TIMELINE | 地理・自然・資料 ── 治水事業を一覧する
天竜川の治水年表
── 金原明善から第三次改修まで
年表の見方
天竜川下流部の近代治水は、大きく4つの段階に分けられる。明治初年の金原明善による私財を投じた事業、明治18年(1885年)からの内務省直轄・第一次改修、大正12年(1923年)からの第二次改修、昭和38年(1963年)以降の第三次改修である。このうち第二次改修で、今日私たちが見る天竜川の姿がほぼできあがった。以下の年表・表は、この4段階に沿って、年、出来事、工費や区間などの数値をあわせて示す。金原明善という人物そのものの詳しい歩みは「金原明善」(r026)を、地形・地質の全体像は「天竜川の地形と歴史」(r024)をあわせて読んでいただきたい。
明治期 ── 金原明善から第一次改修まで
- 明治元年(1868年)天竜川堤防決壊。金原明善が修防を願い出て、11月に実現
- 明治2年(1869年)明善、静岡藩により水下各村総代に任じられる
- 明治4年(1871年)明善、鹿島〜掛塚港間の川普請改良を静岡藩に建言
- 明治5年(1872年)上流鹿島村での支流締切、費用超過により不許可
- 明治6年(1873年)下流での支流川締切事業に掛塚港村民が反発
- 明治7年(1874年)6月天竜川堤防会社の設立
- 明治9年(1876年)天竜川堤防会社を治河協力社と改称
- 明治11年(1878年)明善、自費で安間川の川替を行う
- 明治14年(1881年)治水が国・県・町村の枠組みへ移行。治河協力社は解散へ
- 明治18〜27年(1885〜1894年)内務省直轄による第一次改修
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 期間 | 明治18年(1885年)11月〜明治27年(1894年)4月 |
| 区間 | 二俣町鹿島以南 |
| 工費 | 約80万円 |
| 主要工事 | 護岸の石張とその補強、水衝部へのケレップ水制の設置、神田口締切堤の延長、合代島・一貫地から三ツ家・下神増・松ノ木島にかけての連続堤の築造、河口付近の砂丘・十郎島飛地の除去 |
| 特徴 | 洪水被害のもっとも多い区間に絞った部分的な改修 |
第一次改修で用いられたケレップ水制は、明治初年に来日したオランダ人技術者の考案によるもので、岸から川へ突き出す構造物で水の勢いを弱め、流れの向きを整える働きを持つ。この技術は、その後の改修でも各所に応用されていく。
大正期 ── 第二次改修の開始
明治43年(1910年)・44年(1911年)の連続した大水害は、第一次改修だけでは天竜川の氾濫を防ぎきれないことを浮き彫りにした。この水害を契機に、大正12年(1923年)から10か年の継続事業として、内務省直轄の第二次改修が始まる。中ノ町(現在の浜松市天竜区)に天竜川改修事務所が設置され、より広範囲かつ本格的な改修に着手した。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 契機 | 明治43年(1910年)・44年(1911年)の大水害。被害の詳細な規模(浸水戸数・面積等)は提供資料からは確認できない |
| 開始 | 大正12年(1923年) |
| 期間 | 当初計画は10か年の継続事業 |
| 事務所 | 中ノ町に天竜川改修事務所を設置 |
| 投資額 | 大正12年(1923年)以降、改修費・維持費・災害費を合わせて約71億円(後年までの累計) |
昭和前期 ── 派川締切の進展
第二次改修は、昭和期に入って派川(本流から分かれた川筋)の締切という形で具体化していく。次々と分流を締め切ることで、天竜川の水を一本の本流に集約し、氾濫の危険を減らす狙いがあった。
| 年 | 工事 | 備考 |
|---|---|---|
| 昭和4年(1929年) | 河輪築堤 | |
| 昭和10年(1935年)着手 | 東派川締切 | 昭和19年(1944年)竣功 |
| 昭和12年(1937年)着手 | 大平川締切 | 昭和14年(1939年)竣功 |
| 昭和25年(1950年)着手 | 西派川締切 | 昭和26年(1951年)竣功 |
| 昭和37年(1962年) | 井通堤締切 |
昭和37年(1962年)頃までに、これらの派川締切がほぼ完了し、今日私たちが見る天竜川の一本化された姿がほぼできあがった。r024で触れた「川筋の西遷」が中世から近世にかけての大きな流路変化だったのに対し、この昭和前期の派川締切は、明治以来の治水事業が最終的な形に到達する段階だったといえる。
昭和38年以降 ── 第三次改修と現在の課題
昭和38年(1963年)以降は、水衝部(水流が強く当たる部分)の根固水制の補修・増設に重点を置く第三次の改修が続けられてきた。第二次改修までで堤防の骨格が完成した後は、局所的な補強や維持管理が中心となっている。
提供資料の末尾は、当時の課題にも触れている。洪水防御はいちおう概成したものの、骨材需要の増大による河川砂利の採取や、上流部のダム開発の影響が下流部へ及びつつあり、河道計画を再検討して、治水・利水の恒久的な改修計画を立て直す必要がある、というものである。この記述がいつの時点のものかは提供資料からは明確でないが、天竜川との付き合いが、堤防の完成をもって終わるものではなく、継続的な課題であり続けてきたことを示している。
用語解説
- 派川(はせん)
- 本流から分かれて流れる川筋。天竜川下流部には東派川・西派川・大平川など複数の派川があり、締切によって順次、本流に集約された。
- 締切(しめきり)
- 派川や旧流路の入口を堤防でふさぎ、水の流れをそこへ入れないようにする工事。天竜川を一本の流路にまとめる過程で繰り返し行われた。
- 根固水制(ねがためすいせい)
- 川岸や堤防の基礎部分を石やコンクリートブロックで固め、流水による洗掘(土砂が削り取られること)を防ぐ構造物。第三次改修で重点的に補修・増設された。
- 内務省直轄(ないむしょうちょっかつ)
- 明治期から昭和前期にかけて、河川行政を管轄した内務省が直接施工・管理した公共事業の形態。天竜川の第一次・第二次改修はこの直轄事業として行われた。
参考資料
- 提供資料「三、天竜川の変遷」(原本44〜59頁相当、治水事業に関する記述は主に56〜59頁。出典:提供資料〈書誌未確認〉)。
- 磐田物語「天竜川の地形と歴史」(r024)── 本ページの底本となる基礎資料。
- 磐田物語「竜洋地区年表・参考資料」(r023)── 年表形式の参考。
本ページは上記資料をもとに、磐田物語編集部が年表・資料の観点から再構成したものである。r024本文と重複する記述は要約にとどめ、本記事では工費・区間・主要工事を一覧できる形に重心を置いた。数値は提供資料の記載に従い、出典の書誌が未確認のため確認でき次第この欄を更新する。誤りにお気づきの場合は掲示板からお知らせいただきたい。
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