LANDSCAPE | 地理・自然 ── 土地利用に残る川の記憶
島畑の景観を歩く
── 天竜川平地に残る土地利用の記憶
島畑とは何か
島畑(しまばたけ)とは、低い水田の中に、島のように点々と浮かぶ短冊形の畑のことをいう。r024で整理したとおり、天竜川平地は、旧流路の跡と思われる細長く折れ曲がった溝状の凹地が、平地の全面に無数に読み取れる土地である。旧流路の両側には自然堤防状の高まりがあり、隣の旧流路との間には中洲状の高まりが残る。この中洲や自然堤防の間を、先祖たちが長い年月をかけて掘り下げて田を開いてきた結果、高い部分が畑として残り、低い部分が水田になった。これが島畑の成り立ちである。
島畑は、天竜川平地の中でも旧流路の発達が特に細かい区域に多く見られるとされる。近くの太田川・都田川・菊川などの平地には、これほど細かい旧流路と中洲の入り組みは見られないと提供資料は記しており、島畑は天竜川平地に固有性の高い景観といえる。
天竜川平地の旧河道と自然堤防
島畑の分布を理解するには、旧河道と自然堤防の位置関係を押さえる必要がある。r024で見たとおり、天竜川平地は西鹿島橋付近を頂点に、東は磐田原台地、西は三方原台地にはさまれて南へ開くくさび形の平地であり、旧流路は扇状地帯から自然堤防帯へと姿を変えながら河口まで達している。地理院地図の地形図・空中写真で天竜川下流部を確認すると、現在の水田区画や道路の中に、川筋らしい緩やかなカーブを描く畦や水路、微妙な高低差が読み取れる区域がある。これは、資料が指摘する旧流路・自然堤防の痕跡が、圃場整備後もなお地形として残っていることを示している。
竜洋・磐田南部の集落の多くは、こうした自然堤防や、海岸沿いの砂堤列(海岸線に平行して並ぶ低い砂の微高地)の上に立地してきた。r024で紹介したとおり、砂堤列は天竜川平地の正面では2〜3列と発達が弱いが、その西方の三方原台地南方では10列以上を数えることができるという。集落が、周囲より一段高いわずかな地形の上を選んで発達してきたことは、洪水の常襲地帯で暮らすための、先人の土地選びの知恵でもあった。
どの旧流路が、いつの時代のどの分流にあたるのかを、現地の一区画ごとに特定することは、専門的な地質調査や字限図(あざぎりず、明治期の地籍図)の照合を要する作業であり、本ページの範囲では行っていない。地理院地図の陰影起伏図や治水地形分類図は、こうした旧河道・自然堤防のおおまかな分布を確認する手がかりになるが、個別の土地について正確な履歴を知りたい場合は、法務局の公図や旧土地台帳、地域に残る絵図にあたる必要がある。
島畑の景観がいまに伝えるもの
戦後の圃場整備(耕地整理)によって、天竜川平地の農地の多くは矩形に整えられ、かつての細長い島畑の姿は、多くの場所で失われた。それでも、区画の向き、道路や水路の緩やかな屈曲、周辺よりわずかに高い宅地や畑には、旧河道・自然堤防の記憶が形を変えて残っていることがある。竜洋・磐田南部を歩くと、一見すると整然とした水田地帯の中に、ふと不自然な角度で折れる畦道や、周囲より高い一角に建つ家に出会うことがあるが、それは圃場整備で消えきらなかった地形の名残である場合がある。
r024で紹介した「古川」「一番ダシ」「二番ダシ」といった地名や、「島」「須賀」のつく地名も、島畑と同じく、川筋の記憶が土地の呼び名として残ったものである。地図を片手に歩けば、いまも読み取れる記憶だと、r024の本文は記している。島畑は、その記憶が地名としてではなく、土地の形そのものとして刻まれた例だといえる。
土地の来歴を読むということ
家や土地の相続、売買、あるいは空き家の整理を考えるとき、「なぜこの土地は隣より低いのか」「なぜ区画がこれほど細長いのか」という疑問に行き当たることがある。天竜川平地では、その答えの少なくない部分が、島畑に象徴される旧河道・自然堤防の地形にある。周囲より低い土地は、かつての旧流路が水田化した名残であることがあり、細長い区画は、中洲や自然堤防を掘り下げて田を開いた歴史の名残であることがある。
こうした土地の高低差や区画の細長さは、単なる不便さや使いにくさとして片づけられがちだが、その由来を知ることは、その土地でこれからどう暮らすか、どう活用するか、あるいはどう手放すかを考えるうえでの手がかりにもなる。地形の記憶は、宅地の水はけや、造成の際の注意点にもつながっている。
用語解説
- 島畑(しまばたけ)
- 低い水田の中に、島のように点々と残る短冊形の畑。旧河道の間の中洲や自然堤防を残しながら周囲を掘り下げて田を開いた結果できた、天竜川平地に特有の景観。
- 旧河道(きゅうかどう)・旧流路
- かつて川が流れていた跡。天竜川平地では細長い溝状の凹地として無数に残り、多くは水田になっている。
- 自然堤防(しぜんていぼう)
- 洪水のたびに川の両岸に砂が積もってできた、高さ1メートル内外の自然の高まり。集落や畑はこの微高地に立地することが多い。
- 圃場整備(ほじょうせいび)
- 戦後に各地で進められた、農地の区画を大きく矩形に整え、用排水路・農道を計画的に整備する事業。天竜川平地でも多くの島畑がこれによって整理された。
- 字限図(あざぎりず)
- 明治期に作成された地籍図。字(あざ)ごとの土地の境界・地番を記録しており、旧河道や地割の履歴を調べる手がかりになる。
参考資料
- 提供資料「三、天竜川の変遷」(原本44〜59頁相当、地形に関する記述は主に平地の地形の章。出典:提供資料〈書誌未確認〉)。
- 磐田物語「天竜川の地形と歴史」(r024)── 本ページの底本となる基礎資料。
- 地理院地図(国土地理院)── 天竜川下流部の地形図・空中写真・陰影起伏図による地形確認。
本ページは上記資料をもとに、磐田物語編集部が景観・土地利用の観点から再構成したものである。r024本文と重複する記述は要約にとどめ、本記事では島畑の分布・現地性・土地の来歴という切り口に重心を置いた。個別区画の詳細な履歴は登記記録・字限図等の一次資料が必要であり、本ページの範囲では確認していない。誤りにお気づきの場合は掲示板からお知らせいただきたい。
この地域の家・土地・空き家について
天竜川平地の家や土地には、旧河道や自然堤防の高低差、島畑に由来する区画の細長さなど、地形の記憶が残っていることがあります。富士ヶ丘サービス株式会社では、磐田市内の家・土地・空き家の整理について、土地の成り立ちや区画の来歴も大切にしながら、じっくりとご相談をお受けしています。相続した土地の形が特殊で戸惑っている、区画の由来が分からず不安、といったご相談も歓迎します。
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