語編集部が資料編として整理したものである。原資料は手書き・スキャンによる旧字体・変体仮名を含み、判読が難しい人名・年代・数値が多数ある。判読に自信が持てない箇所は「[要確認]」と明記し、明瞭に判読できなかった項目の網羅的な転記は行わなかった。正確な全容の確認には原本にあたることを推奨する。誤りにお気づきの場合は掲示板からお知らせいただきたい。

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