失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語 / 向陽地区 / 総論

向陽地区旧村史

岩田・大藤・向笠をつなぐ丘陵と水の記憶

磐田市の向陽地区にあたる岩田・大藤・向笠の旧村史を、旧磐田郡・旧豊田郡、天竜川、太田川、敷地川、磐田原台地、小字、寺社、伝承の視点から読み解く総論ページです。

岩田大藤向笠天竜川・磐田原台地・太田川水系を結ぶ模式図
地形と旧村の関係を模式化した図です。

資料画像を目視して作成した整理ページです。小字や寺社名は判読の余地があるため、今後の原本確認・地域資料確認で更新します。合併の経緯や災害の被害数値については、Wikipediaや静岡県交通基盤部の公開資料など、複数の情報源を突き合わせて記載していますが、細部の年月日・数値は今後の原本確認でさらに補強していく方針です。

向陽地区を旧村の重なりとして読む

現在の向陽地区は、ひとつの地名だけで説明できる範囲ではない。資料では岩田地区、大藤地区、向笠地区がそれぞれ章を立てて扱われ、旧郡、旧村、大字、小字、寺社、学校、公民館、災害や水利の記憶が重ねて記録されている。岩田は天竜川に接し、匂坂・寺谷を中心にした村々が明治期の町村制で岩田村としてまとまった。大藤は磐田原台地の上にあり、水に乏しい台地を畑、茶園、集落として使ってきた地域である。向笠は太田川、敷地川、小藪川などの水系と低地・丘陵の境に暮らしがあり、水害、開発、伝承の記憶が濃く残る。

「向陽」という現在の地区名は、岩田・大藤・向笠という三つの旧村が持っていた地形的な性格の違いを覆い隠してしまう面がある。天竜川沿いの低地、磐田原台地上の乏水地、太田川・敷地川沿いの低湿地という三つの異なる自然条件のもとで、それぞれの村は独自の生業と集落のかたちを育んできた。同じ向陽地区という枠組みで語られる地域であっても、川に近いか、台地の上か、丘陵と低地の境目かによって、水との付き合い方も、耕地の使い方も、災害への備え方も大きく異なっていた。この総論ページは、その違いを均さずに、三地区それぞれの持つ地理的な個性を手がかりとして読み解こうとするものである。

旧郡と旧村の記憶。 資料には旧磐田郡、旧豊田郡、山名郡など、現在の行政区分とは異なる郡名が現れる。これらは単なる古い呼び名ではなく、寺社の由緒、村の合併、用水や道路、学校区のまとまりを考えるための手がかりである。明治22年(1889年)の町村制は、この地域の見え方を大きく変えた。複数の村や新田が合併して岩田村、大藤村、向笠村となり、役場、学校、村社、公民館などの公共施設が地域の中心を示す目印になった。

合併の内訳を見ると、それぞれの村がどのような小村・新田の集まりだったかが具体的にわかる。岩田村は、匂坂新村、寺谷村、寺谷村出作間、寺谷置新田、次郎作新田、匂坂上村、匂坂中村、伝右衛門新田、寺谷新田という、匂坂・寺谷を軸にした複数の村・新田が合併して成立した。大藤村は、大久保村、平松村掛下村出作場、藤上原村が合併してでき、磐田原台地の縁にあった小さな集落がひとつにまとまった村であったことがわかる。向笠村は、向笠竹之内村、向笠西村、篠原村、笠梅村、向笠新屋村(大部分)、太田村(一部)、山名郡岩井村が合併して発足した豊田郡向笠村を起点としている。いずれの村も、明治22年時点ではまだ豊田郡に属しており、1896年(明治29年)の郡制施行にともなって、向笠村・大藤村の所属郡が磐田郡へと変更された。同じ地域の中でも、村ごとに合併の経緯や所属郡の変遷が異なっていたことは、地域史を読むうえで見落とされがちな点である。

水と台地がつくった三つの地域性

岩田を読む鍵は天竜川である。川に近いことは水の恵みだけでなく、水害、堤防、渡河、耕地の変化を伴った。大藤では磐田原台地が主役になる。資料は、台地上の水の得にくさ、井戸、天水、畑地、茶や桑などの作物、公民館を中心にした地域運営に触れている。向笠は川と丘陵の間にあり、笠梅、向笠上、向笠中、向笠下、向笠竹之内、向笠西、向笠新屋などの集落名が、水系、低地、寺社、伝承と結びつく。

向笠を流れる太田川は、たびたび地域に大きな被害をもたらしてきた川でもある。1974年(昭和49年)の台風第8号では、太田川の本川で堤防が3箇所にわたって決壊し、磐田市内で家屋の全壊・流失が計87戸、床上・床下浸水があわせて2,240戸に達したと記録されている。この被害を教訓として、太田川ダムの建設が検討されるようになり、1980年度(昭和55年度)に多目的ダムとしての事業が始まり、2002年(平成14年)10月29日には本体工事に着手した。向笠の集落が水系との距離感を持って営まれてきた背景には、こうした洪水と治水の歴史が横たわっている。台地上の大藤が水に乏しい土地であったのとは対照的に、向笠は水に近すぎることによる困難を抱えてきた地域だったといえる。

小字を読む意味。 小字は、行政地名よりも小さな生活の単位である。田畑、屋敷、谷、沢、山、寺社、道、水路に関わる呼び名が残り、地図だけでは見えにくい土地利用の記憶を伝える。本サイトでは、岩田・大藤・向笠の三地区について、本編ページとは別に小字・地名資料ページを置いた。本文では意味を推測しすぎず、判読できる地名を表として整理し、今後の資料確認で補える余地を残す。

大藤の小字である大久保、藤上原、藤野、平松掛下入作といった名は、明治22年の合併前の村名(大久保村、藤上原村、平松村掛下村出作場)がそのまま小字として残った例である。行政上の村としては大藤村という一つの名前にまとめられても、暮らしの単位としての小字は、合併前の村の輪郭を長く保ち続けた。向笠の小字である笠梅、向笠上、向笠中、向笠下、向笠西、向笠新屋も同様に、合併前の向笠竹之内村・向笠西村・篠原村・笠梅村・向笠新屋村といった旧村名の系譜をたどることができる。小字を読むことは、単に地名を確認する作業ではなく、行政区画がどれだけ塗り替えられても地域の記憶が下の層に残り続けることを確かめる作業でもある。

この地域の家・土地・空き家について

古い地名や集落の成り立ちを調べていると、 家や土地には、登記簿だけでは分からない地域の記憶が残っていることがあります。

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参考資料・注記